パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

◆ 東京の「日の丸・君が代」強制と、これに反対するたたかいの歩み

2025年02月09日 | 「日の丸・君が代」強制反対

 第20回総会の記念講演の紹介です。講師の鈴木さんは、「10.23通達」(以下、「通達」)当時の都高教の副委員長・教文部長で、この問題の担当者として責任をもつ立場にあり、講演では教育庁内部の動き(例えば、担当者の意思を超える「正常化」グループの圧力の強さ)や組合内部のやりとりなどの生々しい話をはじめ多岐にわたるものでした。ここではそのいくつかの論点や大学の授業での学生の反応を踏まえた私たちの運動への課題提起を紹介します。―編集部

  =東京・教育の自由裁判をすすめる会・第24回総会記念講演=
 ◆ 教育に自由と民主主義をとりもどし、共同性が生きる学校をめざして

講師 鈴木敏夫 氏

 ◆ 通達発出当時の状況

 2002年度から攻撃はあったが、主には卒・入学式へ都議を招待せよという圧力であり、これは交渉で跳ね返すことができていた。また、「内心の自由」の説明についても禁止する動きがあったが、それを謝罪させることもあった。
 攻撃が本格化するのは、03年度4月の教育委員会からで、強制しないという政府答弁は間違っていると発言が出たのはこの時であった。
 次いで5月の委員会では包囲網が強められるなか「課題」のある学校名が公表された。
 7月2日の都議会で、民主党・土屋都議の七生養護の性教育に対する攻撃や「週案」導入とともに日の丸・君が代の指導強化が求められ、都教委はこれをただちに受け入れたが、後日の情報開示から、教育庁内ではすでに卒・入学式対策本部は立ち上げられ具体化の動きがはじめられており、土屋都議との活発な「調整」がうかがえた。
 本会議の質問の答えは事前に打ち合わせしており、質問は対策本部の後追いであった。
 通達発出後、卒業式前に10校の周年行事がその厳格な執行のいわば実験場とされた。

 ◆ 「通達」の問題点

 卒・入学式などの学校行事は教育課程に位置づけられ、各学校の教職員、保護者、生徒により長年の取り組みのなかでつくられてきた。
 その内容・形式を一律に定め、がんじがらめの「儀式」として、職務命令により各学校に押しつけることは、教育基本法第十条(当時)が禁じた「不当な支配」である。
 教育課程一般は各学校が考えて行うことが原則です。日の丸・君が代も含め卒・入学式は特活の一部として儀式的行事は学校の教育課程です。そういうものを「実施指針」でしばることができるのか、日の丸・君が代問題で実際に生徒を教えるうえで、ここがいちばん大きいと思う。

 ◆ 東京の教育行政

 東京の教育行政は、最近は国が決めたものを率先してやる、つまり小中高一貫校をつくるとか、英語のスピーキングテストとか、国が方針を出してうまくいかないところを、都教委がやってみせるというのが特徴だ。
 ただ、当時は都がいろいろつくって全国に広めた。
 高校の改革推進計画でいろいろなタイプの学校を都が示したし、主幹制度は都が最初にやった。人事考課を教員に適用したのも都が最初だ
 石原は都の役人をくすぐっていた。都の教育行政に忠誠を誓うものはどんどん上に上げていくという形でやる気を出させ、当時の都教委のスタンスを決めていた。

 ◆ 生徒への強制の強化

 当時、教員のたたかいに対し、ある人から生徒は置きざりにしてやっているのかと言われたが、そうではなく、教員を通じて生徒を指導するのが都のやり方だ。高校生になるとやはり教員の動きは大きい。都立高校の入学式で新入生がいちばん驚くのは、君が代斉唱の時立って歌わなくていいのだということを、高校に来て初めて知ったということで、そういう生徒は多い。
 小中では徹底的にやられているのに対し、都立高校は自由だと生徒は感じていた。学校ぐるみで「内心の自由」の説明をするということを都立高校は守ってきた。それをどう崩すかということで、教員に対する強制が始まり、「通達」は教師への命令を通して、生徒への強制を強化した
 生徒が立たないのは教員のせいだということで、04年3月、土屋都議の質問に応じ、生徒を指導することを盛り込んだ職務命令が10月に出された。
 さらに、06年には定時制で卒業生が多数起立しなかつたことを理由に、生徒への指導を徹底するよう新たな通達を発出した。

 ◆ 「通達」のねらい

 第一の目的は、「学校の体質改善」「学校経営の正常化」といった言葉に見られるように学校自治の否定、学問研究の自由を奪い、都教委に従順で教職員に強力な「リーダーシップ」を発揮する管理職、それに抵抗しない教職員を作り出すことである。
 企業と同じ形にするというのが都教委の考え方だ。
 都教委は「都立学校における『国旗・国歌の適正な実施』は学校経営上の弱点や矛盾、校長の経営姿勢、教職員の意識レベル等がすべて集約される学校経営上の最大の課題であり、この課題の解決なくして学校経営の正常化は図れない」と位置づけていた。
 以前は小中への締め付けは厳しかったが、高校はいわば埒外であった。
 職員会議で活発な議論が行われ、主任は選挙で選ばれ人事委員会で学年団や教務などの割り振りをしていた。校長を通しても都教委の方針がなかなか降りないということがあった。「通達」のあと、主幹制度、職員会議の採決や人事委員会の禁止とかが入ってくるけど、そういうものの突破口として日の丸・君が代が来るということだ。

 第二の目的は「現代型ナショナリズム論」を生徒に植えつけることである。
 規範意識や社会貢献、わが国の歴史や文化の尊重といった道徳教育とつながるような中身で、天皇制国家とか神の国という単純な戦前への回帰ではない。
 米長は戦前復古型の強制を考えていたが、都教委は違う。ビジネスマンが海外に出たときに自国の利益を守るというナショナリズムだ。つまり、海外進出で日本企業の利益を守るというナショナリズムだと思う。

 ◆ 大学の授業から ― 学生の感想

 大学の授業で、都教委の会議や深川高校の実態を取材したNHKの「クローズアップ現代」を見せた感想を紹介する。
 授業をやっていて強く思ったのは、これらから世間一般が何を考えているかが分かるということである。―以下―、( )内は鈴木さんのコメント

 *首都大学東京(当時)

 ○ どちらかというと賛成:

・「日の丸が国旗であることに疑問をいだく入が理解できない。…起立しないのは、幼稚な行動である。」
・「社会に出たあと、自分の考えが通らないこともあるし、内心でどう思っていようとも従うべき」
・「歴史的背景から考えると不起立も分からなくないが、日本人であるならば、国旗・国歌に尊敬の気持ちがあるべきで、式典のときぐらい起立、斉唱すべきである。」(これは都教委がねらった線)

 ● どちらかというと反対:

・「学校現場は子どもが多様な考え方で行動することを養わせる場である。」
・「国歌斉唱をむりやりさせて、愛国心が育つのだろうか。」
・(次は重要だと思うが)「学習指導要領にあるからというだけで、なぜ起立しなければならないかについて、教育委員会は逃げている。敬意を払うのであれば、起立するのは当然としていたが、果たして当然なのだろうか。」
・「(起立斉唱)は「愛国心」を目に見えるようにしたいのか?この10・23通達は自分の中の愛国心を疑われているような気分の悪さ、職務命令によって思想の弾圧をされているような息のしづらさを感じる。」
・「教員が起立する姿をみれば、児童・生徒は「マナー」と考え、都教委の意図は成し遂げられる。しかし、問題となるのは見えないところで起立を命令されている教員の心中だ。単純に従えるものではない。」(なかなかシビアだ)

 *都留文科大学

 ○ 多かった感想:(地方出身で何も疑問に思わない学生が多い)

・何も疑問に思わず、卒業式を終えてきたが、国旗を掲げ国歌を歌わなければならないという命令によって行われていたこと、問題になっていたことを初めて知って驚いた。
・自分の「当たり前の世界」が覆された:・当たり前とは、上手く国に洗脳されているのかもしれないと思うと怖くなったり、考えさせられた。歌わせるのに賛成、あまり問題は感じない”
・「「先生が処分を受けるなら私は従う(立つごと言われたら、胸が痛くてやりきれない。頭の固い考えや本当に吟味して出している考えなのかというのは疑いたくなる。」(この学生は、周年行事で起立しなかったが、あとで処分のことを知って、卒業式には起立した。これは押しつけのひどさだ。)
・「日本は戦争した国なのだから、先祖の考え方を改めるために国旗・国歌は無理強いしてはならない、といった意見もあるが・・・国民が「国」を意識する瞬間があってもいいと思う。」
・「歌うぐらいで思想が変わる訳ではない。」

 ● 反対、ないし疑問がある:

・「深川高校の例で『その歴史的な背景に踏み込まない』と言っていたことが残った。教育という場でこの態度はどうなのだろうか。」
・「国は強制しない。都教委は強制する。この矛盾は一体・・・。おそらく命令を出さなければ、学校の秩序が乱れてしまうという考えかもしれない。しかしそれは学校側を教育委員会は信頼していないということに繋がるのではないか。秩序とは何か。なぜ教育委員会はここまでして歌わせたいのか。」
・「なぜ運動会の時に、立って、帽子をとって、黙って、国旗が揚がったりするのを見つめなければならないのか、納得できずいちばん嫌いな時間でした。」
・「『いろいろな先生が必要』『国のために子ども達は卒業するわけではない』という言葉が印象に残った。・・・この強制で・秩序”がとれるわけでも・マナー・が身につくわけでもなく、教員達を教育委員会はあやつり人形にしたいだけなのでは、とさえ思った。」

 ◆ 運動の課題は何か―学生の感想を踏まえて

 このように授業をやっていていちばん強く思ったのは、憲法19条の思想・良心の自由の問題はあるのだが、やはり学習指導要領との関係で運動を進めることが大事ではないかということである。
 今、教育界でいちばん問題になっているのは学習指導要領の法的拘束性だ。その対置は旭川学力テスト事件で、その間(あいだ)で今出ているのは、教育課程の個々の問題についてどうなのかということだ。

 今、奈良教育大のことで大きく問題になっている、そこを問題にするべき。思想・良心の自由の問題は大事だが、国民世論はどういう形で日の丸・君が代の強制がダメとなるかというのは、教育課程や学習指導で学校のあり方、教育委員会と学校の位置、そういうところをもっと攻める方が良い。
 一般の人が見たら、学校の事細かなところまで都教委が命じてやるということがどうなのかと、今の学習指導要領問題の争点でもある。奈良教育大でももめたが、いま、それが教育問題の争点だ。
 その一部として日の丸・君が代問題を取り上げるのが、「通達」の強制をなくしていく運動で大事なところだ。またILO=ユネスコの勧告などで良い内容がでても日本の世論に響かないということがある。日本は国際条約の勧告を無視するが、無視させないためには世論をつくるしかない。良い勧告を日本国民のなかの血と肉にする運動がないと教育委員会は徹底的に無視する。そのために学習指導要領の問題から世論をどう喚起するかが重要である。

東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース『リベルテ 第77号』(2025年1月29日)

 


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