★ 『学校に自由を!10・31集会』にて先行販売!
10月31日(土) 13:30 社会文化会館ホール(東京メトロ永田町、国会議事堂前)
<ミニコンサート> 小室 等 来る!
<パネルディスカッション> 田原牧、デビッド・マクニール、世取山洋介、新村響子
緊急出版!(11/9発売予定) 太郎次郎社エディタス
野田正彰 著
『教師は二度、教師になる』
~良心としての君が代症候群(仮題)
◆ 本書の制作過程に立ち会って
私は、「被処分者の会」事務局として今回の13名全員の聴き取りに立ち会った。
この本は、原告が裁判所へ提出した陳述書をもとに野田教授の聴き取りでまとめられたものである(13名は教授の上京時に都合がついた人で任意である)。
13名以外にも同様な苦悩や健康への影響は、処分を受けた延べ423名や、さまざまな状況からやむをえず起立せざるをえなかった多くの教職員にも共通している。
なかには起立してしまったゆえに自責の念に耐えられず、退職を余儀なくされた人もいる。
当初、聴き取りというのはたんに事実関係や不起立に至った経緯とその思いの確認、それによる精神的影響などについての、精神科医としての野田教授による分析・考察・まとめだと思っていた。
しかし教授は原告の子どものころからの生い立ち・成長過程・考え方・家庭環境などまで深く“ズケズケ”と問うのである。
当時(不起立時)を思い出してか聴き取り自体がつらいからか涙を流しながら話す人がかなりいた。また、教授の質問に考え込む人などもありさまざまであった。
私もこの聴き取り方が今回の処分による精神的影響との立証に因果関係がどう存在するのか疑問がなくもなかった。しかしそれは素人の疑問でしかなかったことがあとからわかった。
教授のまとめられた意見書や裁判での証言を見聞きした原告が、異ロ同音に「教授の分析により、いまになって思い出し、当時(不起立時)の精神状態はまさにそうだったし、その後の“モヤモヤ”していたものの謎が解けた」と話してくれたことや、明らかにそれまでと違う、晴れ晴れと語るかれらの表情に、正直驚かされた。
それは、たんに処分を受けた精神状況のみならず、一教育者としての人間性やそのブライド、そして職業倫理までをも一片の「通連」でズタズタにされたことを立証するための聴き取り方法だったのである。
そこで初めて教授の狙いや求められたものがよく理解でき、己の浅はかさを知ったのであった。私が言うのはおこがましいが見事な聴き取りとそのまとめであった。感動もした。(中略)
権力による教育への介入・支配の状況は、東京都が全国的にも突出している。ここまで突っ走る要因は首長や教育委員個人の資質の問題だけではあるまい。いったいかれらをあと押ししているのは何なのであろうか。
今回の私たちの行動に対して、賛否双方からさまざまな意見を寄せられるが、そこが気がかりであるからこそ、教育現場にいる人間として熟慮と苦悩のすえの行動でもあったのだ。
組織や組合などの指示があったわけではない。一教職員として、一人間としての生き方が問われると思い、理不尽な処分も辞さず苦悩のすえに命令に服さなかったのである。さらに自己の意思のみならず、今後の日本とその社会を担う生徒のことを思えぱなおさらであった。
読者の皆様には、東京の教育現場を知っていただき、私たちの行動が、教育行政が本来の役割である条件整備に戻ること、また司法が権力の「三位一体」ではなく、「三権分立」の原点に立って憲法と教育基本法に基づく判断を示すことを期してのことであることをご理解いただきたい。
そしていま、私たちはどんなに脅されようとも傷つこうとも、一教職員として、人間としてプライドを保とうと決意をあらたにしているのである。
10月31日(土) 13:30 社会文化会館ホール(東京メトロ永田町、国会議事堂前)
<ミニコンサート> 小室 等 来る!
<パネルディスカッション> 田原牧、デビッド・マクニール、世取山洋介、新村響子
緊急出版!(11/9発売予定) 太郎次郎社エディタス
野田正彰 著
『教師は二度、教師になる』
~良心としての君が代症候群(仮題)
◆ 本書の制作過程に立ち会って
平田泉(「被処分者の会」事務局)
私は、「被処分者の会」事務局として今回の13名全員の聴き取りに立ち会った。
この本は、原告が裁判所へ提出した陳述書をもとに野田教授の聴き取りでまとめられたものである(13名は教授の上京時に都合がついた人で任意である)。
13名以外にも同様な苦悩や健康への影響は、処分を受けた延べ423名や、さまざまな状況からやむをえず起立せざるをえなかった多くの教職員にも共通している。
なかには起立してしまったゆえに自責の念に耐えられず、退職を余儀なくされた人もいる。
当初、聴き取りというのはたんに事実関係や不起立に至った経緯とその思いの確認、それによる精神的影響などについての、精神科医としての野田教授による分析・考察・まとめだと思っていた。
しかし教授は原告の子どものころからの生い立ち・成長過程・考え方・家庭環境などまで深く“ズケズケ”と問うのである。
当時(不起立時)を思い出してか聴き取り自体がつらいからか涙を流しながら話す人がかなりいた。また、教授の質問に考え込む人などもありさまざまであった。
私もこの聴き取り方が今回の処分による精神的影響との立証に因果関係がどう存在するのか疑問がなくもなかった。しかしそれは素人の疑問でしかなかったことがあとからわかった。
教授のまとめられた意見書や裁判での証言を見聞きした原告が、異ロ同音に「教授の分析により、いまになって思い出し、当時(不起立時)の精神状態はまさにそうだったし、その後の“モヤモヤ”していたものの謎が解けた」と話してくれたことや、明らかにそれまでと違う、晴れ晴れと語るかれらの表情に、正直驚かされた。
それは、たんに処分を受けた精神状況のみならず、一教育者としての人間性やそのブライド、そして職業倫理までをも一片の「通連」でズタズタにされたことを立証するための聴き取り方法だったのである。
そこで初めて教授の狙いや求められたものがよく理解でき、己の浅はかさを知ったのであった。私が言うのはおこがましいが見事な聴き取りとそのまとめであった。感動もした。(中略)
権力による教育への介入・支配の状況は、東京都が全国的にも突出している。ここまで突っ走る要因は首長や教育委員個人の資質の問題だけではあるまい。いったいかれらをあと押ししているのは何なのであろうか。
今回の私たちの行動に対して、賛否双方からさまざまな意見を寄せられるが、そこが気がかりであるからこそ、教育現場にいる人間として熟慮と苦悩のすえの行動でもあったのだ。
組織や組合などの指示があったわけではない。一教職員として、一人間としての生き方が問われると思い、理不尽な処分も辞さず苦悩のすえに命令に服さなかったのである。さらに自己の意思のみならず、今後の日本とその社会を担う生徒のことを思えぱなおさらであった。
読者の皆様には、東京の教育現場を知っていただき、私たちの行動が、教育行政が本来の役割である条件整備に戻ること、また司法が権力の「三位一体」ではなく、「三権分立」の原点に立って憲法と教育基本法に基づく判断を示すことを期してのことであることをご理解いただきたい。
そしていま、私たちはどんなに脅されようとも傷つこうとも、一教職員として、人間としてプライドを保とうと決意をあらたにしているのである。
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