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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

<安倍氏「国葬」論争に参入!>

2022年08月01日 | 暴走する都教委と闘う仲間たち

 ◆ 国論が割れている安倍「国葬」に天皇・皇族の出席は憲法違反。
   ”国葬もどき化”は必至!!岸田首相はどうする?

   皆さま     高嶋伸欣です

 藤岡信勝氏や安倍晋三氏などによって繰り広げられたこの”失われた30年”の間、私が用いた対抗手段の一つが”彼らをやぶ蛇の事態に追い込む”ことでした。

 今回も、安倍「国葬」反対の立場から、一石を投じようと思います。

 ここで問題にするのは「国葬」とするのであれば天皇・皇族等の出席が必須と一般的にイメージされるけれども、それは今回の場合、憲法違反になるという点です。

 この点を早めに指摘することで、「天皇・皇族の出席を前提に準備がすでに進んでいて変更できない」という既成事実化を食い止め、安倍「国葬」を”疑似国葬化”に追い込むことが、狙いの一つとしています。

 以下、長文になっていますが、ご参考までに。

1)「国葬」であれば天皇・皇族の出席が不可欠な事項と岸田首相らは想定しているはず。
 そのことを裏付けるように「海外からの高官・要人の警護には万全を期して汚名返上を目指す」(警備関係者)、「岸田首相は『国葬』を弔問外交の機会として位置づけている」(政治部記者)など、「国葬」に天皇・皇族が出席するとの前提の下、各国からは元首級の人物の出席を想定しての報道がされている。
 プーチン氏の「国葬」不参加の報道もそれに当たる。

2)確かに、憲法では第7条(天皇の国事行為)では「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために左の国事に関する行為を行ふ」とし、列挙された国事の最後に「10 儀式を行ふこと」とある。

3)けれども安倍「国葬」が憲法7条に言う「国事」としての「儀式」に該当するという法的根拠はない。
 すでに繰り返し指摘されているように、戦前にはあった「国葬令」が廃止されているのであるから。

4)けれども、前例に準拠するならば、戦後に唯一の「国葬」として催行された吉田茂氏「国葬」(1967年10月31日)では、皇太子夫妻(現上皇夫妻)が出席(臨席)していた事例がある。
 この前例に基づけば憲法7条にいう「儀式」に安倍「国葬」も当てはめらられると、いえなくはない。

5)ただし、事例は一件だけにすぎず、これだけでは憲法の規定を厳密に解釈したとはいえない。拡大解釈の疑問が依然として強く残る。
 吉田氏以後に「国葬」の事例が存在していないことも、この疑念を裏付けている。

6)それだけに今回の安倍「国葬」の催行決定については慎重であるべきだった。
 ところが、内閣法制局が官邸の求めに応じ、内閣府設置法に内閣の業務として「儀式を行う」旨の規定があるので、閣議決定をすれば法的根拠を獲得できる、との法令解釈を構築した。
 岸田首相は、この解釈のみに依拠して「国葬」催行を決断したと述べている。

7)しかし、「国葬」の概略程度の枠組みについてさえも具体的な検討をしないまま、「国葬」という語が政府・国会から報道界、一般社会に一気に拡散し、賛否を含め様々な意見が飛び交い、日本全体がざわついた状況にある。

8)加えて、岸田政権は閣議決定を受けて、早々と世界各国及び国際機関などに向け約200件の「国葬」催行の通知を発出したという。
 弔電はもとより海外からの要人・高官の列席を予想し、期待してのことだろう。

9)だが、それは「国葬」という外交儀礼上は特段の配慮・注意を喚起させられる事項の通知でありながら、大枠さえ定まらない、日本国内の案内状発送対象も未確定の状況でのものにすぎない。
 それでも各国は、その後の「国葬」詳細の通知を待ちつつ、水面下では通例にいう「国葬」の場合に見合う派遣要人・高官の人選を進めているものと思われる。

10)その際、「国葬」とされるのであれば、主催国の元首の出席を想定し、その状況に見合う、少なくとも”軽視した”あるいは”見くびった”などと反発を招くような外交的失態を回避するために、現あるいは前元首級の人物の派遣を考慮することになり易い。
 ちなみに、諸外国では天皇が日本の元首であるとみなし、外務省もそのような解釈を事実上受け入れてきている。

11) 従って、上記10)までの過去の事例や海外に流布した「国葬」通知などからすれば、今回の安倍「国葬」には天皇・皇族の出席(臨席)は不可欠であり、当然に岸田首相はそのように想定していると思われる。

12) しかし日本国憲法第1条(天皇の地位・国民主権)では「天皇は、日本国の象徴であり日本国統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とされている。
 「日本国民統合の象徴」にして「この地位は日本国民の総意に基づく」と明確に規定されている以上、「統合の象徴」「国民の総意に基づく」という観点から、天皇・皇族は日本国民の間で意見や態度が大きく割れている事柄において、一方の側に即した言動は、憲法上許されないことになる。

13) 実際、戦後はこうした天皇・皇室の立場を皇族だけでなく宮内庁も強く意識し、世論や国論が大きく割れた事柄については一定の距離を置いた対応が採られてきた。それでも天皇や皇族の外国訪問が「皇室外交」などと言われ、時の政権による「政治利用ではないか」などの声が挙がることが少なくなかった。

14)そうした経過を経てきた中で、軽薄な皇室の政治利用が露見し、批判回避のために天皇・皇后に対し粗略に対応するという大失態を、第2次安倍政権が演じた事実がある。
 2013年4月28日の安倍晋三首相主導による政府主催「主権回復記念式典」の強行がそれだ。

15)初の政府主催「主権回復記念式典」が、安倍首相の不勉強による判断ミスと面子への固執によって、天皇・皇室への侮辱的対応となった経過は下記の通り。
 ①第2次安倍政権(2012年12月)から間もない2013年4月28日、安倍首相の発案で政府は「主権回復記念式典」を開催した。
 ②サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日にちなむ”初の政府主催の式典”と強調されたが、「条約発効から61年目という半端な年に何故?」という疑問に、安倍首相は「去年にやりたかったが民主党政権の時代でやれなかった」旨答えた。
 しかし、2014年以降はまったくの知らぬふり。65年目の節目1917年にも何もしなかった。
 ③当時の安倍首相に本気で主権回復を国を挙げて祝い、啓発しようなどする気がないことは、明らかだった。
 首相の本心は、第2次政権に就く際に約束した「靖国神社参拝」などを実行する決断がでてきていないことに、保守派内で高まっている批判に対して、以前から保守派が求めている政府主催の同「式典」の実施で取り繕うことにあると、マスコミでは報じられていた。
 ④一方で、安倍首相は政府主催「式典」の権威付けの意味を持つ同「式典」への天皇・皇后の出席手続きを早々と済ませ、「式典」開催を表明した同年3月の段階でそのことにも言及した。
 ⑤ところが、同「式典」を政府主催とすることが報道されるや、沖縄では一斉に「『本土』の独立回復のためには沖縄を米軍支配下に置くようにという米国政府の要求を日本政府が受け入れたのがサンフランシスコ講和条約だった。その時と同じ屈辱を、今また安倍政権は沖縄県民に突き付けようとしている。『式典』の政府主催による開催は断じて許されない!」などの、抗議の声があがった。

 *沖縄では県議会が全会一致で抗議決議を採択し、仲井間知事は欠席を表明。4月28日には、政府「式典」と同時刻に開催した抗議集会に、1万人以上が参加した。
 この時の取り組みを契機に沖縄では4月28日を「屈辱の日」として再認識する状況が生まれ、今日に継続されている。
 安倍首相は、保守派も含めた沖縄県民の心の傷をかきむしる失態を演じたも同然となった。こうした「安倍カラー」の無神経な押し付けが、沖縄の反「本土」意識を刺激し、安倍・菅政権を悩ます状況をより強固にするという”やぶ蛇”の結果を生んだ。
 この時の”やぶ蛇”の事態は、安倍首相の歴史についての半可通、勉強不足という知的欠陥から生まれたオウンゴールだった。
 ⑥天皇中心の歴史認識に染まっている安倍首相は、そうした沖縄の声が寝耳に水も同然となり、同「式典」は規模の大幅縮小に追い込まれた。憲政記念会館を会場に国会議員の約半数は欠席、全国の知事も本人は26人、残りは副知事などの代理などだった。
 なんとも後ろめたく、やめるにやめられない、税金無駄使いの政府主催「式典」となった。
 ⑦ 沖縄は47都道府県中の1県に過ぎずない。さらに人口規模も約130万人で全国総人口の1%に過ぎない。数量的には国論を”二分”しているとは言いにくくとも質的には十分な重みをもつ異論だった。そのことを安倍官邸も認識しないわけにはいかなかったという事例だ。
 ⑧さらに、安倍官邸は同「式典」の規模縮小に追い込まれただけでなく、それでも覆いつくせない無様さを示したのが、出席した天皇・皇后(現在の上皇夫妻)の位置づけだった。
 式典当日、他の式典の場合と同様に、天皇・皇后は舞台に当たる式場正面の右寄りに席が設けられ着座していたが、「式典」の進行中にそこから立つことはなかった。
 つまり、天皇が出席する「式典」等では必ず設けられる天皇の「式辞」等の場面がこの時は全く設けられていなかった。天皇・皇后はただ黙って終始着席しているだけであった。
 ⑨それは、見方によれば安倍官邸が、今さら天皇・皇后の出席を断る訳にもいかず、ただの権威付けのための「お飾り」扱いにし、一種の「手中の駒」、あるいはものを言う必要のない存在としての、「晒し者」「壁の花」まがいの扱いをしたことにもなる。
 ないがしろにされた天皇・皇后は、さぞかし不快であったことと思われる。
 *安倍氏は天皇崇拝の念が強い保守派と親密な関係にあることで知られている。だがこうした安倍首相による天皇の扱いに対して、それらの保守派は抗議をしたのだろうか。「日本会議」とその傍系の組織の機関誌などを視てもそれらしいものは見当たらない。
 ⑩そうした安倍官邸の処置に抗議の意味を込めてか、「式典」終了後の天皇の退席時に、出席国会議員席のあたりから突然「天皇陛下万歳」の声があがり、安倍首相たちは2回目の万歳から唱和に加わった。
 この時、退席途中の天皇は戸惑い、一瞬立ち止まって会釈を返している様子が実況中継のテレビ画面にも映しだされていた。
 政府主催の式典とされながら、出席辞退や代理出席が多く見栄えのない式典であっただけに、この最後の予定外のできごとも、天皇にはわざとらしく思えた可能性がある。

 *現上皇は、安倍首相が女性天皇を認める皇室典範の改正に否定的であることに不信感を抱いていたと伝えられている。上皇が天皇からの退位の意思を明らかにしたのも、首相官邸の了解なしにNHKのスクープという形によってだった。
 そのように官邸を不意打ちする形の表明に踏み切ったのは、早くから官邸にその意思を伝えていたのに対し、安倍首相は自身の描く政治スケジュールに差し支えるとして、先延ばしを繰り返していたためだと伝えられている。
 そうした安倍首相への不信の念を、「主権回復記念式典」での屈辱的な処遇でさらに強めた可能性が十分にある。

 16) 従って、岸田首相は内閣法制局の憲法第1条の規定を軽視した軽率な判断を唯一の根拠とした安倍「国葬」の催行に踏み切ったことで、安倍首相による「主権回復記念式典」の失態という”前者の轍(わだち)”にはまり込みつつあることになる。

 17)「国葬」らしく天皇・皇族の出席を「内閣の助言」によって強行すれば、天皇・皇族は憲法1条違反行為を岸田首相に強いられたことになる。
 一方で遅まきながら、賛否両論が飛び交う事情を認識し、憲法1条違反を回避するために天皇・皇族の出席を求める「助言」をしないこと(もしくはすでに出している「助言」を取り消し)にすれば、安倍「国葬」は天皇抜きの”国葬もどき”となり、国内外の出席者の激減、”格落ち要人“派遣などが予想される。
 「国葬」などと大上段に掲げた旗印が実は見掛け倒しにすぎないと海外に知れた時、岸田政権の国際的評価の減退は不可避となるし、それは国辱的醜態でもある。

 18) 今回、内閣法制局は十分な検討・吟味をしたとは言えない。安倍政権下で「集団的自衛権行使を可能にする憲法解釈」への改変を許容すると変質し、「法の番人」から”時の政権の番犬”に堕したと揶揄されている内閣法制局の判断のみで決断を急いだ岸田政権は、「安倍首相の意思を継ぐ」ためにその拙劣な手法までも安易に継承、エスカレートさせている。
 そのことを今回の安倍「国葬」をめぐる事態が巧まずして証明しつつある。

 19) 最後に、安倍氏殺害事件がなぜ起きたのか、という疑問に一つの答えを提示した白井聡氏の指摘は傾聴に値するように思える。
 「安倍元首相は自らが生み出した『長期腐敗体制』の犠牲者」(現代ビジネス)
 岸田首相もまた安倍元首相が生み残した「長期腐敗体制」にはまり込んでいることを、安倍「国葬」の拙速決定で我々に気づかせ、他の政策でも同様ではないかとの警報を発しているようにも思える。

 それだけに安倍「国葬」の催行には、やはり反対せざるを得ない。

 以上 高嶋の私見です。 ご参考までに         転送・拡散は自由です

 

 

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