ここ毎年なんだかんだで石垣での八重山古典民謡コンクールに足を運んできたが、今年は受験しないので石垣には行かない。なんだかとても寂しい。コンクールという盛り上がりに取り残されたような感じ。
乏しい蓄えをやりくりして、毎回何とか石垣まで行き、コンクールに挑戦してきた。フェリーで行ったこともあるし、何週間も前から安いチケットをあさったのに台風で延期になった年もあったっけ。
コンクールの是非や、それに伴う実力については話を別にして、コンクールには一種の習慣性のような物があるように思う。これを目標にお稽古を重ねて、一年に一度あの舞台に座る。そこでの緊張感は何とも言えない快感でもある。
一種のロールプレイングゲームのように、お稽古の中で少しづつ発見を繰り返し、あたらしい課題曲と取り組みながら、できないことができるようになってゆく。快感と自信。エンタテイメントとはちょっと違うけど、これもまた藝の道。

このハレの舞台に立てるように、皆さんあとちょっと頑張ってください!
八重山毎日新聞でも大きく誌面が割かれて、石垣全体が緊張感に包まれているような感じ。審査発表が終われば、島全体が喚起と安堵に包まれるような感じは、全くの思いこみでもないだろう。不合格でもまたそれなりの開放感。
そんなわけで、来年の最優秀賞に向けてよろりと動き出した。
まだまだリハビリ中。
乏しい蓄えをやりくりして、毎回何とか石垣まで行き、コンクールに挑戦してきた。フェリーで行ったこともあるし、何週間も前から安いチケットをあさったのに台風で延期になった年もあったっけ。
コンクールの是非や、それに伴う実力については話を別にして、コンクールには一種の習慣性のような物があるように思う。これを目標にお稽古を重ねて、一年に一度あの舞台に座る。そこでの緊張感は何とも言えない快感でもある。
一種のロールプレイングゲームのように、お稽古の中で少しづつ発見を繰り返し、あたらしい課題曲と取り組みながら、できないことができるようになってゆく。快感と自信。エンタテイメントとはちょっと違うけど、これもまた藝の道。
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このハレの舞台に立てるように、皆さんあとちょっと頑張ってください!
八重山毎日新聞でも大きく誌面が割かれて、石垣全体が緊張感に包まれているような感じ。審査発表が終われば、島全体が喚起と安堵に包まれるような感じは、全くの思いこみでもないだろう。不合格でもまたそれなりの開放感。
そんなわけで、来年の最優秀賞に向けてよろりと動き出した。
まだまだリハビリ中。