★ ロンドン市民には理解不能!
君が代斉唱の強制の笑ける芝居!
枚方なぎさ高校演劇部が、なんと、あの東京都教委の君が代強制をテーマとした『歌わせたい男たち』(永井愛作)を上演します。
高校演劇部が上演するのはきっと初めてのことではないでしょうか。
(略)
笑いの圧巻は、校長が屋上からマイク片手に生徒たちに必死になって演説するところです。
…皆さん、内心とは、内なる心と書くのですよ。
内心で何を思おうと、それは誰にもわからない。
だから、傷つけることなどできません。たとえ国歌の嫌いな人が「イヤだなぁ」と思いながら歌っても「イヤだなぁ」と思う内心の自由は、歌っている最中にさえ、しっかりと保障されているではありませんか。ここを取り違えている人がいる。
内心でイヤだと思うから、起立しない、歌わない。
それが内心の自由を守ることだと思い込んでいる人がいる。
しかし、皆さん、起立しない、歌わないということは、外に現れた行為なんですよ。
「イヤだなぁ」という内心を、そうやって外に出してしまったら、それはもう内心とは言えません。
内心は、外に出したら、外心です。
外心の自由はどこまでも保障されるものではない。
これは公序良俗の観点からして当然のことでしょう。
皆さん、これは私だけの独断ではありません。
最高裁判所だって、その判決でこう認めているのです。
国歌のピアノ伴奏をしたくない先生が、職務命令で仕方なく弾いたとしても、その先生の内心が傷つけられたことにはならない。
なぜなら「あ、職務命令だから弾いているんだなぁ」と思ってもらえる自由が残っているからです。
ね、内心は外心にしない限り守られるんだから、憲法的にも全然OKと憲法の番人である最高裁判所が判断しているんです。…
本当は泣きたいのにこのシーンは笑けてきます(注*笑ける…大阪弁)
国際機関なら、到底この最高裁判所の判断は理解できないに相違ありませんね。
私は、生徒と公演後に話をするのが楽しみです。
◆枚方なぎさ高校演劇部2月公演
「歌わせたい男たち」(作・永井愛)
2月13日(日)2時開場、2時半開演
於枚方公園青少年センター3F(京阪電車枚方公園下車徒歩5分)
枚方なぎさ高校は磯島高校と枚方西高校の統廃合によって出来た高校ですが、その磯島高校の卒業式のことは覚えておられえる方もいらっしゃると思います。
最後の卒業式兼閉校式で、ほとんど(全員だったかな)の卒業生が君が代斉唱時起立せず、来賓として出席していた当時の竹内教育長(現枚方市長)が理不尽にも「マナーがなっていない」と祝辞のなかで怒り出す事件があった学校です。今から5年前の2005年度のことだったと思います。
そんな伝統がどこかに残っているのかもしれません。
磯島時代から演劇部の活動は盛んで、私は昨年『兄帰る』(これも永井愛作)の公演を観て、その本格的な演劇に正直びっくりしました。
顧問曰く「今回は1年生がほとんどだし、昨年のメンバーとは違うからあまり期待はしないで。自分たちでやってごらんと、先入観を入れずにやらせている」と。
きっと生徒たちにとってはやる方も観る方も???、頭のなかにはてなマークが飛び交うことでしょう。
それが彼ら彼女らにとってワールドカップやオリンピックとは異なる新たな「君が代」問題の出発点となるのでしょう。
◆≪続き≫◆
売れっ子脚本家永井愛さんは、この『歌わせたい男たち』たちで数々の賞を受賞しました。
題材は、2003年10.23通達後の君が代処分にさらされる都立高校の教師たちのありよう。
おそらく東京都の数々の学校で実際に起こったであろう事実をある種の悲喜劇として描いています。
あとは明日、大阪枚方公演に来ていただくか、それが無理なら是非本を読んでください。
この作品が商業ペースに乗って上演されたというところもまだまだ日本も捨てたもんじゃありません。
あとがきで作者はこのように述べています。
「…2004年の春、東京では250人もの先生たちが、国歌斉唱時の不起立や伴奏拒否で処分された。その記事が目に飛び込んできたときの違和感は忘れがたい。あれ?憲法、まだ変わっていないよね?思想・良心の自由って、まだ保障されているんだよね?日本ってまだ民主主義の国だよね?この違和感が、作品を書くきっかけになった…」
また、初演時のチラシには(2005年)、
ロンドンとの提携公演が流れた経緯について、先方の監督から一体これはいつの話かという問い合わせがあり、今日本で起きていることだと答えると、あきれられ、この芝居をロンドン市民に理解させることは困難だ、もし学校でこんなことがあったなら、イギリスの先生たちがストライキをして国中が大騒ぎになるはずだ、なのにこの芝居じゃ全然そうなっていない、と。
とうとう提携公演がおじゃんになった話を披露しておられます。
そして、「まぁ、しょうがないことなのかもしれません。この芝居は、海外のメディアが《仰天ニュース》として伝えたという『日本では先生が国歌を歌わないと罰を受ける』話なんですから。」と結んでおられます。
東京都君が代処分は世界的に見て極めて特殊ということなのでしょう。
そしてあまりにも滑稽なことなのでしょう。
作中、国歌斉唱反対の拝島先生が「笑わせんな、泣きたいのに、どうかスッキリ泣かせてくれよ…」と泣き笑いを続けるところがありますが、まさにそんな感じです。
『今 言論・表現の自由があぶない!』(2011/2/12)
http://blogs.yahoo.co.jp/jrfs20040729/19100368.html
君が代斉唱の強制の笑ける芝居!
枚方なぎさ高校演劇部が、なんと、あの東京都教委の君が代強制をテーマとした『歌わせたい男たち』(永井愛作)を上演します。
高校演劇部が上演するのはきっと初めてのことではないでしょうか。
(略)
笑いの圧巻は、校長が屋上からマイク片手に生徒たちに必死になって演説するところです。
…皆さん、内心とは、内なる心と書くのですよ。
内心で何を思おうと、それは誰にもわからない。
だから、傷つけることなどできません。たとえ国歌の嫌いな人が「イヤだなぁ」と思いながら歌っても「イヤだなぁ」と思う内心の自由は、歌っている最中にさえ、しっかりと保障されているではありませんか。ここを取り違えている人がいる。
内心でイヤだと思うから、起立しない、歌わない。
それが内心の自由を守ることだと思い込んでいる人がいる。
しかし、皆さん、起立しない、歌わないということは、外に現れた行為なんですよ。
「イヤだなぁ」という内心を、そうやって外に出してしまったら、それはもう内心とは言えません。
内心は、外に出したら、外心です。
外心の自由はどこまでも保障されるものではない。
これは公序良俗の観点からして当然のことでしょう。
皆さん、これは私だけの独断ではありません。
最高裁判所だって、その判決でこう認めているのです。
国歌のピアノ伴奏をしたくない先生が、職務命令で仕方なく弾いたとしても、その先生の内心が傷つけられたことにはならない。
なぜなら「あ、職務命令だから弾いているんだなぁ」と思ってもらえる自由が残っているからです。
ね、内心は外心にしない限り守られるんだから、憲法的にも全然OKと憲法の番人である最高裁判所が判断しているんです。…
本当は泣きたいのにこのシーンは笑けてきます(注*笑ける…大阪弁)
国際機関なら、到底この最高裁判所の判断は理解できないに相違ありませんね。
私は、生徒と公演後に話をするのが楽しみです。
◆枚方なぎさ高校演劇部2月公演
「歌わせたい男たち」(作・永井愛)
2月13日(日)2時開場、2時半開演
於枚方公園青少年センター3F(京阪電車枚方公園下車徒歩5分)
枚方なぎさ高校は磯島高校と枚方西高校の統廃合によって出来た高校ですが、その磯島高校の卒業式のことは覚えておられえる方もいらっしゃると思います。
最後の卒業式兼閉校式で、ほとんど(全員だったかな)の卒業生が君が代斉唱時起立せず、来賓として出席していた当時の竹内教育長(現枚方市長)が理不尽にも「マナーがなっていない」と祝辞のなかで怒り出す事件があった学校です。今から5年前の2005年度のことだったと思います。
そんな伝統がどこかに残っているのかもしれません。
磯島時代から演劇部の活動は盛んで、私は昨年『兄帰る』(これも永井愛作)の公演を観て、その本格的な演劇に正直びっくりしました。
顧問曰く「今回は1年生がほとんどだし、昨年のメンバーとは違うからあまり期待はしないで。自分たちでやってごらんと、先入観を入れずにやらせている」と。
きっと生徒たちにとってはやる方も観る方も???、頭のなかにはてなマークが飛び交うことでしょう。
それが彼ら彼女らにとってワールドカップやオリンピックとは異なる新たな「君が代」問題の出発点となるのでしょう。
◆≪続き≫◆
売れっ子脚本家永井愛さんは、この『歌わせたい男たち』たちで数々の賞を受賞しました。
題材は、2003年10.23通達後の君が代処分にさらされる都立高校の教師たちのありよう。
おそらく東京都の数々の学校で実際に起こったであろう事実をある種の悲喜劇として描いています。
あとは明日、大阪枚方公演に来ていただくか、それが無理なら是非本を読んでください。
この作品が商業ペースに乗って上演されたというところもまだまだ日本も捨てたもんじゃありません。
あとがきで作者はこのように述べています。
「…2004年の春、東京では250人もの先生たちが、国歌斉唱時の不起立や伴奏拒否で処分された。その記事が目に飛び込んできたときの違和感は忘れがたい。あれ?憲法、まだ変わっていないよね?思想・良心の自由って、まだ保障されているんだよね?日本ってまだ民主主義の国だよね?この違和感が、作品を書くきっかけになった…」
また、初演時のチラシには(2005年)、
ロンドンとの提携公演が流れた経緯について、先方の監督から一体これはいつの話かという問い合わせがあり、今日本で起きていることだと答えると、あきれられ、この芝居をロンドン市民に理解させることは困難だ、もし学校でこんなことがあったなら、イギリスの先生たちがストライキをして国中が大騒ぎになるはずだ、なのにこの芝居じゃ全然そうなっていない、と。
とうとう提携公演がおじゃんになった話を披露しておられます。
そして、「まぁ、しょうがないことなのかもしれません。この芝居は、海外のメディアが《仰天ニュース》として伝えたという『日本では先生が国歌を歌わないと罰を受ける』話なんですから。」と結んでおられます。
東京都君が代処分は世界的に見て極めて特殊ということなのでしょう。
そしてあまりにも滑稽なことなのでしょう。
作中、国歌斉唱反対の拝島先生が「笑わせんな、泣きたいのに、どうかスッキリ泣かせてくれよ…」と泣き笑いを続けるところがありますが、まさにそんな感じです。
『今 言論・表現の自由があぶない!』(2011/2/12)
http://blogs.yahoo.co.jp/jrfs20040729/19100368.html
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