◆ 圧巻・見もの聞き物!の「沖縄全戦没者追悼式」
全国の皆さま 高嶋伸欣です
先ほど、沖縄本島・摩文仁の丘で開催された沖縄県主催の「戦後70年 沖縄戦全戦没者追悼式」から戻りました。
毎年6月23日の「沖縄慰霊の日」には沖縄にいて、「追悼式」にも参加するようにしてきましたが、今年は翁長知事が登場してオール沖縄の立場で辺野古移設に反対を表明していることと、そこへ安部首相が針のムシロに座ることを覚悟で出席するとどうなるのかということで、特に注目していました。
結果は、翁長知事による「平和宣言」ではたびたび拍手によって知事の言葉がさえぎられ、予想通りでした。
そして最後には万雷の拍手でした。知事が発言席から自席に戻っても拍手は鳴り止みませんでした。これまでにこうしたことはありませんでした。
次の「平和の詩」の朗読でも盛大な拍手でした。<オール沖縄>に県民の心が一致していることが見事に示されたできごとで、圧巻的でした。
これと対照的だったのが安部首相の「来賓挨拶」でした。刺すような視線だけでなく、名指しこそなかったものの知事などによる安部政権批判が次々展開され、万雷の拍手が続く様子に度を失ったかのように、原稿を読む声が上ずり、切れ目切れ目に異常にに力みが込められ、呼吸を整えながらようやくしゃべり続けているという様子が明白で、到底なめらかな挨拶にはほど遠いものでした。
安部首相のこれほど狼狽した様子はこれまで見たり聞いたりしたことが、私の場合はありません。
この<見もの聞き物>の様子を、全国の皆さん、是非ともTVの画面と音声で確かめてみて下さい。
NHKはどこまで狼狽の様子を画面にだすか? という点も注目したいところです。民放各局の報道ぶりも比較してみて下さい。
全国紙の場合、夕刊のある『読売』はどのように伝えているでしょうか?『朝日』や『毎日』は? 『産経』は東京本社版に夕刊がなく、大阪本社版だけですが、どうでしょうか? 『東京』は夕刊があります。沖縄については県民の気持ちに最もよく寄り添っているのは『東京』だと言われています。
以上、あくまで個人的な感想で、少し不真面目な表現に見えるかもしれませんが、正直な感想です。 今夜のTV画面に注目してみて下さい。
転載・拡散は自由です
70年目の6月23日を迎えました。
私たちの郷土沖縄では、かつて、史上稀(まれ)に見る熾烈(しれつ)な地上戦が行われました。20万人余りの尊い命が犠牲となり、家族や友人など愛する人々を失った悲しみを、私たちは永遠に忘れることができません。
それは、私たち沖縄県民が、その目や耳、肌に戦(いくさ)のもたらす悲惨さを鮮明に記憶しているからであり、戦争の犠牲になられた方々の安らかであることを心から願い、恒久平和を切望しているからです。
戦後、私たちは、この思いを忘れることなく、復興と発展の道を力強く歩んでまいりました。
しかしながら、国土面積の0・6パーセントにすぎない本県に、日米安全保障体制を担う米軍専用施設の73・8パーセントが集中し、依然として過重な基地負担が県民生活や本県の振興開発に様々な影響を与え続けています。米軍再編に基づく普天間飛行場の辺野古への移設をはじめ、嘉手納飛行場より南の米軍基地の整理縮小がなされても、専用施設面積の全国に占める割合はわずか0・7パーセントしか縮小されず、返還時期も含め、基地負担の軽減とはほど遠いものであります。
沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります。
特に、普天間飛行場の辺野古移設については、昨年の選挙で反対の民意が示されており、辺野古に新基地を建設することは困難であります。
そもそも、私たち県民の思いとは全く別に、強制接収された世界一危険といわれる普天間飛行場の固定化は許されず、「その危険性除去のため辺野古に移設する」、「嫌なら沖縄が代替案を出しなさい」との考えは、到底県民には許容できるものではありません。
国民の自由、平等、人権、民主主義が等しく保障されずして、平和の礎(いしずえ)を築くことはできないのです。
政府においては、固定観念に縛られず、普天間基地を辺野古へ移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます。
一方、私たちを取り巻く世界情勢は、地域紛争やテロ、差別や貧困がもととなり、多くの人が命を落としたり、人間としての尊厳が蹂躙(じゅうりん)されるなど悲劇が今なお繰り返されています。
このような現実にしっかりと向き合い、平和を脅かす様々な問題を解決するには、一人一人が積極的に平和を求める強い意志を持つことが重要であります。
戦後70年を迎え、アジアの国々をつなぐ架け橋として活躍した先人達の「万国津梁」の精神を胸に刻み、これからも私たちは、アジア・太平洋地域の発展と、平和の実現に向けて努力してまいります。
未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを創りあげ、時を超えて、いつまでも子ども達の笑顔が絶えない豊かな沖縄を目指します。
慰霊の日に当たり、戦没者のみ霊(たま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、沖縄が恒久平和の発信地として輝かしい未来の構築に向けて、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。
2015年6月23日
沖縄県知事 翁長雄志
全国の皆さま 高嶋伸欣です
先ほど、沖縄本島・摩文仁の丘で開催された沖縄県主催の「戦後70年 沖縄戦全戦没者追悼式」から戻りました。
毎年6月23日の「沖縄慰霊の日」には沖縄にいて、「追悼式」にも参加するようにしてきましたが、今年は翁長知事が登場してオール沖縄の立場で辺野古移設に反対を表明していることと、そこへ安部首相が針のムシロに座ることを覚悟で出席するとどうなるのかということで、特に注目していました。
結果は、翁長知事による「平和宣言」ではたびたび拍手によって知事の言葉がさえぎられ、予想通りでした。
そして最後には万雷の拍手でした。知事が発言席から自席に戻っても拍手は鳴り止みませんでした。これまでにこうしたことはありませんでした。
次の「平和の詩」の朗読でも盛大な拍手でした。<オール沖縄>に県民の心が一致していることが見事に示されたできごとで、圧巻的でした。
これと対照的だったのが安部首相の「来賓挨拶」でした。刺すような視線だけでなく、名指しこそなかったものの知事などによる安部政権批判が次々展開され、万雷の拍手が続く様子に度を失ったかのように、原稿を読む声が上ずり、切れ目切れ目に異常にに力みが込められ、呼吸を整えながらようやくしゃべり続けているという様子が明白で、到底なめらかな挨拶にはほど遠いものでした。
安部首相のこれほど狼狽した様子はこれまで見たり聞いたりしたことが、私の場合はありません。
この<見もの聞き物>の様子を、全国の皆さん、是非ともTVの画面と音声で確かめてみて下さい。
NHKはどこまで狼狽の様子を画面にだすか? という点も注目したいところです。民放各局の報道ぶりも比較してみて下さい。
全国紙の場合、夕刊のある『読売』はどのように伝えているでしょうか?『朝日』や『毎日』は? 『産経』は東京本社版に夕刊がなく、大阪本社版だけですが、どうでしょうか? 『東京』は夕刊があります。沖縄については県民の気持ちに最もよく寄り添っているのは『東京』だと言われています。
以上、あくまで個人的な感想で、少し不真面目な表現に見えるかもしれませんが、正直な感想です。 今夜のTV画面に注目してみて下さい。
転載・拡散は自由です
◎ 翁長知事の平和宣言(全文)2015年6月23日
70年目の6月23日を迎えました。
私たちの郷土沖縄では、かつて、史上稀(まれ)に見る熾烈(しれつ)な地上戦が行われました。20万人余りの尊い命が犠牲となり、家族や友人など愛する人々を失った悲しみを、私たちは永遠に忘れることができません。
それは、私たち沖縄県民が、その目や耳、肌に戦(いくさ)のもたらす悲惨さを鮮明に記憶しているからであり、戦争の犠牲になられた方々の安らかであることを心から願い、恒久平和を切望しているからです。
戦後、私たちは、この思いを忘れることなく、復興と発展の道を力強く歩んでまいりました。
しかしながら、国土面積の0・6パーセントにすぎない本県に、日米安全保障体制を担う米軍専用施設の73・8パーセントが集中し、依然として過重な基地負担が県民生活や本県の振興開発に様々な影響を与え続けています。米軍再編に基づく普天間飛行場の辺野古への移設をはじめ、嘉手納飛行場より南の米軍基地の整理縮小がなされても、専用施設面積の全国に占める割合はわずか0・7パーセントしか縮小されず、返還時期も含め、基地負担の軽減とはほど遠いものであります。
沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります。
特に、普天間飛行場の辺野古移設については、昨年の選挙で反対の民意が示されており、辺野古に新基地を建設することは困難であります。
そもそも、私たち県民の思いとは全く別に、強制接収された世界一危険といわれる普天間飛行場の固定化は許されず、「その危険性除去のため辺野古に移設する」、「嫌なら沖縄が代替案を出しなさい」との考えは、到底県民には許容できるものではありません。
国民の自由、平等、人権、民主主義が等しく保障されずして、平和の礎(いしずえ)を築くことはできないのです。
政府においては、固定観念に縛られず、普天間基地を辺野古へ移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます。
一方、私たちを取り巻く世界情勢は、地域紛争やテロ、差別や貧困がもととなり、多くの人が命を落としたり、人間としての尊厳が蹂躙(じゅうりん)されるなど悲劇が今なお繰り返されています。
このような現実にしっかりと向き合い、平和を脅かす様々な問題を解決するには、一人一人が積極的に平和を求める強い意志を持つことが重要であります。
戦後70年を迎え、アジアの国々をつなぐ架け橋として活躍した先人達の「万国津梁」の精神を胸に刻み、これからも私たちは、アジア・太平洋地域の発展と、平和の実現に向けて努力してまいります。
未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを創りあげ、時を超えて、いつまでも子ども達の笑顔が絶えない豊かな沖縄を目指します。
慰霊の日に当たり、戦没者のみ霊(たま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、沖縄が恒久平和の発信地として輝かしい未来の構築に向けて、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。
2015年6月23日
沖縄県知事 翁長雄志
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