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考えなくても正解がわかる?思考停止している「道徳」の学習

2014年11月21日 | こども危機
 ◆ 「考えなくてよい」から、対話と参加へ
   -『私たちの道徳』を親として、子どもの権利の研究者として考えてみる-

安部芳絵(早稲田大学総合人文科学研究センター招聴研究員)

 ◆ 「考えなくてよい」道徳
 『私たちの道徳』(小学校1・2年生、3・4年生版は『わたしたちの道徳』。以下、『私たちの道徳』と記述)について、親として、また、子どもの権利を研究する者としてどう考えるか、というのが今回のお題である。
 編集部より『私たちの道徳』をお持ちですか?というお尋ねがあった。ええ、あります。うちの子が持ってます。
 我が家には3人の子どもがいる。小4、小2、保育園の年中さんである。小学校4年生の長男は、学校から帰ったらランドセルを放り投げて速攻で遊びにでかけるタイプである。
 さて、あるとき、その彼に質問してみた。「学校で何が一番好き?」一きっと「休み時間」とか「給食」とか「体育」などという答えが帰ってくるのだろうと思っていたら、そうではなかった。「道徳!」というではないか。
 え?道徳が好きなの?「そうだよ」親としても研究者としてもびっくりである。ここは「なぜ道徳が好きなのか」を問わねばなるまい。「だって、簡単だもん」簡単?「答えるの、簡単でしょ」「好きっていうか、楽。だって考えなくていいんだもん
 彼の中で道徳とは、「答え」があるものである。そしてその「答え」は非常にわかりやすい形で提示されているという。それは『私たちの道徳』の中にもわかりやすい形で描かれているし、もしかすると先生の顔色から判断することもあるかもしれない。
 いずれにせよ、他の勉強と違って「道徳は考えなくてよい」のだという。

 『私たちの道徳』は文部科学省のホームページでPDFが公開されている。一通り目を通してみることにした。なるほど、確かに「考えなくても正解がわかる」ような気がする,果たしてこれで、子ども達の道徳性は発達するのだろうか。頭を抱えてしまった。
 ◆ コールバーグの道徳性の発達段階
 ここで、ピァジェの認知発達論に基盤をおいたコールバーグ(1927-1987)の道徳性発達理論を参照したい。
 コールバーグは、道徳性の発達段階を提唱した世界的に著名な心理学者である。彼は発達段階を第1段階から第6段階まで設定した。
 第1段階は「他律的道徳性」であり、「子どもは道徳を権力や地位といったものに結びつけて捉える。それゆえによいこととは、罰を受けないことであり、大人の言うことに従うこと、である。この段階では「自分と他人の立場に同時に立つことができないため、純粋に自己中心的」である(荒木、2013:49)。
 第2段階は、「個人主義的道徳性」である。「~をしてあげるから~をしてもらう」「やられたらやりかえす」という商取引の考え方で人間関係を捉えている。「自分と他人の視点を同時に取ることができるようになり、自分の考えが異なることを理解できるようになる。しかし、この段階では人間関係を二者の関係で捉えるのみ」である(荒木、2013:49-50)。
 第3段階は、「他者に基づく道徳性」である。「他人が自分をどのように見ているかということが、道徳判断の基準になってくる。他人に賞賛されたい、褒められたい、期待されたいという『よい子』であること」がこの段階の特徴である。第3段階では他人の気持ちを尊重し、彼らに嫌われないふるまいができるようになる。つまり「二者に限定されていた人間関係は、自分とそれを取り巻く人々という人間関係に発展」する。(荒木、2013:50)。
 第4段階は、「社会的な組織を維持するための道徳性」である。「社会システムや法の中に存在している自己や他者という観点を取ることが可能になり、社会の一員として道徳的に思考することができる」ようになる。「社会的秩序や規律の保持ということが最も重要視」される(荒木、2013:52)。
 ◆ 無条件にその人格の価値を認める
 第5段階は、「社会契約あるいは最大多数の最大幸福、個人の権利や価値を尊重する道徳性」である。「絶対視していた社会秩序を客観的に判断する視点」を取ることができるようになる。これが「社会契約指向」と呼ばれるもので、「社会秩序の維持が道徳判断の基準」ではなく、「無から規則を理性的に作成する視点」の取得が可能となる。一方で「法や規律というものの存在を前提として道徳を捉えており、法の適用外の道徳的な問題について解決をえることはできない」(荒木、2013:53)。
 最後が第6段階「普遍的な道徳原理に基づく道徳性」である。第6段階を構成する要素は、「正義」の原理と「人格の尊重」の原理である。各発達段階においても正義は存在するが、第6段階になってはじめてそれは「原理化されたものとなる」。すなわち「どんな状況においても個人の主張は平等に考慮されるべきであるという、法に成文化されたものではない個人の固有の権利」が遵守され、「第5段階では解決しえなかった問題を解決できる視点が見出される」という。人格の尊重とは、「各個人を手段としてではなく目的として扱え」という原理であり、「その人となりを尊重すること、無条件にその人格の価値を認めること」である(荒木、2013:53-54)。
 ◆ ジャスト・コミュニティと子ども参加
 道徳性の発達段階を踏まえ、教え込むのではない実践としてコールバーグが考案したのがジャスト・コミュニティである。
 ジャスト・コミュニティは、「個人の思考判断だけではなく、コミュニティという協働の関係性をいかに構築していくか、ディスカッションではなく対話によって関係性を構築していく中でコミュニティ形成がなされ、そのコミュニティをよりよいものにしていくために個人がいかに関わるか」が、大きな柱となる(荒木、2013:◆法」
 ジャスト・コミュニティでは、個人の道徳性発達だけでなく「集団としていかに現実の聞題を解決したかという、最終的に決議された内容も重要」である(荒木、2013:178)。
 『私たちの道徳』を用いた学習では、道徳性の発達段階の第5・第6段階には至らないだろう
 ではどうすればいいか。答えは足元にあった。コールバーグは晩年、子どもの権利条約との関係が深いコルチャックの教育観に共感していたという。
 彼は、「コルチャックの孤児院が不正のない未来の世界を求め、なおかつそこにおいて、子ども達による自治の教育が為されたところに、ジャスト・コミュニティの模範となる姿を見た」のである(荒木、2013:134)。
 子どもの権利条約に基づいた、子ども参加実践は日本にもある。何より私は子ども参加の実践者であり、研究者でもある。
 予め枠が与えられた中で、「正解はきっとこうだから、考えなくてよい」と思考停止するのではなく、課題を設定していくことから子ども同士、子どもとおとなが対話し、解決への道筋を創っていくこと。そこからしか、道徳性の発達は望めないのではないか。(あべよしえ)
 ※参考文献 荒木寿友 2013『学校における対話とコミュニティの形成コールバーグのジャスト・コミュニティ実践』三省堂
 『子どもと教科書全国ネット21ニュース 98号』(2014.10)

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