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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

一部白紙の意見広告を掲載させた『読売』の“見識”

2010年10月18日 | 平和憲法
 ▼ 一部白紙の意見広告を
   掲載させた『読売』の“見識”


 一九八三年、中曽根康弘首相(当時)が訪米中に語ったとされる「日本列島不沈空母」発言に憤った人たちが大分県で市民団体「赤とんぼの会」をつくった。現在の世話人代表、宮崎優子さん(61歳)は当時をこう振り返る。
 「満州や朝鮮半島から引き揚げてきた人たちや戦争で苦しんだ人たちを中心に、中曽根発言に対し『悔しい、何とかしなければ』という声が上がったんですね。私の母も無一文で日本に帰ってきたとき『戦争放棄の日本国憲法が光って見えた』とよく話していました。最初の代表はよくこう言っていました『私たちは、小指と小指の繋がりでいい。互いの主義主張は違っても憲法九条を守るという一点で集まり、行動しよう』と。」
 作家の故・松下竜一さんが、「砂川基地闘争」で童謡「赤とんぼ」が歌われたことを紹介し、会の名前が決まった。
 それから二八年間、「赤とんぼの会」は毎年八月一五日、大分県内で発行される新聞五紙(『朝日』『毎日』『読売』『西日本』『大分合同』)に全面の意見広告を出し続けてきた
 「一人ひとりから広告料をいただき、その個人名をすべて広告に掲載する手法は、日本で初めてだと聞いています」(宮崎さん)
 今年も二八九三人から広告費が集まり、準備を進めている最中、異変が起きた。読売新聞社西部本社の広告審査部からクレームが入ったというのだ。少し長くなるが同会の会報から引用する。
 〈8月12日の昼頃、読売の広告社より広告デザイン下部枠内の文章2カ所について、その根拠の問い合わせがありました〉
 〈夕方になって再び広告社からの連絡。2カ所をなんとかしないと新聞に掲載できないと読売新聞(西部本社)の広告審査部が言っていると。その2ヵ所は海外メディア情報の部分(理由は国内で報道されていないことだからだとか)それと、戦争体験者の言葉で「上官の命令で捕虜を銃殺した。」という部分(理由は、新聞広告に出すには刺激的すぎるからだとか)〉

 「赤とんぼの会」はぎりぎりまで交渉したが、『読売』の態度は変わらなかったという。広告掲載を止める案も出たが、広告費を出してくれた『読売』読者もいるため、該当部分を白紙にしたり、「:」で表記したりして広告を掲載した
 すべて削って白紙となったのは次の表現だった。
 〈*海外メディア(AFP、ザ・ボイス・オブ・ロシア、新華社、UPIなど)は、「ソマリア沖の海賊問題を受け、紅海沿岸のジブチ共和国で日本の海上自衛隊基地建設が着工される。」と報じています。〉
 「捕虜を銃殺した」は、「捕虜を・・・」に替えられた。


 これらは『読売』以外の四紙には問題なく掲載されている
 しかも、「拠点」という表現だが、海自がジブチに約四〇億円をかけて自前の施設(基地)を整備することは7月中旬に『朝日』『毎日』が報じているのだ。
 前出の宮崎さんは「とにかくビックリしました。今の世の中でマスコミから検閲まがいのことを受けるとは思いもよらない。あぜんとしました」と話している。
 読売新聞社西部本社からは、社内手続きに時間がかかるため期日までの回答は無理、と回答があった。回答が寄せられた段階で、なんらかの形で再報告したい。
 メディア取材班

『週刊金曜日』(2010/10/15【メディア】)

※赤とんぼの会HP
http://aka-tombo.com/

※植田謙一のホームページ
 読売新聞西部本社とのやりとり 「赤とんぼの会」意見広告をめぐって
http://www.geocities.jp/uedaken_ichi/akatomboyomiuri.html

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