◆ デジタル教科書は教育現場に何をもたらすか (教科書ネット21)
◆ ザリガニのタブレット画
少し前になるが、都内の小学校で行われた「IT機器を使った公開研究会」で、「ザリガニの観察をしよう」という低学年の生活科の授業を見たことがある。
ひとりひとりの子どもたちが教室で飼っているアメリカザリガニを観察してその様子をタブレットに描き、電子黒板で発表するというものだったが、電子黒板に映し出されたザリガニの絵を見て唖然とした覚えがある。
私もザリガニの授業をしたことがあるが、子どもたちはザリガニの大きなはさみやかたい殻を触って手に触れたトゲのひとつひとつまでを鉛筆の線画で克明に描いて、子どもたちの鋭い観察眼に驚かされたものである。
そういう作品を見慣れてきた目で見たこの日のザリガニの絵は、タブレットに付いているタッチペンで描かれた太い線の輪郭をデジタル特有の単色で塗りつぶしたイラスト画のようなものだった。
子どもたちが表現したかったザリガニの細かな色のニュアンスや触った感触などが、タブレット画では描くことが不可能だったのである。
おまけに、この後「ザリガニの体の色は次のうちのどれでしょう。A 赤 B 茶色 C 黄色」という三択問題まで出されたものだから、赤の単色で描いた子ども、茶色や黄色の単色で描いた子どもと教室が完全に分かれてしまい、「体の場所によって少しずつ色は違うよ」という意見はかき消されてしまった。
ザリガニは体の部位によっても成長の度合いによっても微妙に色が違うのだが、デジタルの単色で描いた絵ではそうしたことは問題にされなくなってしまったのである。
◆ 「新しい時代の教科書」
文科省は「『デジタル教科書』の位置付けに関する検討会議」で、次期学習指導要領が実施される2020年度に向けてデジタル教科書を全国の小中学校、高校で導入する方針を決め、来年度にも法改正して教科書として位置づける方向で作業を進めている。
デジタル教科書は、これまで使われてきた紙の教科書の内容をデジタル化して、パソコンやタブレットなどの端末で使えるようにしたもので、伝統的な「紙と鉛筆の授業」に代わる「新しい時代の教科書」という売り文句で教育現場に持ち込まれようとしているものである。
すでに、教科書各社はデジタル教科書やデジタル教材の出版を開始して、その一部はネット上でも紹介されている。
また、いくつかの自治体では子どもたちにタブレットを持たせ、電子黒板と連動させてデジタル教科書を使った授業が行われ、それが昨今流行りの「アクティブ・ラーニングの先進例」としてもてはやされている。
そんな折、出版労連の出版研究集会で「本格導入に向けて動き出したデジタル教科書一期待と懸念」というテーマの分科会が行われたので、その内容を紹介しながらこの問題を考えたい。
◆ 「虚構の映像」
集会のはじめに、デジタル教科書の実物の紹介があった。
参加者の大半は実際に目にするのは初めてだったから、従来の文字と写真だけの紙の教科書と違って、動画や音声などがプロジェクターで映し出される様子に驚いたり感心したり。
私自身、理科の授業でライオンの捕食行動や皆既日食の様子を子どもたちに見せたくて、自分でテレビ映像を録画・編集したものを使ったり教材作りに苦労した経験があったから、クリックひとつで動画が投影できるこうした教材はなかなか興味をひかれるものがあった。
集会では、文科省の「検討会議」のヒアリングに参加した「理数系学会教育問題連絡会」の委員の方から報告があり、とくに「デジタル教科書の活用に向けて活動する際に配慮すべき事項」をまとめた以下9項目からなる「チェックリストの提案」は、ひとつひとつ注目すべき内容を含んだものだった。
「デジタル教科書の導入が、手を動かして実験や観察を行う時間の縮減につながらないこと」
「虚構の映像を視聴させることのみで科学的事項の学習とすることが無いこと」
「児童・生徒が紙と筆記用具を使って考えながら作図や計算を進める活動の縮減につながらないこと」
「児童・生徒が自らの手と頭を働かせて授業内容を記録し整理する活動の縮減につながらないこと」(以下略)。
冒頭に紹介した「ザリガニの観察」の授業は、デジタル教科書を使用したものではないが、学校現場に浸透し始めたデジタル機器によってこの「チェックリスト」が懸念している「手を動かした実験や観察」や「紙と筆記用具」にとって代わった「虚構の映像」が、低学年の子どもたちにとって必要な五感を育てる活動を殺いでしまっているのではないかとつながった思いがした。
◆ 教育研究の自由と時間の保障こそ
たしかにデジタル教科書は、動画や音声を提供できる教材として「紙の教科書」にはないすぐれた面もある。
その一方で、タブレット機器などを長時間使用することで子どもの視力などに悪影響を及ぼすのではないかなどの懸念も指摘されている。
使う側の教員にとっても、情報量が多い分、授業の流れや黒板の書き方、子どもたちへの指示の仕方に至るまで、すべてこのソフトに従えば特別な教材研究をしなくても“手軽に”授業ができるようになってしまうこわさがある。
とくに、現在のように教員が雑務に追われ教材研究や授業の準備も困難になっていることが常態化している中では、こうした心配が現実のものとなることは目に見えている。
また、ネットワーク環境とつなげることによって、個々の教員の1時間1時間の授業自体が一元的に管理される危険も考えられる。
かつて学校現場で使われていたOHP(オーバーヘッドプロジェクター)という機器がある。いまはそれを使った経験があったり、そもそもこの機器の名前を知っている教員もほとんどいなくなり、多くの学校の教材室で埃をかぶっているが、透明なシートに書かれた文字や絵を反射鏡を通してスクリーンに映し出すこの機器が導入された頃は、「OHPを使った授業」がどこでももてはやされ、それを使わない授業は時代遅れとばかりに言われたものである。
その後もパソコンや電子黒板が各学校に置かれるようになると「IT機器を使った授業」、そして今度は「デジタル教科書を使った授業」が教育委員会や管理職などから奨励され・そのための研修会に教員が動員される。
◆ 授業を通して子どもたちに何を獲得させるのか
OHPであれ、パソコンであれ、デジタル教科書であれ、どれも教育機器のひとつであり、それぞれの特性を使いながら効果的な使い方をしてゆけばよい。それは、「紙の教科書」も同様である。
大切なことは、授業を通して子どもたちに何を獲得させるかを教員自身が自由に研究し、実践できる精神的・物理的な環境を保障することである。そのことを抜きにして、デジタル教科書がひとり歩きすることではない。この集会に参加して、改めてその思いを強くした。
参考:出版側から見たデジタル教科書の問題点については『教科書レポート2016』(出版労連)をご覧いただきたい。
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 111号』(2016.12)
小佐野正樹(科学教育研究協議会)
◆ ザリガニのタブレット画
少し前になるが、都内の小学校で行われた「IT機器を使った公開研究会」で、「ザリガニの観察をしよう」という低学年の生活科の授業を見たことがある。
ひとりひとりの子どもたちが教室で飼っているアメリカザリガニを観察してその様子をタブレットに描き、電子黒板で発表するというものだったが、電子黒板に映し出されたザリガニの絵を見て唖然とした覚えがある。
私もザリガニの授業をしたことがあるが、子どもたちはザリガニの大きなはさみやかたい殻を触って手に触れたトゲのひとつひとつまでを鉛筆の線画で克明に描いて、子どもたちの鋭い観察眼に驚かされたものである。
そういう作品を見慣れてきた目で見たこの日のザリガニの絵は、タブレットに付いているタッチペンで描かれた太い線の輪郭をデジタル特有の単色で塗りつぶしたイラスト画のようなものだった。
子どもたちが表現したかったザリガニの細かな色のニュアンスや触った感触などが、タブレット画では描くことが不可能だったのである。
おまけに、この後「ザリガニの体の色は次のうちのどれでしょう。A 赤 B 茶色 C 黄色」という三択問題まで出されたものだから、赤の単色で描いた子ども、茶色や黄色の単色で描いた子どもと教室が完全に分かれてしまい、「体の場所によって少しずつ色は違うよ」という意見はかき消されてしまった。
ザリガニは体の部位によっても成長の度合いによっても微妙に色が違うのだが、デジタルの単色で描いた絵ではそうしたことは問題にされなくなってしまったのである。
◆ 「新しい時代の教科書」
文科省は「『デジタル教科書』の位置付けに関する検討会議」で、次期学習指導要領が実施される2020年度に向けてデジタル教科書を全国の小中学校、高校で導入する方針を決め、来年度にも法改正して教科書として位置づける方向で作業を進めている。
デジタル教科書は、これまで使われてきた紙の教科書の内容をデジタル化して、パソコンやタブレットなどの端末で使えるようにしたもので、伝統的な「紙と鉛筆の授業」に代わる「新しい時代の教科書」という売り文句で教育現場に持ち込まれようとしているものである。
すでに、教科書各社はデジタル教科書やデジタル教材の出版を開始して、その一部はネット上でも紹介されている。
また、いくつかの自治体では子どもたちにタブレットを持たせ、電子黒板と連動させてデジタル教科書を使った授業が行われ、それが昨今流行りの「アクティブ・ラーニングの先進例」としてもてはやされている。
そんな折、出版労連の出版研究集会で「本格導入に向けて動き出したデジタル教科書一期待と懸念」というテーマの分科会が行われたので、その内容を紹介しながらこの問題を考えたい。
◆ 「虚構の映像」
集会のはじめに、デジタル教科書の実物の紹介があった。
参加者の大半は実際に目にするのは初めてだったから、従来の文字と写真だけの紙の教科書と違って、動画や音声などがプロジェクターで映し出される様子に驚いたり感心したり。
私自身、理科の授業でライオンの捕食行動や皆既日食の様子を子どもたちに見せたくて、自分でテレビ映像を録画・編集したものを使ったり教材作りに苦労した経験があったから、クリックひとつで動画が投影できるこうした教材はなかなか興味をひかれるものがあった。
集会では、文科省の「検討会議」のヒアリングに参加した「理数系学会教育問題連絡会」の委員の方から報告があり、とくに「デジタル教科書の活用に向けて活動する際に配慮すべき事項」をまとめた以下9項目からなる「チェックリストの提案」は、ひとつひとつ注目すべき内容を含んだものだった。
「デジタル教科書の導入が、手を動かして実験や観察を行う時間の縮減につながらないこと」
「虚構の映像を視聴させることのみで科学的事項の学習とすることが無いこと」
「児童・生徒が紙と筆記用具を使って考えながら作図や計算を進める活動の縮減につながらないこと」
「児童・生徒が自らの手と頭を働かせて授業内容を記録し整理する活動の縮減につながらないこと」(以下略)。
冒頭に紹介した「ザリガニの観察」の授業は、デジタル教科書を使用したものではないが、学校現場に浸透し始めたデジタル機器によってこの「チェックリスト」が懸念している「手を動かした実験や観察」や「紙と筆記用具」にとって代わった「虚構の映像」が、低学年の子どもたちにとって必要な五感を育てる活動を殺いでしまっているのではないかとつながった思いがした。
◆ 教育研究の自由と時間の保障こそ
たしかにデジタル教科書は、動画や音声を提供できる教材として「紙の教科書」にはないすぐれた面もある。
その一方で、タブレット機器などを長時間使用することで子どもの視力などに悪影響を及ぼすのではないかなどの懸念も指摘されている。
使う側の教員にとっても、情報量が多い分、授業の流れや黒板の書き方、子どもたちへの指示の仕方に至るまで、すべてこのソフトに従えば特別な教材研究をしなくても“手軽に”授業ができるようになってしまうこわさがある。
とくに、現在のように教員が雑務に追われ教材研究や授業の準備も困難になっていることが常態化している中では、こうした心配が現実のものとなることは目に見えている。
また、ネットワーク環境とつなげることによって、個々の教員の1時間1時間の授業自体が一元的に管理される危険も考えられる。
かつて学校現場で使われていたOHP(オーバーヘッドプロジェクター)という機器がある。いまはそれを使った経験があったり、そもそもこの機器の名前を知っている教員もほとんどいなくなり、多くの学校の教材室で埃をかぶっているが、透明なシートに書かれた文字や絵を反射鏡を通してスクリーンに映し出すこの機器が導入された頃は、「OHPを使った授業」がどこでももてはやされ、それを使わない授業は時代遅れとばかりに言われたものである。
その後もパソコンや電子黒板が各学校に置かれるようになると「IT機器を使った授業」、そして今度は「デジタル教科書を使った授業」が教育委員会や管理職などから奨励され・そのための研修会に教員が動員される。
◆ 授業を通して子どもたちに何を獲得させるのか
OHPであれ、パソコンであれ、デジタル教科書であれ、どれも教育機器のひとつであり、それぞれの特性を使いながら効果的な使い方をしてゆけばよい。それは、「紙の教科書」も同様である。
大切なことは、授業を通して子どもたちに何を獲得させるかを教員自身が自由に研究し、実践できる精神的・物理的な環境を保障することである。そのことを抜きにして、デジタル教科書がひとり歩きすることではない。この集会に参加して、改めてその思いを強くした。
参考:出版側から見たデジタル教科書の問題点については『教科書レポート2016』(出版労連)をご覧いただきたい。
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 111号』(2016.12)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます