国学院大学経済学部教授 市民エネルギー研究所 菅井益郎さんに聞く<下>
▼ 《反原発》 富国追求の終焉
高度成長期に公害が拡大した要因は、企業の生産第一主義、政府の産業優先政策、行政の住民無視、それに加えて企業責任を回避させる御用学者の存在がありました。
水俣も典型的な症状が無い場合は認定しませんでした。厚生省の役人は一人一日の魚の最高摂取量を109グラムとして暫定基準を設定しましたが、漁師は刺身、焼き魚、煮魚にして毎日数倍から10倍以上食べる人も少なくなかった。
原発事故でも同じような論理が登場しています。
空間線量が毎時1マイクロミリシーベルト以下ならリスクはないと言いますが、では0・9ならいいのか、内部被曝はカウントしないのか。戸外にいる時間は8時間という線引きも現実を無視した数字のマジックです。
野菜など食品の基準値はセシウムキログラム当たり500ベクレルとしているが、それ以下の数値は発表されていません。
チェルノブイリ事故の時、日本の輸入食品の基準値は370ベクレルでしたが、福島事故後、政府は勝手に500ベクレルに引き上げました。
東電は会社更生法にかけ、安全コストを削り原発を推進してきた関係者の責任を問うべきです。
菅前首相は「脱原発」を表明して退陣に追い詰められましたが、他方では首相自ら原発の輸出攻勢をかけてきました。ベトナムとの交渉では放射性廃棄物を日本が引き受けることを条件にしたとも言われています。
国内の原発増設に見切りをつけた原発メーカーが輸出拡大にシフトし、東電の勝俣恒久会長は、前東電副社長で元柏崎刈羽原発所長、現海外原子力開発の武黒一郎社長を呼び戻しましたが、それほど東電は人材難に陥っているようです。
かつての学界には、それでも原発に対する危険性の認識がありました。それから3代、4代と世代交代する中で自らつくり出した「安全神話」に酔い、安全に対する恐れがなくなってきました。
原発利益共同体-私は「原子力村」という表現は農漁村を遅れている、閉鎖的であると蔑視する見方に基づいているので使いたくないのですが-を支えている政・官・業・学・労・マスコミ・司法の七位一体を解体させることを提言します。
とくに、電力総連・電機連合・基幹労連(旧造船重機や鉄鋼労連)が連合の母体となって、民主党政権の原発政策を推進してきた責任は重いと言わざるを得ません。
電力会社の地域独占体制は解体すべきです。発送電の分離、送電部門の公営化、とくに発電販売部門の自由化は当然の策と考えます。
原発推進派は、原発を国営化し、東電を残して逃げ切りを図りたいようです。
日本の核の平和利用としての原発政策は依然としてアメリカのコントロール下にあります。核兵器開発は表に出せないので、東海村には高速増殖炉「もんじゅ」の再処理工場として、純粋のプルトニウムを取り出すリサイクル研究施設があります。ここは“隠れ核兵器”の拠点です。
これからの反原発運動は「絶対拒否」は当然のことですが、明治以降の「富国強兵」、戦後はもっぱら「富国」を追求した近代化路線はここで終わり、経済成長第一主義の社会と縁を切ることを念頭に置く必要があります。
73年の第1次石油危機以降、政府は石油代替エネルギー政策として原発拡大路線をとってきました。福島事故は原発依存政策の破綻を象徴してハます。
『週刊新社会』(2011/10/18)
▼ 《反原発》 富国追求の終焉
高度成長期に公害が拡大した要因は、企業の生産第一主義、政府の産業優先政策、行政の住民無視、それに加えて企業責任を回避させる御用学者の存在がありました。
水俣も典型的な症状が無い場合は認定しませんでした。厚生省の役人は一人一日の魚の最高摂取量を109グラムとして暫定基準を設定しましたが、漁師は刺身、焼き魚、煮魚にして毎日数倍から10倍以上食べる人も少なくなかった。
原発事故でも同じような論理が登場しています。
空間線量が毎時1マイクロミリシーベルト以下ならリスクはないと言いますが、では0・9ならいいのか、内部被曝はカウントしないのか。戸外にいる時間は8時間という線引きも現実を無視した数字のマジックです。
野菜など食品の基準値はセシウムキログラム当たり500ベクレルとしているが、それ以下の数値は発表されていません。
チェルノブイリ事故の時、日本の輸入食品の基準値は370ベクレルでしたが、福島事故後、政府は勝手に500ベクレルに引き上げました。
東電は会社更生法にかけ、安全コストを削り原発を推進してきた関係者の責任を問うべきです。
菅前首相は「脱原発」を表明して退陣に追い詰められましたが、他方では首相自ら原発の輸出攻勢をかけてきました。ベトナムとの交渉では放射性廃棄物を日本が引き受けることを条件にしたとも言われています。
国内の原発増設に見切りをつけた原発メーカーが輸出拡大にシフトし、東電の勝俣恒久会長は、前東電副社長で元柏崎刈羽原発所長、現海外原子力開発の武黒一郎社長を呼び戻しましたが、それほど東電は人材難に陥っているようです。
かつての学界には、それでも原発に対する危険性の認識がありました。それから3代、4代と世代交代する中で自らつくり出した「安全神話」に酔い、安全に対する恐れがなくなってきました。
原発利益共同体-私は「原子力村」という表現は農漁村を遅れている、閉鎖的であると蔑視する見方に基づいているので使いたくないのですが-を支えている政・官・業・学・労・マスコミ・司法の七位一体を解体させることを提言します。
とくに、電力総連・電機連合・基幹労連(旧造船重機や鉄鋼労連)が連合の母体となって、民主党政権の原発政策を推進してきた責任は重いと言わざるを得ません。
電力会社の地域独占体制は解体すべきです。発送電の分離、送電部門の公営化、とくに発電販売部門の自由化は当然の策と考えます。
原発推進派は、原発を国営化し、東電を残して逃げ切りを図りたいようです。
日本の核の平和利用としての原発政策は依然としてアメリカのコントロール下にあります。核兵器開発は表に出せないので、東海村には高速増殖炉「もんじゅ」の再処理工場として、純粋のプルトニウムを取り出すリサイクル研究施設があります。ここは“隠れ核兵器”の拠点です。
これからの反原発運動は「絶対拒否」は当然のことですが、明治以降の「富国強兵」、戦後はもっぱら「富国」を追求した近代化路線はここで終わり、経済成長第一主義の社会と縁を切ることを念頭に置く必要があります。
73年の第1次石油危機以降、政府は石油代替エネルギー政策として原発拡大路線をとってきました。福島事故は原発依存政策の破綻を象徴してハます。
『週刊新社会』(2011/10/18)
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