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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

☆ 疑問・問題点だらけの『週刊金曜日』の書評、『太平洋戦争秘史』(朝日新書)

2022年11月05日 | 平和憲法

 ◆ <唖然!>『週刊金曜日』(10・28)が『太平洋戦争秘史』(朝日新書)を推薦!?
   皆さま     高嶋伸欣です

 沖縄で残してきた資料の整理作業から東京に戻り、手にした『週刊金曜日』10月28日号の書評ページに、私が不正確な記述が多数あると指摘していた書籍の推奨文が掲載されているのを見つけ、唖然としました。

 以下、この件について詳しく問題提起をしていきます。
 今回も長文になるのは必至です。時間のある時に読んでいただければ幸いです。

* * * * * * * * * *

1 問題の書は、山崎雅弘著『太平洋戦争秘史 周辺国・植民地から見た「日本の戦争」』(朝日新書)です。書評文では同書を今の時期に極めて有用・有効な書であるとの推奨一辺倒の評価を示しています。

 同書については、私が気付いただけでも問題点だらけであることを具体的に指摘した長文のメールで、8月27日夜に多くの方に話題提起をしました。
 そのの送信先には『週刊金曜日』編集部も含めてありました。
 *添付資料(出版元に送付したもの)にそのメールの全文を収録してあります

 それだけに、同書が1pを費やす紹介記事の対象とされたことに驚いています。量的な面だけでなく、「評」でありながら称賛一色である点も驚きです。

2 しかも、書評自体の内容にも疑問があります。評者の加藤直樹氏は、前置きとして次のように述べています。

「80年代には、職業的な学者たちが一般読者向けにオーソドックスな知識を伝える新書や文庫本が多く存在した」「ところが今では、そうした啓蒙書はほとんど見かけなくなってしまった。新書は新進気鋭の学者が常識を覆す新説を提起したり、時事的なテーマについて手っ取り早く理解したりするための『ツール』になってしまった。おかげで覆される以前の常識を正確に身に付ける機会が少なくなり、質の悪いお手軽教養本がそれを埋めている」と。

 加藤氏は具体的事例を示していないので、分かりにくいひとりよがりの主張のように読めます。それでも、文脈からは「新進気鋭の学者」によって覆された常識は「正確に身に付ける」べきものと評価し、一方でそうしたそれまでの「常識」を覆した「新進気鋭の学者」の新説については消極的にしか評価していないように読めます。

 ”新進気鋭の学者によって覆された常識”の事例をあげるならば、「士農工商」「鎖国」「直訴は厳罰」さらには「山本五十六は名将」などがあります。
 ただしこれらを覆した「新説」は歴史学の進歩の証です。

 その成果は歴史教科書の記述変化をもたらしています。またこれらの「新説」はテレビのバラエティー番組で肯定的に紹介されるくらいに、公知のものとなっています。

 こうした事例が「覆された常識」というのであれば、それは「旧来の俗説」の部類であって、「正確に身に付ける機会」をわざわざ設けるなどする価値があるものとは思えません。

 一方で、著者の山崎氏は本書について、従来の歴史書ではほとんど扱われていない「周辺国・植民地」の「まだまだ世に知れれていない事実」などに目を向け、「光を当てました」としています。
 この限りでは、学界でも無関心のままにされてきた東南アジア各地の戦渦を掘り起こしてきた私も共感できるところです。
 本書が大国間の戦争という事実を覆したものでないことは、明らかです。

 評者加藤氏によるこの意味付けは、本書に結びつかず、見当違いに思われます。

3 こうした前置きを踏まえ、評者の加藤氏は、山崎氏の著作には「(歴史的な)事件についての基本的な知識を伝えるとともに、その現代的な意味について語っている」ものがあり、「本書もまた、そうした性格の新書だ」として、ようやくこの本の話題にたどりついています。

 そして山崎氏は、評の最後の部分で大国間の戦争・紛争で見落とされがちな「小国、周辺、狭間の視点から歴史を見直す」意味が本書にあると結論づけています。
 これでは前出の「覆された常識」を論じた部分と論旨がずれていることになります。

4 他方で、そうした一般向けの歴史書はまだ数少ないのは事実ですから、一定の評価は可能です。けれどもその内容が杜撰・不正確でも良いとはなりません。

 本書の内容に厳密さが欠けていることは、私の気づいた範囲でも先のメールで指摘(添付資料)した通り多数あります。

5 加えて、加藤氏のこの書評文でも、本書の内容を例示した次の部分に歪曲があります。

「全ての占領地で、そしてタイのような同盟国でさえも、日本兵は傲慢に振舞い、人びとを平手打ちし、軍政当局は民族的尊厳の表現に対しても『現地住民を不必要に甘やかす』ものだとして許容しなかった」

 確かに山崎氏はタイの日本兵のそうした行為がタイ国内で頻発したと記述しています(227p)。けれども駐屯日本軍司令官・中村明人中将の下、そうした暴力行為などがタイ人の心理に悪影響を及ぼす等を細かく列記した小冊子数十万部を作製させた事実を続けて指摘し、「この小冊子配布により、日本軍人とタイ人との衝突や摩擦は一定の改善を見たと言われる」としています。
 加藤氏は、この改善された状況を無視し、日本軍は一貫して傲慢な行為を続けたのだという歪んだ印象を、読者に与えています。

 また、「現地住民を不必要に甘やかすもの」という記述は、同書の185pに確かにあります。
 けれどもそこは、インドネシヤの軍政が断固とした「強圧政策」ではなく「柔軟な宥和政策」とする基本方針で貫かれたことを説明している部分です。
 「甘やかすもの・・・・」とは、他地域や大本営などの軍関係者が漏らした批判・不満を示したものにすぎず、現地の軍政当局の発言ではありません。
 しかもその批判・不満はインドネシア軍政では無視されたのですから、書評の文脈に合致していません。

 同書では、基本方針が「中央から下達された『占領地統治要綱』に明示されている通り、公正な威徳で民衆を悦服させ、軍需資源の破壊復旧、それの培養、接収を容易迅速にするものでなければならない」に即したものだったと説いています。
 批判・不満が無視され実効性がなかったのは当然でした。

 従って、上記の不満は”負け犬の遠吠え”でしかありません。
 同書では「柔軟な宥和政策」が、多少の見直しはあったものの全体としては敗戦まで、インドネシアで維持されたことも明らかにしています。
 書評の「許容しなかった」との指摘も、事実無根で誤りです。

 加藤氏の書評は対象の書の内容を歪曲して『週刊金曜日』の読者に伝えている「質の悪いお手軽」書評で、掲載した同誌書評委員の見識が疑われます。

 ただし、だからと言って書評対象の本書が適正な内容で満たされていることにはなりません。そのことは、すでに私が8月27日のメールで指摘した多数の疑問点や誤記の存在などから明らかです。

 先述のように8月27日のメールは同誌編集部にも送信していましたので、私には”類は友を呼ぶ”が如き3者揃い踏みの不明朗な事態に直面させられた思いです。

6 そして、もう1件。先の8月27日のメールを送信した後に分かったことがあります。
 山崎氏の本書のかなりの部分が同氏著『侵略か、解放か!? 世界は「太平洋戦争」とどう向き合ったか』(2012年、学研パブリッシング)からの使いまわし文によって構成されているということです。

 そしてその「学研本」には次のように内表紙裏に記されています。

「本書は歴史群像『決定版・太平洋戦争』シリーズ各巻に掲載の原稿を大幅に加筆・再構成したものに、新規書下ろし原稿を加えて、再構成の上、まとめたものです」と。

 ということは、「学研本」は使いまわし文の多用によって成り立っていることを意味します。
 ただし、雑誌に連載したものを単行本として編修することは普通の出版活動ですから、この場合は使いまわし文を用いていることをきちんと読者に伝えているのですから、問題視するには当たらないと思います。

 ところが、朝日新書の本書には内容のかなりに部分が「学研本」からの使いまわし文であると分かる断りが、どこにもありません。そうした断りがない「新書」シリーズであれば、読者は全編書下ろしとみなすのが普通です。
 これも後にわかったことですが、朝日新聞出版の本書担当者は「学研本」のことを知らなかったそうです。本書出版に際して山崎氏が原稿準備過程をどのように説明していたのか、疑問が残ります。

 それに、そのように何度も加筆・再構成した本書をについて、山崎氏は「まえがき」の冒頭でまず「研究書です」と明示しています。
 改めて山崎氏と加藤氏には「研究書」の定義を問いたくなります。

7 以上の諸点から、本書は加藤氏のいう「質の悪いお手軽教養本」の類ではないかと、ますます思えてきました。
 加藤氏の書評文にしても、自己矛盾のブラックユーモアのように見えます。

8 そして『週刊金曜日』編修部については、先の私の8月27日のメールを編集部内の複数のアドレス宛に送信していました。
 「そうした情報提供メールは編集部全体で共有します」と、かつて言われたのを信じてのことでした。
 こと『週刊金曜日』編修部宛の先のメールはまさに”無駄骨”でしかなかったのだと、加藤氏の書評文で気づかされました。

9 ちなみに、朝日新聞出版の編集部からは、本書218pの記述の下線部分を下記の通り訂正するとの回答文書を10月6日付けで手渡されました(10月になったのは、手渡しに合わせた面談を求められ、日程調整をした結果です)。

 「日本海軍は、十二月八日にハワイの真珠湾を奇襲攻撃する予定で、日本陸軍はその攻撃予定時刻の直前に、英領マラヤのイギリス軍を攻撃する手筈になっていた」

 訂正は下線部を「攻撃予定時刻と同時に、」と改めるということです。

 これで、この部分の誤りは一応是正されることになりましたが、電子書籍版は「すみやかに訂正し」、紙の書籍は「重版時に訂正します」とのことでした。

 確かに、東京での陸海軍協定では明確に「攻撃予定時刻と同時に」としていたのですから、それを「手筈だった」と表現することは可能です。けれども現在の歴史教科書の多くが、実際は陸軍が先行してコタバル開戦となったと読める記述になっています。
 「同時に」「攻撃する手筈だった」のみの記述では不十分で『秘史』とする書名にも反します。

10 ともあれ、紙版の初版本(初刷り版)はそのままということです。
 同書が2刷りになったかどうかは分かりませんが、『週刊金曜日』は誤った記述のママの初版本を推奨する記事を掲載したことになります。

 それに、朝日新聞出版の回答文書は、その他の疑問点等については何も触れていません。
「戦車と自転車を駆使してジャングルを浸透する日本軍」(276p)などと不正確な記述が重版以後も残ることになりそうです。
 そうした「質の悪いお手軽教養本」が今後も幅を効かすのに、『週刊金曜日』が手を貸したことになる今回の件は、何とも残念です。

11 12月8日が迫ってきている時節柄、12・8の意味をもう一度堀り下げる報道が望まれます。
 話題は幾つもあります。

1)日泰友好和親条約(本書213p)

① 中立条約を日本軍が破っていたことで、敗戦時のソ連による中立条約違反ばかりを責められないこと。
② またこの明白な国際法違反は戦争犯罪に該当し、敗戦後に公になると昭和天皇を免責とする日米両政府の基本方針が危くなる可能性が高まるので、日米両政府は「臭いものに蓋をする」策を講じ、今も国内外でこの件を話題にするのはタブー扱いとなっていること

2)半日間の「日タイ戦争」

 ① 日本軍は独立国タイの領土に無断で侵攻し、タイ軍が激しく抵抗して日本軍も多数の犠牲者を出したが、戦後の「公刊戦史」(防衛庁編)では「こぜりあい」「無血上陸」などと歪曲していること
 ② タイでは今も12月8日に戦死した兵士を追悼する式典が各地で開催されていること。
 チュンポンの場合、タイ側は軍事教練を受けた高校生の部隊が主力であった。そのことが映画化されていること。

3)マレ―半島(コタバル)攻撃が真珠湾奇襲よりも1時間以上先行したこと

 ① 今もNHKなどが拡散し続けている真珠湾奇襲で開戦になったという従来の俗説(「真珠湾神話」)が誤りであること。
 同俗説の蔓延には、下記の諸事実に関心が向くことを回避させたい何らかの思惑の存在が想定されること。  
 ② 真珠湾奇襲作戦の検討が不十分であったために、陸軍と同時攻撃の協定を結んだ後に、海軍側の事情で予定を90分遅らせることにしたものの、陸軍にはその変更を伝えなかったこと。
 陸軍に借りを作りたくなかった?
 ③ 協定締結後に重大な作戦変更が必要になったのは、海軍トップの軍令部と現場との連携がお粗末だったことの証。
 ④ この時生じた1時間以上の時間差において、マレー半島の英軍司令官パーシバルが英軍上層部向けだけでなく太平洋各地の米軍にも緊急の情報伝達をして警戒態勢をとらせていたら、真珠湾奇襲であのような成果が得られたかは疑問であること。
 実戦体験と決断力に乏しいとされていたパーシバルでなければ違った事態となった可能性があること
 ⑤ 当時、パーシバルの不手際とは別に、この1時間強の時間差の間に英国から米国に警戒を促す情報は全く送られなかったのか。この角度からの調査研究が進んでいる気配が伺えないこと。

4)当時、東条首相は真珠湾奇襲が90分遅れることを海軍から知らされていたこと

 ① その東条首相は、交渉打ち切りの「対米通告文書」の手交を、90分遅らせたハワイ奇襲の30分前にするように外務省に指示していた。
 ② その対米文書の手交が日本大使館の不手際で奇襲以後になってしまい、一気に米国世論を「日本討つべし!」一色に変えることになった。
 一方で、大使館が指示通りの30分前に手交していれば、同文書は宣戦布告同然のものであったので、不意打ちは日本政府の本意ではなかったのだ、とする主張が日本国内には根強く今も存在する。
 ③ しかし、日本政府が本心から宣戦布告を戦闘開始前にするとのルールを守る気が有ったのであれば、ハワイよりも90分早くコタバルで戦闘をすることになった英国への宣戦布告が対米通告(文書手交)より前に実行されていなければならないことになる。
 ところが、対英宣戦布告は対米宣戦布告と同時の8日午前11時45分だった。
 つまり、対英開戦は無通告開戦だった。このことを軍事史学界は1995年のシンポジウムにおける元海軍幹部の証言で確認していること。
 ついでに、対米も無通告開戦だったのは明らかであること。
 ④ ただし、英国は無通告開戦という国際法違反については問題にしなかった。なぜか?

5)山本五十六発案の真珠湾奇襲作戦の評価は軍部内ではあまり高くないこと

 ① 上記90分の変更など作戦準備が不十分であったこと
 ② コタバル攻撃以後の1時間余の時間差の間に、英国軍が機敏に米国への通報をしなかったおかげ(?)で、奇襲は運よく”大戦果”をあげたに過ぎないこと。
 ③「山本愚将論」が存在すること

 など、わたしが想いうかべることだけでこれだけあります。

 山崎氏の『秘史』本で生産的でない作業に時間をとられたところに、今回また加藤氏の書評文で疲れる作業に取り組むことになりました。
 せめて、今年の12月8日に向けた報道では、まず「真珠湾神話」の誤りを明確にし、同「神話」の蔓延によって目を逸らされていた話題の諸々に関する報道などが準備されることに期待を寄せています。

   ここまでの長文をお読み下さり、ありがとうございます。

 以上 すべて高嶋の私見です。 ご参考までに。     転送・拡散は自由です 

 


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