ぴらにあの写真館 in 伊豆大島→都会へ(新・日記帳)

8年間の伊豆大島生活から都会へ移住しました…
旧日記帳(ODNまいぺーじの思い出)は、BOOK MARKよりどうぞ!

とうとうハノイ先輩のPCメンテ4年目、寝台列車で古都フエにも行っちゃうぞの旅!(3日目・PM)

2019-05-01 20:57:39 | おでかけ(海外)
*ちょっと不思議なカオリがするお姉さん(ぴらにあと同じ職業?)と一緒にツアーを回りました・・・の巻!

 今回のフエ日帰りツアーの参加者はぴらにあ&若旦那の2名と、ホイアンから参加のお姉さん(ぴらにあと同じくらいの年齢?)が1名の合計3名。このお姉さんはちょっとリッチな感じなので、ホイアンかダナンのリゾートホテルに泊まっていると思いました。「こっちは1泊2千円くらいの安宿なんですよ」とぴらにあが言うと、「ならいいホテルですね、私は千円ですよ!」だそうです。このお姉さんは見た目は大人しそうなんですけど、かなりアチコチに冒険の旅に出ているという。「女性一人で大丈夫なんですか?」とソフトに聞いてみると、「えぇ、結構アブナイ目に遭ってるんですよ!」ってフツーな感じで・・・

 「今までで一番危なかった体験は?」とぴらにあ、「高速道路ではね飛ばされたことですかね?」とお姉さん。一緒に行っていた友達が高速道路を渡ってしまったので、それに付いていったら見事に轢かれたんだとか。「別にケガもしなかったので、入院しませんでした!」だそうです。「あと、写真を撮っていて高い所から真っ逆さまに落ちたこともあります!」だって、この時は病院に担ぎ込まれたそうですけど、もはや女性の一人旅の危険性とは関係ありませんよね。ぴらにあもだいぶムチャしていると思ってたんですけど、まだまだ甘チャンだったなぁ・・・


【トゥドゥック帝陵から市内に戻りまして、レストランでランチでございます。あまり辛くないブンボ・フエ(フエ名物のおそば)と、バイン・セオ(お好み焼きみたいな卵焼き)が美味しかったですね。ミネラルウォーターが1本4万ドン(200円)だったのはビックリ!】


【昨日も1周したお城ですよ。ツアコンのチュンさんは説明が丁寧なんですけど、炎天下で20分説明してから中に入るのはいかがなモノかと。この日の最高気温は35℃、チュンさん曰く、「ベトナムの人は体温が高いので暑さに強い」んだそうです・・・】


【やっと城門に近づきましたが、まだまだチュンさんの説明は続きます。「もう中に入ろうよ!」とぴらにあが脱走してお堀を渡ってしまいましたが、そんなのに負けるチュンさんではありませんでした。淡々と説明を続けております・・・】


【城門の至る所にベトナム戦争の銃撃戦の跡が残ってます。中の建物もB52の爆撃でことごとく破壊されてしまったそうです・・・】


【正面の建物(太和殿)が皇帝の執務室で玉座があります。ここもメチャクチャに破壊されたのを復元したそうです・・・】


【沖縄の首里城と同じく、位によって座る場所が石でマーキングされています。太和殿の中は撮影禁止、中に飾ってある玉座だけはホンモノで、奇跡的に戦争で破壊されなかったそうです・・・】


【太和殿の裏には主にお后様の住まいがあったそうですが、破壊されたままで草原になってます。ちなみにミンマン帝(2代)にはお后様が500人いたそうです・・・】


【もう、暑いのでアイス食ってますよ。この後、お寺とドラゴンボート下りをしましたが、カメラとジャーニー先生をバスの中に忘れてしまったのでその様子は1枚もありません・・・】


【無事にジャーニー先生と再会、ホテルまでチュンさんに送ってもらいました。チュンさんもフエ在住なのでここで解散(バイクで帰っていきました)、同行の女性とドライバーさんはこれからホイアンまで3時間のドライブです・・・】


【さて、晩ゴハンはどこに行こうかと迷っていたら、「旧市街のバインセオの店に行ってくれば?」と女将さん。ここは粉モノと串焼きが評判だそうです。名物のバイン・コアイ(上新粉餅の上にエビや肉が乗っかって蒸してある)はちょっと面白い味でした・・・】


【串焼きも自分でライスペーパーで包んで、ピーナッツダレに付けて食べます。アラカルトで注文するのが面倒くさければ、5~6品のセットメニュー(12万ドン・600円)がオススメです・・・】


【フエの宮廷料理も魅力的だったんですけど、ここのお店の方がぴらにあのお好みの雰囲気でした。日が暮れると欧米人でいっぱいになりますので、ちょっと早めに行った方がよいですね・・・】
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改元記念…

2019-05-01 15:40:55 | プチ写真館
パンツと靴下を買いに行ったスーパーで100円でゲットしました。小娘さんのリュックのジャラジャラがひとつ増えますね…
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とうとうハノイ先輩のPCメンテ4年目、寝台列車で古都フエにも行っちゃうぞの旅!(3日目・AM)

2019-05-01 09:37:32 | おでかけ(海外)
*帝陵巡りで阮(グエン)朝の歴史を学ぶ、しかし暑かったなぁ・・・の巻!

 フエはベトナム最後の王朝である阮(グエン)朝の都なんです。去年、ダラットでバオダイ王の別荘を見学しましたけど、そのバオダイ王は阮朝の最後の王様です。レンガの城壁で囲まれた王宮も有名なんですけど、郊外に点在している帝陵(お墓)にも行ってみたいんですよね。というワケで、フエ一日観光ツアーの始まり~!


【ホテルのロビーはツアーデスクになっていて、ベトナム各地や周辺国に行くバスチケットも取り扱ってます。フエからハノイまで寝台バス(たぶん)で13時間(12米ドル)だそうですけど、安いと思ってうっかり乗るととんでもない目にあう可能性が・・・】


【ホテル代に食事は含まれてませんが、4万ドン(200円)くらい払うとホテルの女将さん(新潟出身)が作ってくれます。女将さんは色々と旅のアドバイスをくれて、とても参考になりました・・・】


【空港までタクシーで約25万ドン(1,250円)、ベトナム航空のバスだと1人5万ドン(250円)らしいッス(女将さん情報)。とりあえず、ツアーの出発まで時間があるのでベトナム航空の営業所に行ってみましょう・・・】


【なんかね、2人分(10万ドン)を払うと手書きのチケットをくれました。で、ホテルにも迎えに来てくれるそうですけど、あまりにも雑なのでかな~り心配になりました。お金のモンダイよりホントに来るんだろうかという・・・】


【さて、時間通りにツアコンのお兄さんが迎えに来ました。ホイアンから参加の女性(1名)はバスで3時間の旅だったそうです。まずは12代のカイディン帝(1,916~1,925年)の帝陵に来ました、入場券はカードなんですね・・・】


【帝陵は王様なら誰でも作るわけではなくて、在位中に亡くなること(生前退位は帝陵にならない)、作る資金があったこと、在位期間中に建築する時間があったこと(在位期間が短いと作れない)、帝陵を作る意志が皇帝にあったこと、だそうです・・・】


【帝陵の中には必ず左右に分かれて兵馬俑みたいなのがあります。どちら側かが武官で、反対側が文官だそうです・・・】


【カイディン帝は設計やデザインが得意で、この帝陵はほとんど本人が設計図を書いたんだそうです。しかし、かなり安っぽい感じ(ゴメンナサイ)がしまして、この壁は大理石じゃ亡くてコンクリに炭で模様が描いてあるだけです・・・】


【わざわざ日本からビール瓶なんか輸入して、壁面の装飾に使ってるんだそうです。この帝陵を建てた頃はベトナムはかなりの財政難で、カイディン帝が税金をメチャクチャに上げたので、ベトナムの人たちはカイディン帝を嫌ってるそうです・・・】


【普通、帝陵のどこに遺体が安置されているのかはヒミツなんですけど、カイディン帝だけはこの台座の下9mに埋葬されていることがわかってます。「たぶん、大したお宝が埋められてないから・・・」とツアコンのお兄さんが言ってました・・・】


【まぁ、とにかくドラゴンが好きなんです。この帝陵はかなり年季が入った感じがしますけど、建てられたのは日本なら大正時代なんですよね・・・】


【カイディン帝はバオダイ帝(13代)のお父さんなので、やっぱり写真は似てますよね。で、この人はアッチの気が強いことで有名(写真もまさにそんな雰囲気)なんだそうです・・・】


【カイディン帝陵から次のトゥドゥック帝陵に向かう途中、お線香屋さんに寄りました。お香の素に香りの粉(シナモンやレモングラス)を混ぜて、手作業で細い棒に巻き付けていきます。ベトナムの人はこの線香が大好きです・・・】


【線香屋さんは何軒も並んでいて、外で軸の棒を干してます・・・】


【売り物の傘で遊んでる若旦那。実はこの傘は主に若い女性が被るモノだそうで、いわゆるJK的なイメージなんだそうです・・・】


【線香屋さんからほど近く、4代のトゥドゥック帝陵に到着しました・・・】


【先ほどのカイディン帝陵の絢爛な雰囲気とは全く違い、こちらは静かな時間が流れております・・・】


【そこら中にジャックフルーツが実ってました・・・】


【トィドゥック帝は人気があった皇帝で、13代の皇帝の中で一番長く36年間在位しました。しかし、フランス統治真っ只中だったため市中の王宮には住まず、こちらの帝陵で半生を過ごしたそうです・・・】


【子だからに恵まれなかったトゥドゥック帝以後、5代目からの皇帝は血のつながりも無くなり、フランスの傀儡王朝としての歴史を歩むことになったと、ツアコンのチュンさんが説明してくれました・・・】
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