地球へ ようこそ!

化石ブログ継続中。ハンドルネーム いろいろ。
あやかし(姫)@~。ほにゃらら・・・おばちゃん( 秘かに生息 )。  

かぼちゃの少女・・・ 一

2005-08-06 08:53:00 | ある被爆者の 記憶
被爆者たちは、夜明けに死んだ。生きながらに幽霊と化した、人類最初の変身者たちは、もう泣きもしなかったし、もう助けをも求めなかった。
 ただ黙々と、意思があるのか、ないのか、夢遊病者のように歩いた。もう振り向く力もないのかと思うと、ゆっくり頭を廻らしたりした。その後ろ姿に共通のことは、必ず両手をわざわざ幽霊手にして、両脇あたりにぶらぶらさせていた。 
 私は後になって思った。あれはやっぱり、人間の最大苦痛の全身的表現にちがいないと。譬えてみれば、道に転んだ二、三歳の童子が、手離しで泣く一瞬前の姿と同じであった。
 死に直面している人間に、神仏は死の恐怖を与えない。覚悟が定まったからではない。現実には、生と死との陥没した谷間に放りこまれた亡者の群れにちがいなかった。けれども亡者たちは、再び生き返ろうと努力したり、自分から完全な冷たい死骸となりきらないことのおいて、亡者であった。
 亡者は、助けをもとめない。

 
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かぼちゃの少女・・・二

2005-08-06 08:52:00 | ある被爆者の 記憶
 さりとて、縊死したり、舌噛み切って、死にきろうともしなかった。
 亡者は、生でも死でもない境地を夢遊した。生でもなければ死でもないところだから夢遊できたのであろう。あるいは、その過程を経て、死に赴くことを、私はこの目で見たのである。 
 被爆者たちは、夜明けに死んだ。いや、その夢遊が途絶したというべきなのであろう。 
 神仏はもう死の恐怖を与えぬばかりか、死をすらもたらさない。神仏は、生死を司らないのではないか。生死を思うのは、神仏の力以下しかもたされない人間が、これが自由にならない乏しい能力の故に、神仏に願うことによって、実は幾らかでも自分の思いの中に引き寄せようとしているのではなかったか。 
 決して、被爆者は助けてとは絶叫しなかった。もし、その声を聞き憶えているという人がいるなら、その「助けて」は、人が人に助けを求めたのであって、神仏に救いを求めた声でなかったことを思うべきである。
 被爆者は、というより黒い幽霊は、薄明の中によろよろと立ち上がり、二、三歩 歩んで、ばったりと転倒して事切れる。
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かぼちゃの少女・・・三

2005-08-06 08:51:00 | ある被爆者の 記憶
 身動きもしないで、横臥していた被爆者の群れの中から、暁の薄明に誘われるようにして、ここかしこに黒い亡魂がこの世に最後の暇乞いをする。
 夜が完全に開け放たれてしまうと、もう亡魂は舞わない。ただ、そこには新しい黒いむくろが、転々として数を増しているだけである。 
 忌まわしい儀式の果てた遺骸は、まさしく亡がらであり、もう亡魂をすら感ぜしめない。空蝉ですら、見た目にも、その名称にも、美しさがあるのに、被爆者の遺骸だけは、これ以上の醜悪さと、ぶざまさはないほどに、破損崩壊した人間容器そのものであった。  


 平然とこう描写することに、読者は著者の神経を疑うかもしれない。しかし、著者には誇張してつたえようとする意思は毛頭ない。では、正確に伝えようとするのかと問はれると、返事に窮する。何が確かで、何が不確かなのか、判断基準を失ったが最後、確かだったものが不確かとなり、不確かなものがたしかなように見えたり思えたりしたのだから。
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かぼちゃの少女・・・四

2005-08-06 08:50:00 | ある被爆者の 記憶
 戦後、”人間襤褸”と読んだ作家があったが、肉体が襤褸布同然であったことを指していたはずである。それが、人を見てそうだと思うだけでなく、我が身自体が同様のとき、もはや驚きとか恐怖よりも、精神の容器としての肉体の崩壊に、目眩む戸惑いを感じてしまうものであった。はて、どうしたらとも思わない。この崩壊した自分の肉体が、既に異物化して見えてくる。そのくせ、まだ、その襤褸布の中にいる自分を見出して、あきれたり、うろたえたりしていた。  


  「お兄ちゃん、目をあけて。」
 あの最中に広島高等工業の学生から預かった幼稚園児ぐらいの女の子が、既に人間の顔とは言えない小さな襤褸布の塊(つちくれ)を、私に突き出してきた。
 大きな襤褸が、小さな襤褸の目を拭うてやるのが、私たちの夜明けの日課であった。
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かぼちゃの少女・・・五

2005-08-06 08:49:00 | ある被爆者の 記憶
 真正面から被爆しているのだから、完全に両眼は光を失っているにちがいないと、私は思ったものだったが、眼球に異状はなく、実は瞼の部分が化膿して膨張して垂れ下がり、本人の意思では、瞬きすら不可能であった。それが昼過ぎになると、幾らか脹れが退くのであろう、重く閉じた瞼に、まさしく目張りしたように、こびりついた目やにと膿汁を拭うてやると、薄目がひらく。
 そのために、この子は決まったように、その時刻になると、
  「お兄ちゃん、目を開けて。」
 と、せがむのである。
 私は思う。今となっては、この子の名前すら憶いだせない。それだのに、私はこの子のこの言葉だけは、音声までよみがえらせることができるのはどうしてなのであろう。その理由は、おそらくこうだ。この時、私はこの言葉に、焼け爛れた肉体より以上に残酷さを思うたからにちがいない。   
 人間が、神仏に「盲目を救わせ給え。目を開かせ給え」と言うのならまだしも分かる。しかし、人間が人間に、開眼を願うなど、相手が眼科医でない限り、誰が他人にそれを委託するだろう。目は自由に閉じられ、開けられするのが常の意識であるのに、その常のことをさえ、願わねばならぬこの言葉は、私に原爆の古傷よりも深いものを残している。
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かぼちゃの少女・・・六

2005-08-06 08:48:00 | ある被爆者の 記憶
 大きい襤褸(ぼろ)は、小さい襤褸を包むようにして寝た。
 例によって、夜明けに倒れかかられぬように、近くに、明朝は死者となる被爆者はおらぬかどうか、確かめてである。
 もちろん、見回しながら、自分たちも死線をさ迷っている亡者の仲間うちと思わないわけではなかった。いつ自分たちが立ち上がって、この世への終焉のダンスをしないとも限らない。だが、それはそれ、これはこれと、いつも思えた。
 それが証拠のように、絶命する亡者が、棒倒しの形容通り、立ち上がっては二、三歩歩んで、他の寝ている被爆者を下敷きにする。すると、
 「痛い。畜生、何をするんだ。ふざけた真似をするんじゃない。下りろ。下りろったら。」
 「こらっ、好い加減にしろ。痛いじゃないか!」
とあちらこちらで、わめき、ののしる声がする。上の、のしかかった、たった今死者となったばかりの遺体を、下の、のしかかられた、余命を保っている被爆者が、殴ったり、叩いたりして、はねのけようとする。
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かぼちゃの少女・・・七

2005-08-06 08:47:00 | ある被爆者の 記憶
 もちろん、上にのびた奴に答えのあらばこそである。
 ああ、死人に口なしとはよく言ったものと感心したりはするけれども、笑い声は一度も耳にしなかった。それはそれ、これはこれであった。明日は我が身と思うところからの抑止であったり、謹慎のためではなかった。全てが新発見ばかりであるのに、それを評価する母体や基準がすでに失われていた。空しさばかりつき上げる。既に現実に期待する気力がなかった。目に入るものすべてが、在りし日の名残りの姿のように思えるのも、既に心は肉体を離れ、浮遊する亡魂の世界の中に戯れ始めているのであろうか。
 夜が白みはじめた頃であった。
  「お兄ちゃん、白い蝶々が・・・。」
 夢でもみたのかと思った。女の子の瞼は例によって、重く、薄目すら開けられる様子もなかったからである。
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かぼちゃの少女・・・八

2005-08-06 08:46:00 | ある被爆者の 記憶
 「蝶々よ。蝶々よ。お兄ちゃん、見えないの。」
 私の全身に不吉な予感が走った。女の子が私の手枕から頭を上げ、立ち上がろうとした。
 私は思わず、女の子をわが腕の中に抱き込んだ。
 「死んじゃあだめだよ。気をしっかり持つんだ。」
 自分の口から、自分の言葉が出ているのに、それがなぜだか、うそのように思える。涙がこぼれる。一体、この涙は何なのか。泣きたくて泣いているのか、泣きたくないのに泣いているのか。
 「お兄ちゃん、泣いているの。」
 案外、落ち着いた声が、私の懐の中から聞えた。
 「泣いたりなどするものか。」
 「うそ言っても駄目よ。私の顔にかかったわよ、お兄ちゃんの涙が。」
 相変わらず重い厚い厚い瞼がのしかかったままだった。ふと視線を外らした時、まさしく白い蝶が舞っているのを見た。
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かぼちゃの少女・・・九

2005-08-06 08:45:00 | ある被爆者の 記憶
 「蝶だ。」
 「私、うそつかないでしょ。」
 どうして、この子に見えるのだ。それとも私も幻影を見ているのか。
 でも、まちがいなく、私の視界の中には、夜のしらじら明けの空に向かって飛ぶ白い蝶があった。 私は見失わないようにと思って、瞬きもしないで後を追った。
 「もう見えないよ。お兄ちゃん。」
 「いや、まだ見えるよ。」
 と言おうとしたら、その白い蝶を私は見失ってしまった。いや、そうではない。その白い蝶が姿を 消したのだ、とも思い、もしかしたら、この子が、あの白い蝶を消したのではないかとも思えてきたりした。
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かぼちゃの少女・・・十

2005-08-06 08:44:00 | ある被爆者の 記憶
 繰り返すが、私は、どうしてもこの子の名前が思い出せない。この子に関する記憶は殆どが幻影的で、現実的なこの子に関する消息については、手繰り寄せる記憶の糸さえないことを不思議に思う。
後になってから、私は、ひょっとすると、本当は、こんな子には会っていなかったのではないだろうかと、疑ってみたりもした。
 私は、六日、広島駅頭に被爆し、線路工夫ふうな男二人に救出され、その夕刻から、八日までは、広島駅裏の東練兵場に寝ていたことはまちがいない。
 現実的な記憶として残っていることは、場所が練兵場だけに、多くの兵隊たちが、朝の体操中に被爆したらしく、熱線を受けた方角が同じだったのであろうか、兵隊たちは言い合わしたように、半裸体の背中が肉屋の看板のように真赤であったこと_。
 六日の日は一日中、兵隊たちは、そんな体で動き回っていたが、さすがに翌七日には、既に立って動き回る者はいなかった。苦しい、水をくれ、そんな断末魔の叫びとも思える声も消えて、聞こえるのは、せいぜい、呻きぐらいであった。
 そんな中で、私は突如、
 「天皇陛下、萬歳!」
 と、みごと三唱するのを聞いた。
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