地球へ ようこそ!

化石ブログ継続中。ハンドルネーム いろいろ。
あやかし(姫)@~。ほにゃらら・・・おばちゃん( 秘かに生息 )。  

  大荒れ  お疲れさま~

2009-08-31 10:03:16 | 正直もののジョニーと呼んで
おはようございます。
朝からよれよれの自民党のような、あやかし@お疲れおばばです。
台風の影響で横浜は雨。とうちゃんによれば、横浜市の市長選は女性の立候補者が勝ったらしい。

名前、誰ですか?知らないんですよ。信じられない、これでも横浜市民。
そうです、横浜市長選やることさえ知りませんでした。
そういえば中田さんやめるって言ってたっけ?きりのいいところまで続行すると思っていたんでね。例えば4月までとかね。

< 選挙会場内・・・夕方 7時すぎにおでかけ・・・  >
 ( え~~ええッ、横浜市長選 ???だって)
もうそれだけで、パ二くり状態。だって監視されてるじゃあありませんか。

立候補者 確か三名。その中に ” 中西 まるまる ” っていう人の名前。
 (あれッ、横浜市長さんの名前って 誰だっけか?)
 まさかね、今の市長さんの名前誰でしたっけ?って、監視のお姉さんにきくわけにもいかず、

 えっとう、姫は~中田市長と間違えてその ”中西 まるまる” っていう方に一票投じましてござりまする。

 >>> うちだって 大荒れ >>>  

昨日は、たぬきちがやってきた。だから、朝から苦手のお料理に挑戦していた。が・・・。
すったもんだで、また夫婦喧嘩。(今回は、自分が思いだせるように”カップ・ラーメン事件”と書いておこう。)

 このような場合、マンマミーヤが気を使って、両親の間に入って、仲裁をする。
姫(もとはといえば、君(=マンマミーヤ)が問題を起こす原因をつくったんじゃあないの。ちょっとしかないレポート位、遊びに行く前にちゃんとしろ!ってんだ。締切当日にやるところは、ワタクシそっくり。)

ワタシは超集中モードにはいったときに邪魔をされるのが一番いやなんだ。
( これやって あれやって よしッ)みたいな感じで仕事をやって 終了!!!。カン・カン・カンっていうのが好き。家族のためにやっている家事なのだしね。イメージ通りにいくと快感。(やっほ!)

だからわざわざ、
「 すみませんけれど、これからこうしますんで、邪魔しないでください・・・」とお願いしてから行動を開始するのだけれど・・・。変だよね、家族のために家事やるのにお願いだなんて・・・。
あれ手伝って、これ手伝って・・・って采配ふるって皆が協力したっていい位でしょ?

娘たちにだって、このモードに入るときは、これこれなので(ex、時間がないから、お台所にはいらないでね。みたいなことを言う。)・・・お願いします。」っていうのだけれど・・・。

 一家の中にたった四人でも、各々の人が自分を主張してたんじゃあ、うまくまわらないのは誰が考えたってわかる。しかし、各々がお互いに気を使っているようで、それがずれているんだということが、わからないのよね。

( 間 )

たぬきちがやってきた。こういう日( 夫婦喧嘩をした日 → 大体子供の教育のことが原因となる。)は、たぬきちは母(=姫)とマンマミーヤの愚痴の聞き役になる。

たぬきちは大概の人間関係模様を経験ずみだし、家庭教師をしているからいろいろな家庭をみているんでね。あの人の気持ち、この人の気持ちなどなど、実体験を踏まえて、アドバイスが可能。

たぬきちがやってきて、一番助かるのは、マンマミーヤのこころもちに一番近いからかもしれない人物であるから、マンマミーヤの気持ちがよくわかって話を聞いてくれるところ。二人の星が似ていることもあると思う。つまりはトータル的に純星であるところが、どうしてもワタシには理解が難しいのだ。

注)純星は、平和が好き。穏やかなのが好き。

ワタシは、どこか好戦的なところがあって、これを押し殺すことは至難の業。真ん中、いけいけの軍人の星だし。

でもって、なんじゃらかんじゃらで 落ち着く。
( たぬきちどの、ありがとうございます。ワタクシ達、夫婦じゃあ なんともなりません。)
 
この日、久しぶりに”百人一首占い”をする。
ひきあてた歌。
 「 夕されば 門田の稲葉 おとずれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く 」
                     大納言経信

さみしげなるお歌でしょう。芦のまろやって、芦ぶきの山荘のことらしい。晩年生きていたら、山奥の水がおいしくて、星のきれいな湯治場のようなところですごしたいかも・・・。正直いえば、今すぐにでも行きたい。→つまりは お得意の家出をしたい。

やっぱりね、いつも偉そうにしてるけれど、内情は疲れている。争いごとのあとで今朝は輪をかけて疲れている自分がいるな~。誰のせいってわけじゃあないけれど・・・。
いつもいつも、自分を含めて家族を鼓舞するのって疲れる~~~ッ。

例えていえば、子供が三人いて、その間にたって、
「あらそうなの?それはた・い・へ・んね~。」とか
「そんなことないわよ、大丈夫 とか。」とか
「いや~それはいけませんでしたわね~。」とか
「まあ。いいじゃないの。」
   とか・・・を延々やっている感じ。

この気の短いワタクシがですよ。限界くるんだ~~い。

姫「 との~~~ッ、土曜日 ワタクシへの自由時間 あげます。」はどこにいったのですか~~???

姫「 手伝ってほしいことがあれば、こちらからお伝えしますから、手伝ってくださる気持ちがあるならば、勝手にやらないでくださ~~い。」

>>> もしも 宝くじがあたったら・・・>>>

注)宝くじなんぞを買ってはいけない と記事には書いたけれど・・・。

 空想は自由  

当然、探すでしょ、人里離れた露天風呂( 天然の湯 )プライベート露天風呂。宿の御主人とか、仲居さんもいないのがいい。人に”気”を使うのがいやになった。(=姫、完璧ひここもり族 )自然の中。家族には教えない。自分の好きな時に家出をする場所にする。

自分だけの時間・空間がないと駄目なんだよね、超贅沢なこと言っているってわかっているけれど・・。

<      > 

とまあ、空想を巡らせて おひらき。ちょっとストレス解消。
それにしても、政治家さんだって、OFFする時間必要だよね。落選したってことは、休める時間をえることができた。ってことでしょ。

骨休めしてください。人間 休まなくっちゃあ、いい知恵なんか浮かびませんよね、きっと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Peter、Paul、& Mary ” Hangman "

2009-08-29 19:33:30 | お気に入り の お歌
本日あやかし@は一日中 お掃除シンデレラ。
お疲れさまで、ユーチューブを覗いてみたら・・・

ありましたさ~ PPM の ハングマン。(若い時のもの)この歌 レア作品だと思うのよね。

おとうも、おかあも、兄弟も助けてあげられねえけんど 絞首刑になるの見にきましたぜ。(え~~~ッ)
最後に正義の味方(とは言ってないけど)恋人が「助けにやってきやしたぜ。」っていうお歌。

そんな解釈で よござんすか?まころんとうさんあたり語学できそうなんで聞いてみたいかも?

http://www.youtube.com/watch?v=UNSyqazXfGE&feature=related

< 保釈金・・・などなど >
小室さんは、保釈された。(エイベックスが肩代わり)
押尾さんはどうなるのかな?
のりぴーは、解雇。
意外でしょうが、のりピー確か守護神がまわっての事件発覚。これからの生き方が問われるところ。(生き方を変えなさいというお知らせ)
子供守るために一人で頑張ってほしいかも。

どんな家系に生まれ、どんな家庭に育ち、どんな旦那と結婚するか、女性にとって結婚は大変重要な課題。まあそれは男性も一緒ですけどね。

大切なのは、お天道さまに恥じない生き方をすることなんだろうと思う。

それにしても、この歌、最後にお助けマンがきてよかった~。
あのですね、ワタシは いつでも、どこでも、ハッピーエンドじゃあなくちゃあ厭なんですよ。
< 課題 >
 本当にお金で人が救えるのか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

縁 (えにし) 出逢い

2009-08-25 08:21:34 | こころの ともしび
 22日
大切なヤングのお友達が遊びにきてくれる。自宅から見える、花火大会の花火は、新種のものもまざりとてもきれいだった。
 たねまる君もいたりして、かわいかった。
 わざわざ、三浦にでかけて買っておいたすいかを出し忘れた。
 AAAの?さんがTVで作っていたお料理、ブロッコリーとじゃがいもと、ベーコンのカレー風味も作りそこなった。っていうか、お喋り優先でね・・・。だって好きなんですよ、お喋り。( 楽しかったな~ )
前日に、何品か作っておかなければ駄目だなあと思う。
 
 23日
着物やさんで、染色家の坪倉優介さんという方にお会いした。18歳でバイク事故にあい、それまでの記憶を一切失ったらしい。TVにもご出演で、有名な方らしいのだけれど、お名前も存じあげなかった。
ワタシはこの所、「 徹子の部屋 」もみていないからね。( ちなみに”徹子の部屋”にご出演なさったらしい )
{以下らしいをつけてお読みください。}

 記憶がなくなるということがどのようことなのか?わからないのだけれど、生活の仕方も一切わからなくなる。例えば箸は何をするものなのか?がわからず食事もとれない。記憶がなくなったことを良いことに?騙す人もいて、人間不信に陥ったこともあったそうだ。

なぜそのような状況下に置かれながら、このような素晴らしい復活をすることができたのであろうか?ということが、ワタシにとっては最大の関心事なのだけれど、着物やさんの展示会だから、そんな個人的なことは聞けない。

しかしながら、そこには、再び 赤ん坊の子育てを遥かに超える苦労を伴うであろう、子育てを辛抱強くなさったお母様の存在があったのだろうと想像する。
ひたむきな無償の愛、寄り添う愛、TV放映のビデオを見せていただいただけの感想でものを言っているから、その点はご容赦を願いたいのだけれどそんな感じがした。
 やっぱりね、こんな時代だからこそ、”待ちの子育て”って大事なんだと思う。
< 坪倉優介さんの作品 >・・・
坪倉さんの作品は100%本草木染。
 ”自然が生み出すものは、人に優しく、時として心を癒してくれます。”
蓮の葉、桜の木、笹、どんぐり、姫りんご、モモの木、くちなし・・・。いろいろな素材は、出会う場所によっても 使用する水( たとえば、湧水、水道水など)によっても、生地は全然違う色になる。

自ら山に入って、いのちに触れ、いのちを大切にいただき、自然の息吹を吹き込み作品を作る、そんな感じがする作品。

やっぱり、本物っていうか、こころを込めて作る、いのちをそそいで作る作品って素敵だな~と思う。

反物の織りの文様のデザインも素敵!それを織る人達ってどんな人達なんだろう、織るところも見てみたい!

・・・勝手なそうぞう・・・

 自然のふところに抱かれることによって、人は蘇りをすることができるのではないか?と思う。木や草花には精霊が宿っていて、そのもの達が、一つ一つの気の遠くなるような作業や努力を、
( 僕を使っていいよ )( 頑張っているね )( 素敵だよ )って応援してくれているような気がするなあ。
・・・世間話・・・ 
作品の中に、「 貴船 」という作品があった。
( 貴船 って名前聞いたことあるような? 何でしたっけ? )
・・・どうやら 鞍馬、貴船、は近い場所のようで、トロッコ電車に乗って行くと、星がとてもきれいで、天の川もみえて、露天風呂もあるそうなんです。

(行くもんね~、決めた!)この前、牛若丸の衣装の話が、たぬきちの授業で出ていたんだ。牛若丸の衣装をみたわけじゃあないけれど、坪倉さんの、「 貴船 」をみたときに、何となく思いだしたんだよね。

それはさておき、星の見えるところで 露天風呂。あこがれ。

そうそう、作品の中で気にいったものは、笹の葉を使ったグリーンの反物。とても綺麗な色でした。あと、オリジナルの帯。こちらのほうは、まだ草木染の段階には至っていないそうです。

斬新なアイディアと色使いが好きでした。ご紹介できないのがとても残念です。

>帰宅後のあやかし。再び たんすのこやしを作りだしてはならじ!両親が作ってくれた昔の着物たちも虫干ししてます。着物 着るもんね~。そのへんのおばちゃんでも、伝えていかなくちゃあいけないものってあるような気がする。
 
六根清浄、六根清浄・・・昨晩仕事、取り方1番 なんとか皆さんのお力ぞえで流れるようになった。ありがとう!本日も仕事 がんばるわ!じゃあね。

>写真はイメージです。(っていうか出雲の?神社の手前の橋。何神社か、名前分からず。ごめんなさい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鏡の池  ( 八重垣神社 )

2009-08-21 18:59:55 | かみさまワールド  &   不思議世界

 昨日お話した 不思議な池、八重垣神社の 鏡の池です。

         

地元の二十歳代のお姉さんが二人できていました。 占う白い紙が浮かんでいますが、その上に十円玉を乗せて池に浮かべるのです。 15分以内に沈めば、”良縁近し”と占うそうです。

この池は周囲は直径 5メートルくらいでしょうか?( ちょっとわかりません ) 

この占う紙は、実は池の手前に浮かべたのです。何分たったのかはわかりませんけれど、突然風が吹いているわけでもないのに、占いの紙が動きだして、丁度池の中心から 90度位( 時計と反対まわり )動いた場所に移動して、そして沈んでいったのです。

この写真の水面下に沢山みえるのは、すでに沈んでいる紙です。 この紙が手前に沈めば、近くに嫁ぎ、遠くに沈めば遠くに嫁ぐというお話もありました。真向かいの、180度まわった場所( 人はいくことができない )にも結構な数の紙が沈んでいました。

 ( あ~遠くにお嫁に行ったんですね。) 感慨もひとしお。

          

          写真は 池を見下ろせる場所にある祠( ほこら ) 

                                  

      鏡の池の説明・・・ 拡大しなくてごめんなさい。虫めがねでみるとみえますかね?

深い緑と、蝉しぐれの中、何となく、神様が本当にいらっしゃるように感じました。お若い方 お時間許せば、おでかけください。

< 社殿後方には「奥の院」が鎮座し、「鏡の池」と呼ばれる神池や「夫婦杉」と呼ばれる2本の大杉、「連理の椿」がある。「鏡の池」は稲田姫命が、スサノオノミコトに勧められ、この社でヤマタノオロチから身を隠している間、鏡代わりに姿を映したと伝えられるもので、良縁占い(銭占い)が行われる。社務所で売られている薄い半紙の中央に、小銭を乗せて池に浮かべると、お告げの文字が浮かぶという手法。紙が遠くの方へ流れていけば、遠くの人と縁があり、早く沈めば、早く縁づくといわれる。このため、軽い1円玉を使うのを避け、縁起をかついで5円玉(御縁につながる)を使う人が多い。また、紙の上をイモリが横切って泳いでいくと、大変な吉縁に恵まれるという。1970年代ごろに、この「鏡の池」に賽銭泥棒が出没して以来、池の底には目の大きめな金網が張られるようになった。>

そういえば、金網はってありましたっけ。 いもりが横切る大変な良縁ってどんなご縁で、どんな家庭を築くことだできるのだろう?と思いました。はい。

               

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八雲たつ・・・ 八重垣

2009-08-20 07:01:45 | 児言態 & たぬき先生との往復書簡
実は、昨日の歌碑の歌のよみかたがわからずに、たぬき先生に聞いたところ、お返事が返ってきました。
 で、拝借。
これは古事記の神話の中に出てくる、日本最古・・・というか五・七・五・七・七の形で最初に読まれた和歌と言われているものです。
(と、いうことをたまたま知っていたから分かっただけであって、達筆を読めたわけではありませんが・・・)
 場面はスサノオがヤマタノオロチを退治して、中から出てきた剣を天照大神に献上したあと、新しく結ばれる妻と生活を始める今後の自分の活動拠点を探していた際にたどりついた地で詠まれた歌です。

「 八雲立つ(やくもたつ) 出雲八重垣(いずもやえがき) 妻籠に(つまごみに) 八重垣つくる その八重垣を 」

*小学館日本古典文学全集を参考にちょっと私なりのアレンジを加えて訳すと
八雲が立ち上る出雲の八重垣。その盛んに湧き出ずる雲が、妻をこもらせるために宮のまわりに八重垣を作るよ、その見事な雲の八重垣を。
という「新築」と「新婚」を兼ねた祝宴歌・・・とありました。
(参考)「八雲」盛んに雲が立ち上るという意味で瑞兆(ずいちょう・・・めでたい兆候)とされた
 広く解釈すれば大自然(大いなる存在)に包まれ、一体となって、「もっとも純粋な自分の使命・魂が向かいたがる方向」への生き様にふさわしい拠点と巡りあえた喜びを詠んだ歌、ということろでしょうか???
 
>>>>  >>>>
そもそも、出雲へ出かけよう(3年前かな?)と思いたったのが、この歌を紹介してくださった 園山さんというお着物の作家さんのお話を聞いたからなんです。
 その方は「 出雲の神社のご神水を使ってもよろしい。」と唯一(?)使用を許された方で、その水を使って着物を作っている?もしくは描いていらっしゃるようなお話でした。( 記憶定かでない。)
 その方に、神迎えの儀式のお話や、出雲の神社に、三本からなる松葉があるとお聞きして、ならばこの目で是非とも見てみたい・・・・。と思いたったのが始まりでした。

しかしながら、松葉に関しては、出雲大社内のどの宮司さんらしき人にお聞きしても、その松葉のことは知らない。ということでした。

( 変だな~)と思っていたのだけれど、この度、この八重垣神社に立ち寄り、この歌碑を見つけて、(あ~ひょっとしたら、この神社の裏手にあるのかも知れない。)と思いました。

残念ながら、一人旅ではなかったので、その松葉を探すことはできませんでしたけれど・・・。

この八重垣神社にある ”不思議の池 ”については また後日。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書きたいことは山のようだけれど・・・

2009-08-19 05:30:43 | まんまのしゃべり
おはようございます。こちらあやかし@おばちゃん。(→ はっきり おばちゃん 姫はどこかに行った。)
今朝もそれなりに元気!昨晩パートのお仕事。(→ お疲れさま~)

この夏までの、占いの資格試験目指しての勉強 & 目を使う(神経も使う?)パートの仕事のためなのか?視力が相当落ちたのを感じる。

読書もしたいけれど、これ以上目を酷使したくないので、ぼちぼちってことにして・・・。

>この夏にみた、NHKの戦争の特集 400時間の証言。出雲大社の管長さまのお話 ( 雲上 晴天 )。出雲の旅の最中にお聞きした某県の神主さんの霊的なお話。”おくりびと ”(含、ペット)の仕方。八重垣神社のふしぎスポットの話など。

>芸能界の麻薬問題( のりぴーや 矢田あきこ、押尾学の星 )、個人的に関心あるのは、鳩山さん兄弟の星の関係( ここまではっきり陰陽がわかれているのは初めてみた。意外と石原さんの星もこんな関係かもしれない?)

家系のこと、夫婦のこと、家族のこと、戦争と平和のこと、あの世とこの世のこと、やまのように考える課題や視点はあるのだけれど・・・。

じっくり 腰をおちつけて考えるという時間がそれほどない。っていうか、家族(特に子供ら)に費やす時間が結構多いような気がする。( 子供らとの対話の時間っていえば聞こえがいいかも )
時間はやりくりして作るものなのだとわかっているけれど・・・。なかなかね~。
気力、体力がない のかな~?

>本日、朝一お肉やさん半額セールにでかけ、そののち 占い学校。
出雲の旅でぬけた勉強をしに出かける。
じゃあ 忙しいんで・・・。
>写真は八重垣神社にある歌碑。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お百度詣りは・・・

2009-08-17 12:13:20 | ある被爆者の 記憶
本日をもって、「 忘れ水物語 」の お百度詣り( 1~9 )は 終了いたしました。
日々 お起こしくださいまして、誠にありがとうございました。

お百度詣りの物語は、八月中に、八月六日、広島原爆記念の日 に移す予定にしています。

>写真は、今年の八月六日、出雲の日御碕灯台の朝。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お百度詣り  ( その1 )

2009-08-06 08:15:00 | ある被爆者の 記憶
篠山の二月は、雪が降らない限り、まるで枯死した屍のように自然が動かない。雪国にあるような、ひっそり冬越ししている感じなら、まだどこかにぬくもりがある。篠山は雪国とはいえない。来る日、来る日、寒気が生きの根を止めてしまうのだ。だから、雪でも舞い始めると、却って救われた気になる。
 夜にでも入ろうものなら、凍てついた道は、死人に薄化粧したように冷たく光り、道端の枯葉は、霜に焼かれたというより、霜の挑梁にのたうっている。
 私には、忌わしい篠山の冬の二月の思い出があるから、なおさらそうなのであろうか。それにしても、私たち兄弟とその母は、この篠山の冬の二月の夜の寒気に翻弄されねばならなかった。
 母は、私と弟の手を引いた。もう手を引かれる年齢でもないのに、家を出るとき、決まってそうしたのには、凍てついた道に転ばぬためというより、やっぱり、悲しみと興奮を押えるために、そうせずにはいられなかったにちがいない。
 さすがに、家を出るときは、母の手のぬくもりが伝わるのだが、帰り道は、私も弟も、母と手をつながなかった。その手が氷よりも冷たくなっていることを知っていたからである。
 お百度詣りというものが、どういうものか、まだその名前すら、兄弟は聞いたこともなかったはずである。おそらく、なぜお百度詣りをするのか、それをすれば、どんな効能があるのか、また、どうして、深夜に行わなければならないのか、等々について、母は教えたにちがいない。また、私たち兄弟の方が先に尋ねたかもしれないのに、どんな言葉をやりとりしたのか、何一つ確かなことは覚えていない。母と私たち兄弟の間にやりとりされたいたわりや励ましの言葉よりも、子ども心にも、つらくて、悲しくて、そして訴えようもなく、深みに沈み込んでいく思いの方ばかりが、ずっと ゝ 大きかったからであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お百度詣り  ( その2 )

2009-08-06 08:14:45 | ある被爆者の 記憶
私と弟とは、黙々と、ただ、母のする通り、母の背後に従って、石畳の参道を行ったり来たりした。母は何か口の中で、祈りごとを唱えているらしかったが、われゝ兄弟は何も言わなかった。何を言ってよいか分からなかったのである。お宮に備えつけのおみくじ百本を、三人で分けて持って、桜門から、拝殿までの参道一往復毎に一本を、神前に神妙に献ずることを繰り返した。
 二、三日経って慣れてくると、私たち兄弟は駈け出して、少しでも早く、自分の手に持ったおみくじの数を減らそうと競争したりした。本当は、お百度詣りは三人それぞれの往復を合わせて百回になればよいというものではないはずである。けれども、母は、それを抗って、とがめようとはしなかった。でも幼い者たちにも、母のさびしい笑いの中に、このいたずらが過ぎてはまずいことが、充分直観できた。だから、決して、兄弟が手に分けて持ったおみくじを、神前で、弟が先に置いたら、私はもう置かなかったし、私が先の場合は、弟も置こうとはしなかった。ただ、先着を争うわずかばかりのゲームを加えたまでのことであった。でもせめて、そうでもしない限り、昼間は、神殿の背後は、春日山と呼ばれて、子どもたちの遊び場でもある岩肌が、お百度詣りのこの時間ばかりは、耳なりがするほどに静まり返って、母子三人の足音だけを不気味に反響させるのが、薄気味わるかった。
 お百度詣りは、丑の刻詣りではない。それだのに、人目を避けての行為であることが、なおさらに、私たちをびくつかせていた。
 神様、どうか、父を助けて下さい。
 こう祈る行為が、どうして怖いのだろう。そう改めて考えてみる勇気もないほどに、私たちはおびえていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お百度詣り  ( その3 )

2009-08-06 08:13:35 | ある被爆者の 記憶
 「 父は悪いことをしたのではない。人の罪を着て、警察に引かれて行ったのだ。悪者は姿をくらました。その身代わりに、警察に留置されたのだ。」
母からも、姉からも、親戚の叔父からも何度もそう聞かされた。私はそれを疑いはしなかった。あの父が悪事を働くなど、私には考えられないことであった。
 でも、父を信じることとは全く無関係に、お百度詣りそのものが、悲しく、後暗さを思わされたものであった。― 恐怖感は、罪の有無にかかわらず、もと ゝ後暗いことと同質なのではないか。それにどういうものか、思いが前に進まない。たとえば、父はいつになったら釈放されるのだろう。一体、公金を横領して逃げている奴は、摑まるのだろうか、等々、これからの事が頭に浮かんでもよさそうなものだのに、およそ、父の事件とつながることは、意識してもすぐ途絶えてしまって、またしても、私の頭の中を蔽うものは、決まって、母方の祖父の幻影であった。
 それは父が警察に留置されたことと、祖父が警察官であったという連想にすぎないことかもしれないけれど、そんなことよりも、もっと生々しく、この春日社の境内には祖父の印象が焼きつけられていることからくるものであった。
 「 あの春日社の岩山を知っとってやろ。近郷近在を荒らしまわったピスケンちゅう賊が、あの岩肌を、よじ登って逃げようとしたんやそうな。爺さまはな、逃がしてなるものかと、下から手裏剣を投げはったそうな。そうしたらな、その手裏剣が、朝日にきら ゝっと光ったと思うとな、ピスケンの足に突き刺さったそうな。爺さまは、もとお侍で、御一新から警察官にならはったんや。ほいで、武芸はなんでもよう出来なはったんや。」
祖母が寝物語に、私たちに語って聞かせた祖父の武勇伝の一節である。私は、母の実家の長押に掛けられた一筋の長槍を思い出すのだった。
 「 ほんなら、弓も上手やったか。」
 弟のみずほは、決まって、その話のくだりで、そう聞いた。祖母の語り口も決まっていたが、みずほの合いの手も決まっているみたいに思われた。みずほは、私が、長押の槍を思い出したように、同じく床の間に飾られた胡簶(やなぐい)を、いたずらしたことでも思い出しているにちがいない。
 「 弓も上手じゃったし、馬に乗ったまんま射る流鏑馬(やぶさめ)ちゅうもんが、えろう名人じゃった。」
 私は、祖父が馬にも乗れたことを感心もし、羨しくも思う。
 母方にもせよ、祖父が武士の出であることは、肩身が広かった。
 祖母はそれを意識して話していたのかもしれない。その話しっぷりは、悪びれもせず、とにかく爺さまを最高の讃辞で飾り立てた。
 祖母は、つまり祖父の配偶(つれあい)である。年齢(とし)をとると、自分の亭主のことを、こんなにも手放しでほめても気にならないものなのかと、また、ちらっと私のおませな心が動いたりしたが、祖母は気がつかなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする