< 6月 12日 >
卒業以来初めて、母校の同窓会に出かけた。在学中からあまり好きな学校ではなかったし、間違って紛れ込んでしまった(入学したこと)印象はぬぐえなかったのだし、何となく、同窓生の方々とは住む世界が違うと思っていた。だから同窓会には全く足がむかなかった。
それでも、今回思いきってでかけたのは、講演者が Sr,渡辺和子(さん)だったから。直接お会いできるのは、この機会を逃してしまっては、この先なかなか持てないだろうと判断したからだ。
渡辺和子さんは、2.26事件の時に、目の前で父親を殺されている。お父様は43発の銃弾を受けたらしい。
( 思いきってでかけてよかった。)
シスターだけど、講演先が、母校ということもあってか、リッラックスモードであったこともあると思うが、シスターは、ただ単に立派な人格者という印象ではなかった。何というか・・・自分の人生、納得できないところは尋ね歩く、そして、心からの理解(納得)をして人生を歩んでいる。そんな方だと思う。( 偉そうな言い方でごめんなさいなんですけどね。)
ワタシは机上の学問だけをして説教や講義をする人をあまり好まない。
=== メモをしながらお話をお聞きしたのだけれど、今読み返してみると”何のこっちゃ?”状態なので、まあいつものように話半分、”らしい”をつけながら、お読みいただければ幸い。 ===
若干 36才で 母校、岡山( 姉妹校 )の学長に就任。いろいろあって(?)東京(?)へ戻してくださいと(上?)の方にお願いしたところ、
「 あなたが変わらなければ、どこへ行っても 何をしても 同じだよ。」 と諭された。
私の方が変わる。例えば、ご挨拶。こちらから、挨拶をしてくれない相手に対して、ご挨拶をする。にもかかわらず、相手から何も返ってこないとする。
。→ 私は損をする。Wの損だ。・・・とまあ若い時のシスターはこのように思っていらしたらしい。( こういう人間的なところが身近な感じがして好き。)
( シスター、その通りです。私もそういう発想をいまだにしてしまいます。 )
『 神様がお植えになったところで咲いていなさい。』
< 大学入学の あと・・・ >
( )書きはワタシの勝手な補足のようなもの。解釈が間違っている場合もあるだろう。
シスターは学生たちにも教えていらっしゃる。そうすると学生たちの中に、不本意入学の人が必ずいる。そういう人達に対するアドバイスとして、シスターはこのようにおっしゃっている。
「 時間の使い方は いのちの使い方。」
不平・不満を言っていては、そのまま不平・不満の時間が残る。入学している間に、学び、友人を作ること。人を蹴落として自分が一番になる、(というような)勝気さをかえること。
( 結局のところ )
「 ( 与えられている空間においては )自分自身との闘い。」( である。) まわりが悪い。あの人がいるから、いじわるだから、こんな仕事を与えられているから・・・。・・・。
周りがかわることを待っていては、年をとるだけ。自分の想い通りにならないことは沢山ある。
「 今を 大切にいきなくてはダメ! 」
この人生には穴があく。( ことがある。)(この時)穴をあけた人を恨む。
人生に穴があいた時、あいたことを醒めた目で受け止めると、あくまでは見えなかったものがみえてくる。
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あさのじゅんいち さんの「 ヨブ記 今日的意義 」岩波書店 の引用。井戸 と 星かげのお話 >
『 トンネルは必ずぬける。入る前の明るさと入った後の明るさとは異なる 』 ( 自分があきらめさえしなければ、別の色の光が見えるのだとワタシも思う。)
あいだみつおさんの 「 おかげさん 」・・・
つまづいたり ころんだりしたおかげで少しづつだが自分のことがわかってきました。あやまちや失敗をしたおかげで・・・。
(書きとれず)だからつまづくのもおかげさま。(→ あいだみつおさんのご著書を読んでください)
いざという時の自分の弱さとだらしなさ(がわかる)もしそうしなかったらわからなかった。人のことを言う資格がない。
幸せはいつも、みる人の目、自分の心が決める。(いまある)状態をありがたいと思うか?環境のどれいとして生きるか環境の主人として生きるか?
Sr,は 50才の時、うつ病になられた。( シスターでも、このような病気になるんだ~。ということがワタシにとっては大きな驚きだった。そのことを知っていたので、病気に対して、どのようにお考えになっていらっしゃるのかをワタシはお聞きしたかった。)
( 病気をえて、よかったことは、相手の気持ちになれること。)
「 私もなったのよ。病気と仲良く生きましょう。」( と言えること。)
< ヨハネ福音書 9章 目の不自由な男のお話。> この男が目が不自由であるのは、本人の罪のせいですか?親の罪のせいですか?の質問にキリストは・・・??? ・・・お時間の許す方 お読みください。・・・
( 子供が病気になっている )なぜ?ではなくて この子が私に 今 何を教えようとしているのか? 何(か?)の為になっているのか?神がなさることに無駄なことはない。
『 (神は)力にあまる試練を与えることはない。』
『 運命は冷たいけれど、摂理は暖かい 』
< 学生たちの質問に・・・>
Q『「 置かれた所で笑顔で咲く」と言っても、どうしても(笑顔で)咲けない時はどうするのですか?』
風が強い日、カラカラに乾いている時、ねを下へ下へおろして張りましょう。次に咲く花は 前に咲いたものより大きく、美しい色です。
あいだみつおさんの 涙をこらえて・・・の詩。写真 参照。
発想の転換が必要。今日という日を丁寧に。感謝で生きよう。すべては恵み。はく息は感謝で。すべては恵みの呼吸ですから。
『 THIS IS MY YOUNGEST DAY OF MY LIFE 』
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こころの風邪はひいたものにしかわからない。ワタシはその病気と10年間闘ってきた。シスターのようにそのことがよかったと言えるとしたら、恐らく 同じ病気を抱える人の気持ちが少しばかり理解できることだろう。
孤独・何を言っても、訴えても、理解を示してくれないオット。「 聞き流せばいいだろう 」
周りの人を恨むことでしか自分の居場所を確保できなかった。
でも、そのことをもっとさかのぼって考えるなら、母をいつも泣かせている父が許せなかった。父とオットは、同じ、同じ場所にすわる。(→これ、ワタシの場合)
なるほど、結局のところ、ワタシに与えられた課題は同じなのだ。例え結婚に逃げたとしても、その果すべき課題・使命は同じなのだと気づく。
「 置かれた所で、笑顔で咲く。」・・・不平・不満を言っている時間がもったいない。あの日から 少し、そのように考えられるようになった。今 ないものに不足をいうのではなく、今 あるものに感謝して生きなくては やっぱりもったいないと思うようになった。
6月 12日、この日、ワタシは 勇気をだして、一緒に写真をとらせて頂いた。ピンボケになったけれど、写真の中の二人は”笑顔”だった。ワタシはこの写真を一生の宝物にしようと思う。
被災された、東北地方の方々が、なぜ写真にこだわるのかが、ちょっと理解できなかったのだけれど、今はこんな感じなんじゃあないだろうか?と思う。
それは、こころの支え、よりどころ、勇気、力。
思いきって出かけてよかった。心からそう思う。
>写真は あいだみつおさんのグッズを売っているショップのもの。( →ここは入場無料 )
いつか記念館にも行ってみたい。
キリストの香り 2 『 たえず 祈りなさい 』
http://www.youtube.com/watch?v=6gZMT70znNk&feature=related