◎ 政府による安倍元首相の国葬の決定は、日本国憲法に反する
―憲法研究者による声明―
2022年7月22日、政府は閣議決定をもって、9月27日(火)に東京都千代田区の日本武道館において、安倍元総理大臣の葬儀を国葬という形式で執り行うと発表し、遺族もそれを承諾した。岸田首相が葬儀委員長を務め、これに掛かる経費は全て本年度の予備費から支出するとしている。われわれは憲法学を専攻し研究する者として、この国葬が行われた場合には、それが単に法的根拠を持たないだけでなく、日本国憲法に手続的にも実体的にも違反することになると危惧し、この国葬の実行に反対する。
1 明治憲法下では、「国葬令」(1926年公布)が存在し、皇族と「国家に偉功ある者」に対して国葬が行われてきた。国葬令の適用は、大正天皇の国葬に合わせることになった。天皇の思し召しによって、国葬が実施され、国葬は喪に服することを義務付けられた。国葬という形式は、山本五十六の時のように、何よりも明治憲法の軍国化を促す効用をもたらしてきたが、この「国葬令」は戦後の日本国憲法の施行と同時に1947年に失効している。
国葬令は、なによりも憲法14条の平等主義に反するものであり、憲法に規定された基本的人権の保障に反するからである。戦後は吉田茂元首相の国葬があったが、これは「戦後復興に尽くした」との理由による例外的なものであった。佐藤栄作元首相の時も、国葬が提案されたが、憲法の番人である内閣法制局が認めなかったことにより、国葬案は実施されなかった。大平正芳元首相の時より、政府と自民党による合同葬の形式が慣行的に続いてきた。
2 長い間封印されてきた国葬が、岸田内閣によって以下の理由をもって実行されようとしている。それは「一 憲政史上最長になる8年8か月にわたり、内閣総理大臣の重責を担った 二 東日本大震災からの復興、日本経済の再生、日米関係を基軸とした外交の展開等の大きな実績を残した 三 外国首脳を含む関係社会からの高い評価四選挙中の蛮行による急逝」と説明されている。
しかし、この一~三に評されるように、安倍内閣はそれほどに評価すべきことを行ってきたのであろうか。1回目の任期(第90代内閣総理大臣)の時は、教育基本法の改悪と防衛庁の省への昇格を実行したが、内閣スキャンダルと自身の病気を理由にして退いた。さらに、長期に及ぶ2回目の任期(第96~98代内閣総理大臣)は、憲法に違反する法改正(組織犯罪法における共謀罪、安全保障関連法等)を繰り返しながら、「モリ・カケ・サクラ」と言われたような金銭疑惑を残した。そして再度、病気を理由に職務を放り出し、多くの疑惑に正面から答えることなく、首相の座を明け渡した。
とくに財務省の記録を改ざんし、自殺者を生み出すまでして事実を隠ぺいした安倍元首相の疑惑は大きいが、もはや闇の中にある。他方で、外交に多大な功績を残したとあるが、これまでの懸念材料であった「領土・基地・朝鮮半島問題」に大きな進展はない。安倍内閣は憲法の改正を望んできたが、現実に憲法の核心部分は徐々に削られてきたことになる。
3 岸田内閣は、この国葬を今度は内閣法制局の示唆を受けて、内閣府設置法の4条にある「所掌事務」として形式的に実施しようとしている。国葬の実施は政府が主体となる国事行為であるから明確な法的根拠を必要としている。
ところが、法4条3項33号は、「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」を内閣府が関わりうることを定めた限りであって、国葬という実体を定めているわけではない。国葬の実施はいかなる場合になされるかという要件を定めた法規があることを前提としてでなければ、この法4条3項33号の実施は不可能である。
さらに、国の最高機関である国会が関わる余地は、内閣府設置法からはなんら見えてこない。ここに手続き上の明白な違反があり、これは法治主義に違反することになる。しかし、形式だけを整えても、国葬は実体的に憲法に反する問題をもっている。
4 内閣官房長官の説明では、「国葬の当日公立学校は休日にはしない」とあるが、政府が実施しテレビ放映による映像が流れることによって、社会が受ける反応には大きな影響が起こりうる。国葬に時間を指定して哀悼の気持ちを求め、公的機関での半旗の推奨もありうる。現時点で、文部科学大臣が国公立大学に求めている「国旗掲揚」の行政指導が、強く、広範囲で実施されるおそれがある。
こうしたことは全て日本国憲法19条が保障する「思想・良心の自由」に抵触することになりかねない。この自由は「内心の自由」に当たり、個人の思考の核心部分を保障するものであり、これへの制約は厳しく審査されなければならない。とくに、学校行事として国葬への参加が強制されることのないように気を付けなければならない。
場合によっては、憲法20条に保障された信教の自由や21条に保障された表現の自由を侵害することにもなりうる。こうした国葬は強制がなんらないと言われるが、自己の信念に反する国葬が実施されるという事実をもって、国民の各人がもつ人としての在り方、「個人としての尊重」(憲法13条)への侵害が生じるおそれがある。
5 財政的には現在試算がされているが、これを財務大臣は予備費から支出するとしている。しかし、警備も徹底するとなればかなりな費用を必要とするであろう。金額の問題もあるが、問題は予備費の使われ方にある。
本来は大災害、コロナ対応等の不測の事態にあてるべきであり、国会での審議を求めるのが筋であろう(憲法83条)。また、公費をすでに私人となってしまった個人の死に振り向けることには、その妥当性がないといえるのではないだろうか(憲法89条)。宗教性を払しょくして行うとしているが、個人の死に関係することであるから宗教儀式の一環と受け止める国民も多いはずである。
これを国家が私人に代わって国費で実施することが異常なのであり、国が実施することに格別の政治的な効用があると推定されてしまう(憲法20条3項、89条の政教分離原則)。もしも、国葬をもって死者を必要以上に美化し、それを国民の記憶に残し、政治的効果を意図し、現政権の継続を願うものであれば、そのことこそ国家の行為を厳格に制約しようとする、日本国憲法の立憲主義の構造に反することになるおそれがあると考えられる。
以上
賛同者 2022.8.3 15:00現在 84名
浅野宜之(関西大学教授)、足立英郎(大阪電気通信大学名誉教授)、飯島滋明(名古屋学院大学教授)、井口秀作(愛媛大学教授)、石川多加子(金沢大学教員)、石村修(専修大学名誉教授)、井田洋子(長崎大学)、稲正樹(元国際基督教大学教員)、植野妙実子(中央大学名誉教授)、植松健一(立命館大学教授)、右崎正博(獨協大学名誉教授)、浦田賢治(早稲田大学名誉教授)、江原勝行(早稲田大学教授)、大久保史郎(立命館大学名誉教授)、大津浩(明治大学法学部教授)、岡田健一郎(高知大学教員)、奥野恒久(龍谷大学)、小栗実(鹿児島大学名誉教授)、小沢隆一(東京慈恵会医科大学教授)、小野善康(岩手大学名誉教授)、金子勝(立正大学名誉教授)、上脇博之(神戸学院大学)、河上暁弘(広島市立大学准教授)、川畑博昭(愛知県立大学教員)、木下智史(関西大学教授)、君島東彦(立命館大学教授)、清末愛砂(室蘭工業大学大学院教授)、倉田原志(立命館大学教授)、倉持孝司(南山大学教授)、小竹聡(拓殖大学教授)、後藤光男(早稲田大学名誉教授)、小林武(沖縄大学客員教授)、小林直樹(姫路獨協大学教員)、小松浩(立命館大学教授)、木幡洋子(愛知県立大学名誉教授)、近藤真(岐阜大学名誉教授)、笹沼弘志(静岡大学教授)、斎藤一久(名古屋大学教授)、斉藤小百合(恵泉女学園大学教員)、榊原秀訓(南山大学教授)、澤野義一(大阪経済法科大学特任教授)、清水雅彦(日本体育大学教授)、菅原真(南山大学教授)、鈴木真澄(龍谷大学名誉教授)、高佐智美(青山学院大学教授)、高作正博(関西大学教授)、高橋利安(広島修道大学名誉教授)、高橋洋(愛知学院大学名誉教授)、竹内俊子(広島修道大学名誉教授)、竹森正孝(岐阜大学名誉教授)、田島泰彦(元上智大学教授)、多田一路(立命館大学)、塚田哲之(神戸学院大学教授)、常岡(乗本)せつ子(フェリス女学院大学名誉教授)、内藤光博(専修大学教授)、中川律(埼玉大学准教授)、中里見博(大阪電気通信大学教授)、中島茂樹(立命館大学名誉教授)、中富公一(広島修道大学)、永田秀樹(関西学院大学名誉教授)、永山茂樹(東海大学教員)、成澤孝人(信州大学教授)、成嶋隆(新潟大学名誉教授)、二瓶由美子(元桜の聖母短期大学教授)、丹羽徹(龍谷大学教授)、根森健(東亜大学大学院教授)、波多江悟史(愛知学院大学法学部専任講師)、畑尻剛(日本比較法研究所客員研究所員)、藤野美都子(福島県立医科大学特任教授)、福嶋敏明(神戸学院大学教授)、古野豊秋(元・桐蔭横浜大学教授)、前原清隆(元長崎総合科学大学教員)、松井幸夫(関西学院大学名誉教授)、松原幸恵(山口大学准教授)、水島朝穂(早稲田大学教授)、宮地基(明治学院大学教授)、村田尚紀(関西大学教授)、元山健(龍谷大学名誉教授)、門田孝(広島大学教授)、山内敏弘(一橋大学名誉教授)、若尾典子(元佛教大学教授)、脇田吉隆(神戸学院大学准教授)、渡辺治(一橋大学名誉教授)、和田進(神戸大学名誉教授)、
『憲法研究者と市民のネットワーク(「憲法ネット103」)』
https://kenponet103.com/archives/1531
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