《コラム:冷泉彰彦 プリントストン発 日本/アメリカ新時代》
◆ アメリカ「国旗保護法」に見る、国旗を焼く行為と表現の自由の議論
2021年02月04日:ニューズウイーク
星条旗を上下逆にして人種差別に抗議するBLM運動のデモ隊
(2020年11月) Bing Guan-REUTERS
<19世紀からの民主主義の伝統を持つ国として、日本には「言論と表現の自由」を維持する責任がある>
1月27日は国旗制定記念日だということで、この日の前後から自民党内で「自国国旗の破損行為を罰するよう刑法改正を」という声が高まっているようです。その是非を議論するというのは間違いではありませんが、今は時期が悪いと思います。
その前に、この刑法改正論の根拠として、アメリカでも自国国旗の破却は違法だという解説がされていますが、正確ではありません。
確かにアメリカでは1968年に制定された「国旗保護法(Flag Protection Act)」という法律があって、星条旗の破却は違法とされています。
ですが、この法律は1989年の最高裁判決によって違憲判断がされており、またこの判決を受けて行われた法改正も、改めて1990年に違憲判決を受けています。そのために法律の効力は事実上無効化されているのです。
この1989年と90年の最高裁の判断においては票決が拮抗する中で、保守派の故アントニア・スカリア判事が違憲判断をしたことが決め手となり、5対4で法律は無効化されました。そのスカリア判事は次のような発言を残しています。
「自分は星条旗の破却には反対だ。だが、星条旗の破却という行為については、建国の偉人たちが暴政に抗するために制定した憲法によってその権利が守られているのは明白である」
◆ 「政府批判」の権利は奪われてはならない
「自分が国王であったなら、自国国旗の破却などを国民に許すことはしないであろう。だが、我々には憲法修正第1条すなわち言論と表現の自由がある。そしてこの自由はとりわけ政府批判の権利としては絶対に奪われてはならない」
アメリカの法学生の多くはこの判例を学びます。そして、そこにアメリカの「国のかたち」を見いだすのです。
ですが、当然のことながらトランプに代表されるような右派のポピュリストはこの判例を憎々しいと思っていました。国旗は国家の象徴であるとして、そこに自身の人格を重ねる種類の感情論からは、自国国旗の破却などというのは到底許し難い考え方だからです。
特に2020年夏にBLM運動が盛んになる中では、散発的に国旗の焼却行為が見られました。もちろん国家を全否定するのではなく、現政権や社会の現状への強い抗議という意味合いです。
ですが、トランプは激怒して「国旗の破却は刑事犯として禁固刑と市民権剥奪をできるようにしたい」と述べて最高裁の判例を批判したのでした。
これはあくまでアメリカの話ですが、その理屈には普遍性があると思います。その一方で、話としてはかなり抽象的です。もっと言えばやや理念的で「複雑な議論」に聞こえるかもしれません。
複雑というのは、国旗を守りたいという直感から破却への懲罰を当然とする立場に対して、普遍的な言論と表現の自由という理念を大切にする立場が争うことになるからです。
その場合に余程注意をしないと、直感的な意見を批判するにあたって、理念的な思考のリテラシーが欠けているという侮蔑的な批判が暴走する危険があります。
そうなると、結果として国旗擁護論の側が態度を硬化してしまって、典型的な分断の回路に入ってしまう可能性があります。
反対に、直感的な論を恐れるあまりに、理念を丁寧に説明するのを忌避するという現象が起きるかもしれません。
また、今回のように政治と結び付けた動きとなれば、直感的な論の方が集票には手っ取り早いし、また論争が過熱すれば敵味方の峻別が加速するなどの理由から、さらに粗雑な議論が横行することになります。大変に注意が必要な問題です。
ところで、この議論を行うに当たってタイミングが悪いというのは、選挙の季節には馴染まないというだけでなく、アジアにおける政治と軍事の情勢の問題があります。
◆ 民主主義のリーダーとして
アジアにはいまだに独裁体制の国家が多くあります。
集団指導であれ、非世襲であれ、スカリア判事の言う「王」が支配する国が多いのです。また、せっかく民主政体を作っても、それをひっくり返して「王」が登場しそうな国もあります。
それとは別に、民主制であっても極端な感情論としてのナショナリズムを行動様式としている国もあります。
そんななかで、アジアで最初に19世紀の時点で不完全ながらも民主政体を実現し、紆余曲折を経つつ自由と民主主義の同盟の中核を成している日本という国は、やはりスカリア判事の言う「言論と表現の自由」を維持する責任があると思います。
もっとピンポイントの議論をするのであれば、例えば民主制を主張して投獄されたり、自宅軟禁を受けている人がアジアには大勢います。
彼等にとって、少なくともアジアの中で日本が「言論と表現の自由の観点から自国国旗の破却を罰しない」という政体を持っているということは、そうでなくなった場合と比較すれば希望になると思います。
また、トランプの去った後のG7においては、首脳外交を通じて真剣に自由と民主主義の価値観による同盟強化を進めることになります。
その際に、菅首相はアジアを代表してG7を主導するにあたって、やはり「完全なる言論と表現の自由」を誇れるようにした方が、リーダーシップが発揮しやすいのではないかと思います。
確かに自国国旗の破却という行為は常軌を逸しています。個人的にそうした行為を肯定する人は少ないでしょう。
ですから、「それすらも許容するのが自由と民主主義」だというのは少々「複雑な」議論に聞こえるのは理解できます。けれども、重要な問題ですから、賛否両論を丁寧に比較することが必要です。
今は結論を急いだり、制度を変更したりする時期ではないと思います。
※ プロフィール 冷泉彰彦(れいぜい あきひこ)
ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。
最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。
『Newsweek 日本版』(2021年2月4日)
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2021/02/post-1214.php
◆ アメリカ「国旗保護法」に見る、国旗を焼く行為と表現の自由の議論
2021年02月04日:ニューズウイーク
星条旗を上下逆にして人種差別に抗議するBLM運動のデモ隊
(2020年11月) Bing Guan-REUTERS
<19世紀からの民主主義の伝統を持つ国として、日本には「言論と表現の自由」を維持する責任がある>
1月27日は国旗制定記念日だということで、この日の前後から自民党内で「自国国旗の破損行為を罰するよう刑法改正を」という声が高まっているようです。その是非を議論するというのは間違いではありませんが、今は時期が悪いと思います。
その前に、この刑法改正論の根拠として、アメリカでも自国国旗の破却は違法だという解説がされていますが、正確ではありません。
確かにアメリカでは1968年に制定された「国旗保護法(Flag Protection Act)」という法律があって、星条旗の破却は違法とされています。
ですが、この法律は1989年の最高裁判決によって違憲判断がされており、またこの判決を受けて行われた法改正も、改めて1990年に違憲判決を受けています。そのために法律の効力は事実上無効化されているのです。
この1989年と90年の最高裁の判断においては票決が拮抗する中で、保守派の故アントニア・スカリア判事が違憲判断をしたことが決め手となり、5対4で法律は無効化されました。そのスカリア判事は次のような発言を残しています。
「自分は星条旗の破却には反対だ。だが、星条旗の破却という行為については、建国の偉人たちが暴政に抗するために制定した憲法によってその権利が守られているのは明白である」
◆ 「政府批判」の権利は奪われてはならない
「自分が国王であったなら、自国国旗の破却などを国民に許すことはしないであろう。だが、我々には憲法修正第1条すなわち言論と表現の自由がある。そしてこの自由はとりわけ政府批判の権利としては絶対に奪われてはならない」
アメリカの法学生の多くはこの判例を学びます。そして、そこにアメリカの「国のかたち」を見いだすのです。
ですが、当然のことながらトランプに代表されるような右派のポピュリストはこの判例を憎々しいと思っていました。国旗は国家の象徴であるとして、そこに自身の人格を重ねる種類の感情論からは、自国国旗の破却などというのは到底許し難い考え方だからです。
特に2020年夏にBLM運動が盛んになる中では、散発的に国旗の焼却行為が見られました。もちろん国家を全否定するのではなく、現政権や社会の現状への強い抗議という意味合いです。
ですが、トランプは激怒して「国旗の破却は刑事犯として禁固刑と市民権剥奪をできるようにしたい」と述べて最高裁の判例を批判したのでした。
これはあくまでアメリカの話ですが、その理屈には普遍性があると思います。その一方で、話としてはかなり抽象的です。もっと言えばやや理念的で「複雑な議論」に聞こえるかもしれません。
複雑というのは、国旗を守りたいという直感から破却への懲罰を当然とする立場に対して、普遍的な言論と表現の自由という理念を大切にする立場が争うことになるからです。
その場合に余程注意をしないと、直感的な意見を批判するにあたって、理念的な思考のリテラシーが欠けているという侮蔑的な批判が暴走する危険があります。
そうなると、結果として国旗擁護論の側が態度を硬化してしまって、典型的な分断の回路に入ってしまう可能性があります。
反対に、直感的な論を恐れるあまりに、理念を丁寧に説明するのを忌避するという現象が起きるかもしれません。
また、今回のように政治と結び付けた動きとなれば、直感的な論の方が集票には手っ取り早いし、また論争が過熱すれば敵味方の峻別が加速するなどの理由から、さらに粗雑な議論が横行することになります。大変に注意が必要な問題です。
ところで、この議論を行うに当たってタイミングが悪いというのは、選挙の季節には馴染まないというだけでなく、アジアにおける政治と軍事の情勢の問題があります。
◆ 民主主義のリーダーとして
アジアにはいまだに独裁体制の国家が多くあります。
集団指導であれ、非世襲であれ、スカリア判事の言う「王」が支配する国が多いのです。また、せっかく民主政体を作っても、それをひっくり返して「王」が登場しそうな国もあります。
それとは別に、民主制であっても極端な感情論としてのナショナリズムを行動様式としている国もあります。
そんななかで、アジアで最初に19世紀の時点で不完全ながらも民主政体を実現し、紆余曲折を経つつ自由と民主主義の同盟の中核を成している日本という国は、やはりスカリア判事の言う「言論と表現の自由」を維持する責任があると思います。
もっとピンポイントの議論をするのであれば、例えば民主制を主張して投獄されたり、自宅軟禁を受けている人がアジアには大勢います。
彼等にとって、少なくともアジアの中で日本が「言論と表現の自由の観点から自国国旗の破却を罰しない」という政体を持っているということは、そうでなくなった場合と比較すれば希望になると思います。
また、トランプの去った後のG7においては、首脳外交を通じて真剣に自由と民主主義の価値観による同盟強化を進めることになります。
その際に、菅首相はアジアを代表してG7を主導するにあたって、やはり「完全なる言論と表現の自由」を誇れるようにした方が、リーダーシップが発揮しやすいのではないかと思います。
確かに自国国旗の破却という行為は常軌を逸しています。個人的にそうした行為を肯定する人は少ないでしょう。
ですから、「それすらも許容するのが自由と民主主義」だというのは少々「複雑な」議論に聞こえるのは理解できます。けれども、重要な問題ですから、賛否両論を丁寧に比較することが必要です。
今は結論を急いだり、制度を変更したりする時期ではないと思います。
※ プロフィール 冷泉彰彦(れいぜい あきひこ)
ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。
最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。
『Newsweek 日本版』(2021年2月4日)
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