◆ ネットカフェで2年半暮らす母親姉妹にチャンスと詰寄るNHKスペシャル
女性たちの貧困のパラドクス (スクラム)
女性賃金差別
昨夜放送されたNHKスペシャル「調査報告 女性たちの貧困~"新たな連鎖"の衝撃~」。深刻な実態を告発したということでは意味があったと思います。
最も深刻だったのは、2年半もの間、ネットカフェで暮らしている母親姉妹のケース。19歳の姉は高校を中退してアルバイトをしていて、14歳の妹は半年以上、中学校にも通えていません。食事は1枚のパンを分け合って食べるなど1日1食。ネットカフェのフリードリンクで空腹を紛らしているのです。14歳の少女の願いは「明日の食事の心配をせず暮らしたい」――こうした深刻な「女性たちの貧困」の実態が告発されたわけですが、これに対する宮本太郎中央大学教授のコメントは、「ピンチをチャンスに」「資格を取るなど努力している女性に未来を感じる」「女性を活用しよう」などというような抽象的な指摘に終始し、結局、番組の結論は自己責任論よりのものだったと思います。
こうしたNHKスペシャルのあり方に対して、徳武聡子さん(司法書士、生活保護問題対策全国会議事務局次長)は「NHKはなぜ生活保護のことを伝えないのか~NHKスペシャル「女性たちの貧困」を視て」とブログで批判し、尾藤廣喜さん(弁護士、生活保護問題対策全国会議代表幹事)はツイッターで批判しています。私も同感です。
まずもって生活保護で生存権を保障することが必要なのにそのことを一切指摘しなかった番組内容に怒りを覚えますし、その上で、すでにこのブログでも何度も指摘してきましたが、「女性たちの貧困」の根本的な原因には以下のような日本社会の構造上の問題があり、これらの問題を改善する必要があると思います。
上のグラフにあるように、「子どもを持つ女性の賃金差別が世界最悪の日本-男性賃金のわずか39%、OECD30カ国平均の半分」という世界最悪の女性に対する賃金差別が「女性たちの貧困」の根本的な原因のひとつです。
そして、上のグラフ・表(略)にあるように、「日本のひとり親世帯の貧困は世界最悪、生活保護受給は世界最小、子どもの貧困を生み出す日本政府」だから、「女性たちの貧困」は深刻な状況になってしまうし、異常に少ない家族関係支出や世界最低の教育支出、住宅に対する社会支出はイギリスの8分の1しかないなど異常に低い貧困対策関連支出などによって、「女性たちの貧困」も「子どもの貧困連鎖」も「男性たちの貧困」も容易に起きてしまうのです。
その上、生活保護改悪によって、福祉のパラドクスで「本当に困っている人」さえ救えずブラック企業を増大させているのです。
先日、私は、唐鎌直義立命館大学教授にインタビューしました。3時間以上に渡るインタビューでしたので、生活保護に関するところだけでも結構長いのですが、宮本太郎氏などを批判している部分もあるので以下紹介しておきます。
(略)
■ 「本当に困っている人」を助けられない 「福祉のパラドクス」の罠に陥る日本
――そうしたスティグマ(恥辱感)や「福祉のパラドクス」の問題も唐鎌先生は指摘されています。
厚生労働省の文書に、もう十数年前だと思いますが、福祉は基本的には「自助」でやっていくのが当たり前だと書かれていました。「自助」がどうしてもできない、「本当に困っている人」のために福祉はあるのだと厚労省は言うわけです。それで「本当に困っている人」が救われるのだったら、それはいいのではないかと国民は思ってしまうわけですが、これが要注意なのですね。
実は日本は、「本当に困っている人」だけを助けるための福祉に対して、国民の抵抗や運動が起きなかった国なのです。明治からずっと、そういうものでいいと思ってきた歴史があります。それがなぜいけないかというと、「本当に困っている人」だけが助けられるということは、そういう人たちは「国家公認の貧困者」になるということを意味します。そうすると、普通に生活して自分の尊厳を守りたいと思っている人は、「国家公認の貧困者」というレッテルを貼られるのだけは嫌だということになる。それだけは避けたいと思うようになるのですね。そうすると、「本当に困っている人」を助けるための福祉は、「本当に困っている人」が受けられなくなってしまうということです。
これを「福祉のパラドクス」と呼んでいますが、イギリスで新救貧法の時代にその現象が広がり、福祉が役に立たなくなっていきました。福祉の効率化を狙って、「本当に困っている人」だけを助けようとしたのだけれど、プライドがある市民は受けなくなってしまったのですね。どんなに困っても受けない。そこに市民の尊厳が築かれてしまう。「国の世話にはなってないのだから」と。それは福祉の失敗であるということに識者が気付いたのです。
■ 福祉は「普遍主義」にする必要がある
だから福祉は、特定の対象者だけを救う「選別主義」ではなく「普遍主義」にする必要があるのです。
「普遍主義」というのは、日本でいうと義務教育がそうですね。日本では義務教育は誰でも受けているから、義務教育を受けることに対してスティグマは感じないのです。国民という資格だけで誰でも必要な時に受けられる仕組みにしておかないとダメだというのが、本来の社会保障の発展方向です。
こうした「普遍主義」が、1980年代半ばまでのヨーロッパの社会保障の発展方向でした。イギリスのNHS(国民保健サービス)や日本の義務教育のように、誰でも受けられるようにしようということが社会保障にとって最も大切なのです。
「選別主義」になってしまうとスティグマが強化されていくわけです。その上、バッシングも広まってくると、ますます受けづらくなっていく。そうすると「本当に困っている人」がどんどん潜在化してしまって、ますます大変な問題が起きてくると思います。
ですから生活保護の水際作戦の問題などが起きたときは、社会運動の側も、自治体だけを批判するのではなく、政府と厚労省を批判した方がいいと思うのです。なぜなら75%の財源は国が負担しているわけですから。窓口を自治体に任せておいて、責任は取らないというのは通りません。生活保護の問題は国の責任なのです。
■ 高等教育費が国民を苦しめている
――高等教育費の問題も深刻になっています。
これも大きな問題です。住宅問題と並んで教育問題は、日本の労働者にとっての2大問題(生活課題)です。日本では忘れられている社会保障の2分野と言えます。
とくに高等教育費が問題で、日本では基本的には親の負担ですから、地方から東京の私立大学に下宿生活で子どもを通わせると、4年間で授業料や仕送りを含めて約1,000万円かかると言われています。この金額が全部、日本の労働者に生涯賃金として跳ね返ってくるわけですね。
財界は日本の賃金は高いと言いますが、敢えて高くしてしまっているのです。こんなに高い教育費が親の負担になってしまっているのですから、その分賃金が高くなければ子どもを育てることも不可能になってしまいます。
ですから、日本の場合は、住宅ローンの返済と高等教育費の負担が高過ぎるのです。たとえば子どもが2人いたら2,000万円の負担になって、これが全部生涯賃金に跳ね返ってくるので、その分賃金が高くないと日本人は他の国の労働者と同じような生活を送れないわけです。そういうことを考えた上で、財界人は「高賃金論」を言ってもらいたいものですね。
高等教育費については、最近は親の負担ではなく本人の負担で、奨学金という実際はローンに過ぎない負担を背負って大学に来ている学生がたくさんいます。その上、大学を卒業してもまともな正規雇用に就けず、奨学金を返済することも難しい状況に追い込まれている若者が多くいるのも大きな問題です。
■ 『ハリー・ポッター』はイギリスの生活保護のおかげ
――一人ひとりの国民の潜在能力が生かされないという点で、日本では『ハリー・ポッター』の作者は生まれないということも唐鎌先生は指摘されていますね。
J.K.ローリングさんは離婚母子家庭で、生活保護(イギリスの所得援助)をもらいながら毎日喫茶店に行って、いつも2階の窓側の決まった席で『ハリー・ポッターと賢者の石』を書き続けたわけですね。
イギリスだから可能だったのだと思います。日本だったら、母子世帯で30代の母親だったら真っ先に就労支援の対象になります。「毎日、就活しなさい」「月給5万円でも働いた方がマシです」ということになります。
そして、J.K.ローリングさんは、女性高額納税者の世界ナンバー2にまでなったわけです。
イギリス政府は多額の税金をそこから取れたわけで、年間たかだか150万円くらいの生活保護費を出したおかげで、数十億円の税金を取り戻せた。エビでタイを釣るどころの話ではないですよね。そういう機会が、イギリスのように稼働能力者(若者)も受けられる生活保護にしておくと、増えるわけですね。
最近、イギリスでベストセラーになっている『ボブという名のストリートキャット』という本を読みました。
小さいときに両親が離婚し、不幸な生い立ちを背負った薬物中毒のストリートミュージシャンが、ある日、怪我をした雄の野良猫(茶トラ)を助け、ボブと名づけたその愛猫を精神的な支えとして、生活保護制度や住宅給付制度に経済的に支えられながら、薬物中毒から抜け出していくというストーリーの実話本なのです。
ここでもやはりイギリスの福祉が大きな役割を果たした結果、一人のベストセラー作家が誕生したわけですね。ホームレスを支援する『ビッグイッシュ―』活動の実際面もわかって、非常に面白い本です。
こうした華々しい成功例は一部かもしれませんが、もっと小さなレベルで、普通の仕事に就いた人もたくさんいるわけです。そこはやはり福祉の果たす役割になっているわけですね。
(略)
国公一般の仲間のブログ『すくらむ』(2014-04-28)
http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-11835944779.html
国家公務員一般労働組合(国公一般)は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。
女性たちの貧困のパラドクス (スクラム)
女性賃金差別
昨夜放送されたNHKスペシャル「調査報告 女性たちの貧困~"新たな連鎖"の衝撃~」。深刻な実態を告発したということでは意味があったと思います。
最も深刻だったのは、2年半もの間、ネットカフェで暮らしている母親姉妹のケース。19歳の姉は高校を中退してアルバイトをしていて、14歳の妹は半年以上、中学校にも通えていません。食事は1枚のパンを分け合って食べるなど1日1食。ネットカフェのフリードリンクで空腹を紛らしているのです。14歳の少女の願いは「明日の食事の心配をせず暮らしたい」――こうした深刻な「女性たちの貧困」の実態が告発されたわけですが、これに対する宮本太郎中央大学教授のコメントは、「ピンチをチャンスに」「資格を取るなど努力している女性に未来を感じる」「女性を活用しよう」などというような抽象的な指摘に終始し、結局、番組の結論は自己責任論よりのものだったと思います。
こうしたNHKスペシャルのあり方に対して、徳武聡子さん(司法書士、生活保護問題対策全国会議事務局次長)は「NHKはなぜ生活保護のことを伝えないのか~NHKスペシャル「女性たちの貧困」を視て」とブログで批判し、尾藤廣喜さん(弁護士、生活保護問題対策全国会議代表幹事)はツイッターで批判しています。私も同感です。
まずもって生活保護で生存権を保障することが必要なのにそのことを一切指摘しなかった番組内容に怒りを覚えますし、その上で、すでにこのブログでも何度も指摘してきましたが、「女性たちの貧困」の根本的な原因には以下のような日本社会の構造上の問題があり、これらの問題を改善する必要があると思います。
上のグラフにあるように、「子どもを持つ女性の賃金差別が世界最悪の日本-男性賃金のわずか39%、OECD30カ国平均の半分」という世界最悪の女性に対する賃金差別が「女性たちの貧困」の根本的な原因のひとつです。
そして、上のグラフ・表(略)にあるように、「日本のひとり親世帯の貧困は世界最悪、生活保護受給は世界最小、子どもの貧困を生み出す日本政府」だから、「女性たちの貧困」は深刻な状況になってしまうし、異常に少ない家族関係支出や世界最低の教育支出、住宅に対する社会支出はイギリスの8分の1しかないなど異常に低い貧困対策関連支出などによって、「女性たちの貧困」も「子どもの貧困連鎖」も「男性たちの貧困」も容易に起きてしまうのです。
その上、生活保護改悪によって、福祉のパラドクスで「本当に困っている人」さえ救えずブラック企業を増大させているのです。
先日、私は、唐鎌直義立命館大学教授にインタビューしました。3時間以上に渡るインタビューでしたので、生活保護に関するところだけでも結構長いのですが、宮本太郎氏などを批判している部分もあるので以下紹介しておきます。
(略)
■ 「本当に困っている人」を助けられない 「福祉のパラドクス」の罠に陥る日本
――そうしたスティグマ(恥辱感)や「福祉のパラドクス」の問題も唐鎌先生は指摘されています。
厚生労働省の文書に、もう十数年前だと思いますが、福祉は基本的には「自助」でやっていくのが当たり前だと書かれていました。「自助」がどうしてもできない、「本当に困っている人」のために福祉はあるのだと厚労省は言うわけです。それで「本当に困っている人」が救われるのだったら、それはいいのではないかと国民は思ってしまうわけですが、これが要注意なのですね。
実は日本は、「本当に困っている人」だけを助けるための福祉に対して、国民の抵抗や運動が起きなかった国なのです。明治からずっと、そういうものでいいと思ってきた歴史があります。それがなぜいけないかというと、「本当に困っている人」だけが助けられるということは、そういう人たちは「国家公認の貧困者」になるということを意味します。そうすると、普通に生活して自分の尊厳を守りたいと思っている人は、「国家公認の貧困者」というレッテルを貼られるのだけは嫌だということになる。それだけは避けたいと思うようになるのですね。そうすると、「本当に困っている人」を助けるための福祉は、「本当に困っている人」が受けられなくなってしまうということです。
これを「福祉のパラドクス」と呼んでいますが、イギリスで新救貧法の時代にその現象が広がり、福祉が役に立たなくなっていきました。福祉の効率化を狙って、「本当に困っている人」だけを助けようとしたのだけれど、プライドがある市民は受けなくなってしまったのですね。どんなに困っても受けない。そこに市民の尊厳が築かれてしまう。「国の世話にはなってないのだから」と。それは福祉の失敗であるということに識者が気付いたのです。
■ 福祉は「普遍主義」にする必要がある
だから福祉は、特定の対象者だけを救う「選別主義」ではなく「普遍主義」にする必要があるのです。
「普遍主義」というのは、日本でいうと義務教育がそうですね。日本では義務教育は誰でも受けているから、義務教育を受けることに対してスティグマは感じないのです。国民という資格だけで誰でも必要な時に受けられる仕組みにしておかないとダメだというのが、本来の社会保障の発展方向です。
こうした「普遍主義」が、1980年代半ばまでのヨーロッパの社会保障の発展方向でした。イギリスのNHS(国民保健サービス)や日本の義務教育のように、誰でも受けられるようにしようということが社会保障にとって最も大切なのです。
「選別主義」になってしまうとスティグマが強化されていくわけです。その上、バッシングも広まってくると、ますます受けづらくなっていく。そうすると「本当に困っている人」がどんどん潜在化してしまって、ますます大変な問題が起きてくると思います。
ですから生活保護の水際作戦の問題などが起きたときは、社会運動の側も、自治体だけを批判するのではなく、政府と厚労省を批判した方がいいと思うのです。なぜなら75%の財源は国が負担しているわけですから。窓口を自治体に任せておいて、責任は取らないというのは通りません。生活保護の問題は国の責任なのです。
■ 高等教育費が国民を苦しめている
――高等教育費の問題も深刻になっています。
これも大きな問題です。住宅問題と並んで教育問題は、日本の労働者にとっての2大問題(生活課題)です。日本では忘れられている社会保障の2分野と言えます。
とくに高等教育費が問題で、日本では基本的には親の負担ですから、地方から東京の私立大学に下宿生活で子どもを通わせると、4年間で授業料や仕送りを含めて約1,000万円かかると言われています。この金額が全部、日本の労働者に生涯賃金として跳ね返ってくるわけですね。
財界は日本の賃金は高いと言いますが、敢えて高くしてしまっているのです。こんなに高い教育費が親の負担になってしまっているのですから、その分賃金が高くなければ子どもを育てることも不可能になってしまいます。
ですから、日本の場合は、住宅ローンの返済と高等教育費の負担が高過ぎるのです。たとえば子どもが2人いたら2,000万円の負担になって、これが全部生涯賃金に跳ね返ってくるので、その分賃金が高くないと日本人は他の国の労働者と同じような生活を送れないわけです。そういうことを考えた上で、財界人は「高賃金論」を言ってもらいたいものですね。
高等教育費については、最近は親の負担ではなく本人の負担で、奨学金という実際はローンに過ぎない負担を背負って大学に来ている学生がたくさんいます。その上、大学を卒業してもまともな正規雇用に就けず、奨学金を返済することも難しい状況に追い込まれている若者が多くいるのも大きな問題です。
■ 『ハリー・ポッター』はイギリスの生活保護のおかげ
――一人ひとりの国民の潜在能力が生かされないという点で、日本では『ハリー・ポッター』の作者は生まれないということも唐鎌先生は指摘されていますね。
J.K.ローリングさんは離婚母子家庭で、生活保護(イギリスの所得援助)をもらいながら毎日喫茶店に行って、いつも2階の窓側の決まった席で『ハリー・ポッターと賢者の石』を書き続けたわけですね。
イギリスだから可能だったのだと思います。日本だったら、母子世帯で30代の母親だったら真っ先に就労支援の対象になります。「毎日、就活しなさい」「月給5万円でも働いた方がマシです」ということになります。
そして、J.K.ローリングさんは、女性高額納税者の世界ナンバー2にまでなったわけです。
イギリス政府は多額の税金をそこから取れたわけで、年間たかだか150万円くらいの生活保護費を出したおかげで、数十億円の税金を取り戻せた。エビでタイを釣るどころの話ではないですよね。そういう機会が、イギリスのように稼働能力者(若者)も受けられる生活保護にしておくと、増えるわけですね。
最近、イギリスでベストセラーになっている『ボブという名のストリートキャット』という本を読みました。
小さいときに両親が離婚し、不幸な生い立ちを背負った薬物中毒のストリートミュージシャンが、ある日、怪我をした雄の野良猫(茶トラ)を助け、ボブと名づけたその愛猫を精神的な支えとして、生活保護制度や住宅給付制度に経済的に支えられながら、薬物中毒から抜け出していくというストーリーの実話本なのです。
ここでもやはりイギリスの福祉が大きな役割を果たした結果、一人のベストセラー作家が誕生したわけですね。ホームレスを支援する『ビッグイッシュ―』活動の実際面もわかって、非常に面白い本です。
こうした華々しい成功例は一部かもしれませんが、もっと小さなレベルで、普通の仕事に就いた人もたくさんいるわけです。そこはやはり福祉の果たす役割になっているわけですね。
(略)
国公一般の仲間のブログ『すくらむ』(2014-04-28)
http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-11835944779.html
国家公務員一般労働組合(国公一般)は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。
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