《子どもと教科書全国ネット21ニュースから》
◆ 「ひとりひとりを大切に」
~少人数学級の実現にむけての成果と課題
◆ 教育研究者有志のとりくみ
「少人数学級化を求める研究者有志」12人の一人として、2020年7月から約半年間、署名運動に取り組んできました。Change.Orgを通してのネット署名、組合、地域や全国での取りくみも行われ、合計220,981筆の署名が集まりました。
署名の趣旨は「新型コロナの危険の中で学ぷ子どもたちに少人数学級と豊かな学校生活を」ということで、「三密」にならない教室を求めると同時に、休校中の遅れを取り戻すための過密スケジュールや学校行事の中止などは避けてほしいとの思いがありました。
◆ ニつの詰込みをなくそう!
私はこの署名の趣旨を①子どもを教室に詰め込む、②子どもに学習内容を詰め込む、という二つの詰め込みをなくすことととらえて、地域の学習会等でもそのようにお話をしてきました。
①と②がセットになっていることが大きな問題で、子どもを詰め込んでいるから学習指導要領に定められた内容を詰め込むしかないこと、逆に、詰め込む授業ならば教室にたくさん子どもを詰め込んでも可能になっているということです。
少人数学級では集団の多様性を生かせないのではという意見もありますが、今の「多人数学級」ではその多様性を生かした自由な教育実践をすることが困難です。そして、その集団をまとめるための管理が「ゼロトレランス」や「○○スタンダート」として行われているというのが実態だと思います。
◆ 少人数学級の体験
教員増と少人数学級を求める運動は長年とりくまれてきましたが、今回の署名運動の契機になり、大きな力となったのは、新型コロナ対策として取り組まれた「分散登校」で20人前後の学級を経験した教師、子どもや親たちが、その良さを実感したことだと思います。
40人学級の枠内で学年の児童・生徒数の「運」で部分的に実現していたことが短期間であれ実際の体験になったことで、教師からは「子どもの顔がよく見える」、子どもからは「質問もできてよくわかった」などの声があがり、子どもの変化に驚いたという親の声もきかれました。
◆ 少人数学級と少人数指導
これまで教員の加配で行われてきた少人数指導は「非正規雇用の増加」「習熟度別指導」「地域差」をもたらしてきました。
「丁寧に教えてもらえる」「わからないところは質問できる」という子どもの声が「少人数指導」のよさとして言われることがありますが、習熟度別に「どんどん」「ゆっくり」などと分けられることの問題があります。
2007年から4年間、国立市の教育委員を務めたときの経験ですが、習熟度別授業の後に教室に戻ってきた子どもの一人が、「ゆっくり」の子どもたちがまだ教室にいたのを見て「遅いクラスは何をやっても遅いな~」と言った、その一言が今でも忘れられません。
学級そのものを少人数にして誰もが丁寧に教えてもらえるようにすべきだと思ったでき事でした。
◆ 少人数学級と子どもの権利
私は「国連子どもの権利条約NGO・市民の会」にも参加していますが、「不登校」ということが国連子どもの権利委員になかなか分かってもらえないことから、親の会の方々が集めた<不登校の子どもの声>を訳して、権利委員会への補充報告書に載せました。そのなかから二つを紹介します。
そして、「子どもの意見表明権」(12条)の実現のためには「子どもの成長発達に必要な大人との「応答的かつ受容的な関係」が不可欠です。
「多人数学級」と「教員の多忙・過労」はこれに逆行するものです。
◆ 国際比較とエビデンス
日本の学級は「35人」になったとしても「少人数」とは言えないことを始めとして、有志のパンフレットでも国際比較のデータを載せました。
ここであらためて浮き彫りになったことは、日本の教員は一人当たり生徒数が多いだけでなく、学校の機能が多く教員の仕事が多岐にわたっていて、単純に国際比較はできないということです。
財務省は一貫して「少人数学級にしたら学力が上がる」というエビデンスを要求してきました。
しかし、学校は「学力を上げる」ためだけにあるのではなく、子どもたちがつながりを通して成長する場所であることが、突然の休校措置でこれまで以上に明らかになったと思います。
エビデンスとして数値化されるものは学校の機能のごく一部にしか過ぎません。
コスト・ベネフィットの話はいわば「政治的判断」で、しかも財務省がこれを特に文科省に厳しく求めているのはいびつな感じがします。
それでも、今回ギリギリのところで「ひっくり返った」ことには、運動の力が大きかったことは確かだと思います。
◆ もっと早く!
40年ぶりの義務標準法改正による小学校の35人学級化が実現しました。しかし、小学校だけで、しかも、来年度の2年生からの学年進行なので、今の小学校2年生以上の子どもたちはこの恩恵を受けないまま卒業していくことになります。
小学校が実現してから中学校・高校に着手というのも遅すぎます。
「40人学級」は45人からの12年計画でしたが、今回の「35人学級」は、長年の課題に道が開いただけのものではないと思っています。
コロナ禍を子どもがどう体験しているのか、それが子どもの成長にどんな影響を与えるのか、それは今後、長い間をかけて私たちが見守り対応していかなければならない問題です。これまで以上の手厚いケアと教育的な働きかけが必要とされているからこそ、少人数学級と教員の確保が喫緊の課題になっていると思います。
「コロナ禍の今だからこそ少人数!」という目の前のことだけでなく、「コロナ禍で育つ子どもたちだからこそ!」と考えると、今の2年生で線引きをして置き去りにすることはあってはならないと思います。
◆ ひとりひとりを大切に
これを論考のタイトルにしましたが、これは中教審の提起している「個別最適化」とはまったくことなるものであると私は思っています。
「個別最適化」というときの「個別」は、どこかで決まった「求められる資質・能力」の獲得に向かっての有効な手段というレベルで論じられているように思います。
新自由主義的な競争を勝ち抜く力を個々別々に、それぞれのレベルに合わせて保障する、そしてその個人主義的な側面を緩和するものとして、「協働的な学び」ということが言われているように思ってしまうのですが、まずは、その「個別最適」ということを誰がどのように判断するのかということが心配です。
私は「ひとりひとりを大切に」というのは、授業でその子の個性が生かされること、発言がうけとめられ、だいじにされて、みんなの学習になることだと思います。
太田堯先生がおっしゃっていた、子どもたちが「あてにされる」ということです。
それが、短期間であれ、分散登校の教室で実現したということが、今後も私たちがさらに少人数学級化を求めていく立脚点だと思います。
最後に、この論考は「少人数学級化を求める教育研究者有志」の一人として寄稿したものですが、ここで述べられている見解は、私個人のものであることを、お断りしておきたいと思います。
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 136号』(2021.2)
◆ 「ひとりひとりを大切に」
~少人数学級の実現にむけての成果と課題
中村雅子(なかむらまさこ・桜美林大学教授)
◆ 教育研究者有志のとりくみ
「少人数学級化を求める研究者有志」12人の一人として、2020年7月から約半年間、署名運動に取り組んできました。Change.Orgを通してのネット署名、組合、地域や全国での取りくみも行われ、合計220,981筆の署名が集まりました。
署名の趣旨は「新型コロナの危険の中で学ぷ子どもたちに少人数学級と豊かな学校生活を」ということで、「三密」にならない教室を求めると同時に、休校中の遅れを取り戻すための過密スケジュールや学校行事の中止などは避けてほしいとの思いがありました。
◆ ニつの詰込みをなくそう!
私はこの署名の趣旨を①子どもを教室に詰め込む、②子どもに学習内容を詰め込む、という二つの詰め込みをなくすことととらえて、地域の学習会等でもそのようにお話をしてきました。
①と②がセットになっていることが大きな問題で、子どもを詰め込んでいるから学習指導要領に定められた内容を詰め込むしかないこと、逆に、詰め込む授業ならば教室にたくさん子どもを詰め込んでも可能になっているということです。
少人数学級では集団の多様性を生かせないのではという意見もありますが、今の「多人数学級」ではその多様性を生かした自由な教育実践をすることが困難です。そして、その集団をまとめるための管理が「ゼロトレランス」や「○○スタンダート」として行われているというのが実態だと思います。
◆ 少人数学級の体験
教員増と少人数学級を求める運動は長年とりくまれてきましたが、今回の署名運動の契機になり、大きな力となったのは、新型コロナ対策として取り組まれた「分散登校」で20人前後の学級を経験した教師、子どもや親たちが、その良さを実感したことだと思います。
40人学級の枠内で学年の児童・生徒数の「運」で部分的に実現していたことが短期間であれ実際の体験になったことで、教師からは「子どもの顔がよく見える」、子どもからは「質問もできてよくわかった」などの声があがり、子どもの変化に驚いたという親の声もきかれました。
◆ 少人数学級と少人数指導
これまで教員の加配で行われてきた少人数指導は「非正規雇用の増加」「習熟度別指導」「地域差」をもたらしてきました。
「丁寧に教えてもらえる」「わからないところは質問できる」という子どもの声が「少人数指導」のよさとして言われることがありますが、習熟度別に「どんどん」「ゆっくり」などと分けられることの問題があります。
2007年から4年間、国立市の教育委員を務めたときの経験ですが、習熟度別授業の後に教室に戻ってきた子どもの一人が、「ゆっくり」の子どもたちがまだ教室にいたのを見て「遅いクラスは何をやっても遅いな~」と言った、その一言が今でも忘れられません。
学級そのものを少人数にして誰もが丁寧に教えてもらえるようにすべきだと思ったでき事でした。
◆ 少人数学級と子どもの権利
私は「国連子どもの権利条約NGO・市民の会」にも参加していますが、「不登校」ということが国連子どもの権利委員になかなか分かってもらえないことから、親の会の方々が集めた<不登校の子どもの声>を訳して、権利委員会への補充報告書に載せました。そのなかから二つを紹介します。
○先生ってね、大変なんだよ。毎日けんかをする子や泣く子の話を聞いたりしているんだから。それなのにぼくが相談したら、先生は病気になっちゃうよ。だからいいんだ。ぼくは我慢するから。子どもの権利条約で定められている「子どもの最善の利益」(3条1項)の実質化のためには、学校や保育所、病院など、子どもを対象とする施設がそのための条件を整えていることが求められています。
○辛かったことは、授業中さされて答えられなかったことです。今でも思い出すと胸がとても辛くなる。先生には、わかるようにやさしく教えて欲しかった。
そして、「子どもの意見表明権」(12条)の実現のためには「子どもの成長発達に必要な大人との「応答的かつ受容的な関係」が不可欠です。
「多人数学級」と「教員の多忙・過労」はこれに逆行するものです。
◆ 国際比較とエビデンス
日本の学級は「35人」になったとしても「少人数」とは言えないことを始めとして、有志のパンフレットでも国際比較のデータを載せました。
ここであらためて浮き彫りになったことは、日本の教員は一人当たり生徒数が多いだけでなく、学校の機能が多く教員の仕事が多岐にわたっていて、単純に国際比較はできないということです。
財務省は一貫して「少人数学級にしたら学力が上がる」というエビデンスを要求してきました。
しかし、学校は「学力を上げる」ためだけにあるのではなく、子どもたちがつながりを通して成長する場所であることが、突然の休校措置でこれまで以上に明らかになったと思います。
エビデンスとして数値化されるものは学校の機能のごく一部にしか過ぎません。
コスト・ベネフィットの話はいわば「政治的判断」で、しかも財務省がこれを特に文科省に厳しく求めているのはいびつな感じがします。
それでも、今回ギリギリのところで「ひっくり返った」ことには、運動の力が大きかったことは確かだと思います。
◆ もっと早く!
40年ぶりの義務標準法改正による小学校の35人学級化が実現しました。しかし、小学校だけで、しかも、来年度の2年生からの学年進行なので、今の小学校2年生以上の子どもたちはこの恩恵を受けないまま卒業していくことになります。
小学校が実現してから中学校・高校に着手というのも遅すぎます。
「40人学級」は45人からの12年計画でしたが、今回の「35人学級」は、長年の課題に道が開いただけのものではないと思っています。
コロナ禍を子どもがどう体験しているのか、それが子どもの成長にどんな影響を与えるのか、それは今後、長い間をかけて私たちが見守り対応していかなければならない問題です。これまで以上の手厚いケアと教育的な働きかけが必要とされているからこそ、少人数学級と教員の確保が喫緊の課題になっていると思います。
「コロナ禍の今だからこそ少人数!」という目の前のことだけでなく、「コロナ禍で育つ子どもたちだからこそ!」と考えると、今の2年生で線引きをして置き去りにすることはあってはならないと思います。
◆ ひとりひとりを大切に
これを論考のタイトルにしましたが、これは中教審の提起している「個別最適化」とはまったくことなるものであると私は思っています。
「個別最適化」というときの「個別」は、どこかで決まった「求められる資質・能力」の獲得に向かっての有効な手段というレベルで論じられているように思います。
新自由主義的な競争を勝ち抜く力を個々別々に、それぞれのレベルに合わせて保障する、そしてその個人主義的な側面を緩和するものとして、「協働的な学び」ということが言われているように思ってしまうのですが、まずは、その「個別最適」ということを誰がどのように判断するのかということが心配です。
私は「ひとりひとりを大切に」というのは、授業でその子の個性が生かされること、発言がうけとめられ、だいじにされて、みんなの学習になることだと思います。
太田堯先生がおっしゃっていた、子どもたちが「あてにされる」ということです。
それが、短期間であれ、分散登校の教室で実現したということが、今後も私たちがさらに少人数学級化を求めていく立脚点だと思います。
最後に、この論考は「少人数学級化を求める教育研究者有志」の一人として寄稿したものですが、ここで述べられている見解は、私個人のものであることを、お断りしておきたいと思います。
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 136号』(2021.2)
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