=東電事故刑事裁判の証言から=
◆ 暴かれる「想定外」のウソ (『労働情報』)
東京地裁前に朝からセミの声か響く。ひとり、またひとりと傍聴券を求めて人が集まってくる。
東京電力福島原発事故の責仕を問う刑事裁判は、7月27日までに23回の公判を終えた。毎回、法廷に入りきれないほどの人々が傍聴を希望して集まり、感謝の気持ちでいっぱいになる。
2012年の告訴から5年の月日を経てようやく始まったこの刑事裁判の初公判では、元東電幹部である勝俣元会長、武藤、武黒元副門社の3人の被告人は、そろって無罪を主張した。2018年4月からは、公判が月に4回から5回というものすごいスピードで進んでいる。
裁判の争点は、原子炉が事故を起こすほどの大津波を予見できたか(具体的予見可能性)と、予見できたとして防ぐ対策が可能だったか(結果回避可能性)、こいうことだ。
事故の背景となる経緯は、
○久保賀也氏(東電の子会社・東電設計の社員。15・7mの津波高を計算した。)
「15m程度の津波高は、計算する前から想定できた」「東電から、計算の条件を変えて津波高を低くできないかと言われたが、断った」
○高尾誠氏(東電社員。津波対策部署の中心人物)
「地震本部の長期評価は取り入れるべきと考えていた」「津波の専門家にも取り人れるよう言われた」「現場は対策に取り入れるつもりだった。東北電や原電にもそう伝えていた」「(武藤被告人が津波対策先延ばしを決めた会議で)予想もしていない結論に力が抜け、その後数分の記憶がない」
○前田憲二氏(気象庁から出向。推本での津波評価を取りまとめた委員会の事務局)
「長期評価公表直前に、内閣府から公表を見送るか、指定の修正をしろと言われた」
○島崎邦彦氏(地震調査研究推進本部の専門家委員。地震、津波の専門家)
「内閣府の中央防災会議で福島沖の津波地震を想定から外された。首都直下地震は想定したのに福島沖を外したのは、原子力に関係した配慮ではないか。首都直下地震と同じように扱えば原発事故は防げた」「長期評価の第二版が2011年3月9日に公表予定だったが、地震本部事務局に『電力会社や自治体に事前説明したい』と言われ、了承してしまった。延期せず公表していれば助かった命もあったのではと自分を責めた」
○都司嘉宣氏(地震調査研究推進本部の専門家委員。歴史地震の専門家)
「福島沖に津波地震が起きていなかったのは歴史の偶然」
○今村文彦氏(原子力安全・保安院専門委員。津波工学の専門家)
「防潮壁で津波はかなり止められた」「(長期評価をそのまま取り入れず)土木学会に審議させるのは合理性ある」
○首藤伸夫氏(東北大学名誉教授。津波工学の提唱者)
「事故はやりようによっては防げた。ただし、10年20年で廃炉になる原発になぜ金をかけるのかと言われて説得できる理屈を教えてほしい」
○金戸俊道氏(東電の津波対策の担当部署の実務担当者。)
「著名な専門家が集まる、国のトップの組織が公表した長期評価を取り入れずに審査は通らないと考えていた」「福島沖で津波地震が起きないという根拠は無いと理解していた」「3・11の津波は、地震本部が想定した津波とは違った。(地震本部に基づいた)あの対策だけでは、多少楽にはなったろうが、防げなかった」
○安中正氏(東電の子会社・東電設計社員。土木学会津波評価部会幹事)「
(確率論的津波ハザードの結果が厳しいので)東電は堆積物調査の結果を用いて貞観津波の数値が小さくなることを期待していたようだ」
○安保秀範氏(日本原子力発電社員。東海第二原発バックチエック担当)
検察官の聴取の際に「『柏崎刈羽も止まっているのに、これに福島も止まったら経営的にどうなのか、って話でね』と酒井氏は答えた」と述べたとされるが、証人尋問では明確に認めず。
私たちが受けた理不尽な被害は、いったい何が原因だったのか、誰に責任があったのか、真実が知りたい。
明らかにされたことを基に責任を取るべき人に責任を取ってもらいたい。なぜなら、罪を認め反省をしない限り、必ず同じことが繰り返され、新たな被害者が生まれるからである。
私たちは、被害にあった者の責任として、同じ過ちを生み出さない社会を創るためにこの裁判を闘っている。更なるご支援をお願いします!
『労働情報』(2018年9月)
◆ 暴かれる「想定外」のウソ (『労働情報』)
武藤類子(福島原発告訴団)
東京地裁前に朝からセミの声か響く。ひとり、またひとりと傍聴券を求めて人が集まってくる。
東京電力福島原発事故の責仕を問う刑事裁判は、7月27日までに23回の公判を終えた。毎回、法廷に入りきれないほどの人々が傍聴を希望して集まり、感謝の気持ちでいっぱいになる。
2012年の告訴から5年の月日を経てようやく始まったこの刑事裁判の初公判では、元東電幹部である勝俣元会長、武藤、武黒元副門社の3人の被告人は、そろって無罪を主張した。2018年4月からは、公判が月に4回から5回というものすごいスピードで進んでいる。
裁判の争点は、原子炉が事故を起こすほどの大津波を予見できたか(具体的予見可能性)と、予見できたとして防ぐ対策が可能だったか(結果回避可能性)、こいうことだ。
事故の背景となる経緯は、
○地震調査研究推進本部(地震本部)が2002年に、三陸沖から房総沖の日本海溝沿いのどこでもM8クラスの津波地震が起きるという見解(長期評価)を発表。現在、第3回公判を除き証人尋問が続いており、今年7月までに15人の証人が呼ばれ証言した。主な証人と証言は次の通りである。
○2006年、原子力安全・保安院が電力事業者に、改定された耐震審査指針による耐震バックチェックの実施を指示。
○2008年3月、東電は、津波評価に長期評価を取り入れると、福島第一原発敷地南側で、15・7mの津波水位となる計算結果を得て、対策を検討し始める。
○2008年7月31日、当時副社長であった武藤被告人が、検討を進めていた津波対策を保留し、長期評価の取り入れについて土木学会に審議を依頼する方針を示す。
○2009年6月までに終えるとしたバックチェックを、東電は行わず3・11を迎えた。
○久保賀也氏(東電の子会社・東電設計の社員。15・7mの津波高を計算した。)
「15m程度の津波高は、計算する前から想定できた」「東電から、計算の条件を変えて津波高を低くできないかと言われたが、断った」
○高尾誠氏(東電社員。津波対策部署の中心人物)
「地震本部の長期評価は取り入れるべきと考えていた」「津波の専門家にも取り人れるよう言われた」「現場は対策に取り入れるつもりだった。東北電や原電にもそう伝えていた」「(武藤被告人が津波対策先延ばしを決めた会議で)予想もしていない結論に力が抜け、その後数分の記憶がない」
○前田憲二氏(気象庁から出向。推本での津波評価を取りまとめた委員会の事務局)
「長期評価公表直前に、内閣府から公表を見送るか、指定の修正をしろと言われた」
○島崎邦彦氏(地震調査研究推進本部の専門家委員。地震、津波の専門家)
「内閣府の中央防災会議で福島沖の津波地震を想定から外された。首都直下地震は想定したのに福島沖を外したのは、原子力に関係した配慮ではないか。首都直下地震と同じように扱えば原発事故は防げた」「長期評価の第二版が2011年3月9日に公表予定だったが、地震本部事務局に『電力会社や自治体に事前説明したい』と言われ、了承してしまった。延期せず公表していれば助かった命もあったのではと自分を責めた」
○都司嘉宣氏(地震調査研究推進本部の専門家委員。歴史地震の専門家)
「福島沖に津波地震が起きていなかったのは歴史の偶然」
○今村文彦氏(原子力安全・保安院専門委員。津波工学の専門家)
「防潮壁で津波はかなり止められた」「(長期評価をそのまま取り入れず)土木学会に審議させるのは合理性ある」
○首藤伸夫氏(東北大学名誉教授。津波工学の提唱者)
「事故はやりようによっては防げた。ただし、10年20年で廃炉になる原発になぜ金をかけるのかと言われて説得できる理屈を教えてほしい」
○金戸俊道氏(東電の津波対策の担当部署の実務担当者。)
「著名な専門家が集まる、国のトップの組織が公表した長期評価を取り入れずに審査は通らないと考えていた」「福島沖で津波地震が起きないという根拠は無いと理解していた」「3・11の津波は、地震本部が想定した津波とは違った。(地震本部に基づいた)あの対策だけでは、多少楽にはなったろうが、防げなかった」
○安中正氏(東電の子会社・東電設計社員。土木学会津波評価部会幹事)「
(確率論的津波ハザードの結果が厳しいので)東電は堆積物調査の結果を用いて貞観津波の数値が小さくなることを期待していたようだ」
○安保秀範氏(日本原子力発電社員。東海第二原発バックチエック担当)
検察官の聴取の際に「『柏崎刈羽も止まっているのに、これに福島も止まったら経営的にどうなのか、って話でね』と酒井氏は答えた」と述べたとされるが、証人尋問では明確に認めず。
私たちが受けた理不尽な被害は、いったい何が原因だったのか、誰に責任があったのか、真実が知りたい。
明らかにされたことを基に責任を取るべき人に責任を取ってもらいたい。なぜなら、罪を認め反省をしない限り、必ず同じことが繰り返され、新たな被害者が生まれるからである。
私たちは、被害にあった者の責任として、同じ過ちを生み出さない社会を創るためにこの裁判を闘っている。更なるご支援をお願いします!
『労働情報』(2018年9月)
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