◆ 「道徳教科書、パン屋を和菓子屋へ」になぜ違和感を覚えるのか (Huffington Post)
保坂展人(世田谷区長。ジャーナリスト。)
森友学園をめぐる一連の話題の中で、「忖度(そんたく)」という言葉が頻繁に使われました。言葉や文書による指示はなくても、「政治家の気持ちを官僚たちが推し量ったのではないか」というニュアンスで使われています。3月23日に国会で行われた証人喚問は、与党の計らいとは逆に「森友疑惑」の終結にはほど遠く、「8億円の国有地の減額」の真相究明を求める世論はますます強くなっています。
私は、このブログに『森友学園、「瑞穂の国」ならぬ「不条理の国」に』(3月14日)を書いて、「森友学園が準備していた私立学校の「独自の教育」は、入学を希望しないという選択が可能ですが、地域の公立学校は選ぶことができません」と書きました。私が危惧したのは、公教育の「森友学園化」でした。案の定、ドキリとするようなニュースが伝えられました。
これから始まる道徳の教科化によって、「道徳」の教科書検定が初めて行われました。
こんな修正を強いられるのであれば、教科書会社は来年度から、街の商店街を描く時に、
「ブティックは呉服屋」
「カフェは甘味喫茶」
「靴屋は草履屋」
「コンビニエンスストアは酒屋、米屋、八百屋」
「ホームセンターは金物屋、雑貨屋」
などと事前に書き換えていくことが十分予想されます。
子どもたちが生活する街で、江戸時代から続いている看板で商売をしている店舗を探すのは容易ではありません。
たしかに「和菓子屋」は残っていますが、「和楽器屋」は見たこともないという子どもたちも多いはずです。
この20年間の規制緩和によって、大型ショッピングモールが次々と出店し、日本中の多くの街で歴史と伝統のある商店街は櫛の歯が欠けるように閉店に追いこまれました。これこそ、グローバリズムに身を任せた政治の所産に他なりません。
世田谷区は、大型ショッピングモールが建設されるだけの土地がなく、伝統的な商店街が残っている地域ですが、それでも地元の店が閉じて、チェーン店にとって替わる等の変化の波を受けています。
『アンパンマン』の作者、亡くなったやなせたかしさんはどう思うでしょうか。私が道徳の教科書の執筆者なら、リズミカルなメロディーに乗せて、深淵な歌詞で人生とは何か、生きる意味はどこにあるのかを歌う『アンパンマンのマーチ』の歌詞から、小学1年生の「道徳」を書いてみたいと思います。
そもそも、アンパンは明治初期に日本で独自につくられた歴史を持っているし、ジャムパン、クリームパン、カレーパン等も同様です。
このニュースを聞いた時に、多くの人が「変だね」と違和感を覚えたようです。
それは、憲法によって言論・出版の自由が保証されているはずの社会で、教科書検定のみが「記述」を問題にして、書き換え修正を求めていることへの違和感ではないでしょうか。
「パン屋の物語」「アスレチック遊具での子どもたち」のどこが悪いのでしょうか。検定側も「パン屋はダメ」とは言っていない、全体として「わが国の郷土と文化を愛する態度」に該当する記述が「欠けている」としています。それなら、「和菓子屋の物語」と「和楽器店での子どもたち」なら、検定の指摘を満たすのでしょうか。
リオ・オリンピックの閉会式に、安倍首相自らマリオに変身するパフォーマンスを行ったことを思い出しました。
日本発の漫画、アニメ、ゲームが、世界に大きく発信していることは、まぎれもない事実ですが、「道徳」の教科書検定で「パン屋」を「和菓子屋」に書き換えさせた人たちは、どのような感想を持つのか聞いてみたいと思います。
森友学園の教育の特徴は、「教育勅語」の暗唱であり、戦前の学校を手本とするような規範を重んじる教育でした。
戦前の教育の特徴は、「自分で考えること」「自分の意見を言うこと」を禁じて、「権威ある目上の人を信じて疑わない」「国や権威者の言うことを復唱し、自分の意見を持たない」態度を育てていったことにありました。
その結果、治安維持法の取締対象の拡大によって、戦争に反対する者はもちろん、懐疑的な者や厭戦気分を有する者も、「好ましからざる人物」として投獄され、政府と軍部の暴走に歯止めがかからなくなりました。
そして、私たちが捨てなければならないのは「忖度」です。
「たかが道徳の教科書の表記ではないか」と見過ごすわけにはいきません。「パン屋を和菓子屋へ」の書き換えで大きな議論がなければ、今回の教科書検定の考え方が、これからの「道徳の教科書」の常識的記述になります。
「強い者」「力のある者」へひれ伏し、そこにある思考回路に事前同調する追随者をよしとする風潮は、まさに「いつかどこかで見た光景」です。
『Huffington Post』(2017年03月29日)
http://www.huffingtonpost.jp/nobuto-hosaka/textbook_b_15681970.html?utm_hp_ref=japan
保坂展人(世田谷区長。ジャーナリスト。)
森友学園をめぐる一連の話題の中で、「忖度(そんたく)」という言葉が頻繁に使われました。言葉や文書による指示はなくても、「政治家の気持ちを官僚たちが推し量ったのではないか」というニュアンスで使われています。3月23日に国会で行われた証人喚問は、与党の計らいとは逆に「森友疑惑」の終結にはほど遠く、「8億円の国有地の減額」の真相究明を求める世論はますます強くなっています。
私は、このブログに『森友学園、「瑞穂の国」ならぬ「不条理の国」に』(3月14日)を書いて、「森友学園が準備していた私立学校の「独自の教育」は、入学を希望しないという選択が可能ですが、地域の公立学校は選ぶことができません」と書きました。私が危惧したのは、公教育の「森友学園化」でした。案の定、ドキリとするようなニュースが伝えられました。
※ パン屋「郷土愛不足」で和菓子屋に 道徳の教科書検定:朝日新聞デジタル (2017年3月24日)「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」という点が足らないと指摘を受けて、「パン屋を和菓子屋に、アスレチックの遊具で遊ぶ公園を和楽器屋に」と教科書会社が修正したところ、検定をパスしたのだ報道されています。私は、すぐにツイートしました。
「しょうぼうだんのおじさん」という題材で、登場人物のパン屋の「おじさん」とタイトルを「おじいさん」に変え、挿絵も高齢の男性風に(東京書籍、小4)▽「にちようびのさんぽみち」という教材で登場する「パン屋」を「和菓子屋」に(同、小1)▽「大すき、わたしたちの町」と題して町を探検する話題で、アスレチックの遊具で遊ぶ公園を、和楽器を売る店に差し替え(学研教育みらい、小1)――。
いずれも文科省が、道徳教科書の検定で「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」と指摘し、出版社が改めた例だ。
おじさんを修正したのは、感謝する対象として指導要領がうたう「高齢者」を含めるためだ。文科省は「パン屋」についても、「パン屋がダメというわけではなく、教科書全体で指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という点が足りないため」と説明。「アスレチック」も同様の指摘を受け、出版社が日本らしいものに修正した。
Follow「レベルの低さ」「支離滅裂な価値軸」と書きました。
保坂展人 ? @hosakanobuto
「道徳」の教科書検定で、「パン屋」を「和菓子屋」に修正してパスというニュースを聞いて、思考が止まりました。「わが国と郷土を愛する態度」の視点からの修正だという。硬直した尺度で「パン屋はダメで、和菓子屋OK」と判定していく「道徳検定」のレベルの低さと支離滅裂な価値軸に違和感を抱く。
10:15 PM - 25 Mar 2017 ・ Chiyoda-ku, Tokyo
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これから始まる道徳の教科化によって、「道徳」の教科書検定が初めて行われました。
こんな修正を強いられるのであれば、教科書会社は来年度から、街の商店街を描く時に、
「ブティックは呉服屋」
「カフェは甘味喫茶」
「靴屋は草履屋」
「コンビニエンスストアは酒屋、米屋、八百屋」
「ホームセンターは金物屋、雑貨屋」
などと事前に書き換えていくことが十分予想されます。
子どもたちが生活する街で、江戸時代から続いている看板で商売をしている店舗を探すのは容易ではありません。
たしかに「和菓子屋」は残っていますが、「和楽器屋」は見たこともないという子どもたちも多いはずです。
この20年間の規制緩和によって、大型ショッピングモールが次々と出店し、日本中の多くの街で歴史と伝統のある商店街は櫛の歯が欠けるように閉店に追いこまれました。これこそ、グローバリズムに身を任せた政治の所産に他なりません。
世田谷区は、大型ショッピングモールが建設されるだけの土地がなく、伝統的な商店街が残っている地域ですが、それでも地元の店が閉じて、チェーン店にとって替わる等の変化の波を受けています。
『アンパンマン』の作者、亡くなったやなせたかしさんはどう思うでしょうか。私が道徳の教科書の執筆者なら、リズミカルなメロディーに乗せて、深淵な歌詞で人生とは何か、生きる意味はどこにあるのかを歌う『アンパンマンのマーチ』の歌詞から、小学1年生の「道徳」を書いてみたいと思います。
そもそも、アンパンは明治初期に日本で独自につくられた歴史を持っているし、ジャムパン、クリームパン、カレーパン等も同様です。
このニュースを聞いた時に、多くの人が「変だね」と違和感を覚えたようです。
それは、憲法によって言論・出版の自由が保証されているはずの社会で、教科書検定のみが「記述」を問題にして、書き換え修正を求めていることへの違和感ではないでしょうか。
「パン屋の物語」「アスレチック遊具での子どもたち」のどこが悪いのでしょうか。検定側も「パン屋はダメ」とは言っていない、全体として「わが国の郷土と文化を愛する態度」に該当する記述が「欠けている」としています。それなら、「和菓子屋の物語」と「和楽器店での子どもたち」なら、検定の指摘を満たすのでしょうか。
リオ・オリンピックの閉会式に、安倍首相自らマリオに変身するパフォーマンスを行ったことを思い出しました。
日本発の漫画、アニメ、ゲームが、世界に大きく発信していることは、まぎれもない事実ですが、「道徳」の教科書検定で「パン屋」を「和菓子屋」に書き換えさせた人たちは、どのような感想を持つのか聞いてみたいと思います。
森友学園の教育の特徴は、「教育勅語」の暗唱であり、戦前の学校を手本とするような規範を重んじる教育でした。
戦前の教育の特徴は、「自分で考えること」「自分の意見を言うこと」を禁じて、「権威ある目上の人を信じて疑わない」「国や権威者の言うことを復唱し、自分の意見を持たない」態度を育てていったことにありました。
その結果、治安維持法の取締対象の拡大によって、戦争に反対する者はもちろん、懐疑的な者や厭戦気分を有する者も、「好ましからざる人物」として投獄され、政府と軍部の暴走に歯止めがかからなくなりました。
そして、私たちが捨てなければならないのは「忖度」です。
「たかが道徳の教科書の表記ではないか」と見過ごすわけにはいきません。「パン屋を和菓子屋へ」の書き換えで大きな議論がなければ、今回の教科書検定の考え方が、これからの「道徳の教科書」の常識的記述になります。
「強い者」「力のある者」へひれ伏し、そこにある思考回路に事前同調する追随者をよしとする風潮は、まさに「いつかどこかで見た光景」です。
『Huffington Post』(2017年03月29日)
http://www.huffingtonpost.jp/nobuto-hosaka/textbook_b_15681970.html?utm_hp_ref=japan
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