〔初めに有罪ありき〕
◎ 権力がデッチ上げた「板橋高校卒業式」刑事弾圧 <2>
「ハト」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
〈「警備法廷」 一審、東京地裁の経緯〉
藤田裁判の第一回公判は、2005年4月21日、東京地裁の一番大きな104号法廷で開かれた。裁判長は村瀬均。傍聴者が驚いたのは、厳重な警備体制であった。そのような法廷を「警備法廷」といい、裁判長が指定するとのこと。地裁入口で金属探知機で調べられた後、法廷前で、荷物を職員に渡すことを強要され、うす暗く狭い廊下で長く待たされる。やっと、許されて法廷に入ると、藤田さん、代理人、検察官がすでに着席していて、一段高いところから裁判官たちがジロジロとにらみつける。通常は一人なのに、藤田裁判では、前後左右に警備員が配置される。異常極まりない、威圧的な法廷であった。
一審は、翌2006年3月23日に結審するまで、13回の公判が開かれ、検察は不当にも、「懲役8カ月」を求刑してきた。
藤田さん側からは、保護者、卒業生、同僚など多数の証人が立ったが、検察側からも、警察官、都教委役人、北爪校長、田中教頭、二人の同校教員が証言した。
判決は、2006年5月30日、「罰金20万円」の有罪判決だった。判決では、藤田さん側証人の証言は「信用できない」とすべて切り捨て、検察側証人の田中教頭の「制止した」との虚偽証言を全面的に採用した。その前提として、検察側提出の「ICレコーダー」、TBS報道の「喧騒」音が、「事実認定」の根拠に悪用された。
ただ、村瀬裁判長は、判決の中で、藤田さんについて、「卒業式の妨害を目的としていない」「定年まで職責を果たしてきた」など、一定の評価をした。この点で、高裁の須田裁判長は「その犯情にかんがみると」など藤田さんに対する悪意に満ちており、大きな違いがあった。
〈「国策裁判」だ!のヤジ 二審、東京高裁の経緯〉
藤田裁判の判決後、2006年9月21日、東京地裁の難波孝一裁判長は予防訴訟一審判決で、原告勝訴の画期的な判決を出した。藤田裁判弁護団はこれに力を受け、「10.23通達」の不当性を追及して、藤田さんの行動の「正当行為」「正当防衛」を主張する方針をたてた。結果的に、東京高裁・須田裁判長は、これを全否定する「判決」を出した。
控訴審の第一回公判は、2007年10月2日開かれた。一審同様、高裁の一番大きな102号法廷で開かれた。裁判長は須田まさる。控訴審では、卒業式参列の保護者Mさんが証言し、田中教頭の虚偽証言を暴いた。また、曽根威彦・早大教授が刑法学専門の立場から、「威力業務妨害罪」の「構成要件該当性」を欠いており、「本来であれば、およそ刑事「事件」の名に値するような事案ではない。」「行為の外形を超えて、刑事事件が思想的、政治的言論抑圧の手段として利用されるとき、民主主義社会は崩壊の危機に陥る」と、検察を厳しく批判する証言を行った。一審ならば判決に重大な影響をもたらしたこれらの証言は、残念ながら、控訴審では無視された。東京高裁は初めから構えていたのだ。
翌2008年3月13日の第四回公判で結審となり、同年5月29日、「控訴棄却」の不当判決が言い渡された。一審同様、傍聴席は「裁判長が退廷をうながしても、すぐ立とうとする人はなく、「国策裁判」「暗黒裁判」との声がやまなかった」(鎌田慧、東京新聞「本音のコラム」6月3日→クリック)。
〈「教頭は、空中を飛んだのか?」 悪質な「高裁」判決〉
控訴審判決は一審判決に比して、より悪質であった。「判決」は、時間を特定するために時速何キロとか「科学性」を装うが、たとえば、田中教頭が校長室を出たのは「9時40分」としながら、他の記述では「9時39分44秒」に式場に到着、になる。藤田さんから「教頭は、空中を飛んだのか?」と揶揄・批判されるでたらめさだ。何が何でも、田中教頭の「制止行為」があったという偽証を維持する小細工に、「ICレコーダー」が一審以上に最大限悪用された。
また、「判決」は、「10.23通達」の判断に「高裁」判決としては初めて踏み込み、ピアノ判決を引いて「合憲」とした。そして、「業務妨害」を正当化するために、「校長の管理権」=「他者の権利」を侵害した、と言い立てる。一審判決ではなかった理屈建てで、高裁のこの理屈が最高裁で全面的に採用された。結局、立川反戦ビラ入れ事件などと同じように、憲法21条「表現の自由」よりも、「校長の管理権」の方が法規範として優先されるという、許しがたい内容である。
〈「大声で呼びかけ」が「威力業務妨害」〉
一審とともに、二審でも、藤田さんの行為を「威力業務妨害罪」が成立すると判断した。
藤田さんの行為のどこに、「威力」が用いられ、「業務」が妨害され、「故意」があったというのか。
判決は、「呼びかけ」が校長らに対応を余儀なくさせたので「威力」に該当するといい、「業務」とは卒業式を厳粛に遂行することが校長・教頭の職務であり、大声で抗議したり怒鳴ったことが、「卒業式の遂行を阻害するおそれがあった」「式が2分遅れた」とあげつらう。
「故意」については藤田さんが「卒業式の遂行を妨害するおそれ」について「認識を有していたと推認」できる、というのみだ。
何のことはない、すべて権力側(当局側)にたった一方的な「推測」・「推認」でしかない。こんなことが認められるなら、全ての批判的言動は、「威力業務妨害罪」の名の下に、封殺されることになる。
この判決の怖さがここにある。「表現の自由」どころか、「批判的見解」の禁圧である。最高裁判決も、基本的にこれを踏襲し、「被告人が大声や怒号を発するなどして,同校が主催する卒業式の円滑な遂行を妨げたことは明らかであるから,被告人の本件行為は,威力を用いて他人の業務を妨害したものというべきであり,威力業務妨害罪の構成要件に該当する。」と決めつける。「大声でよびかけた」ことが「威力業務妨害罪」に当たる、という新しい判例であり、今後に大きな禍根を残すことになった。
(続)
『藤田先生を応援する会通信』(2011/8/23 第49最終号)
◎ 権力がデッチ上げた「板橋高校卒業式」刑事弾圧 <2>
藤田先生を応援する会・金子潔
「ハト」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
〈「警備法廷」 一審、東京地裁の経緯〉
藤田裁判の第一回公判は、2005年4月21日、東京地裁の一番大きな104号法廷で開かれた。裁判長は村瀬均。傍聴者が驚いたのは、厳重な警備体制であった。そのような法廷を「警備法廷」といい、裁判長が指定するとのこと。地裁入口で金属探知機で調べられた後、法廷前で、荷物を職員に渡すことを強要され、うす暗く狭い廊下で長く待たされる。やっと、許されて法廷に入ると、藤田さん、代理人、検察官がすでに着席していて、一段高いところから裁判官たちがジロジロとにらみつける。通常は一人なのに、藤田裁判では、前後左右に警備員が配置される。異常極まりない、威圧的な法廷であった。
一審は、翌2006年3月23日に結審するまで、13回の公判が開かれ、検察は不当にも、「懲役8カ月」を求刑してきた。
藤田さん側からは、保護者、卒業生、同僚など多数の証人が立ったが、検察側からも、警察官、都教委役人、北爪校長、田中教頭、二人の同校教員が証言した。
判決は、2006年5月30日、「罰金20万円」の有罪判決だった。判決では、藤田さん側証人の証言は「信用できない」とすべて切り捨て、検察側証人の田中教頭の「制止した」との虚偽証言を全面的に採用した。その前提として、検察側提出の「ICレコーダー」、TBS報道の「喧騒」音が、「事実認定」の根拠に悪用された。
ただ、村瀬裁判長は、判決の中で、藤田さんについて、「卒業式の妨害を目的としていない」「定年まで職責を果たしてきた」など、一定の評価をした。この点で、高裁の須田裁判長は「その犯情にかんがみると」など藤田さんに対する悪意に満ちており、大きな違いがあった。
〈「国策裁判」だ!のヤジ 二審、東京高裁の経緯〉
藤田裁判の判決後、2006年9月21日、東京地裁の難波孝一裁判長は予防訴訟一審判決で、原告勝訴の画期的な判決を出した。藤田裁判弁護団はこれに力を受け、「10.23通達」の不当性を追及して、藤田さんの行動の「正当行為」「正当防衛」を主張する方針をたてた。結果的に、東京高裁・須田裁判長は、これを全否定する「判決」を出した。
控訴審の第一回公判は、2007年10月2日開かれた。一審同様、高裁の一番大きな102号法廷で開かれた。裁判長は須田まさる。控訴審では、卒業式参列の保護者Mさんが証言し、田中教頭の虚偽証言を暴いた。また、曽根威彦・早大教授が刑法学専門の立場から、「威力業務妨害罪」の「構成要件該当性」を欠いており、「本来であれば、およそ刑事「事件」の名に値するような事案ではない。」「行為の外形を超えて、刑事事件が思想的、政治的言論抑圧の手段として利用されるとき、民主主義社会は崩壊の危機に陥る」と、検察を厳しく批判する証言を行った。一審ならば判決に重大な影響をもたらしたこれらの証言は、残念ながら、控訴審では無視された。東京高裁は初めから構えていたのだ。
翌2008年3月13日の第四回公判で結審となり、同年5月29日、「控訴棄却」の不当判決が言い渡された。一審同様、傍聴席は「裁判長が退廷をうながしても、すぐ立とうとする人はなく、「国策裁判」「暗黒裁判」との声がやまなかった」(鎌田慧、東京新聞「本音のコラム」6月3日→クリック)。
〈「教頭は、空中を飛んだのか?」 悪質な「高裁」判決〉
控訴審判決は一審判決に比して、より悪質であった。「判決」は、時間を特定するために時速何キロとか「科学性」を装うが、たとえば、田中教頭が校長室を出たのは「9時40分」としながら、他の記述では「9時39分44秒」に式場に到着、になる。藤田さんから「教頭は、空中を飛んだのか?」と揶揄・批判されるでたらめさだ。何が何でも、田中教頭の「制止行為」があったという偽証を維持する小細工に、「ICレコーダー」が一審以上に最大限悪用された。
また、「判決」は、「10.23通達」の判断に「高裁」判決としては初めて踏み込み、ピアノ判決を引いて「合憲」とした。そして、「業務妨害」を正当化するために、「校長の管理権」=「他者の権利」を侵害した、と言い立てる。一審判決ではなかった理屈建てで、高裁のこの理屈が最高裁で全面的に採用された。結局、立川反戦ビラ入れ事件などと同じように、憲法21条「表現の自由」よりも、「校長の管理権」の方が法規範として優先されるという、許しがたい内容である。
〈「大声で呼びかけ」が「威力業務妨害」〉
一審とともに、二審でも、藤田さんの行為を「威力業務妨害罪」が成立すると判断した。
藤田さんの行為のどこに、「威力」が用いられ、「業務」が妨害され、「故意」があったというのか。
判決は、「呼びかけ」が校長らに対応を余儀なくさせたので「威力」に該当するといい、「業務」とは卒業式を厳粛に遂行することが校長・教頭の職務であり、大声で抗議したり怒鳴ったことが、「卒業式の遂行を阻害するおそれがあった」「式が2分遅れた」とあげつらう。
「故意」については藤田さんが「卒業式の遂行を妨害するおそれ」について「認識を有していたと推認」できる、というのみだ。
何のことはない、すべて権力側(当局側)にたった一方的な「推測」・「推認」でしかない。こんなことが認められるなら、全ての批判的言動は、「威力業務妨害罪」の名の下に、封殺されることになる。
この判決の怖さがここにある。「表現の自由」どころか、「批判的見解」の禁圧である。最高裁判決も、基本的にこれを踏襲し、「被告人が大声や怒号を発するなどして,同校が主催する卒業式の円滑な遂行を妨げたことは明らかであるから,被告人の本件行為は,威力を用いて他人の業務を妨害したものというべきであり,威力業務妨害罪の構成要件に該当する。」と決めつける。「大声でよびかけた」ことが「威力業務妨害罪」に当たる、という新しい判例であり、今後に大きな禍根を残すことになった。
(続)
『藤田先生を応援する会通信』(2011/8/23 第49最終号)
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