今日、教会で聖歌隊のご奉仕があって、「球根の中には」
という歌をうたっていました。
球根の中には 花が秘められ
さなぎの中から いのちはばたく
寒い冬の中 春はめざめる
その日 その時を ただ神が知る
沈黙はやがて 歌に変えられ
深い闇の中 夜明け近づく
過ぎ去った時が 未来を拓く
その日 その時を ただ神が知る
いのちの終わりは いのちの始め
おそれは信仰に 死は復活に
ついに変えられる 永遠の朝
その日 その時を ただ神が知る
「球根の中には」
讃美歌21 575番
Noneも聖歌隊なのですが、前まではボソボソ歌って
いるだけだったのですが、それなりに頑張って歌って
くれるようになったのでうれしいです。
日曜は理科社会の塾の代わりに自習する日なので、
今日もそうしてもらいました。
昨日の進研ゼミはNoneに選ばせたら数学を選んだ
ので、そうさせていたのですが、たぶん、社会がいきなり
自分の知識を試される教材になっていたので、自信が
なかったんじゃないかと思いました。(事前に見て、
たぶん小学生のときの塾でもいくらか習った内容なの
だろうと思ったけれど、覚えてるかなと思ってたのです。)
理科も社会も忘れている内容だったら、持っている参考書を
見ながら進研ゼミのテキストに書き込んでいって、覚えるまで
繰り返し見る、という方法をとるほうがいいと思うよ、と
助け舟を出しました。
そうしたらNoneの曇っていた表情が明るくなって、今日
午後から理科社会やるよ。覚えるまで時間がかかると思うけど
頑張るからね、と、言ってくれました。
Noneにはお菓子を用意してあげようと思って、何が
いいか聞いたら「ポン菓子」と言われ、勉強しているNone
を置いて買いに行ったのですが、昔ながらのポン菓子は最近
売っていなくて、玄米をシリアルのようにしました、という
ちょっと変わったタイプのものしかなかったのですが、それと
なかったら「ぼんち揚げ」と言われていたので、その両方を
買って帰りました。
ポン菓子は前から食べたいと言われていたのですが、見かける
ことがなかったので、言われたまま渡さないでずっといたもの
でした。
出かけている間もNoneはちゃんと勉強していましたという
感じの量をこなしていて、ちょっとおやつタイムをはさんで
理科と社会を合計2時間ぐらいしました。
5時前に主人はNoneを迎えにきました。迎えの車には
義母はいなかったのですが、回転寿司屋の順番待ちの役の
ほうをやっていたのか、現地にはいたそうです。
英検2級のご褒美に、主人から図書カード5千円分と、
義母からも現金3千円もらっていました。
去年中学入学の必要品の案内の書類に合わせて入れていた
準2級の合格書のコピーには義母はキレて電話かけてきて、
英語なんかできても、私のような低賃金の就職しかできないから、
余計なことをするんじゃない、うちの子(主人)のように
育てた方が所得が上がるんだ、というような内容の文句を
以前言われたのですが、中1で2級の合格は義母の宗教団体の
仲間にも褒められたりちょっと鼻が高くなるような体験でも
できたのかなと思います。それか、主人から褒めるように
言われたのでしょうか。
Noneはどのように成長するのだろう、それをそのときの
人々はどう受け入れていったり離れていったりするのだろう、
待ちながら、ずっと置いていたキクタンの中国語の単語を
エクセルに自分が覚えやすいように入れる作業をしていました。
夕食を私と母で食べて、主人たちと食事するNoneを
待ちながら、私たちが離れてしまうようなことがないだろうか
とか、さすがにそれはないだろうと思ったり。でも女の子です
から、普通に嫁いでいなくなる可能性はすごく高いですしね。
(現時点ではNoneが将来結婚する気がないのですが、むしろ
私の方が、適度な距離の土地で連絡がつくぐらいの状態で結婚
してほしいし、子どもも生んでほしいと思っています。)
Noneは意外に早く帰り、今日でキクタン中国語の入門編を
全部エクセルにできるかと思いましたが、それより早く帰って
来ました。
未来につながると思ってNoneに理科社会をやらせたり
自分が中国語をしたりするのですが、それは私にとって
祈りの変形かもしれないと思える時があります。
塾で上位をとったり、英検をとったりして、見捨てられそう
だったわが子が父親と和解のように食事をしている、それは
ひとつの祈りへの答えではないだろうか、と私は思います。
本当に、その日その時をただ神が知る、という今日のフレーズが
頭の中にこだました1日でした。
だいたいこんな感じです。
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
ランキングに参加しています。応援クリックお願いします。
という歌をうたっていました。
球根の中には 花が秘められ
さなぎの中から いのちはばたく
寒い冬の中 春はめざめる
その日 その時を ただ神が知る
沈黙はやがて 歌に変えられ
深い闇の中 夜明け近づく
過ぎ去った時が 未来を拓く
その日 その時を ただ神が知る
いのちの終わりは いのちの始め
おそれは信仰に 死は復活に
ついに変えられる 永遠の朝
その日 その時を ただ神が知る
「球根の中には」
讃美歌21 575番
Noneも聖歌隊なのですが、前まではボソボソ歌って
いるだけだったのですが、それなりに頑張って歌って
くれるようになったのでうれしいです。
日曜は理科社会の塾の代わりに自習する日なので、
今日もそうしてもらいました。
昨日の進研ゼミはNoneに選ばせたら数学を選んだ
ので、そうさせていたのですが、たぶん、社会がいきなり
自分の知識を試される教材になっていたので、自信が
なかったんじゃないかと思いました。(事前に見て、
たぶん小学生のときの塾でもいくらか習った内容なの
だろうと思ったけれど、覚えてるかなと思ってたのです。)
理科も社会も忘れている内容だったら、持っている参考書を
見ながら進研ゼミのテキストに書き込んでいって、覚えるまで
繰り返し見る、という方法をとるほうがいいと思うよ、と
助け舟を出しました。
そうしたらNoneの曇っていた表情が明るくなって、今日
午後から理科社会やるよ。覚えるまで時間がかかると思うけど
頑張るからね、と、言ってくれました。
Noneにはお菓子を用意してあげようと思って、何が
いいか聞いたら「ポン菓子」と言われ、勉強しているNone
を置いて買いに行ったのですが、昔ながらのポン菓子は最近
売っていなくて、玄米をシリアルのようにしました、という
ちょっと変わったタイプのものしかなかったのですが、それと
なかったら「ぼんち揚げ」と言われていたので、その両方を
買って帰りました。
ポン菓子は前から食べたいと言われていたのですが、見かける
ことがなかったので、言われたまま渡さないでずっといたもの
でした。
出かけている間もNoneはちゃんと勉強していましたという
感じの量をこなしていて、ちょっとおやつタイムをはさんで
理科と社会を合計2時間ぐらいしました。
5時前に主人はNoneを迎えにきました。迎えの車には
義母はいなかったのですが、回転寿司屋の順番待ちの役の
ほうをやっていたのか、現地にはいたそうです。
英検2級のご褒美に、主人から図書カード5千円分と、
義母からも現金3千円もらっていました。
去年中学入学の必要品の案内の書類に合わせて入れていた
準2級の合格書のコピーには義母はキレて電話かけてきて、
英語なんかできても、私のような低賃金の就職しかできないから、
余計なことをするんじゃない、うちの子(主人)のように
育てた方が所得が上がるんだ、というような内容の文句を
以前言われたのですが、中1で2級の合格は義母の宗教団体の
仲間にも褒められたりちょっと鼻が高くなるような体験でも
できたのかなと思います。それか、主人から褒めるように
言われたのでしょうか。
Noneはどのように成長するのだろう、それをそのときの
人々はどう受け入れていったり離れていったりするのだろう、
待ちながら、ずっと置いていたキクタンの中国語の単語を
エクセルに自分が覚えやすいように入れる作業をしていました。
夕食を私と母で食べて、主人たちと食事するNoneを
待ちながら、私たちが離れてしまうようなことがないだろうか
とか、さすがにそれはないだろうと思ったり。でも女の子です
から、普通に嫁いでいなくなる可能性はすごく高いですしね。
(現時点ではNoneが将来結婚する気がないのですが、むしろ
私の方が、適度な距離の土地で連絡がつくぐらいの状態で結婚
してほしいし、子どもも生んでほしいと思っています。)
Noneは意外に早く帰り、今日でキクタン中国語の入門編を
全部エクセルにできるかと思いましたが、それより早く帰って
来ました。
未来につながると思ってNoneに理科社会をやらせたり
自分が中国語をしたりするのですが、それは私にとって
祈りの変形かもしれないと思える時があります。
塾で上位をとったり、英検をとったりして、見捨てられそう
だったわが子が父親と和解のように食事をしている、それは
ひとつの祈りへの答えではないだろうか、と私は思います。
本当に、その日その時をただ神が知る、という今日のフレーズが
頭の中にこだました1日でした。
だいたいこんな感じです。
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
ランキングに参加しています。応援クリックお願いします。