◆ 元衛生兵が語る-「慰安婦」とは戦争遂行の具
日本維新の会共同代表の橋下徹・大阪市長が5月13日、「日本軍だけじゃなく、いろんな軍で慰安婦制度を活用していた。慰安婦の必要性は誰だってわかる」と放言し、安倍晋三首相も、第1次政権時の2007年3月5日「慰安婦問題で狭義の強制性を裏付ける証言はなかった」と国会答弁。
第二次世界大戦時、衛生兵の任務として組織的に慰安婦の身体検査をさせられていた引退牧師・松本栄好(まさよし)さん(91歳)に、真相を語ってもらった。
◆ 命令された性病検査
日本基督教会東京告白教会(世田谷)が2月8日、都内で開いた講演会で「戦争犯罪人としての責務」と、自らの体験を語った松本好栄さんに、筆者は取材を続けてきた。
福岡県柳川出身の松本さんは徴兵検査で第一乙種だったが、1943年4月に入営。衛生兵としての教育訓練後、福岡で編制された固(かため)兵団に。門司から船と軍用列車、徒歩で44年2月、中国山西省孟県に着いた。
松本さんの属する固兵団第7大隊は、朝鮮から連行された6~7人の「慰安婦」がいた。固兵団は7つの大隊から成るので、全体で40~50人の「慰安婦」を連行してきたのだ。
「慰安婦」と性行為ができるのは将校かせいぜい下士官であり、兵隊は中国で部落を襲うごとに「ユウハオクーニャン(いい娘ハおらんか)」と叫び、荒らし回っていた。
その「慰安婦」の性病検査を月1回、軍医が行っていた。
大隊本部医務室付となった松本さんら衛生兵は、上官の軍医(中尉)から性器が化膿していないかなどを調べるよう命じられた。
この検査は、「日本兵を性病に感染させない衛生兵の任務」として、組織的にさせられていた。
松本さんは賄罪の意味から歴史を語り継ぐため、70年代から様々な文献を調べた。
「朝鮮総督府の小磯国昭・第9代総督(陸軍大将。のち首相)が朝鮮の青年男女を戦場に連れ出す戦略をとり、官憲が人狩り。逃亡の気配あると手錠をかけ留置場に放り込んだ」と、金一勉(キムイルミョン)氏の著書『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』で知った。
安倍氏は2月7日の衆院予算委員会で、「旧日本軍が人さらいのように人の家に入っていって、慰安婦にしたことを示すものはなかった」と述べ、河野洋平官房長官談話(93年8月。慰安婦に対する強制性、軍による直接関与を認めた)を否定。
これに対し、松本さんは「最初から『慰安婦募集』と言っても、集まらない。当時、日本軍を北は千島から南の太平洋まで部隊展開させたのだから、政府・軍部は『女子挺身隊』の名のもと、軍人の洗濯や食事などお世話をするかのように募集し、性行為をさせていたのだ」と語る。
◆ 暴走する日本軍兵士
山西省到着半年後、松本さんらは孟県の約30キロ北の「上社鎮」という村外れの分遣隊(約30人規模)に派遣された。
10~15人で部落を急襲した時、逃げ遅れた中国人から7~8人の女性を兵舎に閉じ込め、「慰安婦」とした。
松本さんら衛生兵はこの「慰安婦」も一人ひとり、性病検査。兵隊らに「注意しろよ」と言いながら、医務室にたくさんあるコンドームを配布した。
上意下達の軍隊のはずだが、松本さんの部隊では、最古参・30歳代後半の”万年上等兵”が隊長(曹長クラス)より威張っており、性欲に飢えている兵隊の暴走をやめさせられない。
ただ、この7~8人の女性については、隊長が一週間後「もうよかろう、帰そう」と兵隊に言い、他方、村長に命じ、代りに2人の女性を出させ、兵舎に入れた。
松本さんたちは終戦まで、人身御供と言えるこの2人の性病検査を行った。
◆ 過去、現在を語り継ぐ
橋下氏は内外から批判を受けても(「今回は大誤報やられた」(5月17日)、「あたかも日本だけに特有の問題であったかのように非難し、日本以外の国々の兵士による女性の尊厳の躁躍について口を閉ざすのは、フェアな態度ではない」(5月27日)などと反論・弁解に終始している。
これに対し、松本さんは「アジア各国に侵略した日本軍は、現地の女性を野放図に強姦したから、性病が蔓延し、軍人として使いものにならなくなる。だから、慰安婦として管理し、性欲を満たさせようとしたのであろう。だが、こういう考えは戦争遂行論者の“論理”であり、『慰安婦は必要発言』はとんでもないこと。許されない」と語る。
松本さんは前記入営時、匍匐(ほふく)前進から突撃まで厳しい訓練を受け、銃や軍靴の手入れが悪いと、ビンタにとどまらず、人間としての自尊心を奪い去られる屈辱的“罰則”も受けた。
洗濯干し場から古参兵の下着が盗まれたと報告すると、「天皇陛下からの賜り物だ。探して来い」と殴られ、数を揃えるため他人の下着を盗み「ありました」と報告した。
これらアジアの人たちを傷付けた、自身を含む日本軍の行為やモラル喪失人間に改造する初年兵教育がまかり通っていたのは、「臣民」だとする大日本帝国憲法や教育勅語、軍人勅諭に起因する、と松本さんは指摘する。
松本さんは「侵略行為を顕彰する靖国神社を国家護持する法案(自民党が5回提出し、いずれも廃案となった)に反対し続けてきた」と語る。
そして学校への”君が代”強制、つくる会系教科書の採択増、校長権限強化等上意下達の学校組織作り、自民党の憲法”改正”案などの動向に対し、松本さんは過去・現在を語り継ぐことで、平和憲法が有効に機能する社会にしていきたい、と結んだ。
『週刊新社会』(2013/6/25)
永野厚男(教育ライター)
日本維新の会共同代表の橋下徹・大阪市長が5月13日、「日本軍だけじゃなく、いろんな軍で慰安婦制度を活用していた。慰安婦の必要性は誰だってわかる」と放言し、安倍晋三首相も、第1次政権時の2007年3月5日「慰安婦問題で狭義の強制性を裏付ける証言はなかった」と国会答弁。
第二次世界大戦時、衛生兵の任務として組織的に慰安婦の身体検査をさせられていた引退牧師・松本栄好(まさよし)さん(91歳)に、真相を語ってもらった。
◆ 命令された性病検査
日本基督教会東京告白教会(世田谷)が2月8日、都内で開いた講演会で「戦争犯罪人としての責務」と、自らの体験を語った松本好栄さんに、筆者は取材を続けてきた。
福岡県柳川出身の松本さんは徴兵検査で第一乙種だったが、1943年4月に入営。衛生兵としての教育訓練後、福岡で編制された固(かため)兵団に。門司から船と軍用列車、徒歩で44年2月、中国山西省孟県に着いた。
松本さんの属する固兵団第7大隊は、朝鮮から連行された6~7人の「慰安婦」がいた。固兵団は7つの大隊から成るので、全体で40~50人の「慰安婦」を連行してきたのだ。
「慰安婦」と性行為ができるのは将校かせいぜい下士官であり、兵隊は中国で部落を襲うごとに「ユウハオクーニャン(いい娘ハおらんか)」と叫び、荒らし回っていた。
その「慰安婦」の性病検査を月1回、軍医が行っていた。
大隊本部医務室付となった松本さんら衛生兵は、上官の軍医(中尉)から性器が化膿していないかなどを調べるよう命じられた。
この検査は、「日本兵を性病に感染させない衛生兵の任務」として、組織的にさせられていた。
松本さんは賄罪の意味から歴史を語り継ぐため、70年代から様々な文献を調べた。
「朝鮮総督府の小磯国昭・第9代総督(陸軍大将。のち首相)が朝鮮の青年男女を戦場に連れ出す戦略をとり、官憲が人狩り。逃亡の気配あると手錠をかけ留置場に放り込んだ」と、金一勉(キムイルミョン)氏の著書『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』で知った。
安倍氏は2月7日の衆院予算委員会で、「旧日本軍が人さらいのように人の家に入っていって、慰安婦にしたことを示すものはなかった」と述べ、河野洋平官房長官談話(93年8月。慰安婦に対する強制性、軍による直接関与を認めた)を否定。
これに対し、松本さんは「最初から『慰安婦募集』と言っても、集まらない。当時、日本軍を北は千島から南の太平洋まで部隊展開させたのだから、政府・軍部は『女子挺身隊』の名のもと、軍人の洗濯や食事などお世話をするかのように募集し、性行為をさせていたのだ」と語る。
◆ 暴走する日本軍兵士
山西省到着半年後、松本さんらは孟県の約30キロ北の「上社鎮」という村外れの分遣隊(約30人規模)に派遣された。
10~15人で部落を急襲した時、逃げ遅れた中国人から7~8人の女性を兵舎に閉じ込め、「慰安婦」とした。
松本さんら衛生兵はこの「慰安婦」も一人ひとり、性病検査。兵隊らに「注意しろよ」と言いながら、医務室にたくさんあるコンドームを配布した。
上意下達の軍隊のはずだが、松本さんの部隊では、最古参・30歳代後半の”万年上等兵”が隊長(曹長クラス)より威張っており、性欲に飢えている兵隊の暴走をやめさせられない。
ただ、この7~8人の女性については、隊長が一週間後「もうよかろう、帰そう」と兵隊に言い、他方、村長に命じ、代りに2人の女性を出させ、兵舎に入れた。
松本さんたちは終戦まで、人身御供と言えるこの2人の性病検査を行った。
◆ 過去、現在を語り継ぐ
橋下氏は内外から批判を受けても(「今回は大誤報やられた」(5月17日)、「あたかも日本だけに特有の問題であったかのように非難し、日本以外の国々の兵士による女性の尊厳の躁躍について口を閉ざすのは、フェアな態度ではない」(5月27日)などと反論・弁解に終始している。
これに対し、松本さんは「アジア各国に侵略した日本軍は、現地の女性を野放図に強姦したから、性病が蔓延し、軍人として使いものにならなくなる。だから、慰安婦として管理し、性欲を満たさせようとしたのであろう。だが、こういう考えは戦争遂行論者の“論理”であり、『慰安婦は必要発言』はとんでもないこと。許されない」と語る。
松本さんは前記入営時、匍匐(ほふく)前進から突撃まで厳しい訓練を受け、銃や軍靴の手入れが悪いと、ビンタにとどまらず、人間としての自尊心を奪い去られる屈辱的“罰則”も受けた。
洗濯干し場から古参兵の下着が盗まれたと報告すると、「天皇陛下からの賜り物だ。探して来い」と殴られ、数を揃えるため他人の下着を盗み「ありました」と報告した。
これらアジアの人たちを傷付けた、自身を含む日本軍の行為やモラル喪失人間に改造する初年兵教育がまかり通っていたのは、「臣民」だとする大日本帝国憲法や教育勅語、軍人勅諭に起因する、と松本さんは指摘する。
松本さんは「侵略行為を顕彰する靖国神社を国家護持する法案(自民党が5回提出し、いずれも廃案となった)に反対し続けてきた」と語る。
そして学校への”君が代”強制、つくる会系教科書の採択増、校長権限強化等上意下達の学校組織作り、自民党の憲法”改正”案などの動向に対し、松本さんは過去・現在を語り継ぐことで、平和憲法が有効に機能する社会にしていきたい、と結んだ。
『週刊新社会』(2013/6/25)
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