板橋高校卒業式「君が代」刑事弾圧事件 最高裁に口頭審理を要請中
★ 立川、葛飾に続く「言論表現の自由」圧殺を許すな! ★
最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!
□ 5/6『上告趣意補充書(1)』を提出。さらに欧州人権専門家のlegal opinionを追加提出予定。 □
◎ 板橋高校卒業式事件・顛末記<7>
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「ウグイス」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
この佐々木供述証拠は、二審で裁判官に提示された。
裁判所は、検察に対し、調書の中抜けを指摘、検察は再提出した。
4ページほど、抜けていたのである。
調書にはページ数を書かないから続きの不自然さが少ない調書は、途中をスッと抜いて証拠提出しても分らない。
これは、別の意味での証拠偽造である。
さすが裁判官、弁護士の見抜けなかったことを指摘したとこの点に限って、裁判官をほめるしかない。
ほめても有罪とするのであるから、まったく意味がないが・・・。
かくして、校長は「退去命令」発声の後、「F」に接近した。
三者は鼎立した。
「荷物が・・・」と言って、来賓席方向に向かおうとする。
校長、「F」に触ろうとする。
F、「さわるんじゃないよ、」 「おれは、一般市民だよ」 と言う
次いで、2004年12月3日の「起訴状」においては、「何で追い出すんだ、おい」と言ったと書かれている。
この発言は、検察提出の証拠、「ICレコーダー」からはまったく聞こえてこない。
何の証拠もないこの言葉を、検事崎坂は、どこから見つけてきたのであろうか、彼の創作であるのか。
起訴状は、その最初から、「でっちあげ」 「捏造」 である。
この、「さわるんじゃない」発言は、この刑事事件の事実関係において、ひとつのキーポイントである。
というのは、検察は、「出来たらお願いします」のあと、間髪いれず、「さわるるんじゃない」と触っている教頭に大声をあげたとし、裁判官もその通りとした。
教頭もその筋書きに乗った。
しかし校長は、自分が触ったら、「さわるんじゃない」と言われたので、以後、触らないようにしたと、法廷で証言したのである。
これはどういうことか。
あくまでも、都教委教育長・横山の議会発言、「校長らの制止にかかわらず、週刊誌のコピーを配布し大声をあげたことは・・・」を死守したい検察は、「お願いします」から10ないし20秒前後の間があった次の「F」の発言、「さわるんじゃない」までの空白の時間帯を取っ払ってしまったのである。
「ICレコーダー」の録音を操作し、その時間帯を切り取った。
そして、間髪いれず、次の発言につないだのである。
「ようやるよ」と思う。
裁判に臨んだ検察は、教頭が「F」の配布途中から制止を続け、さらに「F」の発言中もささやくような声で制止を続けたのに、その制止にかかわらず、「F」は発言を続け、言い終わるとただちに教頭に大声で「さわるんじゃないよ」と言ったという筋書きを作ってそのレールの上を突っ走ったのである。
何とも無理なことをしたものだ。
裁判が始まる前の12月3日の起訴状には、教頭の「制止」を振り切りコピーを配布し、教頭の「制止」にかかわらず発言したなどということは、そのかけらも書かれていない。
検事・崎坂は、式に参加した保護者・4名より現場状況を詳細に聞き取り、教頭のその供述は嘘であると判断していたのである。それを書き込むことは無理であると。
ゆえに崎坂は、「退去命令」に抗議した「F」の言動ののみに焦点をあて、大声で騒いだ、保護者にとって迷惑だったとの筋書きでで立件に及んだのである。
父母4名の供述もこの筋書きで行われ、教頭の「制止行為」についてはまったく一語も記されていない。
だが、公判に臨んだ検察は、これでは有罪は無理と判断し、教育長・横山の発言に戻って、制止を無視・抵抗してのコピー配布時点からの行動を「F」が行ったとするシナリオに固執せざるをえなくなる。
検察官も内心弱ったことであろう。
他の民事での傍聴に行った私は、裁判所廊下で私の裁判を担当している二人の検察官に遭遇した。
検事、「おされっぱなしだよう」と私に弱音を吐く。
F、「あんま、無理すると事故が起きるよ」と言う。
もう一人の検察官が、何を言うのだという表情をした。
事故とは、偽証を強制された検察側証人が、心理的に追い詰められて事故を起こすかもしれないということである。
結果として今これを記している2010年3月初旬で事故は起こっていない。
私に関する、ある意味馬鹿らしいこの裁判で、事故がなかったことは、この裁判の最大の成果であったこととも言える。
福島県知事の裁判など、審理過程で何人もが死んだり病気になっているのを見ると心底ほっとする。
司法とはおそろしい世界である。
人を断罪するということは、魔女裁判の歴史をふりかえるまでもなく実におそろしいことである。
刑事では、人を処刑するのだ。
人が、検察官・裁判官が人を殺すのである。
検察の、起訴したら別の検証を一切排除し、ひたすら有罪判決をとることにまい進するというこの日本の司法の在り方は極めて異常である。
異常であることの自覚がない日本最大権力・検察が異常な方向に驀進しているのであるから、おそろしい。
窮鼠にして、反撃の余地がないのである。
起訴されたら、もう終わりなのである。
かって、最高裁判事・団藤が、死刑判決を下した法廷を去ろうとして、「人殺し!」と罵声をあびせられた。
彼は、それ以来、死刑反対論者となった、
一つの痛切な野次が、団藤の心に突き刺さったのである。
検察・裁判官はその一面において、無実の者を犯罪者とする「犯罪者」であり、かつまた無実の人を獄につなぐ「拉致・監禁犯」であり、処刑する「人殺し」でもある。
それだけに、検察官は「秋霜烈日」のバッジを身につけ、厳しく自己を鍛え律することが求められるが、現実は出鱈目かつ上の指示通りに動いての検察一体の官僚検察官の輩出のみが見受けられる。
そいつらの、被害にあったものは「たまったものじゃない」。
検察をいったん解体して、あらたな理念による組織の再編成が緊急に求められるであろう。
教頭、校長は出口に押し出そうとする。
(続)
※ 顛末記の過去ログは、
顛末記(6) http://wind.ap.teacup.com/people/4049.html
顛末記(5) http://wind.ap.teacup.com/people/4030.html
顛末記(4) http://wind.ap.teacup.com/people/4011.html
顛末記(3) http://wind.ap.teacup.com/people/3892.html
顛末記(2) http://wind.ap.teacup.com/people/3872.html
顛末記(1) http://wind.ap.teacup.com/people/3853.html
20回くらいの連載になる予定です。
★ 立川、葛飾に続く「言論表現の自由」圧殺を許すな! ★
最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!
□ 5/6『上告趣意補充書(1)』を提出。さらに欧州人権専門家のlegal opinionを追加提出予定。 □
◎ 板橋高校卒業式事件・顛末記<7>
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「ウグイス」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
この佐々木供述証拠は、二審で裁判官に提示された。
裁判所は、検察に対し、調書の中抜けを指摘、検察は再提出した。
4ページほど、抜けていたのである。
調書にはページ数を書かないから続きの不自然さが少ない調書は、途中をスッと抜いて証拠提出しても分らない。
これは、別の意味での証拠偽造である。
さすが裁判官、弁護士の見抜けなかったことを指摘したとこの点に限って、裁判官をほめるしかない。
ほめても有罪とするのであるから、まったく意味がないが・・・。
かくして、校長は「退去命令」発声の後、「F」に接近した。
三者は鼎立した。
「荷物が・・・」と言って、来賓席方向に向かおうとする。
校長、「F」に触ろうとする。
F、「さわるんじゃないよ、」 「おれは、一般市民だよ」 と言う
次いで、2004年12月3日の「起訴状」においては、「何で追い出すんだ、おい」と言ったと書かれている。
この発言は、検察提出の証拠、「ICレコーダー」からはまったく聞こえてこない。
何の証拠もないこの言葉を、検事崎坂は、どこから見つけてきたのであろうか、彼の創作であるのか。
起訴状は、その最初から、「でっちあげ」 「捏造」 である。
この、「さわるんじゃない」発言は、この刑事事件の事実関係において、ひとつのキーポイントである。
というのは、検察は、「出来たらお願いします」のあと、間髪いれず、「さわるるんじゃない」と触っている教頭に大声をあげたとし、裁判官もその通りとした。
教頭もその筋書きに乗った。
しかし校長は、自分が触ったら、「さわるんじゃない」と言われたので、以後、触らないようにしたと、法廷で証言したのである。
これはどういうことか。
あくまでも、都教委教育長・横山の議会発言、「校長らの制止にかかわらず、週刊誌のコピーを配布し大声をあげたことは・・・」を死守したい検察は、「お願いします」から10ないし20秒前後の間があった次の「F」の発言、「さわるんじゃない」までの空白の時間帯を取っ払ってしまったのである。
「ICレコーダー」の録音を操作し、その時間帯を切り取った。
そして、間髪いれず、次の発言につないだのである。
「ようやるよ」と思う。
裁判に臨んだ検察は、教頭が「F」の配布途中から制止を続け、さらに「F」の発言中もささやくような声で制止を続けたのに、その制止にかかわらず、「F」は発言を続け、言い終わるとただちに教頭に大声で「さわるんじゃないよ」と言ったという筋書きを作ってそのレールの上を突っ走ったのである。
何とも無理なことをしたものだ。
裁判が始まる前の12月3日の起訴状には、教頭の「制止」を振り切りコピーを配布し、教頭の「制止」にかかわらず発言したなどということは、そのかけらも書かれていない。
検事・崎坂は、式に参加した保護者・4名より現場状況を詳細に聞き取り、教頭のその供述は嘘であると判断していたのである。それを書き込むことは無理であると。
ゆえに崎坂は、「退去命令」に抗議した「F」の言動ののみに焦点をあて、大声で騒いだ、保護者にとって迷惑だったとの筋書きでで立件に及んだのである。
父母4名の供述もこの筋書きで行われ、教頭の「制止行為」についてはまったく一語も記されていない。
だが、公判に臨んだ検察は、これでは有罪は無理と判断し、教育長・横山の発言に戻って、制止を無視・抵抗してのコピー配布時点からの行動を「F」が行ったとするシナリオに固執せざるをえなくなる。
検察官も内心弱ったことであろう。
他の民事での傍聴に行った私は、裁判所廊下で私の裁判を担当している二人の検察官に遭遇した。
検事、「おされっぱなしだよう」と私に弱音を吐く。
F、「あんま、無理すると事故が起きるよ」と言う。
もう一人の検察官が、何を言うのだという表情をした。
事故とは、偽証を強制された検察側証人が、心理的に追い詰められて事故を起こすかもしれないということである。
結果として今これを記している2010年3月初旬で事故は起こっていない。
私に関する、ある意味馬鹿らしいこの裁判で、事故がなかったことは、この裁判の最大の成果であったこととも言える。
福島県知事の裁判など、審理過程で何人もが死んだり病気になっているのを見ると心底ほっとする。
司法とはおそろしい世界である。
人を断罪するということは、魔女裁判の歴史をふりかえるまでもなく実におそろしいことである。
刑事では、人を処刑するのだ。
人が、検察官・裁判官が人を殺すのである。
検察の、起訴したら別の検証を一切排除し、ひたすら有罪判決をとることにまい進するというこの日本の司法の在り方は極めて異常である。
異常であることの自覚がない日本最大権力・検察が異常な方向に驀進しているのであるから、おそろしい。
窮鼠にして、反撃の余地がないのである。
起訴されたら、もう終わりなのである。
かって、最高裁判事・団藤が、死刑判決を下した法廷を去ろうとして、「人殺し!」と罵声をあびせられた。
彼は、それ以来、死刑反対論者となった、
一つの痛切な野次が、団藤の心に突き刺さったのである。
検察・裁判官はその一面において、無実の者を犯罪者とする「犯罪者」であり、かつまた無実の人を獄につなぐ「拉致・監禁犯」であり、処刑する「人殺し」でもある。
それだけに、検察官は「秋霜烈日」のバッジを身につけ、厳しく自己を鍛え律することが求められるが、現実は出鱈目かつ上の指示通りに動いての検察一体の官僚検察官の輩出のみが見受けられる。
そいつらの、被害にあったものは「たまったものじゃない」。
検察をいったん解体して、あらたな理念による組織の再編成が緊急に求められるであろう。
教頭、校長は出口に押し出そうとする。
(続)
※ 顛末記の過去ログは、
顛末記(6) http://wind.ap.teacup.com/people/4049.html
顛末記(5) http://wind.ap.teacup.com/people/4030.html
顛末記(4) http://wind.ap.teacup.com/people/4011.html
顛末記(3) http://wind.ap.teacup.com/people/3892.html
顛末記(2) http://wind.ap.teacup.com/people/3872.html
顛末記(1) http://wind.ap.teacup.com/people/3853.html
20回くらいの連載になる予定です。
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