パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

◆ 東京「君が代」五次訴訟のこれから

2024年02月26日 | 「日の丸・君が代」強制反対

 ☆ 次回第13回口頭弁論 3月4日(月)11:00~ 東京地裁631法廷

  《被処分者の会通信から》
 ◆ 東京「君が代」五次訴訟の到達点

(弁護士 平松真二郎)

1 はじめに

 2021年3月31日に原告15名26件の処分の取消を求めて提訴した東京「君が代」裁判5次訴訟は,2021年7月29冒に実施された第1回口頭弁論以来,2023年12月25日までに12回の口頭弁論期日が実施されてきました。
 5次訴訟では,2014年から2017年までに科された10・23通達に基づく毎年の卒入学式での起立斉唱命令違反を理由とする懲戒処分を科された者(5名10件)及び2次訴訟,3次訴訟,4次訴訟で減給処分を取り消す判決が確定したのち,改めて2005年3月卒業式から2013年4月入学式までの間の起立斉唱命令違反を理由とする戒告処分(再処分)が科された者(13名16件)が、それぞれ処分の取消を求めています。

2 10・23通達をめぐる訴訟の現在の到達点

 2011年に出された10・23通達をめぐる一連の最高裁判決では,国旗国歌の強制について「国歌斉唱の際の起立斉唱行為は国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であることから,『日の丸』や『君が代』に対して敬意を表明することに応じ難いと考える者が,個人の世界観に由来する行動(敬意表明の拒否)と異なる外部的行動を求められる限りにおいて,その者の思想および良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定できない」とされたが,職務命令にその間接的な制約を許容し得る程度の必要性および合理性が認められるか否かという『相関的・総合的な比較衡量』の判断枠組みによって,卒業式等における教職員に対する起立斉唱の強制自体は憲法19条に反しないとされています。

 一方で,起立斉唱命令違反に対する懲戒処分の取り消し請求については,これまで東京「君が代」裁判四次訴訟までを通じて,10・23通達とそれに基づく各校長の起立斉唱命令は,「国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為」であるとして個人の思想良心の自由に対する間接的な制約となるとの判断が示され,懲戒処分については,「減給以上の処分を選択することの相当性を基礎づける具体的な事情」が必要であるとされ,過去の不起立を理由とする処分歴が相当性を基礎づける具体的な事情に当たらないとして,都教委が行ってきた「累積加重処分」を断罪し,減給以上の処分はすべて取り消されています

3 更新弁論としての意見陳述について

 2023年12月25日に実施された第12回ロ頭弁論期日においては,2023年夏に裁判長及び右陪席裁判官が交代したことに伴って,あらためて5次訴訟における主張の概要についての意見陳述を行いました。
 まず,原告らの主張の骨格は,教職員に対する卒業式等における国歌の起立斉唱の強制自体,思想良心の自由を制約し,教育の自由を侵害するものであるから,そもそも起立斉唱命令違反を理由とする懲戒処分はいずれも違憲違法であって取り消されなければならないとするものであること,そのうえで,各懲戒処分が,処分裁量を逸脱・濫用してなされたものであるから取り消されなければならないというものであることを踏まえた判断が必要であることを訴えました。
 特に,最高裁の判断は,あくまでも判決当時の状況を前提にして,戒告処分について「まだ違法とまではいえない」と判断したものにとどまるものであり,状況いかんにかかわらず戒告処分が違法とはならないと判断したものではないことに留意すべきことを訴えています。
 とりわけ,一連の最高裁判決以降,都教委の再発防止研修の強化など,より精神的自由に対する制約が強められ,原告らに科された各懲戒処分の実質的内容は加重されている事実を踏まえて,戒告処分を科すことは,憲法19条が保障する思想良心の自由が侵害されているか否かが判断されなければならないこと,また,都教委による教育内容介入が,教基法16条が禁ずる「不当な支配」に該当しないかが判断されなければならないことを明らかにしてきました。
 そして,なにより,宮川反対意見が喝破したとおり,懲戒処分を繰り返している都教委の真の意図を直視した判断がなされなければならないことを訴えました。

4 戒告処分の取消を実現させるためにCEART勧告をどう生かすか

 2019年,ILO/UNESCO合同委員会から,式典で明らかな混乱をもたらさない場合にまで国歌の起立斉唱行為のような愛国的な行為を「強制」することは,個人の価値観や意見を侵害するとの勧告がだされています。
 また,2022年11月3日に公表された人権委員会勧告パラ38と39においても,学校儀式での教職員に対する起立強制と懲戒処分について憂慮することが表明されています。
 原告らは,これらの勧告が出されていることを踏まえて,国歌の起立斉唱の強制が自由権規約に違反しているという「条約違反」の主張と「国際機関から勧告が出ている事実を理由とする憲法違反・裁量権逸脱濫用」にあたり違憲違法であるとの主張を新たに展開しています。
 教育の目標で国際協調を掲げる教育機関において,関係する国際機関からの勧告が行政裁量の要考慮事項であることは言うまでもありません。勧告で,条約不適合や対話による解決を指摘されている本件処分は,裁量権逸脱濫用により取り消されるべきです。
 本件処分に合理性がない以上,一連の最高裁判決が示している審査基準で判断しても,本件処分は違憲無効であるとの主張を組み立てています。

5 再処分の取消に向けて

 再処分としてなされた戒告処分に付随する不利益は,原処分当時の戒告処分に付随する不利益より,勤勉手当のカット率、昇給延伸の期間等の点が加重されています
 再処分が必要となった理由は,都教委が違法な減給処分を行ったことによるものです。原処分の時の不利益を越える不利益をもたらす処分をすることは,許されないものです。
 また,再処分となった原告らは,減給処分を受けた者として,戒告処分より過重な再発防止研修を受けるなど,経済的不利益とは別の重い不利益を被っています。
 これらのことを考えれば,処分の取消判決の拘束力として,再処分をすることは許されず,裁量権の逸脱・濫用にあたり取り消されなければならないと主張しています。

6 司法権が人権感覚を問われていること

 一連の最高裁判決は,個人の思想・良心の自由という人権の制約を合理化する対抗価値について積極的に述べるところはありません。結局のところ,最高裁判決の法廷意見は,「秩序維持」という多数派の抽象的な利益を,個人の人権を凌駕する優越価値と認めてしまっています。
 しかも,優越価値と認められた「秩序」は,国旗国歌への敬意表明の場としての学校儀式の整然性であり,そのような国家意識を涵養する「秩序」にほかなりません。
 当然のことですが,人権は多数決によって侵害されてはなりません。社会の多数派の意識が少数者の人権を蔑ろにしようというとき,敢然と少数者の側に立って人権を擁護すべきが司法の役割であるはずです。
 野口裁判長には是非とも,真っ当な人権感覚をもっての的確な審理,訴訟指揮をしていただきたいと思います。

『被処分者の会通信 第147号』(2024年1月24日)

 


コメント    この記事についてブログを書く
« ☆ 武蔵野五輪弾圧裁判控訴審... | トップ | ★ 教育勅語の「爾臣民」は「... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

「日の丸・君が代」強制反対」カテゴリの最新記事