『尾形修一の教員免許更新制反対日記』から
◆ 免許更新制は「違憲」ではないのか-教員免許更新制再論③
法的な問題点を指摘して、この問題の再論を終わることにする。この免許更新制度で失職すると言う事例が相次いだわけだが、それを止める手立てがない。それがどうにも納得できない。
勤務状況に問題があったというわけではない。むしろ「優秀な教員」であると報道されている。単なる手続きミスである。それで「失職」するのか。退職ではないので、退職金も出ないという解釈さえ行われている。労働法的な見方からは、考えられない。
あってはならない事態である。救済策が何もないのだとしたら、制度そのものが憲法違反ではないのか。
この「失職」規定もそうだが、教員免許のみが10年期限とされている点、管理職や一部教員にのみ「免除」される点、どちらも「法の下の平等」に反するのではないか。その問題については、昨年いっぱい書いているので、ここでは再論しない。
でも一応繰り返しになるが、以下のことは確認しておきたい。これが民間企業だったら、「手続きミスのみで退職させられる」ということは確実に司法で救済される。
公務員であっても、何か問題行動があって「懲戒免職」になったのなら、それが重すぎるということで裁判できて、免職処分が取り消しになる判決もいろいろ出ている。「懲戒免職」の方がむしろ裁判しやすいのである。
また、民間企業だったら「身分保障の仮処分申請」もできるし、認められるのではないか。ところが、行政の行う「処分」などは、「行政事件訴訟法」の規定により、仮処分はできないのである。
第四十四条 行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為については、民事保全法(平成元年法律第九十一号)に規定する仮処分をすることができない
ところで、この「失職」は処分でさえないので、「処分取り消し訴訟」もできない。裁判所に身分保障を求めたり、取り消し訴訟を起こすことも難しいのである。(もちろん、この法律そのものが「憲法違反である」という裁判はできるが…。)
ところで、何で免許がなくなると「失職」するのだろうか?
つまり、「教員免許」がなければ確かに授業はできないことになっている。でも、教員は公務員であって、公務員には教育以外の職員がいっぱいいる。たとえば、事務の仕事に回るとか、公立の体育館や博物館などで働くということはできないのだろうか。
これに関しては、争った裁判が昔あって、最高裁で「免許=公務員の地位」という判例が確立されている。教員は「教員採用試験」に合格して採用されたわけだが、その採用試験が受けられる条件は、教員免許があるか、来春卒業とともに取得見込みであることである。このように採用試験の受験条件が免許を有することだったので、その免許が失効すれば受けたときの条件が違ってしまうわけで、だから公務員であるという地位も失うというリクツである。
だが、この昔の判例も今では古いのではないだろうか。そのときとは教育を取り巻く環境も大きく変わった。
大体、最高責任者である校長自身が、教員免許がいらないことになった。教員の仕事も授業はもちろんだが、いじめ問題などを見れば、生活指導、進路指導などの比重が大きくなっている。更新講習に合格したかとか、ましてや手続きをしたとかではなく、長年勤務して経験してきた積み重ねこそが重要なのである。そういう経験を生かすため、定年退職した教員も含め、「いじめ相談員」「進路相談員」「部活指導員」など、授業やクラス担任には当たらない経験者の活用が望まれているのではないか。
手続きミスや講習未修などの場合は、そのような「免許を必要としないポスト」を作り、一時的に任命するという形は取れないか。その後、免許が復活すれば、教師に戻る選択ができる。
ただ、僕が言いたいのは、そのような「第三者的相談員」を地域住民など免許のない人、退職後の教員などを含めて、創設して欲しいということだ。そっちが先で、そういう職があれば、うっかりミスがあれば一時的にそちらで救済できる可能性ができるのではないかということである。
過去の判例にとらわれず、新しい発想で救済策を考えて欲しいと思う。もちろん「廃止」が一番望ましいわけだが。
また「免除」条件を拡充して、35歳はともかく、45歳、55歳は実質免除する方向も考えられる。というか、教員人生に3回もあるのかと思うだけで、若い人は教員になる意欲が失せるだろう。仮にこの制度を残すとしても、40歳と50歳の2回になるなら、まだだいぶ気持ちが軽くなるだろう。新規採用後の研修があまりにも多い現状では、35歳で一回目の更新というのは早すぎる。現役で大学に入学し、卒業とともに採用されるなどと言う教員は、今はまずいない。20代半ばで採用され、新採から数年間研修漬け、次の学校に異動したら、もう更新時期が間近、では何のための教師なんだろうか。生徒と関わるより行政と関わるだけで10年間が過ぎてしまう。で、バカバカしい講習が嫌だから、早く管理職を目指したりすれば、まあそういう教員を行政は望ましいと思っているのだろうけど、生徒には不幸な出来事である。
『尾形修一の教員免許更新制反対日記』(2012年10月12日)
http://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/383f7ae2f775cadd9856d7643261aa6e
◆ 免許更新制は「違憲」ではないのか-教員免許更新制再論③
法的な問題点を指摘して、この問題の再論を終わることにする。この免許更新制度で失職すると言う事例が相次いだわけだが、それを止める手立てがない。それがどうにも納得できない。
勤務状況に問題があったというわけではない。むしろ「優秀な教員」であると報道されている。単なる手続きミスである。それで「失職」するのか。退職ではないので、退職金も出ないという解釈さえ行われている。労働法的な見方からは、考えられない。
あってはならない事態である。救済策が何もないのだとしたら、制度そのものが憲法違反ではないのか。
この「失職」規定もそうだが、教員免許のみが10年期限とされている点、管理職や一部教員にのみ「免除」される点、どちらも「法の下の平等」に反するのではないか。その問題については、昨年いっぱい書いているので、ここでは再論しない。
でも一応繰り返しになるが、以下のことは確認しておきたい。これが民間企業だったら、「手続きミスのみで退職させられる」ということは確実に司法で救済される。
公務員であっても、何か問題行動があって「懲戒免職」になったのなら、それが重すぎるということで裁判できて、免職処分が取り消しになる判決もいろいろ出ている。「懲戒免職」の方がむしろ裁判しやすいのである。
また、民間企業だったら「身分保障の仮処分申請」もできるし、認められるのではないか。ところが、行政の行う「処分」などは、「行政事件訴訟法」の規定により、仮処分はできないのである。
第四十四条 行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為については、民事保全法(平成元年法律第九十一号)に規定する仮処分をすることができない
ところで、この「失職」は処分でさえないので、「処分取り消し訴訟」もできない。裁判所に身分保障を求めたり、取り消し訴訟を起こすことも難しいのである。(もちろん、この法律そのものが「憲法違反である」という裁判はできるが…。)
ところで、何で免許がなくなると「失職」するのだろうか?
つまり、「教員免許」がなければ確かに授業はできないことになっている。でも、教員は公務員であって、公務員には教育以外の職員がいっぱいいる。たとえば、事務の仕事に回るとか、公立の体育館や博物館などで働くということはできないのだろうか。
これに関しては、争った裁判が昔あって、最高裁で「免許=公務員の地位」という判例が確立されている。教員は「教員採用試験」に合格して採用されたわけだが、その採用試験が受けられる条件は、教員免許があるか、来春卒業とともに取得見込みであることである。このように採用試験の受験条件が免許を有することだったので、その免許が失効すれば受けたときの条件が違ってしまうわけで、だから公務員であるという地位も失うというリクツである。
だが、この昔の判例も今では古いのではないだろうか。そのときとは教育を取り巻く環境も大きく変わった。
大体、最高責任者である校長自身が、教員免許がいらないことになった。教員の仕事も授業はもちろんだが、いじめ問題などを見れば、生活指導、進路指導などの比重が大きくなっている。更新講習に合格したかとか、ましてや手続きをしたとかではなく、長年勤務して経験してきた積み重ねこそが重要なのである。そういう経験を生かすため、定年退職した教員も含め、「いじめ相談員」「進路相談員」「部活指導員」など、授業やクラス担任には当たらない経験者の活用が望まれているのではないか。
手続きミスや講習未修などの場合は、そのような「免許を必要としないポスト」を作り、一時的に任命するという形は取れないか。その後、免許が復活すれば、教師に戻る選択ができる。
ただ、僕が言いたいのは、そのような「第三者的相談員」を地域住民など免許のない人、退職後の教員などを含めて、創設して欲しいということだ。そっちが先で、そういう職があれば、うっかりミスがあれば一時的にそちらで救済できる可能性ができるのではないかということである。
過去の判例にとらわれず、新しい発想で救済策を考えて欲しいと思う。もちろん「廃止」が一番望ましいわけだが。
また「免除」条件を拡充して、35歳はともかく、45歳、55歳は実質免除する方向も考えられる。というか、教員人生に3回もあるのかと思うだけで、若い人は教員になる意欲が失せるだろう。仮にこの制度を残すとしても、40歳と50歳の2回になるなら、まだだいぶ気持ちが軽くなるだろう。新規採用後の研修があまりにも多い現状では、35歳で一回目の更新というのは早すぎる。現役で大学に入学し、卒業とともに採用されるなどと言う教員は、今はまずいない。20代半ばで採用され、新採から数年間研修漬け、次の学校に異動したら、もう更新時期が間近、では何のための教師なんだろうか。生徒と関わるより行政と関わるだけで10年間が過ぎてしまう。で、バカバカしい講習が嫌だから、早く管理職を目指したりすれば、まあそういう教員を行政は望ましいと思っているのだろうけど、生徒には不幸な出来事である。
『尾形修一の教員免許更新制反対日記』(2012年10月12日)
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