●藤田先生を応援する会に入ってください。(若い方歓迎、学生特典有り)
郵便振替で、口座番号 00150-1-612629(加入者名「藤田先生を応援する会」)に、年会費、一般¥3,000、学生¥1,000を振り込んで下さい。「藤田先生を応援する会通信」を送らせていただきます。
----------------------------------------
2006/10/01(日) 悪政
----------------------------------------
知人に銀行を辞めたのがいる。 「何で辞めたんだ」、と聞いたら、「窓のない部屋に一日中いるのに耐えられなかった」、と言っていた。
さもありなんと思う。 若い頃釧路の近くで7年過ごしたが、太陽がかっと照らないのには参った。 太陽への憧れっていうのは、太陽の乏しい地に住んだことのない人には分からないことであろう。
ドイツ人は地中海の陽光に憧れるという。 二度にわたる大戦も太陽の照る南の地への憧憬のなせる業か。 地下鉄職員に限らず一日中太陽に当たらずに仕事している人は多い。 不幸なことだと思うが、今は太陽光線が有害だというのだから何とも言いようがない。 自然を破壊し続けて人間は自分の首を締め続けている。 まるで明日のことは思い煩わずに今だけの快楽を追求しているようだ。
ところで、この「明日のことは思い煩うな」、というのはいかようにも取れる言葉である。 今日の労苦は終わったのだ、明日又新たな太陽が昇るのだと言われても途方にくれる人は多い。 明日の労苦、苦痛を思えば安眠も出来かねる。
新首相の言う、「うつくしいくに」、というのは、逆から言うと、「憎いし、苦痛」、になるという。 よくこんなことに気付く人もいるものだとも思うが、多くの人が生きていることに苦痛のみを感じているというのは、まさしく異様な状況である。
低賃金、長時間労働という状況で辛い思いをしている人々のことを思い煩うことが為政者のもっともなすべき緊急のことである。
偽装請負など許してはならない。 この間の改革の名の下の契約・請負という人身売買の跋扈を許した法改悪は史上稀なる悪政であった。
----------------------------------------
2006/10/02(月) 風
----------------------------------------
物が限りなく溢れてますますデフレ状況が続く。
大規模集合店舗が郊外に次々と建って人々がい集する。 い集はすれどもそぞろにふらつくだけである。
100円ショップ、1000円ショップを徘徊する。 金がないのだ。 子どもたちは大きな本屋で漫画を読み耽る。 もう立ち読みしても怒られないのだ。 何と読書用のふかふかした椅子までいくつも置かれている。
大衆の賃金アップこそ日本経済の再生の鍵である。 消費がなければ物は売れない。 大企業や裕福な階層が溜め込むばかりでは金は循環しない。 滞留した金でアメリカ国債をかったところでデフレ状況の脱却にも大衆の幸せにも何ら繋がらない。
累進課税を徹底せよ。 労働基準法を厳守させよ。 サービス残業を摘発せよ。 最低賃金を1000円以上にせよ。
かって春闘が日本経済の推進役を担った。 今賃上げ闘争は誰も担っていないのか。 大衆の購買力、消費意欲を拡大することなくして経済は逼塞してしまう。
金持ちが毎日卵100個買ったり牛乳10?飲んだりするわけないだろう。 多くの大衆が買うことで経済が回っていくのである。
このまま行けば、広大な物資の陳列棚に風のみ吹くという状況が目前に迫っている。 シャッター通りがすべての街に及ぶのだ。 生き残るのは100円・1000円ショップだけか。
----------------------------------------
2006/10/03(火) ネット
----------------------------------------
人が秘匿しているものを盗み出してネット上に曝す行為が蔓延している。 恐るべき時代の到来である。
当然のことにことは個人に限らない。 警察、役所、企業、防衛庁までありとあらゆるパソコンが探索されている。 機密事項は手書きで置くか、ネットに接続しないパソコンに入れて置くしかない。
人は石を投げる動物である。 他者を皆でやっつけることに快感を持つというねじくれた動物である。 石投げる資格なき者にして最も激しく他者を糾弾するという奇妙な動物である。
皆でマンモスを倒したのだ。 皆でからかい、いじめ、曝そうではないか。 これが人間のねじくれたというのは間違いで本然の性である。 と考えれば今ネット上で起こっている現象も、ネットという武器を掌中にした人間集団のなされるべくしてなされた行為と言うべきか。
鉄砲を手にしたら人に向かって撃つ。 原爆を作ったら人の上に落としてみる。 妄想が実現可能となった瞬間に走り出すのが、人間という動物である。
この好奇心と限界のなさはとどまる所を知らない。 何万年か何十万年かして人類の去った後の地球は魚にとっても鳥にとってもさぞや住みやすい事であろう。
----------------------------------------
2006/10/04(水) 出立
----------------------------------------
目から鱗が落ちるならばその鱗はいつ入ったんだなどと言ってた作家がいたようだが、多くの人々の一生は錯誤と誤解と独断と迷妄のうちにあることも確かである。
国家と国家が戦争になったら国民の聖なる義務として鉄砲担いで相手の人間を殺傷せなばならないというのも、考えてみれば妙である。
相手の国にも善き人はおろうに、撃ち殺さんといかん。 憲法9条のお陰をもって徴兵されず人を撃ち殺さずして人生を過ごしえたのはまことに僥倖であったといえよう。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、日本が参戦していたら如何許りであったろう。
今ここでのん気なことを書いていられない。 知人の叔父さんは学生であって長男であってガダルカナルで戦死した。 生きていれば一家の人々の人生も又別のものになっていただろう。
参謀本部の瀬島が視察から帰ってノイローゼになったことをもってしても何とも悲惨極まれる戦場であったのだ。
われ、ベトナムに参戦していたらと思うだけでぞっとするが、国際的な視点からはアメリカを敵として戦うべきであったのか。
戦地の地獄を見た人が日本ではもう80歳を超えて次々とあの世に召還されているが、多くの国では今も人を撃ち続けている人々がいる。
その国の国民はその国家の戦争から逃亡することは卑怯、卑劣だという観念をあらためて考えてみることが求められている。
あまりの犠牲と戦争の悲惨さの結果として、1945年以降の生き延びた或いはその後に誕生した日本人は偶然にもその後約半世紀、戦地に引っ張り出されずにすんだ。
2004年1月、我が父、プロの元軍人が亡くなった。 戦争の本質については結局一言も語らなかった。 自衛隊の兵の海外出立の日であった。
----------------------------------------
2006/10/05(木) 四郎
----------------------------------------
米軍将校との宴会の写真を見た。 戦後数年してのものである。
二人の四郎がいる。 服部卓四郎と川辺虎四郎である。 川辺は米軍将校の口元に杯を差し出している。 田中新一、服部卓四郎、辻正信は、ノモンハン、ビルマ、ガダルカナルで無謀極まる作戦を強行し万余の兵を惨死させた。
その帝国陸軍の将校が芸者を呼んで米軍幹部と酒を飲む。 あの世でこれを見たら阿南もあっけに取られるであろう。 惨めに死んでいった兵たちは憤怒に駆られるだろう。 これら日本の旧将校には米軍高級将校と同様に接遇せよとの命令が出ていたという。
軍は兵を消耗品として敵陣に突撃させ、幹部は戦後は敵味方酒を酌み交わす。 1956年6月、アメリカによる日本再軍備司令の下、旧軍幹部・中佐以下250名が警察予備隊に招聘された。 日本軍の再興である。
かくして日本の戦前と戦後は切断されることなく続いたということ、軍部のみならず政治家、官僚、特高警察、戦前の権力者が戦後の日本社会の枢要を占めたということの無惨さを思うしかない。
この無責任の極致といってもいい精神状況が長じて現在の社会の混迷、貧困層の拡大という社会の崩壊を生んでいる根本的要因であろう。
----------------------------------------
2006/10/06(金) 核兵器
----------------------------------------
金正日が原爆実験を敢行したと聞く。
これで日本列島はアメリカ、中国、北朝鮮、ロシアの核に包囲されることとなった。
隣人との関係で互いに武力を強化し、やればやるぞとの緊張関係の中で安全を確保しようというのも一つの方法である。
戦後、米ソはその緊迫状況の中でキューバを巡り核戦争寸前まで行った。 偶然の結果、辛くも回避されたというほかない状況であった。
日本の選択肢は何か。 核を持ち、ミサイル防衛に莫大な費用をかけるか、我関せずとするかのいずれかである。
この莫大な軍需費はアメリカにとってはまさに垂涎の的である。
米ソ、イギリス、フランスそして中国と核兵器を所持する状況に戦後の日本は基本的に我関せずとの路線を歩んできた。 その路線を踏襲すべきである。
追い詰められた小国独裁者が自己の存続の唯一の保証を核兵器に頼ろうとするのはある意味で必然のことである。 核は人質の喉に突きつけたナイフである。 自爆覚悟の捨て身の方策である。 金正日の脅迫に対しては言わば無視する中でこれに冷静に対処すべきである。
----------------------------------------
2006/10/07(土) 花水木
----------------------------------------
はなみずきに ルビーのような 赤い実がなった
◆藤田の日記
http://ip.tosp.co.jp/NIki/TosNK100.asp?I=fujita63&Dt=20060923&SPA=10&Pw=
◆藤田先生を応援しよう
http://6720.teacup.com/fuzita/bbs
郵便振替で、口座番号 00150-1-612629(加入者名「藤田先生を応援する会」)に、年会費、一般¥3,000、学生¥1,000を振り込んで下さい。「藤田先生を応援する会通信」を送らせていただきます。
----------------------------------------
2006/10/01(日) 悪政
----------------------------------------
知人に銀行を辞めたのがいる。 「何で辞めたんだ」、と聞いたら、「窓のない部屋に一日中いるのに耐えられなかった」、と言っていた。
さもありなんと思う。 若い頃釧路の近くで7年過ごしたが、太陽がかっと照らないのには参った。 太陽への憧れっていうのは、太陽の乏しい地に住んだことのない人には分からないことであろう。
ドイツ人は地中海の陽光に憧れるという。 二度にわたる大戦も太陽の照る南の地への憧憬のなせる業か。 地下鉄職員に限らず一日中太陽に当たらずに仕事している人は多い。 不幸なことだと思うが、今は太陽光線が有害だというのだから何とも言いようがない。 自然を破壊し続けて人間は自分の首を締め続けている。 まるで明日のことは思い煩わずに今だけの快楽を追求しているようだ。
ところで、この「明日のことは思い煩うな」、というのはいかようにも取れる言葉である。 今日の労苦は終わったのだ、明日又新たな太陽が昇るのだと言われても途方にくれる人は多い。 明日の労苦、苦痛を思えば安眠も出来かねる。
新首相の言う、「うつくしいくに」、というのは、逆から言うと、「憎いし、苦痛」、になるという。 よくこんなことに気付く人もいるものだとも思うが、多くの人が生きていることに苦痛のみを感じているというのは、まさしく異様な状況である。
低賃金、長時間労働という状況で辛い思いをしている人々のことを思い煩うことが為政者のもっともなすべき緊急のことである。
偽装請負など許してはならない。 この間の改革の名の下の契約・請負という人身売買の跋扈を許した法改悪は史上稀なる悪政であった。
----------------------------------------
2006/10/02(月) 風
----------------------------------------
物が限りなく溢れてますますデフレ状況が続く。
大規模集合店舗が郊外に次々と建って人々がい集する。 い集はすれどもそぞろにふらつくだけである。
100円ショップ、1000円ショップを徘徊する。 金がないのだ。 子どもたちは大きな本屋で漫画を読み耽る。 もう立ち読みしても怒られないのだ。 何と読書用のふかふかした椅子までいくつも置かれている。
大衆の賃金アップこそ日本経済の再生の鍵である。 消費がなければ物は売れない。 大企業や裕福な階層が溜め込むばかりでは金は循環しない。 滞留した金でアメリカ国債をかったところでデフレ状況の脱却にも大衆の幸せにも何ら繋がらない。
累進課税を徹底せよ。 労働基準法を厳守させよ。 サービス残業を摘発せよ。 最低賃金を1000円以上にせよ。
かって春闘が日本経済の推進役を担った。 今賃上げ闘争は誰も担っていないのか。 大衆の購買力、消費意欲を拡大することなくして経済は逼塞してしまう。
金持ちが毎日卵100個買ったり牛乳10?飲んだりするわけないだろう。 多くの大衆が買うことで経済が回っていくのである。
このまま行けば、広大な物資の陳列棚に風のみ吹くという状況が目前に迫っている。 シャッター通りがすべての街に及ぶのだ。 生き残るのは100円・1000円ショップだけか。
----------------------------------------
2006/10/03(火) ネット
----------------------------------------
人が秘匿しているものを盗み出してネット上に曝す行為が蔓延している。 恐るべき時代の到来である。
当然のことにことは個人に限らない。 警察、役所、企業、防衛庁までありとあらゆるパソコンが探索されている。 機密事項は手書きで置くか、ネットに接続しないパソコンに入れて置くしかない。
人は石を投げる動物である。 他者を皆でやっつけることに快感を持つというねじくれた動物である。 石投げる資格なき者にして最も激しく他者を糾弾するという奇妙な動物である。
皆でマンモスを倒したのだ。 皆でからかい、いじめ、曝そうではないか。 これが人間のねじくれたというのは間違いで本然の性である。 と考えれば今ネット上で起こっている現象も、ネットという武器を掌中にした人間集団のなされるべくしてなされた行為と言うべきか。
鉄砲を手にしたら人に向かって撃つ。 原爆を作ったら人の上に落としてみる。 妄想が実現可能となった瞬間に走り出すのが、人間という動物である。
この好奇心と限界のなさはとどまる所を知らない。 何万年か何十万年かして人類の去った後の地球は魚にとっても鳥にとってもさぞや住みやすい事であろう。
----------------------------------------
2006/10/04(水) 出立
----------------------------------------
目から鱗が落ちるならばその鱗はいつ入ったんだなどと言ってた作家がいたようだが、多くの人々の一生は錯誤と誤解と独断と迷妄のうちにあることも確かである。
国家と国家が戦争になったら国民の聖なる義務として鉄砲担いで相手の人間を殺傷せなばならないというのも、考えてみれば妙である。
相手の国にも善き人はおろうに、撃ち殺さんといかん。 憲法9条のお陰をもって徴兵されず人を撃ち殺さずして人生を過ごしえたのはまことに僥倖であったといえよう。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、日本が参戦していたら如何許りであったろう。
今ここでのん気なことを書いていられない。 知人の叔父さんは学生であって長男であってガダルカナルで戦死した。 生きていれば一家の人々の人生も又別のものになっていただろう。
参謀本部の瀬島が視察から帰ってノイローゼになったことをもってしても何とも悲惨極まれる戦場であったのだ。
われ、ベトナムに参戦していたらと思うだけでぞっとするが、国際的な視点からはアメリカを敵として戦うべきであったのか。
戦地の地獄を見た人が日本ではもう80歳を超えて次々とあの世に召還されているが、多くの国では今も人を撃ち続けている人々がいる。
その国の国民はその国家の戦争から逃亡することは卑怯、卑劣だという観念をあらためて考えてみることが求められている。
あまりの犠牲と戦争の悲惨さの結果として、1945年以降の生き延びた或いはその後に誕生した日本人は偶然にもその後約半世紀、戦地に引っ張り出されずにすんだ。
2004年1月、我が父、プロの元軍人が亡くなった。 戦争の本質については結局一言も語らなかった。 自衛隊の兵の海外出立の日であった。
----------------------------------------
2006/10/05(木) 四郎
----------------------------------------
米軍将校との宴会の写真を見た。 戦後数年してのものである。
二人の四郎がいる。 服部卓四郎と川辺虎四郎である。 川辺は米軍将校の口元に杯を差し出している。 田中新一、服部卓四郎、辻正信は、ノモンハン、ビルマ、ガダルカナルで無謀極まる作戦を強行し万余の兵を惨死させた。
その帝国陸軍の将校が芸者を呼んで米軍幹部と酒を飲む。 あの世でこれを見たら阿南もあっけに取られるであろう。 惨めに死んでいった兵たちは憤怒に駆られるだろう。 これら日本の旧将校には米軍高級将校と同様に接遇せよとの命令が出ていたという。
軍は兵を消耗品として敵陣に突撃させ、幹部は戦後は敵味方酒を酌み交わす。 1956年6月、アメリカによる日本再軍備司令の下、旧軍幹部・中佐以下250名が警察予備隊に招聘された。 日本軍の再興である。
かくして日本の戦前と戦後は切断されることなく続いたということ、軍部のみならず政治家、官僚、特高警察、戦前の権力者が戦後の日本社会の枢要を占めたということの無惨さを思うしかない。
この無責任の極致といってもいい精神状況が長じて現在の社会の混迷、貧困層の拡大という社会の崩壊を生んでいる根本的要因であろう。
----------------------------------------
2006/10/06(金) 核兵器
----------------------------------------
金正日が原爆実験を敢行したと聞く。
これで日本列島はアメリカ、中国、北朝鮮、ロシアの核に包囲されることとなった。
隣人との関係で互いに武力を強化し、やればやるぞとの緊張関係の中で安全を確保しようというのも一つの方法である。
戦後、米ソはその緊迫状況の中でキューバを巡り核戦争寸前まで行った。 偶然の結果、辛くも回避されたというほかない状況であった。
日本の選択肢は何か。 核を持ち、ミサイル防衛に莫大な費用をかけるか、我関せずとするかのいずれかである。
この莫大な軍需費はアメリカにとってはまさに垂涎の的である。
米ソ、イギリス、フランスそして中国と核兵器を所持する状況に戦後の日本は基本的に我関せずとの路線を歩んできた。 その路線を踏襲すべきである。
追い詰められた小国独裁者が自己の存続の唯一の保証を核兵器に頼ろうとするのはある意味で必然のことである。 核は人質の喉に突きつけたナイフである。 自爆覚悟の捨て身の方策である。 金正日の脅迫に対しては言わば無視する中でこれに冷静に対処すべきである。
----------------------------------------
2006/10/07(土) 花水木
----------------------------------------
はなみずきに ルビーのような 赤い実がなった
◆藤田の日記
http://ip.tosp.co.jp/NIki/TosNK100.asp?I=fujita63&Dt=20060923&SPA=10&Pw=
◆藤田先生を応援しよう
http://6720.teacup.com/fuzita/bbs
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます