=視点 沖縄から【東京新聞】=
◆ なぜ日本兵は「鬼」に
~戦時住民虐殺の実相
映画監督・三上智恵さん
「私は元軍人なので沖縄戦の悲惨さはよくわかるし申し訳ないと思う。けれど、日本兵が沖縄の人を殺す、これは何かの間違いではないか」
西日本のある街の上映会で客席のご老人が私に問うた。
映画「沖縄スパイ戦史」は、これまで語られてこなかった沖縄北部や離島の陰惨な秘密戦、住民虐殺を描いたドキュメンタリーだ。
それを見てもなお「日本軍の蛮行はなかった」と思いたいのは、多分この元兵士だけではないだろう。
自国の軍隊による自国民の虐殺という究極に醜く残酷な事実に、戦後私たちがいかに向き合ってこなかったかが、この質問に表れている。
私は今さら日本軍の残虐性や罪を問うために映画を作ったのではない。軍人だけでなく「スパイ虐殺」の背景には住民の関与という厳しい一面もある。
つまり暴力に支配された人々に何が起きるのか、軍・民、出自など関係なく、疑心暗鬼に襲われた集団の末路を正確に捉え、私たちの社会に再来しかねない恐怖として提示したつもりだった。
しかし、本来守るべき対象をなぜ気づけば殺(あや)めていたのか。そこをもっと掘り下げなければ「虐殺は信じられない」という問いに答えたことにならないのではないか。
私は取材を再開し、特によく名前の挙がる三人の虐殺者の肖像を追った。
もともと県民に牙をむくつもりで沖縄に来た兵士など一人もいない。
なのになぜ彼らは「鬼」になっていったのか、同じ状況をつくって同じ鬼を再び生まないため、私たちはその病巣をこそ、徹底的に切り広げて提示する必要があるだろう。
例えば、北部で少なくとも七人の沖縄県民を虐殺したI曹長。
彼は米軍が上陸した地点に近い読谷飛行場に取り残され、ほぼ全滅した悲劇の部隊の生き残りだった。
早々に米軍に制圧された中北部の日本軍は武器弾薬も戦意も失って山に潜む敗残兵になるが、このI曹長は驚異的な熱量でゲリラ戦を続け、各地に武勇伝を残していた。
大宜味村喜如嘉(きじょか)の山に潜伏中、彼は米軍の将校ら三人を斬り殺した。
それを万歳しながら見守った当時十五歳の男性は言う。
「彼はヒーローでしたよ。まだ、戦艦大和が来たら形勢逆転して勝つんだと、みんなが信じていた時期ですからね」
山中には彼のように皇軍の勝利を信じて協力し続ける住民と、困窮に耐えかねて米軍に投降し食糧をもらおうとする住民がいて、I曹長は「投降して軍の動向を繋るものはスパイだ」と、容赦なく住民を斬り殺した。
同時にそこには、日本軍に仲間を「容疑者」として差し出すほど、疑心暗鬼に陥っていた住民たちがいたこともわかってきた。
戦後七十年経なければ語れないこうした証言を「証言沖縄スパイ戦史」(集英社新書)として先月、出版した。
人間は過ちを犯す生き物である。だからこそ、過ちの記録こそが騙(だま)されない未来を掴(つか)むための地図となるのだ。
『東京新聞』(2020年3月6日)
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