スピリチュアルな世界を広げていくと、どうやら周りの環境がガラガラと動き出すみたいだ。
微力ながら 主人の叔母の介助に入ることになった。
バス便がかなり少ない所におうちがあるので、 「 待つ 」ということが要求される。
+ 乗り換え 乗り換え +
最寄りの駅からは、距離的にはそこそこ近い場所にある義母の病院に出かけるには 延々とバスを待たねばならない。
こんな時、車に乗れたら便利だろうに、とか 「 ヘイ!タクシー 。」( 表現が古いな )なんて乗れる身分だったらいいのにな とか思う。
考えてみればやりたいことは沢山あったが・・・例えば パートのおばちゃん。
1 立ちぐいうどんのお店で働く。 お断りされる。
2、マネキン ( 試食販売をするひと ) お断りされる。
3、近所のお店の 品出し。これは、それでも入れる一番可能性が高いト思われるので、未練たらたらで一応書いておく。子供には無理無理と言われている。
つまりは・・・
世間様の片隅で働いているんだ!という実感がほしいわけで・・・
「 いいわね~ 専業主婦はお楽ちんで・・・。」みたいなことを言われたくないわけで・・・
自分が学ぶ為の学費くらい自力で稼ぎたいわけで・・・。
まあまあ いろいろ思いはするけれど・・・。
無理なものは、無理 (なのかも?)
家族の 様々なしがらみ が なかりせば、なんて思ったりもするが・・・
実はそこ( 家庭 )こそが、今生の与えられた ワタクシの「 置かれた 場 」であり、「 置かれた場所で咲きなさい 」という渡辺和子さんの言わんとすることはそういう意味なんだろう。。。
正直いうと、秘かに 占いとスピ系の能力(あるんかい?)を生かして・・・お・し・ご・とを なんてことも人生の選択肢の一つではあったが・・・
「 あーた( あなたさま、もしくは 自分自身に言っている )はっきり 無理ですから~!!」
つまり・・・人のいのちに拘わる仕事はホント無理だと思う。
いずれにしても、ただ今いえることは 過去のトラウマの解消や、恨みごと( やりたかったのに~できなかった )みたいなことを一つ一つ消化していく、こうなりたい自分自身を実現していく。そのことを通して 生まれてきた本当の目的が明らかになっていくのだろうと思う。
>写真は、2014 9月の三渓園