マンマミーヤがお地蔵さまに授かった子供であることはすでに書いたけれど、人生を生きていく時に、苦労を先に背負えば、その分どこかでは楽ができるのだと思う。
女性の出産は、独身の時の生き方の答えが出るみたいなことを聞いたことがある。
実にジャパンの出産とマンマミーヤの出産では、マンマミーヤが二人目ということもあるけれど、先に苦労を背負った分、出産は楽だったのではないか?と思う。
マンマミーヤはお地蔵様に授かった子供であるということもあったから、当時のワタシは、相当気負って頑張っていたんじゃあないかなあ?と思う。授かったの37歳だし・・・。(当時は 丸高と呼ばれ 要注意人物として扱われた。現代では普通ですかね?)
「 苦 」
とうちゃんの帰宅は毎晩深夜12時ころ。駐車場は山の中腹(徒歩およそ7分)にあったから、そこまでえっちらおっちら大きなお腹を抱えて車を取りに行く(→下り)。
駅までお迎えに行き、とうちゃんをマンション入り口まで送り届け、車を再び駐車場に置きに行く。そこからまた今度は上り坂をえっちらおっちら上る。百数十段の階段を上る。よく転がり落ちなかったものだなと思う。
次の朝は、6時ころ、また車で送り。ここはとうちゃんが車を取りにいったかも知れないが記憶にない。多分そうだ。
今、考えるとよくやったな~と思う。若いってこともあるけれどね。そりゃあ専業主婦だから昼間休めるといえば休めるけれど、ジャパンはまだ小学2年生くらいだったから、そちらも手がかかるし・・。大変ちゃあ大変だった。
例えば、仮眠をしたあとに目覚めるとき、多分お腹に血液が集まっていくからだと思うけれど、手のひらが真っ白になるほど血の気がなかった。
< 出産のとき ・ 「 楽 」 >
自分で運転をし、病院にでかける。最後の検診の日だったけれど、そのまま出産、○高マーク付きのおばはんの出産だったけれど、実に簡単に出産を終えた。よく頑張りました。
「 苦 」しかしながら、産後、無理がたったのか腰をやられた。乳飲み子を抱えての寝たきりはきつい。お友達のアベちゃんが子守りをしてくれた。ワタシは本当に頼もしい友人たちに恵まれていると思う。
< 占い >
占いの話を持ちだすのはどうかとも思うけれど、
1、とうちゃんとワタシの星の相性はあまりよくない。一番の問題点はエネルギー差がありすぎること。エネルギーの強いものは弱いものを好むと好まざるとにかかわらず動かしてしまう。(と言われている。)弱い方は頑張りすぎて崩壊してしまうことになる。しかも結婚時の星回りもよくない。消化しなくてはいけないエネルギーが多すぎる。 結婚時の「気」は結婚を継続する限りついてまわる。二種類の 気を頂く形になる。
結婚後、どちらかが突然、体調をくずしたり、どちらかが信じられないような変身をしたならば、その結婚は子供ができる前ならば、離婚もOKかな?という風にもワタシは考えている。その方が二人にとって、お互いの未来が明るいかも知れない。そこから先のことを考えるととても長いからね。
ワタシはかわいく「 でっきな~~いのぅ~。」って甘えていればよかったのかなと思う。
2、ワタシは、元々出産は要注意の星を有す。下手すると命とり。
まあ、こんな感じ。
だけど、うちの実家の人々にしてみれば、こんなの普通に当たり前。母も姉ももっともっと苦労をしてきた。「 お前がだらしない。」って言われるだけだろう。出産後助けてもらえるような状況でもなかったしね。皆 いそがしかった。
同じように主人の母も苦労人だから、まあこれくらいは普通に当たり前。って思っていたと思う。
だけど、占いを勉強してわかったんだ。何だ、ワタシと家族( 実家と嫁ぎ先の人々 )の間にはこんなにもエネルギー差があるじゃないか。
そう思うと、バカバカしくもあり、それまでの自分を、自分で褒めてあげたい気持ちにもなったんだ。
・・・ 子育ての時 流れる ・・・
ここへきて、決めたことがある。
1、それはワタシが無理をしないこと。怠け者といわれる位に力をセーブすること。(また病気で入院したんじゃあ何にもならない。迷惑をかける。健康が一番。)
お金は、遠慮なく、ありがたく使わせていただくことにした。とうちゃんは家族が幸せな心持ちでいることが嬉しいらしい。ワタシはもっともっと甘えていればよかったのだと思う。
どこか遠慮して帰りたいけれど帰れなかった実家にもじゃんじゃん帰ることにした。どうやら実家の母の具合いがこのところ芳しくないらしい。これからはお盆やお正月には帰ることにする。
やりたいこともしっかりやらせていただくことにした。
長男の嫁をしっかりやらなくてはいけない事は重々承知しているけれど、
1、自分の中で悶々として、恨み事をいわないワタシにならなくてはいけない。遠慮して、我慢した2●年間を取り返すつもり。わがままっていわれてもいいんだ。
2、夫婦間の問題や、生き方は夫婦で話合って解決していかなくてはいけない。他人がとやかく言う問題ではないし、親が口出しする問題でもない。
子供が独立したならば、親は口出しをしない。頼まれたときにだけ、出来る援助をすればよい。
その逆もありで、親が援助を求めてきたときに、初めて子供は親の面倒をみればよい。それより大事なことは自分たち夫婦が自分たち家族のことで親に心配をかけないこと。親よりは若いのだから自分たちでいろいろな問題を考え解決していく。親に心配をかけないことも親孝行の一つだと思う。
親の介護の問題も、子育ての問題も一番の核になるのは夫婦。
世代交代もきちんとしていかなくてはならない。次の世代にきちんと橋渡しをしなければ、子供がたたなくなる。女の子は厳しく育てた方がいい。何かあるたんびにほいほい実家に帰ってくるようでは困る。その代わり、実家にいる間には、自立するための援助は惜しまない。
実家の亡くなった父はワタシ達( 姉とワタシ )のために頑張ってくれたけれど、一つ考えてほしかったことがあるとするならば、自分の夢を押しつけないでほしかった。
姉と甥には迷惑をかけたと父は詫びて、あの世に出かけたらしい。(伯母の弁)
家族には、内において、外には決してわかりえない 生きてきた歴史・過程があるんだ。嫁に行くということは、自分の生きてきた歴史をもって、全然知らない家の歴史の中に飛び込んでいくことだ。簡単なわけがない。
>写真は横浜の「 日本丸 」
お題 「 船出 」