◆ <検定問題ー3>「請願権」の正しい記述(公民)は教育出版だけ!
皆さま 高嶋伸欣です
検定済みの各社教科書を見ていて、頭に血が上りました。公民教科書で「請願権」を保証した憲法16条の「何人も」の意味を「年齢や国籍に関係なく」と正しく記述しているのは、教育出版のものだけなのです。
それも、調べてみたら今回だけではないのです。高校の「政治・経済」の教科書も同様です。
これまで、中学の公民、高校の政治・経済の教科書執筆者・編集者や検定官はなにをしていたのだ!と思いつつ、私も専科制で担当ではなかったとはいえ、社会科担当としては責任があるという思いです。
それにしても、これらの教科書を使っていた教員は結果的に生徒に誤った知識を植え付けてきたことについて問われることになりそうです。どうするのか、議論を急ぐ必要がありそうです。
憲法にある「何人も」とは、前出のように国籍や年齢に関係なくという意味のはずです。それを大半の教科書は「国民は」という説明になっているのです。これでは「在日外国人問題を考えよう」などと言っても、上滑りにしかなりません。
それだけ社会科教育では請願権を重視する姿勢が欠けていたのだと思えます。私は、投票権とともに役所に対して様々な要請や官僚の責任追及ができる権利であるとして国民主権を具体化している極めて重要なものと、思っています。
憲法の「何人も」という広汎な規定に加え、その権利を具体的に保障した「請願法」も簡便な手順で役所に請願ができる、と規定しています。
制約を法的に定めているのは国会法と地方自治法だけで、それぞれ議会(議長あて)の請願は議員の紹介が必要という規定が適用されるというだけです。
従って、他の役所は請願については、ともかく受理して「誠実に処理しなければならない」(請願法第5条)のです。ですから、役所(教育委員会も)は「これは請願法に基づく請願文書です」と言われたら、きわめて緊張することになるはずです。
ところが、東京都杉並区の教育委員会は勝手に委員会議規則として、請願は「委員の紹介により」「提出しなければならない」という規定を数十年前から策定していたのです。私は、数年前に故郷の杉並区に戻り、教育委員会に教科書問題で請願文書を提出したところで、この規定のために担当者から拒否されました。後日、区議のあっせんで担当課長と改めての話合いになりましたが、物別れでした。杉並区教委はこの規定を今も存続させています。
このような憲法違反の規定が数十年間も放置されていたこと自体、杉並区内の主権在民認識に欠けたものがあったことの証だと、残念に思っています。この件については、時期を見て法的な対抗措置をするつもりです。その折にはまた報告します。
ともあれ、こうしたことがあったので、今回の検定結果点検の一つとして「請願権」記述に注目したところ、冒頭のように教育出版以外はみな落第であることが判明した、という次第です。
その結果を受けて教科書会社には、連絡をしました。見本本印刷前の訂正申請で修正をしたかどうか、各社の見本本が出てきたところで確認をしてみるつもりです。
見本本を販売している育鵬社版では、早くも確認ができました。訂正がされていません!
従って「育鵬社版の公民は憲法にある請願権の内容を正しく記述していない」ことになります。
改めてこの「何人も」「請願する権利を有する」という16条の規定を見ていると、思い起こされるのは「五日市憲法」の49条です。「凡ソ日本国ニ在居スル人民ハ内外国人ヲ論ゼズ其身体生命財産名誉ヲ保固ス」とあります。「今の日本国憲法よりも進んでいるね」と高校の授業で生徒と話したことを覚えています。
この条項を、中学歴史教科書の清水書院版は、五日市憲法を紹介したコラムの中に掲げています。ところが、育鵬社歴史教科書では、五日市憲法のコラムを設けながら、そこに引用されている条文は第1条で、万世一系の天皇が日本の帝位であるとしたものです。育鵬社版が歴史・公民教科書でどんな社会観を生徒に植え付けようとしているのかが、この部分からも分かります。
この話題にはまだ関連した事柄がありますが、長くなるので今回はここまでにします。
*ここまでの内容に該当する各教科書の記述や請願法の条文なども、明日(4/29)の横浜の集会で私が報告する資料の中に収録してあります。先の海峡の公海の話題の資料と共に集会で配ります。
遠方の方でこれら資料の入手を希望される場合は、送付先の郵便番号・住所・氏名をなるべく個人メールでお知らせ下さい。先の資料と一緒ですので、先の資料を申し込まれたかたは必要ありません。
これも文責 高嶋です 転載・拡散は自由です
皆さま 高嶋伸欣です
検定済みの各社教科書を見ていて、頭に血が上りました。公民教科書で「請願権」を保証した憲法16条の「何人も」の意味を「年齢や国籍に関係なく」と正しく記述しているのは、教育出版のものだけなのです。
それも、調べてみたら今回だけではないのです。高校の「政治・経済」の教科書も同様です。
これまで、中学の公民、高校の政治・経済の教科書執筆者・編集者や検定官はなにをしていたのだ!と思いつつ、私も専科制で担当ではなかったとはいえ、社会科担当としては責任があるという思いです。
それにしても、これらの教科書を使っていた教員は結果的に生徒に誤った知識を植え付けてきたことについて問われることになりそうです。どうするのか、議論を急ぐ必要がありそうです。
憲法にある「何人も」とは、前出のように国籍や年齢に関係なくという意味のはずです。それを大半の教科書は「国民は」という説明になっているのです。これでは「在日外国人問題を考えよう」などと言っても、上滑りにしかなりません。
それだけ社会科教育では請願権を重視する姿勢が欠けていたのだと思えます。私は、投票権とともに役所に対して様々な要請や官僚の責任追及ができる権利であるとして国民主権を具体化している極めて重要なものと、思っています。
憲法の「何人も」という広汎な規定に加え、その権利を具体的に保障した「請願法」も簡便な手順で役所に請願ができる、と規定しています。
制約を法的に定めているのは国会法と地方自治法だけで、それぞれ議会(議長あて)の請願は議員の紹介が必要という規定が適用されるというだけです。
従って、他の役所は請願については、ともかく受理して「誠実に処理しなければならない」(請願法第5条)のです。ですから、役所(教育委員会も)は「これは請願法に基づく請願文書です」と言われたら、きわめて緊張することになるはずです。
ところが、東京都杉並区の教育委員会は勝手に委員会議規則として、請願は「委員の紹介により」「提出しなければならない」という規定を数十年前から策定していたのです。私は、数年前に故郷の杉並区に戻り、教育委員会に教科書問題で請願文書を提出したところで、この規定のために担当者から拒否されました。後日、区議のあっせんで担当課長と改めての話合いになりましたが、物別れでした。杉並区教委はこの規定を今も存続させています。
このような憲法違反の規定が数十年間も放置されていたこと自体、杉並区内の主権在民認識に欠けたものがあったことの証だと、残念に思っています。この件については、時期を見て法的な対抗措置をするつもりです。その折にはまた報告します。
ともあれ、こうしたことがあったので、今回の検定結果点検の一つとして「請願権」記述に注目したところ、冒頭のように教育出版以外はみな落第であることが判明した、という次第です。
その結果を受けて教科書会社には、連絡をしました。見本本印刷前の訂正申請で修正をしたかどうか、各社の見本本が出てきたところで確認をしてみるつもりです。
見本本を販売している育鵬社版では、早くも確認ができました。訂正がされていません!
従って「育鵬社版の公民は憲法にある請願権の内容を正しく記述していない」ことになります。
改めてこの「何人も」「請願する権利を有する」という16条の規定を見ていると、思い起こされるのは「五日市憲法」の49条です。「凡ソ日本国ニ在居スル人民ハ内外国人ヲ論ゼズ其身体生命財産名誉ヲ保固ス」とあります。「今の日本国憲法よりも進んでいるね」と高校の授業で生徒と話したことを覚えています。
この条項を、中学歴史教科書の清水書院版は、五日市憲法を紹介したコラムの中に掲げています。ところが、育鵬社歴史教科書では、五日市憲法のコラムを設けながら、そこに引用されている条文は第1条で、万世一系の天皇が日本の帝位であるとしたものです。育鵬社版が歴史・公民教科書でどんな社会観を生徒に植え付けようとしているのかが、この部分からも分かります。
この話題にはまだ関連した事柄がありますが、長くなるので今回はここまでにします。
*ここまでの内容に該当する各教科書の記述や請願法の条文なども、明日(4/29)の横浜の集会で私が報告する資料の中に収録してあります。先の海峡の公海の話題の資料と共に集会で配ります。
遠方の方でこれら資料の入手を希望される場合は、送付先の郵便番号・住所・氏名をなるべく個人メールでお知らせ下さい。先の資料と一緒ですので、先の資料を申し込まれたかたは必要ありません。
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