根津です。
関千枝子さん著
★ 「ヒロシマの少年少女たち ――原爆、靖国、朝鮮半島出身者」(彩流社)
の購読をお勧めします
関さんからこの本が送られてきて、良かったら宣伝してほしいということですので、紹介します。
視点が鮮明で、読み応えがあります。
広島に原爆が投下された時刻、爆心地から1キロ弱の地点で建物疎開作業に駆り出されていた関さんのクラス39人と教員3人は、生徒一人が奇跡的に助かっただけで他は死亡した。
関さんはたまたまこの日、下痢のために欠席していて助かった。
広島の12,3歳の少年少女たちは学校ごとに建物疎開作業に動員されていて、6000人の命が奪われた。
関さんのようにたまたま欠席をしていて助かった人たちは、生き残った者の負い目から、原爆の話は避けてきたという。
しかし、原爆投下から30年が経った頃、関さんは遺族からしっかり聞きとり、記録を起こすことが死者への供養になるのではないかと考えるようになり、訪ね歩いて「広島第二県女二年西組」(筑摩書房)に記した。
調べる中で、級友たち、建物作業で被爆死した少年少女たちが「最年少の英霊」として靖国神社に合祀されていることを知り、愕然とする。そのことも、「広島第二県女二年西組」に記されている。
「戦争で死ぬことはいいことだと教え込んだものの筆頭に靖国神社がある。」
生き残った者の責任から関さんは、靖国神社にこだわり続けてきた。
だから、安倍首相が2013年12月26日に靖国神社を参拝したことに対し、2014年4月、違憲訴訟の原告代表になられた。
関さんは意見陳述で、「私はこの注用の原告になったことを「(英霊)本人による訴訟」「(英霊)本人による異議申し立て」と思っている」と陳述された。
私は関さんの、いま動かねばという強い思いを知り、傍観者でいてはいけない。せめて原告になろうと思い、原告のひとりになったのだった。
そして、つい先日出版された表題のご著書。「ヒロシマの少年少女たち」は、本の帯にあるように、生き残った関さんが「渾身の力を込めて後世に伝え残したい痛切な事実の訴え」だ。
この夏書かなければ、書き残せないかもしれない。
あの日、6000人もの命が奪われた事実を知らない、消してしまうことは罪、ということがひしひしと読み手に迫ってくる。
そんな思いに駆られて私は一気に読んだ。
少年少女たちが靖国に祀られている事実、そしてそこからは(遺族年金不支給も)朝鮮半島出身の少年少女は外されている事実。
これは戦前の問題ではなく、現在を生きる私たちの問題であること、私たちがそれを黙認してしまうのかが問われていると、改めて考えた。
「自分は靖国神社など認めていない。無視している」と思っても、声をあげないことは認めていることと変わりないというくだり。それは、関さんが安倍靖国訴訟を提起された時に、関さんとの接触で私が感じたことだった。
そして、それは、「日の丸・君が代」強制・「君が代」不起立処分に対して多くの教員が「無視している」状況と私の中で重なったのだった。
知らないことの罪、知った者の責任は、いろんな政治課題や生活の中で生じる。
そこで、私たちは己の生き方を問うことになる。この書は、タイトルのテーマに関係しなくても、己の生き方を考えさせる書でもある。
八王子市の横川中に勤務していた30年前、平和教育の一環として「広島第二県女二年西組」を読み合わせ、関さんに講演をお願いしたことから、私は関さんを知り、信頼し尊敬できるお方だと思ってきたのです。
表題のご著書をぜひ、ご購入ください。私も10冊取り寄せましたので、ご希望の方は連絡をください。
関千枝子さん著
★ 「ヒロシマの少年少女たち ――原爆、靖国、朝鮮半島出身者」(彩流社)
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関さんからこの本が送られてきて、良かったら宣伝してほしいということですので、紹介します。
視点が鮮明で、読み応えがあります。
広島に原爆が投下された時刻、爆心地から1キロ弱の地点で建物疎開作業に駆り出されていた関さんのクラス39人と教員3人は、生徒一人が奇跡的に助かっただけで他は死亡した。
関さんはたまたまこの日、下痢のために欠席していて助かった。
広島の12,3歳の少年少女たちは学校ごとに建物疎開作業に動員されていて、6000人の命が奪われた。
関さんのようにたまたま欠席をしていて助かった人たちは、生き残った者の負い目から、原爆の話は避けてきたという。
しかし、原爆投下から30年が経った頃、関さんは遺族からしっかり聞きとり、記録を起こすことが死者への供養になるのではないかと考えるようになり、訪ね歩いて「広島第二県女二年西組」(筑摩書房)に記した。
調べる中で、級友たち、建物作業で被爆死した少年少女たちが「最年少の英霊」として靖国神社に合祀されていることを知り、愕然とする。そのことも、「広島第二県女二年西組」に記されている。
「戦争で死ぬことはいいことだと教え込んだものの筆頭に靖国神社がある。」
生き残った者の責任から関さんは、靖国神社にこだわり続けてきた。
だから、安倍首相が2013年12月26日に靖国神社を参拝したことに対し、2014年4月、違憲訴訟の原告代表になられた。
関さんは意見陳述で、「私はこの注用の原告になったことを「(英霊)本人による訴訟」「(英霊)本人による異議申し立て」と思っている」と陳述された。
私は関さんの、いま動かねばという強い思いを知り、傍観者でいてはいけない。せめて原告になろうと思い、原告のひとりになったのだった。
そして、つい先日出版された表題のご著書。「ヒロシマの少年少女たち」は、本の帯にあるように、生き残った関さんが「渾身の力を込めて後世に伝え残したい痛切な事実の訴え」だ。
この夏書かなければ、書き残せないかもしれない。
あの日、6000人もの命が奪われた事実を知らない、消してしまうことは罪、ということがひしひしと読み手に迫ってくる。
そんな思いに駆られて私は一気に読んだ。
少年少女たちが靖国に祀られている事実、そしてそこからは(遺族年金不支給も)朝鮮半島出身の少年少女は外されている事実。
これは戦前の問題ではなく、現在を生きる私たちの問題であること、私たちがそれを黙認してしまうのかが問われていると、改めて考えた。
「自分は靖国神社など認めていない。無視している」と思っても、声をあげないことは認めていることと変わりないというくだり。それは、関さんが安倍靖国訴訟を提起された時に、関さんとの接触で私が感じたことだった。
そして、それは、「日の丸・君が代」強制・「君が代」不起立処分に対して多くの教員が「無視している」状況と私の中で重なったのだった。
知らないことの罪、知った者の責任は、いろんな政治課題や生活の中で生じる。
そこで、私たちは己の生き方を問うことになる。この書は、タイトルのテーマに関係しなくても、己の生き方を考えさせる書でもある。
八王子市の横川中に勤務していた30年前、平和教育の一環として「広島第二県女二年西組」を読み合わせ、関さんに講演をお願いしたことから、私は関さんを知り、信頼し尊敬できるお方だと思ってきたのです。
表題のご著書をぜひ、ご購入ください。私も10冊取り寄せましたので、ご希望の方は連絡をください。
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