シリーズ【草の根保守の蠢動 番外編第7回】 (ハーバービジネスオンライン)
● まるで日本会議の改憲決起集会だった今年の「建国記念日中央奉祝大会」
建国記念の日だった2月11日、全国各地では建国記念日に対する賛否双方の立場からの様々な集会が開催された。
※(「自民議員、改憲に前向き発言 建国記念の日に賛否の集会」,2016年2月11日, 朝日新聞)
戦前には「紀元節」と呼ばれていたこの祝日は、終戦直後、GHQの指示により廃止された。「建国記念の日」として復活したのは1966年(昭和41年)。
後に「戦後初の草の根保守運動」と呼ばれるようになったこの「紀元節復活運動」は、20年以上という長い運動の過程で様々な議論を生んだ(※脚注)。今日に至るまで、建国記念日そのものについて賛否両方の立場から様々な意見発表がなされるのはその名残とも言える。
左右両陣営の古老たちが未だに60年代から引きずる古色蒼然たる文脈で集会やデモをやり続ける一方、マスメディアが「建国記念の日」について論説するケースは減った。
今年も、朝・毎・読、全て確認したが、「建国記念日」についての論説を掲載したのは、産経新聞だけだ。ただ産経新聞一紙のみが、社説を使って建国記念の日を論じていた。
社説のタイトルは「建国記念の日 政府自ら祝典を開催せよ」。内容は、タイトル通り「国民の熱い思いに、政府は真剣に応えるべき」なので「政府が直接関与する祝典」が必要だと主張するもの。
そして、この社説と同じ内容の主張を建国記念日のその日に訴えた人々がいた。それは、「建国記念の日奉祝中央式典」というイベントの登壇者たちだった。
● 建国を祝うどころか「改憲アピール」ばかりが目立つ
もとより「建国記念の日奉祝記念行事」は例年行われている。この集会が「政府主催の建国記念の日奉祝式典を求める」との主張を大会アピールとし採択するのも例年の事。
筆者は日本会議を追いかける前から、過去に何度かこの「建国記念の日奉祝中央式典」には参加している。当時は何も知らない純朴な子供のような頭で、「建国記念日を奉祝する愛国者がこんなにたくさんいるのだなぁ。喜ばしい限りだなぁ」と考えていた。
だが、今年は毛色が違う。どうも、余裕がないのだ。何か、ある種の必死ささえ漂っているのだ。
まずは受付。
受付で参加費1000円を払ってまず最初に目にしたのがこの光景。
⇒【写真】はコチラ http://hbol.jp/?attachment_id=82827
ここでも「改憲署名」が集められていた。
堂々と「美しい日本の憲法をつくる国民の会」と組織名が大書されたノボリを立てている。しかし「日本の建国を祝う会」が主催するこのイベントの協賛団体や賛助団体の中に、同会の名前はない。協賛団体でも賛助団体でもない組織の署名運動をイベント会場内で許容してるのだから、不思議だ。
署名ブースの隣には、物販コーナーが設けられていた。
もっとも目立つ場所で売られていたのは「女子の集まる憲法おしゃべりカフェ」と「まんが 女子の集まる憲法おしゃべりカフェ」の2冊。物販コーナーも建国記念日そっちのけで、改憲アピール一色だ。
改憲アピール一色だったのは、物販コーナーだけではない。登壇者の挨拶も、すべて改憲アピールに重点を置いたものだった。
この日、「建国記念の日奉祝中央式典」に登壇した政治家の主な顔ぶれは以下の通り
⇒【写真】はコチラ http://hbol.jp/?attachment_id=82830
自民党副総裁の高村正彦の挨拶も「党是である憲法改正について正々堂々と訴え、改正に向け筋道をつける」というもので、次の参院選では改憲がテーマになることを強調した。
中でも強烈だったのは、江口克彦・大阪維新の会国会議員団顧問の挨拶だ。
江口克彦は、挨拶の中で
「わたくしどもは、時代に相応しい憲法を、国民の手で作ることが大切であると考え、党内において、憲法改正の起草作業を進めているところでございます。」
「我々大阪維新の会も、参院選で、憲法改正を掲げて、戦う方針であり、まずは、参議院選挙後の新たな参議院で、改憲勢力として改正の発議に必要な2/3の議席を確保することを目指しております」
「そして、国会による憲法改正案の発議後に、国民投票で過半数を取れるよう、先般、『美しい日本の憲法をつくる国民の会』よりお預かりした、署名用紙を、党所属の国会議員に配布し、国民的議論を巻き起こすべく、全員で署名集めを行っております」
と、大阪維新の会が「改憲」を全面に立てた運動を展開していることを率直に認めた。
「建国記念の日奉祝」などそっちのけである。遮二無二、改憲をアピールしていた。
先述したように、筆者は日本会議を追いかける前から、過去にこの「建国記念の日奉祝中央式典」には参加している。例年、このイベントの司会は、中山直也という人物が務める。彼の流暢な司会ぶりを見るたび「毎年毎年、司会がうまいなぁ」と舌を巻いていた。その頃の記憶をたぐってみても、ここまで「憲法改正」を連呼するようなイベントではなかったはずだ。
登壇する政治家の挨拶も「奉祝のために家々に日の丸を掲げましょう」や「天皇陛下の弥栄を祈念します」などの建国記念日らしい通りいっぺんのものばかり。今年、高村正彦や江口克彦が行ったような、前のめりな改憲アピールがなされた記憶はない。
どうも余裕がないのである。
余裕のなさと言えば、もう一つ、気になった点がある。
● 壇上にあった「あの男」の姿
今年は、壇上に椛島有三の姿があった。このイベントは例年、日本会議・日本青年協議会の主導で行われている。
会場が明治神宮にあるからとて、このイベントを神社本庁主導であると考えてはいけない。そもそも神社本庁は職員数が少ない。こうした大規模イベントを行う体力がないのだ。先述した物販コーナーで売られていたものも、すべて、日本会議の本ばかりだし、司会の中山直也も日本青年協議会の人物。あらゆる面で、日本会議・日本青年協議会がこの式典を支えている。
とはいえ、これまで椛島有三本人が壇上に上がったことはなかったように記憶する。
例年であれば、壇上に上がる日本会議の関係者は、三好達(元最高裁判所長官)や小田村四郎(元拓殖大学総長)など、彼らが担ぐ、「神輿」のような人たちばかりだった。
しかし、今年は、椛島有三がいる。これまで運動の事務処理面を支え続け、表に立つことを控えていた椛島有三が壇上に座っている。
聞くところによると、日本会議が「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を通して集めている「改憲署名集め」はあまりはかどっていないという。昨年10月には関連団体に檄文が飛ばされ、より一層の署名集めの指示が出た。今年の正月、各地の神社で改憲署名のブースが目撃されたのは、その影響だ。
事実、去る11月に行われた「美しい日本の憲法を作る国民の会」の総会で発表された署名獲得数は、400万筆強でしかなかった。彼らがこれまで行ってきた「国民運動」の署名獲得数としては異例の低調さだ。中間発表の時点で、半数を超えていないことなど、彼らの過去の実績と比べれば、極めて珍しいパターンだ
だからこそ、彼らは、今、焦っているのだろう。
彼らの悲願である「憲法改正」に向けた千載一遇のチャンスであるはずの参院選を前にして、署名集めは遅々として進まない。なんとか事態を打開するため、大阪維新の議員たちをも使って署名集めをさせたり、神社で署名を集めたりと、性急な運動を展開させている。椛島有三は、その陣頭指揮に今一度立とうとしているのだろう。
彼らのこの「焦り」は、参院選に向けて、ますます加速していくだろう。なりふり構わず改憲の道につき進む日本会議の動向に、今後ますます、注視していく必要がありそうだ。
最後に、同大会で行われた日本会議名誉会長であり、元最高裁判所所長である三好達による「天皇陛下万歳」を皆さんにお聞かせして本稿を終えようと思う。
https://youtu.be/i-MU0csFcWE
※ 「紀元節復活運動」(66年に終結)と「元号法制化運動」(79年に終結)の2つは、戦後の「草の根保守運動」の嚆矢とも言える。しかし、この2つの運動の間に10年強の歳月が流れていることにご注意願いたい。この10年間で「草の根保守」の様相は大幅に変わった。この「戦後保守の様変わり」を解説することが本連載の大きな目的の一つでもある。しかし、この稿の主題に合致しないため今は省く。「建国記念日復活運動」については、『国民の天皇 戦後日本の民主主義と天皇制』(ケネス・ルオフ 2003年 共同通信社)を参照願いたい。
<取材・文・撮影/菅野完(Twitter ID:@noiehoie)>
『ハーバービジネスオンライン』(2016年02月15日)
http://hbol.jp/82823
● まるで日本会議の改憲決起集会だった今年の「建国記念日中央奉祝大会」
建国記念の日だった2月11日、全国各地では建国記念日に対する賛否双方の立場からの様々な集会が開催された。
※(「自民議員、改憲に前向き発言 建国記念の日に賛否の集会」,2016年2月11日, 朝日新聞)
戦前には「紀元節」と呼ばれていたこの祝日は、終戦直後、GHQの指示により廃止された。「建国記念の日」として復活したのは1966年(昭和41年)。
後に「戦後初の草の根保守運動」と呼ばれるようになったこの「紀元節復活運動」は、20年以上という長い運動の過程で様々な議論を生んだ(※脚注)。今日に至るまで、建国記念日そのものについて賛否両方の立場から様々な意見発表がなされるのはその名残とも言える。
左右両陣営の古老たちが未だに60年代から引きずる古色蒼然たる文脈で集会やデモをやり続ける一方、マスメディアが「建国記念の日」について論説するケースは減った。
今年も、朝・毎・読、全て確認したが、「建国記念日」についての論説を掲載したのは、産経新聞だけだ。ただ産経新聞一紙のみが、社説を使って建国記念の日を論じていた。
社説のタイトルは「建国記念の日 政府自ら祝典を開催せよ」。内容は、タイトル通り「国民の熱い思いに、政府は真剣に応えるべき」なので「政府が直接関与する祝典」が必要だと主張するもの。
そして、この社説と同じ内容の主張を建国記念日のその日に訴えた人々がいた。それは、「建国記念の日奉祝中央式典」というイベントの登壇者たちだった。
● 建国を祝うどころか「改憲アピール」ばかりが目立つ
もとより「建国記念の日奉祝記念行事」は例年行われている。この集会が「政府主催の建国記念の日奉祝式典を求める」との主張を大会アピールとし採択するのも例年の事。
筆者は日本会議を追いかける前から、過去に何度かこの「建国記念の日奉祝中央式典」には参加している。当時は何も知らない純朴な子供のような頭で、「建国記念日を奉祝する愛国者がこんなにたくさんいるのだなぁ。喜ばしい限りだなぁ」と考えていた。
だが、今年は毛色が違う。どうも、余裕がないのだ。何か、ある種の必死ささえ漂っているのだ。
まずは受付。
受付で参加費1000円を払ってまず最初に目にしたのがこの光景。
⇒【写真】はコチラ http://hbol.jp/?attachment_id=82827
ここでも「改憲署名」が集められていた。
堂々と「美しい日本の憲法をつくる国民の会」と組織名が大書されたノボリを立てている。しかし「日本の建国を祝う会」が主催するこのイベントの協賛団体や賛助団体の中に、同会の名前はない。協賛団体でも賛助団体でもない組織の署名運動をイベント会場内で許容してるのだから、不思議だ。
署名ブースの隣には、物販コーナーが設けられていた。
もっとも目立つ場所で売られていたのは「女子の集まる憲法おしゃべりカフェ」と「まんが 女子の集まる憲法おしゃべりカフェ」の2冊。物販コーナーも建国記念日そっちのけで、改憲アピール一色だ。
改憲アピール一色だったのは、物販コーナーだけではない。登壇者の挨拶も、すべて改憲アピールに重点を置いたものだった。
この日、「建国記念の日奉祝中央式典」に登壇した政治家の主な顔ぶれは以下の通り
⇒【写真】はコチラ http://hbol.jp/?attachment_id=82830
自民党副総裁の高村正彦の挨拶も「党是である憲法改正について正々堂々と訴え、改正に向け筋道をつける」というもので、次の参院選では改憲がテーマになることを強調した。
中でも強烈だったのは、江口克彦・大阪維新の会国会議員団顧問の挨拶だ。
江口克彦は、挨拶の中で
「わたくしどもは、時代に相応しい憲法を、国民の手で作ることが大切であると考え、党内において、憲法改正の起草作業を進めているところでございます。」
「我々大阪維新の会も、参院選で、憲法改正を掲げて、戦う方針であり、まずは、参議院選挙後の新たな参議院で、改憲勢力として改正の発議に必要な2/3の議席を確保することを目指しております」
「そして、国会による憲法改正案の発議後に、国民投票で過半数を取れるよう、先般、『美しい日本の憲法をつくる国民の会』よりお預かりした、署名用紙を、党所属の国会議員に配布し、国民的議論を巻き起こすべく、全員で署名集めを行っております」
と、大阪維新の会が「改憲」を全面に立てた運動を展開していることを率直に認めた。
「建国記念の日奉祝」などそっちのけである。遮二無二、改憲をアピールしていた。
先述したように、筆者は日本会議を追いかける前から、過去にこの「建国記念の日奉祝中央式典」には参加している。例年、このイベントの司会は、中山直也という人物が務める。彼の流暢な司会ぶりを見るたび「毎年毎年、司会がうまいなぁ」と舌を巻いていた。その頃の記憶をたぐってみても、ここまで「憲法改正」を連呼するようなイベントではなかったはずだ。
登壇する政治家の挨拶も「奉祝のために家々に日の丸を掲げましょう」や「天皇陛下の弥栄を祈念します」などの建国記念日らしい通りいっぺんのものばかり。今年、高村正彦や江口克彦が行ったような、前のめりな改憲アピールがなされた記憶はない。
どうも余裕がないのである。
余裕のなさと言えば、もう一つ、気になった点がある。
● 壇上にあった「あの男」の姿
今年は、壇上に椛島有三の姿があった。このイベントは例年、日本会議・日本青年協議会の主導で行われている。
会場が明治神宮にあるからとて、このイベントを神社本庁主導であると考えてはいけない。そもそも神社本庁は職員数が少ない。こうした大規模イベントを行う体力がないのだ。先述した物販コーナーで売られていたものも、すべて、日本会議の本ばかりだし、司会の中山直也も日本青年協議会の人物。あらゆる面で、日本会議・日本青年協議会がこの式典を支えている。
とはいえ、これまで椛島有三本人が壇上に上がったことはなかったように記憶する。
例年であれば、壇上に上がる日本会議の関係者は、三好達(元最高裁判所長官)や小田村四郎(元拓殖大学総長)など、彼らが担ぐ、「神輿」のような人たちばかりだった。
しかし、今年は、椛島有三がいる。これまで運動の事務処理面を支え続け、表に立つことを控えていた椛島有三が壇上に座っている。
聞くところによると、日本会議が「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を通して集めている「改憲署名集め」はあまりはかどっていないという。昨年10月には関連団体に檄文が飛ばされ、より一層の署名集めの指示が出た。今年の正月、各地の神社で改憲署名のブースが目撃されたのは、その影響だ。
事実、去る11月に行われた「美しい日本の憲法を作る国民の会」の総会で発表された署名獲得数は、400万筆強でしかなかった。彼らがこれまで行ってきた「国民運動」の署名獲得数としては異例の低調さだ。中間発表の時点で、半数を超えていないことなど、彼らの過去の実績と比べれば、極めて珍しいパターンだ
だからこそ、彼らは、今、焦っているのだろう。
彼らの悲願である「憲法改正」に向けた千載一遇のチャンスであるはずの参院選を前にして、署名集めは遅々として進まない。なんとか事態を打開するため、大阪維新の議員たちをも使って署名集めをさせたり、神社で署名を集めたりと、性急な運動を展開させている。椛島有三は、その陣頭指揮に今一度立とうとしているのだろう。
彼らのこの「焦り」は、参院選に向けて、ますます加速していくだろう。なりふり構わず改憲の道につき進む日本会議の動向に、今後ますます、注視していく必要がありそうだ。
最後に、同大会で行われた日本会議名誉会長であり、元最高裁判所所長である三好達による「天皇陛下万歳」を皆さんにお聞かせして本稿を終えようと思う。
https://youtu.be/i-MU0csFcWE
※ 「紀元節復活運動」(66年に終結)と「元号法制化運動」(79年に終結)の2つは、戦後の「草の根保守運動」の嚆矢とも言える。しかし、この2つの運動の間に10年強の歳月が流れていることにご注意願いたい。この10年間で「草の根保守」の様相は大幅に変わった。この「戦後保守の様変わり」を解説することが本連載の大きな目的の一つでもある。しかし、この稿の主題に合致しないため今は省く。「建国記念日復活運動」については、『国民の天皇 戦後日本の民主主義と天皇制』(ケネス・ルオフ 2003年 共同通信社)を参照願いたい。
<取材・文・撮影/菅野完(Twitter ID:@noiehoie)>
『ハーバービジネスオンライン』(2016年02月15日)
http://hbol.jp/82823
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