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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

曖昧な「公共の福祉」

2009年10月07日 | 人権
 <国連の日本審査 私が見て感じたこと>第8回
 曖昧な「公共の福祉」③

鈴木亜英(国際人権活動日本委員会代表)

 この問題(「公共の福祉」)について日本政府はどういう態度で臨んでいるでしょうか。
 ●日本政府の見解
 第3回から第5回の審査を通じて、日本政府は、人権保障も絶対的ではなく、一定の制限に服することがあると前置きした上で、「公共の福祉により正当化されるか否かを判断するに当って、判例は、営業の自由等の経済的自由を規制する法令については、立法府の裁量を比較的広く認めるのに対し、精神的自由を規制する法令等の解釈については、厳格な基準を用いている」と判断基準に違いがあること説明しました。
 さらに、「『公共の福祉』の概念は、各権利ごとに、判例等により具体化されているから、『公共の福祉』の概念の下、国家権力により恣意的に人権が制約されることはあり得ない」としています。これは日本政府の一貫した見解といってよいでしょう。
 ●見解は事実に反す
 しかし、堀越、世田谷の言論弾圧事件の一審判決を見れば、この説明がいかに事実に反しているか明らかです。
 例えば、両事件は国家公務員法違反事件であり、それぞれの一審判決はかつて国家公務員の言論表現の自由が争われた猿払国公法最高裁判決を引用して、国家公務員の政治ビラの配布の自由を認めませんでした。
 猿払最高裁判決は合理的関連性の基準という緩やがな審査基準を用いて、政治活動禁止は合憲だと判断しました。これは自由の制約基準を立法府の裁量に委ね、司法審査を放棄してしまうに等しいものでした。
 これは政府が審査の中で述べた「厳格な基準」とはかけ離れたものです。
 しかも営業の自由が争われたある薬事法違反事件では、最高裁は猿払最高裁判決よりもはるかに厳格な審査基準を用いたのですから、猿払最高裁判決の審査基準の甘さが際立ちます。
 前述のとおり、規約においては、権利を制約できる事由が権利ごとに個別に定められています。
 政府は、このことを認めた上で、「公共の福祉」により一般的に人権を制約できるのは「その規定ぶりが異なるに過ぎない」からだと説明しています。
 そして、「『公共の福祉』の概念の具体化が図られることにより、実質的には規約の制約事由の内容とほぼ同様なものとなっている」と結んでいます。
 果たしてそうなのでしょうか。この結論に眉に唾をつけて聞かなくてはならないのは残念なことです。どうしたら、「公共の福祉」の概念を明確なものにできるのでしょうか。
 『日本国民救援会「救援新聞」』より

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