☆ 東京「君が代」4次訴訟第9回口頭弁論 3月4日(金)16:00~東京地裁527
《被処分者の会通信から》
◎ 「私はここに立っている。でも私の魂はここにはない」
12月11日、四次訴訟の第8回弁論
いつもご支援ありがとうございます。四次訴訟も今年3年目を迎えます。今年もよろしくお願いします。第8回弁論で陳述した現職のYさんの陳述の一部を、以下に再録します。
・・・10.23通達が出された時、私は▲▲高校定時制の4年生の担任でした。生徒の方から質問や不安が飛びかったので、学年合同HRを行いました。1回目のHRは、おとなしく真面目な生徒だけが参加していました。「私には内心の自由はないけど、みんなには内心の自由があるよ。」といくら説明しても、生徒からは、「〇〇(Yさんのファーストネーム)も一緒に座ってよ」と、声があがるだけでした。
式場で立つように言われて立たないのは勇気のいることです。私が座ればそれが防波堤になると思いました。
翌週2回目のHRの時は、先週欠席していたヤンキーやギャルが加わりました。彼らは日の丸・君が代があると「式っぽい」とか「かっこいい」と大賛成。そのとたん、前回のHRであれほど「〇〇も一緒に座って」と声をあげていた生徒達が一斉に口をつぐみました。彼らが怖くて自分の意見が言えないのです。気まずい雰囲気のままHRは終了しました。口をつぐんでいた生徒の一人が寄ってきて「歌いたくない人は座ってもいいでしょ」と念押ししにきました。意見を言えなくても行動できる生徒がいると救われた気持ちでした。
卒業式はどうしようか。HRで自分の意見も言えない弱い彼らを守るには私が座るしかないと思いました。生徒の内心の自由は守りたい。しかしそうはいっても初めて出された職務命令がどんな効力があり、従わなければどうなるのか想像もつきません。まだ私は若かったし、定年までの人生を考えるとどうなるかわからない恐ろしさは半端ではありません。
卒業式当日、悩み抜いて苦渋の選択で立ちました。すると「〇〇も座って」と言っていた生徒たちがうらめしそうにこっちを見ています。そして「座ってもいいでしょ」と念押ししにきた生徒だけが座りました。彼は落ち着きなさそうに周囲をきょろきょろ見渡し、居たたまれなくなって曲の途中からやんわりと腰をあげ、曲の最後には立ちました。この光景は忘れられません。
立った事を後悔しました。私は、私を頼ってきた生徒の信頼を完全に裏切ってしまいました。私が立つという事は、その内心の自由を守れなかっただけではないのです。生徒をたたせてしまい、大きな強制力を持って生徒の内心の自由を奪うことだったのです。
しかし私は生きていくために働かなくてはいけない。首にならないで働き続ける為には命令に従ってやり過ごすしか無い。そう自分に言い聞かせて、転勤になってからも、心とからだを分裂させるこの辛いことをやり過ごす努力をしてきました。君が代が流れる40秒間は自分を殺して、耐え忍んできました。私はここに立っているけど私の魂はここにはない。体育館の上空に魂を飛ばしていました・・。
その後Yさんは2013年に不起立。その時の気持ちをYさんは次のように陳述しました。
「これで生徒と向き合える。さっぱりとした気持ちでした」と。
次回弁論は3月4日(金)4時から。よろしくお願いします。
『被処分者の会通信 第103号』(2016/1/21)
《被処分者の会通信から》
◎ 「私はここに立っている。でも私の魂はここにはない」
12月11日、四次訴訟の第8回弁論
いつもご支援ありがとうございます。四次訴訟も今年3年目を迎えます。今年もよろしくお願いします。第8回弁論で陳述した現職のYさんの陳述の一部を、以下に再録します。
・・・10.23通達が出された時、私は▲▲高校定時制の4年生の担任でした。生徒の方から質問や不安が飛びかったので、学年合同HRを行いました。1回目のHRは、おとなしく真面目な生徒だけが参加していました。「私には内心の自由はないけど、みんなには内心の自由があるよ。」といくら説明しても、生徒からは、「〇〇(Yさんのファーストネーム)も一緒に座ってよ」と、声があがるだけでした。
式場で立つように言われて立たないのは勇気のいることです。私が座ればそれが防波堤になると思いました。
翌週2回目のHRの時は、先週欠席していたヤンキーやギャルが加わりました。彼らは日の丸・君が代があると「式っぽい」とか「かっこいい」と大賛成。そのとたん、前回のHRであれほど「〇〇も一緒に座って」と声をあげていた生徒達が一斉に口をつぐみました。彼らが怖くて自分の意見が言えないのです。気まずい雰囲気のままHRは終了しました。口をつぐんでいた生徒の一人が寄ってきて「歌いたくない人は座ってもいいでしょ」と念押ししにきました。意見を言えなくても行動できる生徒がいると救われた気持ちでした。
卒業式はどうしようか。HRで自分の意見も言えない弱い彼らを守るには私が座るしかないと思いました。生徒の内心の自由は守りたい。しかしそうはいっても初めて出された職務命令がどんな効力があり、従わなければどうなるのか想像もつきません。まだ私は若かったし、定年までの人生を考えるとどうなるかわからない恐ろしさは半端ではありません。
卒業式当日、悩み抜いて苦渋の選択で立ちました。すると「〇〇も座って」と言っていた生徒たちがうらめしそうにこっちを見ています。そして「座ってもいいでしょ」と念押ししにきた生徒だけが座りました。彼は落ち着きなさそうに周囲をきょろきょろ見渡し、居たたまれなくなって曲の途中からやんわりと腰をあげ、曲の最後には立ちました。この光景は忘れられません。
立った事を後悔しました。私は、私を頼ってきた生徒の信頼を完全に裏切ってしまいました。私が立つという事は、その内心の自由を守れなかっただけではないのです。生徒をたたせてしまい、大きな強制力を持って生徒の内心の自由を奪うことだったのです。
しかし私は生きていくために働かなくてはいけない。首にならないで働き続ける為には命令に従ってやり過ごすしか無い。そう自分に言い聞かせて、転勤になってからも、心とからだを分裂させるこの辛いことをやり過ごす努力をしてきました。君が代が流れる40秒間は自分を殺して、耐え忍んできました。私はここに立っているけど私の魂はここにはない。体育館の上空に魂を飛ばしていました・・。
その後Yさんは2013年に不起立。その時の気持ちをYさんは次のように陳述しました。
「これで生徒と向き合える。さっぱりとした気持ちでした」と。
次回弁論は3月4日(金)4時から。よろしくお願いします。
(K)
『被処分者の会通信 第103号』(2016/1/21)
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