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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

働かせる側視点での残業時間の上限規制。例外だらけ。

2017年03月09日 | 格差社会
 ◆ 「生活」無視の働き方改革 (労働情報【時評自評】)
新村響子(弁護士)

 政府が「働き方改革」と称して、残業時間の上限規制を立法化すると言われている。
 その内容は、2月14日の働き方改革実現会議に出された事務局案では、36協定による時間外労働の上限を原則週45時間、年360時間とし、例外として臨時的な特別事情がある場合に労使協定により年720時間(平均60時間)までの時間外労働を認めるとされている。
 この「働き方改革」については、「今が青天井の残業となっている実態からすれば上限規制が法制度としてできること自体が画期的な第一歩だ」などと、前向きに評価する意見もある。しかし、私はこの数字にどうしても違和感を感じざるを得ない。働き方改革とは、一体何を目的にしているのだろうか、と。
 長時間労働が当たり前の世の中は、妊娠・出産・育児を行う女性と仕事の両立を難しくし、マタハラを生み、女性活躍を阻んできた。
 私も幼い娘がいるが、育児には時間がかかるし、お迎え~寝かしつけまでの外せない「育児タイム」がある。
 弁護士は自由業なのでなんとかこなせるが、時間管理を受ける労働者が、残業が当たり前の会社で、その育児タイムをこなしながら活躍するのは至難の技であろう。
 そのため、女性は仕事をやめて(あるいは非正規程度にして)家で子育て、男性は長時間労働が当たり前にこなすべき、とする性別役割分業意識も深く根付いてしまっている。
 一方の男性が育児を行うことは、女性に増して時間的にも意識的にもさらに難しい。
 「働き方改革」とは、そのような我が国の働き方のひずみの改革ではないのか。
 労働時間規制とは、ひずみの原因となっている長時間労働を抜本的に改善させるものでなければならないのではないか。
 そのような「生活」の視点から今回の事務局案を見ると、本来「生活」のために理想かつ原則の労働時間は1日8時間1週40時間であるはずなのに、週45時間年360時間例外を認め、さらに例外の例外年720時間を認めるというのであるから、例外が多すぎる
 また、年720時間は月平均でも60時間だから、9時~18時が所定労働時間の労働者が月20日働くとすると、終業は21時、帰宅は22時頃だろう。
 子どもはもう寝ていて育児どころではない。

 しかも、「生活」は日々の繰り返しなので、「1日」あたりの労働時間が安定することも重要であり、これは健康維持の視点からも言えることだ。
 ところが、事務局案の規制は年単位であって極めて不安定な働き方になる危険がある。
 生活と健康のための時間を毎日確保するための「インターバル規制」も全く議論されていない。
 結局のところ、政府の働き方改革が目指しているのはギリギリ「死なない」働き方にすぎない(現在の事務局案では「死ぬ」働き方になると思うが)。
 「生活できる」働き方のため、時間外労働時間の上限はもっと減らし、インターバル規制を導入し、生活時間確保のための配慮義務を企業に課すべきである。その視点を、私たちは見失ってはならない。
『労働情報 954』(2017/3/1)

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