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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

『学習指導要領』を最大基準から最低基準にちゃっかりすり替えていた文科省教育課程課

2018年03月19日 | こども危機
 ◆ <文科省への反撃のために①>文科省を”やぶ蛇”の事態に追い込む!
   皆さま     高嶋伸欣です


 いろいろお騒がせしましたが、多くの方のご協力で、前川氏講演授業に対する文科省の圧力の背後には政治家の不当な関与があったことが見えてきました。
 そうした圧力に最も弱いのが文部省であることが中央省庁間では古くから知られ、文科省は「御殿女中」と揶揄されていた、と昨夜の私のメールで紹介しました。
1 その後、念のために「御殿女中」と揶揄されていることを紹介した『読売新聞』記事(1982年4月19・20日)をファイルで確認したところで、文部省の新たな「古傷」を幾つかみつけました。
2 今回の件で文科省を責める方法はいろいろありますが、私のこうした場合の持論は、かれらの行為が結果的に”藪をつついて蛇を出す”ことになった”やぶ蛇”の愚策だった、と認識させ、「2度と同じことは繰り返すまい!」との大やけど体験をさせることが極めて効果的なはずというものです。
3 その手法に、今回見つけた「古傷」を活用できるのではないかと考えましたので、それらを順次紹介していきます。
 少し長くなりますがお付き合いをお願いします。

4 まずは添付の『読売』記事を(資料AとC)を御覧ください。この時は自民党のタカ派文教族の言いなりそのままに『学習指導要領 指導書』を内密裡に改変したことが批判されています。
 森友文書の改竄と同質のできごとが、文部省ではくりかえされきていることの証左でもあります。
5 『御殿女中』や「政界、特に自民党に対する”虚弱体質”はかなりなもの」(資料Cの記事の4段目)という表現は言いえて妙です。是非活用してください。
 何しろ今を時めく「御用新聞」(『週刊文春』の指摘)の記事なのですから。

6 それはともかくとして、今回のメールで指摘したい文部省(文科省)の「古傷」は添付資料Bの下から4行目の下線部分です。
7 「日本国憲法に関する学習においては、憲法の条文解釈に深く立ちいる必要はなく」と、自民党の意向に合わせ、わざわざ加筆しているのです。
8 この結果、この時以後の小学校6年生社会科の政治経済学習の教科書記述では「条文解釈に深く立ち入る必要はない」との指導書の指示に従い、皮相的なものに終始するようになってしまいました。
9 これは、憲法学習を骨抜きにさせようとした自民党の政治的思惑に屈したものであるという点で、不当な改変です。
10 それだけではありません。この改変は最高裁判所大法廷判決(1976年5月21日、旭川学力テスト事件)に違反したものでもあるのです。
11 文部省は同大法廷判決で「学習指導要領に法的拘束力があると認められた」として、以後の教科書検定や授業内容監視などにおいて学習指導要領を大上段に振りかざし続けてきました。
12 「学習指導要領で示されていない事柄を勝手に教科書に記述したり授業で触れたりするのは認められない」という具合に、指導要領は最大許容限度を示しているものとして、規制の根拠にしていたのです。
13 このため、中学、高校の教科書検定でも憲法学習の詳しい記述が規制される事態が続出しました。
14 ところが1998年の夏、寺脇研・生涯教育課長「今こそ、『たかが学習指導要領』という思いを強く持ってほしいのです」という一文を、雑誌『総合教育技術』(小学館、1998年8月号)に掲載し、真逆のことを言い出したのです。
15 「指導要領は、教師が教えるミニマムの基準をまとめたものにすぎません」「それ以上のことを」「学ぶことを禁止したものでもありません」というのです。
16 さらに「画一的に、学習指導要領どおりに指導することとされていた時代があったことを否定するつもりはありません。文部省にしても、こうしなさい、ああしなさいという指示を出し、学校の裁量をあまり認めなかった時代が、過去にありました」とまで明言しています。
 文部省のそれまでの学習指導要領の位置づけは誤りだったと、認めたのです。
17 ちなみに現役の官僚が外部の雑誌等に寄稿する場合、上司の承諾を得なければなりません。
 従ってこの時のに寺脇氏が表明した事柄は文部省の見解ということになります。

18 では、なぜ文部省はこの時になって急遽、真逆の見解を表明したのでしょうか? 一つは「ゆとり教育」というスローガンの下で簡略化された新指導要領への批判が高まってきたので、同スローガン推進役だった寺脇氏が、急ぎ「指導要領は最低基準に過ぎないのであって、それ以上の内容を盛り込んでも許容されます」という説明が必要になった、という事情です。
19 加えて実は、改めて1976年の最高裁大法廷判決を精査してみると、そこには学習指導要領の「内容を通観するのに、おおむね」「地域差、学校差を超えて全国的に共通なものとして教授されることが必要な最小限度の基準と考えても必ずしも不都合とはいえない事項が、その根幹をなしていると認められる」と、あったのです。
20 つまり、最高裁大法廷は「学習指導要領は全国共通の学習の最低基準(=そこに示された内容を扱いすれば、後は自由に深めた内容に進んでも良いという目安)に過ぎないものとして、法的拘束力を認める」としていたのです。
21 それを文部省は「法的拘束力のある最大基準(マキシマム)」と言い換えて、権限行使を重ねてきたのです。この間、文部省は最高裁大法廷判決違反の行為を続けながら、そのことを国会などで指摘されないのをいいことに、国民を欺き続けていたことになります。
22 ところが第三次家永教科書裁判の東京高裁判決(1993年10月20日、川上正俊裁判長)の判決で、「学習指導要領等に法的拘束力があるというのであれば、それらは法規として解釈や運用が恣意的、便宜的になされてはならないことになる」との大原則を明示され、結果として争点となった8件の検定事例において3件に恣意的、便宜的な解釈と運用があったと認定し、職権乱用による違法検定だったという結論を示したのです。
23 この川上判決の論理に文部省は全く反論できず、上告をしませんでした。その段階で家永氏は争点の3点での勝訴が確定していましたが、残り5点についても違法検定と認めるように上告をしました。
 最高裁第3小法廷の判決(1997年8月29日、大野正男裁判長)では、川上判決の論理が踏襲され、さらにもう一件について違法検定と認定され、国側は40万円の賠償金の支払いを命じられます。
 家永訴訟はこうして家永さんの勝訴で終結しました。

24 この結果、文部省は学習指導要領をミニマムではなくマキシマム(指導要領で触れていない事柄を扱うことを認めない)の範囲を示したものとするそれまでの恣意的解釈と運用をその後も継続すれば、違法と認定されることになるので、急遽「本来は最低基準なのです」と説明をせざるをえなくなったのです。
 折しも私(高嶋)が横浜地裁に提訴(1993年)した教科書裁判も進行中でした。

25 ただし、この寺脇研氏の論考はあまり注目されず、教科書問題に取り組んでいる人々の間でも、「文部省は長い間、虚偽の説明と違法な権限行使をしてきたことになる」という指摘はほとんどされませんでした。
 そのためか、文部省はその後もしばらくの間、指導要領を従来通りに位置付けた状況での検定を強行していました。
26 けれどもさすがに、教科書関係者の間に「指導要領は最低基準を示しているにすぎないはず」との認識が定着してゆきます。
27 そこで文部省は、1998年12月告示の新学習指導要領ついて解説した『文部広報』(2000年11月、1026号)で、初めて公式に「指導要領は最低基準であり」「より高度な内容を教えることも可能である」と認めたのです。
 そこでは「子どもが能力・適性、興味・関心等に応じて学習できるよう(教科書執筆者や教員などの=高嶋注)選択の幅を拡大しています」とも説明をしていました。
28 これで文部省は、それまで学習指導要領をマキシマムとする説明と運用が最高裁大法廷判決に反するものであったと、公式に認めたことになります。
29 これは重大なことであったはずです。文部省の責任が厳しく問われるべき事柄でした。
 けれども、社会一般、教育学各界それに報道関係者などからはそうした声がほとんど上がりませんでした。声を挙げたのは私たち少数の者だけでした。
30 そうした状況を見透かした文部省は、文科省に変わってからの2002年1月18日に発表した『文部科学白書(旧・教育白書)』でようやく「これまで教育内容を厳格に統制してきた学習指導要領を『最低基準』だと初めて明記」(『朝日新聞』同日夕刊)したのでした。
31 このことを報道した上記の『朝日』記事もベタ記事で、よほど注意深く見なければ見落としてしまうような扱いでした。もちろん大法廷判決以後もだましの文部行政が続けられていたことになるなどの指摘は全くされていません。
32 そして今、再び文科省は学校現場に認められている教育内容の編成権(教育課程・カリキュラム編成権)への侵害行為を、あろうことか、教育課程課が先頭になって強行する事態が生じたわけです。
33 記者会見や合同ヒアリングで文科省に迫った質問者の側がこうしたいきさつを踏まえた質問をしていたら、教育課程課長や林文科大臣はどうしたでしょうか。
 彼らに”やぶ蛇”の認識をさせることが質問者たちにどれだけできるか心許ない限りです。
34 それでも、そうした質問者側の人々に、次の機会にはこの点からの追及で文科省の責任を厳しく問い糺してもらいたいものです。
 私は私なりに斬りこむつもりです。

35 長い説明をになりましたが、ご参考になれば幸いです。

    文責は高嶋です      転送・拡散は自由です

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