パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

研修成果2!?

2006年02月13日 | 増田の部屋
おはようございます。犯罪都教委&3悪都議と、断固、闘う増田です!
 センター=都教委が、以下のような「研修テーマ」を与えてくれましたので、私の研修成果2!? を、ちょっと長いんですけど、ご紹介します。


┌──────────────────────────────────┐
│2 平成17年11月7日提出の課題論文の中で『教育に対する無知と無理解の保│
│護者から「授業内容、授業方法が気に入らぬ」と教育活動を破壊するような不当な│
│干渉をしてきたら、排除することが責務である』と記述されている。このことについ│
│て、今後もこのような認識のもとで教育を行っていくつもりか。             │
│ あなたの考えを1200字~2000字程度で具体的に述べよ。           │
└──────────────────────────────────┘
<回答>
 まず、本研修課題作成者が引用したと思われる、私が作成した「平成17年11月7日提出の課題論文」における該当部分を確認しよう。

 【『心の東京革命行動プラン』(東京都)第一章が、「家庭での教育力の低下」として「子どもをどのような人間として育てていくのかという確たる考え方を持たず子どもをペット化したり、私物化したり・・・無責任な親」と指摘しているような『無責任な親』保護者が、教育に対する無知と無理解から「授業内容、授業方法が気に入らぬ」と、全く、事実に基づく正当な批判ではなく、完全に事実に反した不当な干渉をしてきたとしたら、教育公務員たる校長、教員、教育委員会などは、どのように対応すべきだろうか。

 通常は、このような『無責任な親』保護者に、即座に同調して『無責任な親』にお墨付きを与え、学校教育に混乱を齎すことが、『地域に開かれた学校』としての『地域社会・保護者の理解』を得ることである、などと胸を張るような、教員・校長・教育委員会など有り得ないことであるが、これは、当然のことである。このような場合、通常は、事実に基づいて、授業者の教員と、良く話し合う中で相互理解が行われ、『理解』が進んでいくのであり、当たり前であるが、校長であれ教頭であれ、教諭であれ、教育委員会であれ、すべての教育公務員は、相手が誰であれ、正当な批判ならば受け入れて『理解』を進めてもらう必要があるが、教育活動を破壊するような不当な干渉は排除することが責務である。】


 この部分と、本研修課題作成者による『教育に対する無知と無理解の保護者から「授業内容、授業方法が気に入らぬ」と教育活動を破壊するような不当な干渉をしてきたら、排除することが責務である』と比較すると、重要な条件を全て取り去ったものであることが一見して明らかであろう。

 第一に、「教育に対する無知と無理解の保護者」に対して私は、具体的に【『心の東京革命行動プラン』(東京都)第一章が、「家庭での教育力の低下」として「子どもをどのような人間として育てていくのかという確たる考え方を持たず子どもをペット化したり、私物化したり・・・無責任な親」】と、限定していたことを無視している。敢えて無視したのか、読んでも理解できなかったのかは問うまい。

 第二に、「授業内容、授業方法が気に入らぬ」については、「全く、事実に基づく正当な批判ではなく、完全に事実に反した不当な干渉をしてきたとしたら、」と限定していることを無視している。敢えて無視したのか、読んでも理解できなかったのかは問うまい。

 第三に、「教育活動を破壊するような不当な干渉は排除することが責務」の前に「正当な批判ならば受け入れて『理解』を進めてもらう必要があるが」と条件を挙げていることを無視している。敢えて無視したのか、読んでも理解できなかったのかは問うまい。

 さて、そこで、本研修課題作成者の文言「今後もこのような認識のもとで教育を行っていくつもりか」という詰問調の背後にある精神構造に配慮いたすならば、「今後」は

第一に【『心の東京革命行動プラン』(東京都)第一章が、「家庭での教育力の低下」として「子どもをどのような人間として育てていくのかという確たる考え方を持たず子どもをペット化したり、私物化したり・・・無責任な親」と指摘しているような『無責任な親』保護者が、教育に対する無知と無理解から「授業内容、授業方法が気に入らぬ」と、全く、事実に基づく正当な批判ではなく、完全に事実に反した不当な干渉をしてきたとし】ても、排除せず受け入れ

第二に【「授業内容、授業方法が気に入らぬ」と、全く、事実に基づく正当な批判ではなく、完全に事実に反した不当な干渉をしてきたとし】ても、排除せず、受け入れ、

第三に【正当な批判】でなくとも排除せず受け入れ、【教育活動を破壊するような不当な干渉】も排除せず受け入れて

という「このような認識のもとで教育を行っていくつもり」である、というのが「正解」ということになろう。

 さて、以上のような「認識のもとで教育を行っていくつもり」である、という回答が「正解」となると、中野区立桃園第二小学校のPTA会長だった高橋聡氏のような方が、社会科の「教育内容や指導方法に」、以下のように「干渉をしてきた」場合は、どうなるだろうか。

 つまり『「日の丸」「君が代」に関して、私はこのような都教委の強権的なやり方を支持できません。教育はこのような脅しや、個人の尊厳を無視した押し付けとは共存できるものではありません。私達は、例え「日の丸」「君が代」自体を認めるかどうかの立場の違いはあっても、自由であるべき教育の場を、強権的な規則の押し付けから守る事には共同すべきだと思います。このような押し付けから、本校が無縁である事、また、本校の子供達が将来に渡っても、内心の自由を傷つけられるような事態にならない事を心から願います。』

として、社会科の授業をしてほしいと、「干渉」された場合である。
 私は、初めは、もちろん、このような保護者も排除することなく「いずれの親にも、子どもにも、地域住民にも、思いだとか、願いとか、ある、これが一人一人たぶん違うと思い」、「こういう高橋氏のような考え方もあるよ」と授業に取り入れるのが良いかと考えていたのである。しかし、新聞報道によると、この時、高橋氏は桃園第二小の校長から、「学校の方針と違ったことを言ってはいけない。都教委の方針と違ったことを言うようではPTA会長として困る」と辞職を迫られて、あげく、「排除」された、とのことである。

 そこで、東京都教育委員会にあっては、このような校長のやり方が正しいと支持されているものと思い込んでしまい(なぜなら、この校長に対して、都教委が「どんな考えの保護者も排除してはならない。排除すべきなどと、今後もこのような認識のもとで教育を行っていくつもりか」と譴責した、というニュースは寡聞にして知らなかっため)、『教育に対する無知と無理解の保護者から「授業内容、授業方法が気に入らぬ」と教育活動を破壊するような不当な干渉をしてきたら、排除することが責務である』と考えるのが、東京都教育委員会お墨付き! の「認識」かと考え、それまでの「認識」を改めたのであった。

 しかし、このような詰問調の研修課題作成者の背後にある崇高な精神構造を考えると、「今後」は再び「認識」を改めなければならないか、と考えている次第である。

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