地球へ ようこそ!

化石ブログ継続中。ハンドルネーム いろいろ。
あやかし(姫)@~。ほにゃらら・・・おばちゃん( 秘かに生息 )。  

遺言 ( ゆいごん )

2015-02-08 05:35:20 | エンディング ノート
                

そりゃあね、今すぐ あの世にお出かけ~なんては思ってません。
それに そのようなイメージは全く持っていないわけです。

だけど、前半の人生に対しては、はっきりと不満を持っているわけです。それを解消してというのか、消化してからあの世にもどりたいのです。

よって、まあ 他人様にはどう思われようともかまわないので、現時点での考えを書き記しておこうと思う。
2015・2・8 付けのもの。以後人生の行程によって変化することはありうる。
大体 只今は ろくでもないことを思いつく時期かも知れないのでね。

< お墓 >
おばちゃんの所にある、みなさん御一緒の墓地。ランドセルではなく、プレートの方で十分。確か 33回忌まで年に二回ほどお坊さんがきてお経をあげてくださると言う話だった。

 子供たちに余計な金銭や心の負担をかけたくない。
ex、例えば あ~御彼岸だ、お墓参りに行かなくちゃあ。とかお墓のお掃除をしなくちゃあとかそういう事。行きたくないのに、行かなくちゃあという MUSTの感じが好きじゃない。
まあ そりゃあ 来てくれれば嬉しくない事はないだろうけどね。

それに、近所に住んでいるとは限らないでしょ、色々な意味で負担をかけたくないと思う。

それより ふと思いだした時に、御母さん、一緒にコーヒーを飲もうね、とか おうどん食べようね、とか言ってもらえる方が嬉しいしありがたい。

お葬式にもお金をかける必要はない。家族葬で十分。最低のランクのものでよい。
お友達に知らせるかどうかは まだ考えていない。

御香典がぱらぱらと集まったとして・・・それは全部どこかに寄付する。
行く先は考えてはいない。
それって困るわね。ん~。強いて言うならば、未来の子供たちを育てる為の どこかの場所、だな。

自分がお位牌になって?(=戒名を頂いて。院の字はいらない。安いもので十分。)お仏壇には入るのか?わからないけど・・・?
例の 笑える これ 誰?の美しいワタクシの写真は机の上に飾っておこう。

(チ~ン)ん? これ 誰?え~~~~~っ うっそ~~~~っ みたいな。。。
想像するだけで むちゃくちゃ笑えるんだけど。。。

しくしく泣く なんていうことは好きじゃアないんだ。自分はよく泣くけど・・・。
おもろい人やったな~と言われたい。
本来は違うと思うけど。

< 貯金 >
貯金通帳 M は 田舎の姉さんへ。これは私が先に出かけた場合。実家のことは殆ど全部まかせっきりだったからね。あといのちの恩人でもあるわけなので・・・。

残りのものは お葬式などの費用を除いて 子供 AとBでニ分割する。死にかけそうになったら さっさかおろしておくこと。それが可能なのかは ちょっとわからないけど?

オットなるひとは十二分に持っているから大丈夫、将来にわたっても保証されているから大丈夫。なし。

しかし・・・残るとは限らないなあ。せめて 借金だけはしないようにしようと思う。
                   ・・・ こんなもんかな。

そうだ 忘れていた 延命治療だけはしないで頂きたい。チューブをつけて生きるのだけは勘弁してほしい。
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エンディングノート ( 2 ) 生まれおちたるは・・・おおさか

2013-10-07 04:52:34 | エンディング ノート
お葬式に行きたくても行けなかったりすることがあるだろう。みんなそれぞれに忙しいのだ。

でね、いい事を思いついたんだ。この場をお借りして( GOOさま ありがとうございます。)
故人(←ワタシが亡くなった場合の話 )をしのんでもらおう!っていうアイディアなんだわ。( どうですかね? )

このブログを見ていただいて、( ひょえ~~っ こんな人だったのか~~~ ) って思って、色々感じていただければ幸い。
ほんの一部分のワタシだけれど、所々に真実をちりばめておきましたんで・・読んで懐かしんでくんつぇ。

写真をアップしていきましょう。



ワタシは大阪の西九条と言う場所で生まれた。
姉さんは父の実家の近くで生まれたと思うので山口県生まれと言う事になる。
どこで生まれたか?という事は左程問題ではないのかも知れないけれど、ワタシは『 産土神社 』( うぶすなじんじゃ ) に関心があるのでね。

写真に写っている鳥かご、この鳥かごの角っこに額をぶつけて、眉間に3センチ位の傷ができた。当然今もその傷は残っている。おてんばだったのか?運動神経が鈍かったのか?さだかではないが、後頭部 左側にも切り傷がある。

その後頭部の傷は、恐らく 3 ~ 4 歳頃のものであると思う。ブロック塀の上を綱渡りみたいにして歩いていて落っこちたんだ。落っこちたあとの記憶は

1、診療所の外の水道で 頭の血を洗い流している。
2、ぐるぐるまきの包帯。
3、そんな状況下、どうやらその日( その日から何日かたっているかも? )はお地蔵さんのお祭りだったとみえて家の前で行われていた盆踊りに参加し、まちがって閉めだされる。

どこかのおじさんが、おうちの玄関を叩いて あけてもらう。母はワタシがお布団の中にいると思っていたらしい。

その時、たいの形をした、オレンジ色のお菓子の袋を持っていたようにも思う。盆踊りよりも、お菓子をもらいに外に出たのではないだろうか? 食い意地がはっていた。

盆踊りの歌は ♪ どっこい どっこい チ―ン チン どっこいどっこい チン もっちゃげて ほい(=持ち上げてほい?)
それ い~とこ は~とこ いとはとこ? それよよいとサッサ ♪   なんだか そんな歌詞 


チンは お鈴か? い~とこ って 従兄のこと? なんだろうね? しってるヒトいたら 教えてくんつぇ 

着ているお洋服( 編み物も含めて )は、もらったものもあるかも知れないけれど、全部母の手作りである。母は父の姉妹のために、男物の学生服をほどいて、女学生のセーラー服をつくることができる、そんな人だった。

母は世が世なら、フランスに行ってデザイナーになっていただろう。
高校生の時だったか?母の口から フランスやデザイナー という言葉がでたのに驚きだったが、本当に器用なヒトである。中学生の時も先輩がきていた私服に憧れて、こんなこんなお洋服が欲しいといったら、その通りのお洋服を作ってくれた。

ワタシはそのお洋服をきて、SING OUTのコンサートに出かけたのだった。

>写真 「 スイカを食べる姉妹 」
むかって 右側がワタシ。よう太っとりまんな~。
この頃、すきやきの牛脂を姉と争って食べていた。( らしい )今は流石に食べないわね。

暗~~い感じのワタシの写真もあるのだけれど、明るい写真のみ載せときます。





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エンディング ノ―ト  1、( お葬式 ・ かんおけ )

2013-10-04 04:28:11 | エンディング ノート
突然ですが、< エンディング ノート >
現時点で 思いつく事を書いておくことにした。
もちろん、この先の変更はありうる。だってヒトは一日一日 成長 or 後退?( 変化 )しているト思うからね。

この度 実家に帰ったら、母と姉はすでに自分の『 遺影 』 を用意していた。母はともかく、姉も用意していたとは驚きだった。

兎に角 二人は仕事が早い。それはあの軍人だった父に鍛えられたからなのだろうと思う。
 父は「 仕事を追いかけろ!」と言った。・・・らしい・・・?
ワタシは仕事に追いかけられまくりだったような気がするけどね。

いずれにせよ、60歳( 還暦 )をすぎたら自分の、宇宙盤の一周目( 六十花甲子による )の人生をしっかり振り返って 第二周目は ”自分らしく”ありたいものだ。と思うのだ。

< お葬式 >
家族( 親族 )だけでいいわね。まあ親しい友人がいてもいいけど。。。わざわざ遠方よりお越しくださらなくても・・・と思うが?どうだろう?
こちらがかなり年をとっていれば、先にお出かけになる友人のほうが多いのだろうしね。

今日ちょっと書きとめておきたいのは、「 か・ん・お・け 」 " 自分だけのかんおけ ” 想像するとおかしいけど、ちょっとうきうきしたりもして・・・やっぱ 変人だわ、ワタシ。

実は、憧れのかんおけがあるんですよ。それは・・・
 福島菊次郎さんが作っていた 棺桶。こういうのがいい。
http://www.youtube.com/watch?v=Bb-yNROyTI0 7分手前の映像に棺桶。

報道カメラマンらしからぬ、お茶目な感じの菊次郎さんが醸し出す雰囲気が好きだから、この棺桶に憧れるのかも知れない。とにかく、これから燃やして灰になるものになんぞにお金をかけたくないんだ。

正直言うと、じさま(=菊次郎さん)の生き方に憧れている部分があるので、それゆえの、ささやかな抵抗みたいなのもあるんだわ。まあ、じさまのようにに強い生き方はできないんですけどね。

できれば、自分が最期にはいる場所くらい、自分で作ってみたい。
でも、いつ亡くなるか?わからないわけだし、作って置いておくわけにもいかないだろうし・・・。病の床に伏しているとしたら、作るどころのさわぎじゃあないだろうしなぁ~。( ちょっと わからず )

結婚式はやってはみたものの、両親や姉・来てくださった方々にはホントに悪いト思うし、自分は何てバチあたりなやつなんだと思うのだけれどちっとも嬉しくなかった。それ以降の結婚生活が幸せと思ったことがホント少なかったからかも知れないけれど・・・。

ゆえに・・・

人生最期のお葬式は自分だけのものだから、自分が仕切る事にするんだ~。まあ残された家族にはごめんなさい!なんですけどね。

兎に角 祭壇だのの飾りは一番安いものでよい。
むしろなくてもいいくらいだ。

必要最低限のお道具でよい。何が必要なのかな? ろうそく立て? お線香たて? おりん?
お線香は、たまに贅沢なものを入れてほしい。うさぎさんのマークのお香。
まてよ、お香とお線香は、どう?何が?違うのだろうか?( ちょっとわからない )

お花は何がいいかな~?
お花は好きなのにしていいかな~?
時期じゃあないものは 高いんだろうか?

やっぱり マリアさまのゆりの花にしよう! 高ければ 1本でいい。カサブランカとかのゴージャスなやつじゃあなくて、名前はなんていうのだろう?白い、地味な普通のやつね。できれば花粉は落としてくだされ。よ・ろ・し・く!

>写真は 父と母の若かりし頃のもの。
母は むかって左の人。
父は ハンサムだったと思う。
ワタシは どっちににているのかな?

幼いころ ”橋の下で拾った子供と言われたが、中二の時、父の田舎にお友達をつれて出かけた折、父の母=祖母にそっくりだと言われ( どうやら拾われたた子供ではない )と言う事がわかった。 

ーーーーーーー 切りとりせん -------

「 どんな女の子だったの 」のカテゴリーは 「 エンディング ノート 」に変更しました。
以下 古い記事がありますが、いずれ移動しますんで・・・。



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姉のこと ワタシのこと

2010-09-11 03:02:19 | エンディング ノート
この夏の田舎(広島)での滞在では、母や姉とお喋りする時間がたっぷりあった。考えてみれば、姉もワタシもずっとすれ違い生活で、ゆっくりと話しあったことなど殆どない。幼いころも一緒に遊んだという記憶が、ワタシにはあまりないのだ。
どちらかというと、ワタシは一人遊びが好きだった。

姉は、只今は、ゆっくりズムで生活しているが、若い時から、父が亡くなるまでは、元軍人だった父の元で働きどおしだった。おそらく店の従業員の何倍も厳しくしつけられたと想像する。だから、その先どこで働いても、少々の困難は、なんてことなくクリア―していったのではないか?と思う。
< 小学生のころ >
父が大阪で商売の基礎を学んで、広島にもどったのは、姉が小学校の低学年、ワタシが幼稚園の時、姉は都会からもどってきた転校生ということで、小学校にいる間中、ずっと男の子にいじめられていたらしい。まあ今の時代のように陰湿ではないけれど・・・。

間借りをしていたうちの従兄たちは、姉に、学校へ行く道すがら、へびだのとかげだの「 ほら~ほら~。」と押しつけたらしい。

大阪では、あめや、おいもに、ちゃんづけしていたらしく、姉が「 あめちゃん 」「おいもさん 」などというと

これがまた、男の子達の標的になる。「 あめちゃんだって~。」
姉は、いけない、ト思いつつも、うっかり、ちゃんづけしてしまう。これによって、いじられキャラが定着したらしい。
姫( ふ~~ん そんなことあったんだ。)
< ワタシはというと・・・>
もの言わぬ子供であった。幼稚園の時の写真はどれも無表情の子供である。まあ元軍人の家であるから、上には絶対の服従。今のように、自己主張や、自己表現などできるわけもなかった。
大体ワタシが発言するとろくなことにならない。それによって、いつも母が父に叱られるのだ。

私が小学校の2年生ぐらいの時かな?給食で焼きそばがでた。お友達に「 口のよこに黒いものがついているよ。」と言われ、( ああ、もやしの豆の皮だな。)と思い、そのまま、口の中にほうりこんだ。
   今でも確信できるのだけれど、それは ” ハエ ” だった。  ” 間違いなく、ハエ だった” 
まあ、普通なら、”おえ~っ ”って感じで、口から吐きだすのだろうけれど・・・
その時のワタシは、のみ込んだ。なぜならば、そのあとに展開されていく状況が、幼いながらも一瞬で読みとれたから。

男のこ「 こいつ~ ハエ 食ったぜ~。」「 きったね~ 。」 みたいな反応がおこるにきまっている。ハエを飲み込むことより、そのように囃したてられることの方が、絶対に嫌だった。
今でも覚えている位だから、自分にとっては衝撃的な出来ごとだったと思うけれど、それを誰かに、例えば母や姉に、伝えるなんていうこともなかった。

姉もそうだと思うのだけれど、学校でおきた様々な出来事は、全部自分の中で処理する。そういう姉妹だったと思うし、そういう家だった。親に心配をかけない。というより、母が父に怒られないように気づかいながら、自分の居場所をさがす。そんな風だったと思う。
< 幼い時の夢 >
ワタシも姉も、どうやら、怖い夢をみることが多かったみたいだ。姉は高いところから落っこちる夢。

ワタシはというと、いつもろくな夢をみない。
例えば、骸骨に追いかけられる夢。荷車に骸骨の山、それを骸骨が曳いている。ワタシは生身の人間であるのだけれど、捕まったら同じように骸骨にされる。それが怖くて逃げるのだ。

階段の下の三角の空間、この狭い空間が納戸のようになっていて、その納戸の両側に扉がある。その扉にはドアノブがついていて、それを両手で必死でつかんで、骸骨の追手から逃れるという夢。ドアが ドンドンドンドン・・・とノックされる辺りで目が覚める。

だけど、「 おかあさ~~ん、こわいよ~。」なんて言って親を起こしたりはしない。
父も母も、昼間の労働で、ぐっすり眠っているのだから・・・。

それから、眠れない時間を一人まんじりともせずに過ごすのだ。 夜間 飛行機が飛ぶ。そうすると爆弾が落ちてくるのではないか?と怖くて眠れない。

恐らく、広島県の小学校に通っていたから、B29の話や、原爆の話は小学校一年生から聞いていたわけで、そのようなことも関係しているのだろうとは思う。

時代も時代だ。親は子供たちの学校生活のいちいちに首を突っ込んだりしなかったし、いわんや、放課後の遊びにも干渉しなかった。
ワタシは”橋の下で拾った子供” であったのだし、我がままで悪い子供であった。

注)本当に橋の下で拾われたわけではない。この時代に子供だったヒトの何割かは、このように言われたようだ。
 >姉さんへ・・・
メール、こちらへは届いてます。しかし返信ボタンをおしても うんともすんとも動きません。ですから重要なことは電話、もしくは手紙にて伝えます。個人のメールにしても、パソコンが得意な人にとって、盗み読むことは簡単なんだそうですね。

機械文明の中での”生き残り”なんていうことを考えると、まあ一番に脱落するのはワタシだわね。

どこか、ほうきと雑巾(→これは 例え )で生き延びてやるわい!なんていうことを思います。


















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われら 劣等生 ( 中学時代 )

2007-09-30 13:32:58 | エンディング ノート
今年、中学高校と仲のよかったスモモちゃんから届いた年賀状に、「交換日記持ってる?」と書いてあった。私たちは高校三年生までずっと交換日記を続けた。その殆どのページは おそらく恋バナだったんじゃあないだろうか?あと親たちのこと、人生について・・・。などなど。

中学一年生のときの一番最初の彼女の印象は・・・「やな 奴。」だった。

つまりはこういうことだ。広島県内 恐らく進学校である?私たちの学校の、私達の学年と次の学年とは入試選抜と小学校推薦制度が半々だったんだ。

私は小学校からの推薦組み。スモモちゃんは入試を突破して入学した。当時は確か「力の5000題」とかいう分厚い受験参考書を受験組のみんなは解いていたんじゃあないだろうか。

受験勉強などしたことのないものと塾に通って受験勉強をしたものとがヨーイドンで勉強をスタートさせるのだから、結果は自ずとしれている。

それまで優等生だった(単に小学校のお勉強)私は中学校最初の中間テストなるものの結果に打ちひしがれた。学校からの帰り道 鉛のように重い足という体感を得たのがこの時だった。

成績は全部点数化されておのおのの教科の最高点が黒板に書き出された。 
数学 87 国語 83点 英語94点 ・・・というように。

その時 彼女が手を挙げて発言したんだ。「 先生 数学の最高点まちがっていませんか?」

いくら頭が悪い私でもそれが何を意味するかくらいはわかったんだ。
数学というものが、からっきし理解できない私は彼女のことを 「 やな 奴 」って思ったんだ。

それでも私たちは山陽本線下り組みと命名されて団体で席を占拠して日々学校に通った。
 
小学校中学年くらいから 人様に勝つことに快感を覚えていた?わたしは中一のこのとき、155人中138番以内の成績だったのを 中二のときには60番近くまで持っていき あと10人ぬけば地元の国立大学に進学できると心ひそかに思ったものだ。(やな やつ)

 父は私を薬剤師にしたかった。地元国立大学、薬学部、・・・こども心に重圧がかかった。親に誉めてもらいたい、認めてもらいたい、そんな思いで頑張ろう、頑張らなくてはとずっと思っていた。高い授業料のことももちろんこころにひっかっかっていた。

「何のために ○○(学校名)に入れたんだ、●大に入るためだろう!」というような発言を父はしたように思う。

勉強が楽しいと思ったことは一度もない。(と言っても過言ではない)それより私の興味は人間観察だったと思う。

 「この先生は好き。」「この先生は 没。」
 「あの子はお勉強がよくできる。」
 「この子は 美人。」「この方はお嬢様」などなど・・。

スモモちゃんはおそらく高校卒業時まで学年成績はベスト10にはいっていたと思う。学校の方針で中二を境に学年成績の順位を出さなくなったから、中二以降順位は全くわからなくなったけれど。

なぜ そんな彼女と私が親友になったのか、それは 『 恋 』

中二になった時 彼女が電車に置き忘れた傘を手渡してくれたんだったか なんだったか忘れてしまったけれど兎に角、彼女は某男子校の生徒さんのことを好きになったんだ。

優等生の彼女が 「恋ですって???」「へ~~~っ!!!」 私の中で 優等生と恋とは両立しなかったんだ。

私は、こういう話ってすぐに飛びつくんだよね。だって人間って本来はきっとそういう動物でしょう?
スモモちゃんに思いっきり親近感を覚えた出来事だった。多分この頃から私は彼女を好きになったんだと思う。人間として。

そんな彼女は漫画好き,そのご縁で写真の「われら劣等生」という漫画に出会えたんだ。

チンクシャな男の子みたいな、劣等生の女の子なんだけど、スポーツでは大活躍するんだな。私はスポーツも音痴だったから 何のとりえもなかったけれど、そのチンクシャな女の子の台詞に感動したんだ。( 抜書きしようと思いましたが、肝心のご本が どこぞに・・・お出かけ・・・。トホッ。お片づけできないんですぅ~)

>それは、こんな場面。スポーツ大会で、クラスのお勉強のよくできるお嬢様がその女の子に注意を受ける。
劣「ぼんやり 突っ立ってるんじゃあないわよ。」(みたいなお言葉)

お嬢「 何よ、お勉強できないくせに。」(みたいなお言葉。以下 省略)

劣「 何よお勉強 あんただって○○君には勝てないじゃない。○○君は ××さんに勝てないし ××さんは △△さんに勝てないじゃない。」

てな 会話。つまり お勉強のことだけを考えてもそうなんだけれど、上には上がいて 下には下(ちょっとこの表現はきらいなんだけれど)がいるんだってこと どこで 区切るかによって、ビリにもなるしトップにもなれるんだ。誰かと誰かを比べれば必ず 誰かは誰かより劣るし その劣っている誰かは 違う誰かと比べれば優れているんだ~。ってことに気づかされたんだ。

このことに気づかされた時本当に「目からうろこ」だったな~~。そっか~ って救われた思いがしたんだ。とっても嬉しかったんだ。

他人と自分を比べたってしかたないんだよね。ホントそう!全くそう!

今私は 占いを学んでいるけれど、みんなそれぞれ背負っている使命があるのよね。星は 木・火・土・金・水 (もっかどごんすい) それぞれ 陰陽 (+ -)に分かれて みんなどれかには属しているわけだけれど、上格 下格 あるし 生まれながらにして むちゃくちゃ恵まれている人もいれば そうでない人もいるのよね。各々 生きていく課題みたいなものがあってそれぞれに与えられている才能があって み~~んな それぞれ違うのよ!

あなたは あなたで いいのよ。 自信をなくしている子供がいたら そう言ってあげたいんだ。

親の思いなんて 思いっきりエゴだったりするんだから・・・。

注)こういいながら 自分の子供に対してむちゃくちゃなこと言ったりやったりしてます。ごめんね。最近 やっとそこそこ目が醒めつつあるんですよ。

注)カテゴリー 独立させました。まあね こんなおばはんの少女時代のお話聞いてもなんら楽しくないでしょうけれど? 
「えっ?楽しい?」

まあ~それは嬉しいわ。あんがと!なにせお家じゃあ うるさい五月のハエ って言われてますんでね。てへへっ。 
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どんな 女の子だったの?

2007-05-25 13:43:02 | エンディング ノート
いらはい いらはい!
レアレア ピープルのみなさま ごきげんよう!

今日は幼きころの姫の(=おばちゃん、ブログの女主人)ご紹介をいたしましょう。

小学校 1年生 ~ 中学年 
このころの姫は~ 物言わぬ子供であった。
大体通知表は~ 1 2 1 2  ちらほら 3 っていう感じ。ところが~ ある日 学校の宿題がでたんですよ。

お題は 「 おかあさん 」 おかあさんについてなんでもいいから書く、みたいな宿題。

宿題は仕方なくこなす という女の子だったから、どうしよう どうしよう?で母を観察しながら無理やりひねり出した作品。

確かこんな内容・・・ 母の首にあった脂肪の塊 ごくごく小さいものなんですけれどね、いくつか。これがなくなるといいな~。みたいな詩、を書いた。

この作品が サトウ八チローの 『 おかあさん 』とかいう詩集に乗っかってからなんだな。やたら父が私に期待するようになったのは。

この学期の成績は 国語のみ 4に 変化してそのことを父がいたく喜んだ。
父が喜ぶのがうれしかったのか 認められるのが嬉しかったのかよくはわからないけれど その頃から人に勝つ!なんていうことを意識し始めたんだと思う。

私のもつ軍人の星というのは まけず嫌いな星でもある。とくに 文武の武の方にかかわるものなんだ。

芸能人の星を時々眺めることがあるのだけれど、私のすきな松野明美さんも実はこの星を持っている。スポーツをやる人はこの星を持っていると良いといわれている。

こないだ見た 誰だっけ?マラソンのすごい選手=外国の方(鬼さん) 対 芸能人スポーツ選手たちが 追いかけっこして捕まるって言う番組。最後まで残った 松野明美さんの悔しそうなコメントがむちゃくちゃ面白かった。
「 みんな 何 やってるのよ~~。」みたいな発言。悔しさにじみでてました。

わかる わかる。うん うん。って感じ。負けるの嫌いなのよね。

わたしのこの負けず嫌いな性格は如何ともしがたく、いつも2歳はなれた姉さんと一歳年下のいとこをあいてにトランプをやって 負けるともう一回 もう一回 としつこく食い下がり勝つまでやったのを思い出す。( やらせていただいたですけれどね。 姉さん ありがと! )

神経衰弱というトランプゲームがあるけれど、いわゆるカード合わせなんだけれど、これにはまったことがあって一生懸命やった。これには運はないからね。実力勝負。

ところがある日 ふと思ったんだ。

「 待てよ、 これずっとやっていたら きちがいになるな。」

このゲームってものすごい集中力を要するじゃあないですか?ずっとその状態を持続させると限界がくるって思ったんだと思います。

どちらか というと・・・

一人遊びが好き だって人にあわせるのって気つかうから嫌いなんだもん。

あるときこんなこともした。

超 危険なお遊び これは低学年の時だな。きっと。

近所に大きな会社の社宅があった。社宅内には社宅の人用の遊歩道みたいな道(=つまりは自動車のこない道)があってやっと乗れるようになった 自転車に乗っかって試みたことがある。

それは何かというと・・・

自転車に目をつぶって乗る!ということ。 

はっきり言って ば~~か!危ないじゃん。

そんなことはですね~。小さい頃には思わないんですよ。

やってみたい!その好奇心のみありき!なんですわ。今みたいに母親がついて やいのやいの うるさく言わない時代ですからね。

でどうなったか・・・

目をつぶって自転車に乗るわけですからこわいですよね。途中で目をあけました。

 と どうでしょう?

は~~い! アンビリな世界がひらけました。

ま り 

目をつぶっての平衡感覚なんてものほどあてにならないものはなく、思いっきり左方向にかたよる運転をして

塀のところでもってじょりじょり~~ってな感じで左足を思いっきりすりすりしたんですよ~~。

「 痛いよ~。痛いよ~。」

この実験は これ一回こっきりだったと思う。

両親とかにも もちろん内緒ですがな。怒られるだけですわん。

わたし思うんですよ~。幼い頃には

「危ない。 危ない。」なんて見張ってないで そこそこ冒険させてあげなくちゃあ 加減ていうことわからないって思うんですよ。

もっとも 今じゃあ世の中すっかり変わってしまって子供を野放し状態にできないという現実もあるんだと思うけどね。

 子供が子供の小指を切り落とす、なんていう事件が起きたらしい、小指を落とす。などということは 昔は893さんの世界のお話だった。

そして893さんは 素人さんには手を出さない。というのがスジだったと思うのよね。

「全く 世も末よね~~。」なんてぼやきながら いつもの神社の階段を下りていたら・・・

後ろから飛んできた 

カラスに 

 一瞬 グワシッ !

と頭を掴まれ びっくりした。ほんの一瞬の出来事だった。

なんとなくなんだけれど・・・

子供のせいじゃあないだろう!

って言われた気がしたんだ。

昭和の時代 ~ 平成 ~と生きてきて なんだか違うよな~ って言いながら 何にもできないわたしなのだけれど・・・

とりあえず あのとき いのち いただいたわけで・・・

何かしら 伝えていかなくちゃあいけないのだろうな~ とは思った。うん。

多分だけれど・・・
戦争から 60年以上たって
時代が変換していくんだと思うのよね。
歴史は繰り返すっていうじゃあありませんか。

物質を追い求める時代をすぎて こころの時代にはいっていくんだと思う。


>明日は うどんや 自らを試す機会をいただいていると思う。ほかの方々にご迷惑をおかけすることの方が多いとは思うけれど、それでも頑張ってこえていきたいものはある。

おばちゃんでも やるさ~。自らが立てた目標には人はつぶれることはないのだろうと思う。

いけるところまで いくさ~。自分の体力知力の限界点を少しづつだけど越えていくわよ~。
じゃあね!  

注)実際には こんなにカッコよくことが運んでるわけではありません。 



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