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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

福島原発事故東電刑事裁判 東京地裁無罪判決批判

2019年09月25日 | フクシマ原発震災
 ◆ 奴隷の言葉 (東京新聞【本音のコラム】)
鎌田 慧(かまたさとし・ルポライター)

 十九日の東電元幹部三人への東京地裁無罪判決について、遅ればせながら書いておきたい。
 政府と電力会社は原発を「未来」「クリーン」「安全」と、カネやタイコで煽(あお)ってきた。判決「結語」は「本件事故の結果は誠に重大で取り返しのつかないもの」と言いつつ、重ねてこう言う。
 法令上の規制や国の指針、安全基準では「絶対的安全性の確保までを前提にしていなかった」。だから事故の「予見可能性の有無にかかわらず、当然に刑事責任を負うということにはならない」。
 これでは尻抜け、なんの突っ張りにもならない。
 一九九二年の伊方原発最高裁判決では「万が一にも起きないように」が稼働条件だった。
 事故後の避難者だけでも四十四人が死亡、十三人が負傷、これから子どもや被曝(ひばく)労働者にどれだけの症状がでるかわからない。
 しかし、判決は「絶対的な安全は求めない」という。

 また「重大で取り返しのつかない」事故が起きても「刑事責任を負うことにはならない」
 何故(なせ)か。「発電所の運転には小さくない社会的有用性が認められ」る。
 だから「結果の重大性を強調するあまり」原発の設置、運転に携わる者に「不可能を強いる」な
 「私たちの社会は何故このような判決を生みだしたのか」(武藤類子原発告訴団長)。ああ、この化け物を裁ける者はどこにもいないのか。
『東京新聞』(2019年9月24日【本音のコラム】)

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