おかげさまで、箆柄暦も今年の『五月の沖縄』で、創刊三周年を迎えました。たったひとりで始めたこの小さなメディアが、いろんな人達に支えられてここまで歩いてくることができました。ほんとうにありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
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さて、箆柄暦は最初イベントカレンダーが載っている片面でスタートしました。それを見た現・東京担当の高橋がたいそう面白がり、両面にしようと言いだし、インタビューやCD情報などを載せるようになりました。
その頃はまだ発行部数3000部くらいだったと思います。半分は自分で県内のホテルやショップに手配り、半分は東京担当高橋が東京の沖縄料理屋さんなどに配って回ってくれていた程度です。
今考えると、媒体としての力は無いに等しかったのに、快く取材に応じて頂いたインタビュー第1号のよなは徹さんはじめ多くの皆さん、サンプル音源を提供して頂いたり招待券をお送り頂いたレーベルやイベンターの皆様、本当に感謝しております。
いま、箆柄暦だけでなく、78タイフーンfmやウルマックスといった形も含め、媒体としての幅は大きく広がってきました。もっともっと多くの方々の目に触れる媒体となることで、関わって頂いた皆さんの認知を高め、お返しすることにつなげられるよう、これからも前進してまいります。
その一方で、営業担当新里が配布を頑張ってくれるようになり、私自身がお邪魔することはめっきり減りました。「あのナイチャー、すっかり顔を見せなくなったねぇ」とお思いかと存じますが、不義理と思わずどうかお許しください。
紙でも、電波でも、ウェブでも、もっともっと関わって頂いた皆さんにお返しできる媒体になりたいと、このゴールデンウィークもお仕事中心に、ぱたぱたと過ごしておりますので…。
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さて、箆柄暦は最初イベントカレンダーが載っている片面でスタートしました。それを見た現・東京担当の高橋がたいそう面白がり、両面にしようと言いだし、インタビューやCD情報などを載せるようになりました。
その頃はまだ発行部数3000部くらいだったと思います。半分は自分で県内のホテルやショップに手配り、半分は東京担当高橋が東京の沖縄料理屋さんなどに配って回ってくれていた程度です。
今考えると、媒体としての力は無いに等しかったのに、快く取材に応じて頂いたインタビュー第1号のよなは徹さんはじめ多くの皆さん、サンプル音源を提供して頂いたり招待券をお送り頂いたレーベルやイベンターの皆様、本当に感謝しております。
いま、箆柄暦だけでなく、78タイフーンfmやウルマックスといった形も含め、媒体としての幅は大きく広がってきました。もっともっと多くの方々の目に触れる媒体となることで、関わって頂いた皆さんの認知を高め、お返しすることにつなげられるよう、これからも前進してまいります。
その一方で、営業担当新里が配布を頑張ってくれるようになり、私自身がお邪魔することはめっきり減りました。「あのナイチャー、すっかり顔を見せなくなったねぇ」とお思いかと存じますが、不義理と思わずどうかお許しください。
紙でも、電波でも、ウェブでも、もっともっと関わって頂いた皆さんにお返しできる媒体になりたいと、このゴールデンウィークもお仕事中心に、ぱたぱたと過ごしておりますので…。