箆柄暦『箆柄日記(ぴらつかにっき)』

沖縄へ流れ着いた箆柄暦のぴらつかさんの
沖縄的日常とか、イベントの感想とかを綴る。
戻れぬ 旅だよ 人生は…。

糸満のとぅばらーま

2005-10-03 00:28:04 | 箆柄日記
公設市場衣料部の着物屋さんで、比屋根孝子先生にばったりと会った。孝子先生は八重山民謡の唄者の中でも代表的な女性唄者の一人。着物姿でキリリとしたイメージしかなかったが、今日は普段着の孝子先生であった。


孝子先生、良い笑顔です!

比屋根孝子といえば、八重山民謡の代表的な唄者の一人で、特に女性の唄者としては代表格の一人だ。とぅばらーまは自身も得意としているが、返しとしても数々の先生の相手を務める実力派、先日のとぅばらーま糸満大会でも審査員を務めた。

孝子先生にも、とぅばらーま糸満大会について聞いてみた。
すると意外ないい話が聞けた。

第1回とぅばらーま大会は、孝子先生も参加している模合の席が切っ鰍ッだったのだそうだ。糸満に住む模合仲間で話をしているうち、何か糸満を元気にするイベントはできないかという話になり、思いついたのが「とぅばらーま糸満大会」だった。

思いついたはいいけれど、大都市那覇で二年に一回開催されている「全島とぅばらーま大会」ですら、毎回出場者も観客も減少傾向にあるのに、糸満で人が集まるのかと周りには心配する声も少なからずあったようだ。私もそう思っていた。

それでも、みんなで毎週集まり、「なぜ糸満でとぅばらーま大会なのか」のコンセプト作りから始まり、会場の手配、広告協賛集め、会場の手配などに奔走した。孝子先生もFMたまんの担当番組を中心に、宣伝を続けたのだそうだ。

おかげで当日は大盛況。会場の糸満観光農園周辺は人であふれ、取材に来ていた八重山毎日新聞の記者も「石垣大会以上の賑わいだ」と漏らしていたらしい。平坦なグラウンドで行われる石垣大会と違って、すり鉢状で見やすい会場も好評だったそうだ。

大会の内容も評価が高く、孝子先生も驚いていた。優勝のモハメッド・ブリ君、準優勝の三浦直信さんに次いで、三位入賞した中学生の小渡大海(具志頭村)君は孝子先生のお弟子さんで、これも嬉しかったことだろう。

嬉しかったのは、審査員を頼まれた、仲宗根長一、山里勇吉両御大。宮良康正先生、大工哲弘さんらも同じだったのではないだろうか。おそらくここまで人が集まるとは、当日まで予想していなかっただろう。

さて、市民の手で成功を収めたこの大会。大会後の懇親会では、糸満市の三役もその成功を認めざるを得なかった。次回から行政の協力も約束されたようだ。観光農園も糸満ワインや食堂の売り上げでかなり潤ったらしいので文句はないだろう。

大会の翌日、孝子先生が糸満の市場を歩いていると、みんなから「すばらしかった、毎年やってほしい」と声をかけられたそうだ。しかし、毎年となると大変な労力が必要だし、二年に一回は「全島とぅばらーま大会」とバッティングしてしまう。嬉しい悩みで今どうするか検討中なのだそうだ。

話を聞いていたら、ますます行けなかったことが悔やまれたが、上手くいかないと囁かれながらも自分たちで努力し成功したという話しを聞いて胸がすくような思いだった。自分たちで積み上げた成果を多くの観客が支持し、最後に行政も認めざるを得なかったなんて、最近なかなか聞けない話だ。

孝子先生とは何度もお会いしているし、番組にも出演させて頂いたこともあるが、今日ほど晴れやかで自信に満ちた表情を見たのは初めてだ。なにかをやり遂げた人の笑顔は美しいと感じた。


コメント
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