=12月集会in2020・憲法と教育の改悪を許さない!=
◆ 子どもの学習権・教員の専門性を保障した教育と少人数学級の実現を (『リベルテ』から)
昨年12月19日(土)、エデュカス東京で「12月集会 in 2020・憲法と教育の改悪を許さない!」が開催されました。集会は二部構成で、第一部は小・中・高・特支・大学という各学校現場や「日の君」強制反対・教科書採択という各運動からの報告がなされ、第二部は、それを受けて、前川喜平さん(元・文部科学事務次官)と児美川孝一郎さん(法政大学教授)との対談が行われました。対談は、主に児美川さんが論点整理をしながら問題提起をし、前川さんがそれにこたえるという形で進みました。その概要を「リベルテ」編集部の責任においてまとめました。
以下、Kは児美川さん、Mは前川さんのことで
す。
【第一部を聴いて】
K 第一部の感想は?
M 本当に勉強になりましした。私は4年前に文科省をやめました。気持ちは皆さんと近い。38年間も気持ちと合わない組織にいた。日の丸・君が代については、教職員であれ生徒であれ、強制するのは思想・良心の自由に反することで、東京都のやり方はひどすぎます。それぞれ現場の話がよくわかりました。
安倍さんと菅さんはやり方が違います。菅さんは馬脚が見えてきた。私が期待しているのは自民党の内紛ですが。世の中が変わっていく可能性が来年はあるんじゃないかと、報告を聴いて思いました。
K 違うというのは?
M 安倍さんの方がわかりやすい、憲法に関しては、安倍さんは正面から捻じ曲げようとしていた。菅さんは裏から壊そうとしている。
K 怖いというか手ごわい。
M 安倍政権が8年も続いたのは、菅さんのおかげです。菅さんが政権の基盤を固めていた、役人は全部飼いならした。菅さんは権力のためには手段を選ばないところが怖い。
K 文科省からみて東京はどう見えていたでしょうか。
M 東京と大阪はおかしい、文科省よりも官僚的で硬直的で右翼的。地方自治は知事が議会の支援を得ると怖いものなしで、知事がその気になると教育はどんどん偏っていく。それが東京や大阪では如実に表れた。
【35人学級実現と次の課題】
K まずはホットな話題。一つは、35人学級、1年生だけだったのを6年生まで実施すると決着、この動きをどう見たらよいか?
M 今回文科省は頑張った。ずっと少人数学級化は追求していましたが、財務省を崩せなかった。それがコロナ対応で少人数学級の必要性が見えてきたこともあり、知事や市長、現場の先生、教育学の先生たちも声をあげてくださった。もう一つ大きな要素はコロナ対策で財政規律が崩壊し、財務省が弱っていた。小中30人まで行きたかったですが、次の課題として足掛かりはつけた。中学校に関しては後半戦になる。
今回2年生から6年生までは5年間です。次の3年計画が当然想定される。そして、2029年から3人学級に踏み出していきたい。文科省の若手よ、頑張れ、と言いたい。萩生田さんは、この点だけは評価します。自民党には少人数学級はダメという人がいますが、萩生田さんは30人学級だと頑張った。
【学術会議、みんなの問題】
K もう一つ、学術会議問題について。
M これは、学者だけの話と考えてはいけない。学問の自由は基本的人権で、小中高いずれの先生も持っているし、小学生や中学生だって持っている。学ぶことはそもそも自由な行為です。教育の現場に直結する問題で、人間のあらゆる自由な精神活動に及んでくる問題です。市民の自由が浸食されていく兆候があることをしっかり見るべきです。
K 学術界ではすごい反応がありましたが、離れると深刻に受け止めてもらえず、それが心配です。ところで、この問題に手を付けたというのは、政府としては確信犯なのでしょうか?
M 菅さんや杉田官房副長官は「学問の自由」を知らないんじゃないか。彼らは法学部ですから憲法を勉強したはずですが、寝ていたんでしょう。憲法は、主権者である国民はみんな知っていなくちゃいけないことです。学術会議についての調査(毎日新聞)で、70代以上の人は49%が問題だと考えている。ところが10代20代の人は17%だけ、若い人たちが学術会議問題について全然認識がない、これは怖い。
K この間、大学改革が進められていて国立大学の法人化からひどくなり私学も大きな影響を受けています。大学改革と学術会議問題、関係ないですか?
M 大学改革と根っこは同じです。私は国立大学法人化の問題に関わっていましたが、独立法人になった方が大学の自治という意味では進歩だろうという考え方もあった。ただそのあと、毎年大学への交付金を効率化係数という美名のもとに減らしていった。法人化と直結する政策ではなかったんですが、財務省に文科省が押されて進められていった。また私学助成も減らされる。競争させられ、そして短期間で成果を出すような研究にしかお金が出にくくなっていった。
【コロナ禍の教育~学校は生存権保障の役割も】
K 次に、コロナ禍に学校・子どもたちが置かれて、学校にどんな役割・意義があるのかを冷静に振り返ってみる必要があります。突然の休校宣言を安倍首相が出しましたが、権限のない人が宣言して日本中がそれに従ったというのはショックでした。あの臨時休校は何だったのか?
M あれは安倍さんが引き起こした人災でした。失政のレベルを超えて、子どもたちにも教職員にも保護者にも災難をもたらした。前日に北海道の鈴木知事が全道一斉休校を発表し評判がよかった。これを全国でという単純な発想だった。総理大臣は、教育委員会・学校に対して指示する法律上の権限はないです。科学的根拠もなかった。当時の専門家会議だって必要だとは言っていない。
5月に日本小児科学会が見解を出し、休校によって子どもたちの心身に与えた悪影響が大きいと言っています。休校の権限は設置者である自治体の教育委員会にある。それぞれの教育委員会が自ら判断すべきだった。しかしほとんどの教育委員会は何も考えなかった。教育委員会が主体性を全く失っている。
K その後緊急事態宣言も出て、長い休校期間の中で新たに見えてきたものは何なのでしよう?
M 子どもの当たり前の日常が奪われた。当たり前の日常の中で、学習権や生存権を学校が保障している。学校は子どもの学習権だけではなく生存権の保障の場でもある。学校が子どもたちの生活を支えている。
一番わかりやすいのが学校給食です。給食で成長に必要な栄養を摂取しているという子どもも少なからずいる。その子どもたちが給食を食べられなくなって、本当に飢えた子どもも出てきた。それから、休校期間中子どもたちは外に出ることもままならない。不健康な生活で気力体力を失っちゃうとか、ゲーム障害に陥っちゃう子どもが少なからずいた。
もっと怖いのは家庭内の虐待です。電話相談のところに相談する子どもが激増した。一方児童相談所の取扱い件数は減った。虐待が増えていると思われるのに、児童相談所の件数が減ったということは、見えないところで深刻化したケースが相当あったのではないか。
K 学習権はすぐわかりますが、生存権というのは大きな話です。学校は学びだけではなくて、遊びや、子ども同士の関わりの中での成長とかいろいろな機能がある、それが休校で見えなくなってしまった。
【最近の教育政策…経産省との対抗】
K 次に最近の教育政策について。
M 教育改革と文科省は毎年言っているが、教育の本質はコロコロ変わるものではなく、令和になったから平成と違った教育だなんて、そんなことないです。基本的な方向としては、子どもたちが主体的に学んでいく人間になっていくことが大事です。何も考えない人間があまりに多い。自分で考えることを大事にしてきたなら、こんなひどい政権になっているはずがない。
K 「令和の日本型学校教育」(中教審)が出たとき、「個別最適化した学び」という経産省の主張を強調したようなスリム化した学校のイメージがあった。新学習指導要領は「主体的、対話的で深い学び」を掲げていたのにどう最適化するのかという話があって、近年の教育政策はどうなっているのか、文科省と経産省の力関係も含めてお聞きしたい。
M この間、文科省が経産省にやられっぱなしなことは間違いない。文科省はその時々の力の強い組織に従属する傾向がある。安倍政権は別名経産省内閣と言われたように、経産官僚が各省に指令を出してきた。GIGAスクール構想もEdTech(注:エドテック Education+Technology の造語)も経産省発です。経産省は民間教育産業を育てて公教育に乗り込ませようとしていた。文科省は押されています。
GIGAスクール構想は従来から学校のICT化ということで進められてきた政策です。今どき、学校で子どもたちが一人一台の端末を持って文房具のように使うというのは当然です。しかし物理的な情報通信環境を整えるだけでなく、先生方が主体的に使いこなすことが必要であって、教育産業が開発したプログラムを持ってくるのは意味がない。
K そうですね。学校の通信環境整備を使って何をやるかという構想が現場にないまま、突然導入された。民間教育産業の開発した教育サービスを入れるだけでいいのか、文科省の考えは?
M 各自治体の教育センターなどに、教員自身が開発するプログラムが蓄積されればよいのですが、蓄積があまりない。一方で教育産業が売り込んでくる。先生たちが、ICTをどう使いこなすかにかかっています。
K 経産省はコロナをビジネスチヤンスと見ているが文科省は一緒にやっていたら、学校教育の形が壊されていくと考えて抵抗し始めた。そういう構図に見えますが、外れていますか?
M 外れていない。
【教育の民営化】
K 最後に、日本の公教育の市場化に対して文科省は踏みとどまってくれるのか、見通しは?
M ここにお集まりのような方々が頑張るしかないというのが一つの答えですが、私も文科省にいたときには、新自由主義的な市場化圧力に抗ってきました。
例えば学校選択制を競務づけろと言われて、「それは地方自治体が考えること」と抵抗した。
あるいは公設民営学校を作れと言われ、これは国家戦略特区で作られちゃいました。小泉内閣の時に、株式会社立の学校が特区を利用してできた。
いま20校ばかりあります。広域通信制高校です。これは質が悪い。ちゃんとやっているNHK学園の入学者は減っているが株式会社立は増えている。市場に任せておくと、勉強しないで高校を卒業したい人・二ーズと、授業をしなくても授業料を欲しいという供給側の二ーズが合致しちゃう。市場に任せたら学校どは言えないような学校が存続することになる。
株式会社立学校を見直せと言うことで、これ以上の市場化を阻止できるのではないか。
『リベルテ(東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース)61号』(2021.2.26)
◆ 子どもの学習権・教員の専門性を保障した教育と少人数学級の実現を (『リベルテ』から)
昨年12月19日(土)、エデュカス東京で「12月集会 in 2020・憲法と教育の改悪を許さない!」が開催されました。集会は二部構成で、第一部は小・中・高・特支・大学という各学校現場や「日の君」強制反対・教科書採択という各運動からの報告がなされ、第二部は、それを受けて、前川喜平さん(元・文部科学事務次官)と児美川孝一郎さん(法政大学教授)との対談が行われました。対談は、主に児美川さんが論点整理をしながら問題提起をし、前川さんがそれにこたえるという形で進みました。その概要を「リベルテ」編集部の責任においてまとめました。
以下、Kは児美川さん、Mは前川さんのことで
す。
【第一部を聴いて】
K 第一部の感想は?
M 本当に勉強になりましした。私は4年前に文科省をやめました。気持ちは皆さんと近い。38年間も気持ちと合わない組織にいた。日の丸・君が代については、教職員であれ生徒であれ、強制するのは思想・良心の自由に反することで、東京都のやり方はひどすぎます。それぞれ現場の話がよくわかりました。
安倍さんと菅さんはやり方が違います。菅さんは馬脚が見えてきた。私が期待しているのは自民党の内紛ですが。世の中が変わっていく可能性が来年はあるんじゃないかと、報告を聴いて思いました。
K 違うというのは?
M 安倍さんの方がわかりやすい、憲法に関しては、安倍さんは正面から捻じ曲げようとしていた。菅さんは裏から壊そうとしている。
K 怖いというか手ごわい。
M 安倍政権が8年も続いたのは、菅さんのおかげです。菅さんが政権の基盤を固めていた、役人は全部飼いならした。菅さんは権力のためには手段を選ばないところが怖い。
K 文科省からみて東京はどう見えていたでしょうか。
M 東京と大阪はおかしい、文科省よりも官僚的で硬直的で右翼的。地方自治は知事が議会の支援を得ると怖いものなしで、知事がその気になると教育はどんどん偏っていく。それが東京や大阪では如実に表れた。
【35人学級実現と次の課題】
K まずはホットな話題。一つは、35人学級、1年生だけだったのを6年生まで実施すると決着、この動きをどう見たらよいか?
M 今回文科省は頑張った。ずっと少人数学級化は追求していましたが、財務省を崩せなかった。それがコロナ対応で少人数学級の必要性が見えてきたこともあり、知事や市長、現場の先生、教育学の先生たちも声をあげてくださった。もう一つ大きな要素はコロナ対策で財政規律が崩壊し、財務省が弱っていた。小中30人まで行きたかったですが、次の課題として足掛かりはつけた。中学校に関しては後半戦になる。
今回2年生から6年生までは5年間です。次の3年計画が当然想定される。そして、2029年から3人学級に踏み出していきたい。文科省の若手よ、頑張れ、と言いたい。萩生田さんは、この点だけは評価します。自民党には少人数学級はダメという人がいますが、萩生田さんは30人学級だと頑張った。
【学術会議、みんなの問題】
K もう一つ、学術会議問題について。
M これは、学者だけの話と考えてはいけない。学問の自由は基本的人権で、小中高いずれの先生も持っているし、小学生や中学生だって持っている。学ぶことはそもそも自由な行為です。教育の現場に直結する問題で、人間のあらゆる自由な精神活動に及んでくる問題です。市民の自由が浸食されていく兆候があることをしっかり見るべきです。
K 学術界ではすごい反応がありましたが、離れると深刻に受け止めてもらえず、それが心配です。ところで、この問題に手を付けたというのは、政府としては確信犯なのでしょうか?
M 菅さんや杉田官房副長官は「学問の自由」を知らないんじゃないか。彼らは法学部ですから憲法を勉強したはずですが、寝ていたんでしょう。憲法は、主権者である国民はみんな知っていなくちゃいけないことです。学術会議についての調査(毎日新聞)で、70代以上の人は49%が問題だと考えている。ところが10代20代の人は17%だけ、若い人たちが学術会議問題について全然認識がない、これは怖い。
K この間、大学改革が進められていて国立大学の法人化からひどくなり私学も大きな影響を受けています。大学改革と学術会議問題、関係ないですか?
M 大学改革と根っこは同じです。私は国立大学法人化の問題に関わっていましたが、独立法人になった方が大学の自治という意味では進歩だろうという考え方もあった。ただそのあと、毎年大学への交付金を効率化係数という美名のもとに減らしていった。法人化と直結する政策ではなかったんですが、財務省に文科省が押されて進められていった。また私学助成も減らされる。競争させられ、そして短期間で成果を出すような研究にしかお金が出にくくなっていった。
【コロナ禍の教育~学校は生存権保障の役割も】
K 次に、コロナ禍に学校・子どもたちが置かれて、学校にどんな役割・意義があるのかを冷静に振り返ってみる必要があります。突然の休校宣言を安倍首相が出しましたが、権限のない人が宣言して日本中がそれに従ったというのはショックでした。あの臨時休校は何だったのか?
M あれは安倍さんが引き起こした人災でした。失政のレベルを超えて、子どもたちにも教職員にも保護者にも災難をもたらした。前日に北海道の鈴木知事が全道一斉休校を発表し評判がよかった。これを全国でという単純な発想だった。総理大臣は、教育委員会・学校に対して指示する法律上の権限はないです。科学的根拠もなかった。当時の専門家会議だって必要だとは言っていない。
5月に日本小児科学会が見解を出し、休校によって子どもたちの心身に与えた悪影響が大きいと言っています。休校の権限は設置者である自治体の教育委員会にある。それぞれの教育委員会が自ら判断すべきだった。しかしほとんどの教育委員会は何も考えなかった。教育委員会が主体性を全く失っている。
K その後緊急事態宣言も出て、長い休校期間の中で新たに見えてきたものは何なのでしよう?
M 子どもの当たり前の日常が奪われた。当たり前の日常の中で、学習権や生存権を学校が保障している。学校は子どもの学習権だけではなく生存権の保障の場でもある。学校が子どもたちの生活を支えている。
一番わかりやすいのが学校給食です。給食で成長に必要な栄養を摂取しているという子どもも少なからずいる。その子どもたちが給食を食べられなくなって、本当に飢えた子どもも出てきた。それから、休校期間中子どもたちは外に出ることもままならない。不健康な生活で気力体力を失っちゃうとか、ゲーム障害に陥っちゃう子どもが少なからずいた。
もっと怖いのは家庭内の虐待です。電話相談のところに相談する子どもが激増した。一方児童相談所の取扱い件数は減った。虐待が増えていると思われるのに、児童相談所の件数が減ったということは、見えないところで深刻化したケースが相当あったのではないか。
K 学習権はすぐわかりますが、生存権というのは大きな話です。学校は学びだけではなくて、遊びや、子ども同士の関わりの中での成長とかいろいろな機能がある、それが休校で見えなくなってしまった。
【最近の教育政策…経産省との対抗】
K 次に最近の教育政策について。
M 教育改革と文科省は毎年言っているが、教育の本質はコロコロ変わるものではなく、令和になったから平成と違った教育だなんて、そんなことないです。基本的な方向としては、子どもたちが主体的に学んでいく人間になっていくことが大事です。何も考えない人間があまりに多い。自分で考えることを大事にしてきたなら、こんなひどい政権になっているはずがない。
K 「令和の日本型学校教育」(中教審)が出たとき、「個別最適化した学び」という経産省の主張を強調したようなスリム化した学校のイメージがあった。新学習指導要領は「主体的、対話的で深い学び」を掲げていたのにどう最適化するのかという話があって、近年の教育政策はどうなっているのか、文科省と経産省の力関係も含めてお聞きしたい。
M この間、文科省が経産省にやられっぱなしなことは間違いない。文科省はその時々の力の強い組織に従属する傾向がある。安倍政権は別名経産省内閣と言われたように、経産官僚が各省に指令を出してきた。GIGAスクール構想もEdTech(注:エドテック Education+Technology の造語)も経産省発です。経産省は民間教育産業を育てて公教育に乗り込ませようとしていた。文科省は押されています。
GIGAスクール構想は従来から学校のICT化ということで進められてきた政策です。今どき、学校で子どもたちが一人一台の端末を持って文房具のように使うというのは当然です。しかし物理的な情報通信環境を整えるだけでなく、先生方が主体的に使いこなすことが必要であって、教育産業が開発したプログラムを持ってくるのは意味がない。
K そうですね。学校の通信環境整備を使って何をやるかという構想が現場にないまま、突然導入された。民間教育産業の開発した教育サービスを入れるだけでいいのか、文科省の考えは?
M 各自治体の教育センターなどに、教員自身が開発するプログラムが蓄積されればよいのですが、蓄積があまりない。一方で教育産業が売り込んでくる。先生たちが、ICTをどう使いこなすかにかかっています。
K 経産省はコロナをビジネスチヤンスと見ているが文科省は一緒にやっていたら、学校教育の形が壊されていくと考えて抵抗し始めた。そういう構図に見えますが、外れていますか?
M 外れていない。
【教育の民営化】
K 最後に、日本の公教育の市場化に対して文科省は踏みとどまってくれるのか、見通しは?
M ここにお集まりのような方々が頑張るしかないというのが一つの答えですが、私も文科省にいたときには、新自由主義的な市場化圧力に抗ってきました。
例えば学校選択制を競務づけろと言われて、「それは地方自治体が考えること」と抵抗した。
あるいは公設民営学校を作れと言われ、これは国家戦略特区で作られちゃいました。小泉内閣の時に、株式会社立の学校が特区を利用してできた。
いま20校ばかりあります。広域通信制高校です。これは質が悪い。ちゃんとやっているNHK学園の入学者は減っているが株式会社立は増えている。市場に任せておくと、勉強しないで高校を卒業したい人・二ーズと、授業をしなくても授業料を欲しいという供給側の二ーズが合致しちゃう。市場に任せたら学校どは言えないような学校が存続することになる。
株式会社立学校を見直せと言うことで、これ以上の市場化を阻止できるのではないか。
『リベルテ(東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース)61号』(2021.2.26)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます