◇ 5月27日(木)「学校に言論の自由を」土肥裁判第6回口頭弁論(10:00~東京地裁606)
3月11日「学校に言論の自由を」第5回口頭弁論で、土肥信雄元三鷹校長は希望した意見陳述を裁判長から認めてもらえませんでした。土肥さんが聞いて欲しかった「幻の意見陳述」は次のようなものでした。
※『西原鑑定意見書』 nishihara_ikensho.doc
◎ 「私の思い」
第2次世界大戦の大きな過ちを犯した日本は、その反省のもと、日本国憲法の前文に「政府の行為によって再び戦争の惨禍(さんか)が起こることのないようにすることを決意し」と不戦の誓いを述べ、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を三原則としたのです。
戦前においても、多くの人が戦争に反対だったと思います。しかし何故第2次世界大戦を止められなかったのでしょうか。それは*〈言論の自由〉がなかったからです。
私が大学生の頃、母に「どうして戦争反対と言わなかったのか」と詰問したことがあります。母の答えは「信雄、言いたくてもいえない状況だったのよ。多くの人は戦争反対だったと思うけど、もしそれを言ったら命がなくなるのよ」でした。
戦前においては治安維持法により、言論弾圧が行われ、死を覚悟して戦争反対を言わなければならない状況だったと思います。戦争反対を言うことは非常に勇気のいることであり、それを言えなかったことについて私も理解しました。
〈言論の自由〉が保障されていれば、戦争は起こらなかった可能性が強く、日本の歴史は大きく変わっていたと思います。
そして戦後多くの人が「あの時戦争反対と言っていれば」と後悔したのも事実だと思います。それ故に、私は憲法の三原則の中の基本的人権の一つである〈言論の自由〉の保障がとても重要であると思っています。
その〈言論の自由〉が、教育の現場でなくなる可能性があるからこそ東京都教育委員会(都教委)を訴えたのです。
しかも現在は戦前と違って〈言論の自由〉は保障されているはずですから、命を賭ける必要はありません。
私の場合でも職を賭けたのであり、命の重さに比べれば、比べ物になりません。「あの時、都教委を訴えておけば」という後悔だけはしたくなかったのです。
現職中に都教委に何度も公開討論を要求しました。どちらが正しいか、都民、国民の皆さんに判断していただきたかったのです。しかし残念なこと都教委は公開討論に応じてくれませんでした。やむを得ず裁判に訴え、口頭弁論という公の場で公開討論をしているのです。
私も、都教委も子どものために全力をつくしています。したがってお互いにそれぞれの主張を出し合って、判断してもらえば良いのです。
しかし、都教委の反論(準備書面)を見ると、事実と違うことが書かれています。お互いが主張するにも、その前提は「事実」から出発すると言うことです。「事実は一つ」であり、その事実にもとづいて主張すべきではないでしょうか。
一例を挙げます。私は密告により間違いなく3回指導を受けました。3回目の指導では参事の新井氏が「教育委員の米長氏が近々に三鷹高校を訪問します。」と私に伝えたのです。
それが都教委の反論では、指導は2回だけで、3回目の「米長氏が行く」指導は記録になかったとなっています。
絶対に許せません。何故3回指導を行ったと言わないのですか。「かくかくしかじかの理由で米長氏が三鷹高校に行って土肥を指導するのです」と、正々堂々と言ってください。
私はその時「是非来て下さい」と答えました。なぜなら私は、私の教育実践に自信を持っていたので、米長氏に是非私の教育実践を見ていただきたかったのです。教育の現場においては子ども達に「嘘をつくな」と教えています。「嘘つき」は教育関係の仕事に携わってはいけないのです。
事実は一つです。都教委も事実に基づいた主張をして下さい。私の願いは、ただその一点です。
3月11日「学校に言論の自由を」第5回口頭弁論で、土肥信雄元三鷹校長は希望した意見陳述を裁判長から認めてもらえませんでした。土肥さんが聞いて欲しかった「幻の意見陳述」は次のようなものでした。
※『西原鑑定意見書』 nishihara_ikensho.doc
◎ 「私の思い」
第2次世界大戦の大きな過ちを犯した日本は、その反省のもと、日本国憲法の前文に「政府の行為によって再び戦争の惨禍(さんか)が起こることのないようにすることを決意し」と不戦の誓いを述べ、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を三原則としたのです。
戦前においても、多くの人が戦争に反対だったと思います。しかし何故第2次世界大戦を止められなかったのでしょうか。それは*〈言論の自由〉がなかったからです。
私が大学生の頃、母に「どうして戦争反対と言わなかったのか」と詰問したことがあります。母の答えは「信雄、言いたくてもいえない状況だったのよ。多くの人は戦争反対だったと思うけど、もしそれを言ったら命がなくなるのよ」でした。
戦前においては治安維持法により、言論弾圧が行われ、死を覚悟して戦争反対を言わなければならない状況だったと思います。戦争反対を言うことは非常に勇気のいることであり、それを言えなかったことについて私も理解しました。
〈言論の自由〉が保障されていれば、戦争は起こらなかった可能性が強く、日本の歴史は大きく変わっていたと思います。
そして戦後多くの人が「あの時戦争反対と言っていれば」と後悔したのも事実だと思います。それ故に、私は憲法の三原則の中の基本的人権の一つである〈言論の自由〉の保障がとても重要であると思っています。
その〈言論の自由〉が、教育の現場でなくなる可能性があるからこそ東京都教育委員会(都教委)を訴えたのです。
しかも現在は戦前と違って〈言論の自由〉は保障されているはずですから、命を賭ける必要はありません。
私の場合でも職を賭けたのであり、命の重さに比べれば、比べ物になりません。「あの時、都教委を訴えておけば」という後悔だけはしたくなかったのです。
現職中に都教委に何度も公開討論を要求しました。どちらが正しいか、都民、国民の皆さんに判断していただきたかったのです。しかし残念なこと都教委は公開討論に応じてくれませんでした。やむを得ず裁判に訴え、口頭弁論という公の場で公開討論をしているのです。
私も、都教委も子どものために全力をつくしています。したがってお互いにそれぞれの主張を出し合って、判断してもらえば良いのです。
しかし、都教委の反論(準備書面)を見ると、事実と違うことが書かれています。お互いが主張するにも、その前提は「事実」から出発すると言うことです。「事実は一つ」であり、その事実にもとづいて主張すべきではないでしょうか。
一例を挙げます。私は密告により間違いなく3回指導を受けました。3回目の指導では参事の新井氏が「教育委員の米長氏が近々に三鷹高校を訪問します。」と私に伝えたのです。
それが都教委の反論では、指導は2回だけで、3回目の「米長氏が行く」指導は記録になかったとなっています。
絶対に許せません。何故3回指導を行ったと言わないのですか。「かくかくしかじかの理由で米長氏が三鷹高校に行って土肥を指導するのです」と、正々堂々と言ってください。
私はその時「是非来て下さい」と答えました。なぜなら私は、私の教育実践に自信を持っていたので、米長氏に是非私の教育実践を見ていただきたかったのです。教育の現場においては子ども達に「嘘をつくな」と教えています。「嘘つき」は教育関係の仕事に携わってはいけないのです。
事実は一つです。都教委も事実に基づいた主張をして下さい。私の願いは、ただその一点です。
2010年(平成22年)3月11日
土肥 信雄
土肥 信雄
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます