★ 種をまく。
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土屋 聡(宮城県・小学校教員)
闘う人が闘う。闘う人がそのことを話す。そこからが、問題。宮城県の小さな町で小学校教員をしています。20日が終業式。転勤した今年は集会に参加できません。でも、闘いはまだまだ続くので、焦りはありません。インクルーシブ教育、脱原発、ジェンダーフリー・LGBTアライをしっつ、森のようちえんや、小さな映画祭などに関わっています。お絵描きファシリテーターとして、earthday東北をはじめ、いろんな場で人と出会っています。震災以降、世界は広がるばかりです。希望は広がるばかりです。
聞く人は、どうするのだろう。
ある人は、闘いを始めるかもしれない。
ある人は、「勉強になりました」と満足するかもしれない。
ある人は、「私にはとてもできない」と褒め讃えるかもしれない。
ある人は、「私は何ができるだろう」と考えるかもしれない。
ある人は、「私と同じだ」と密かに共感するかもしれない。
「日の丸・君が代」にまつろわない(服わない・順わない)ということ。
その意義は、旗と歌にとどまらない。その地平は、広がるばかりだ。
けれども、その地平を示す場は限られている。
そして、シュプレヒコールは限られた人にのみ届く。
あらかじめ知っている人にしか届かないなら、
きっと大きな声はいらない。
小さな部屋から、いかに躍り出るべきか。
きっと、人が人であり続けるための知恵と同じ。
きっと、人にしかできないことをワクワクとあたためることと同じ。
きっと、上も下も、右も左も、大きいも小さいもない。
公平な場を共有することから、新しい芽は出ずる。
私は、絵を描く。
私は、みんなで絵を描く。
私は、歌う。
私は、みんなで歌う。
私の場合は、そんなちっぽけだ。
けれども、小さな部屋から、いかに躍り出るか、そのきっかけにはなると信じる。
闘いの歴史を消されない。
闘いの魂を踏みつけられない。
闘いの、人の営みの誇り。
あなたと手を繋こう。
あなたと繋がる、次の世代に、顔を合わせて、出会って、笑い合いたい。
聞く人が、
聞くことで終わらない場を、いかに作るか。
私は、真剣でありたい。
闘いは、私が死んでからも、続くから。
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