地球へ ようこそ!

化石ブログ継続中。ハンドルネーム いろいろ。
あやかし(姫)@~。ほにゃらら・・・おばちゃん( 秘かに生息 )。  

東京マラソンふたたび落選・・・

2008-11-30 22:29:58 | SPORTS ( RUN  ~ DANCE )
こんばんは~あやかし姫@明美です。本日も家事以外はず~~っと占いの勉強。

ちょっと、@明美の名前を使うのは気がひけるけど・・・。
出雲から帰宅して、東京マラソンの抽選の発表があった。また今年も落選した。

でも内心ほっとしたんだ。だって めちゃくちゃ太ったから。イリコさんには太っていないって思われているみたいだけれど・・(→姫、バレぬよう、ふわっと、黒づくめ装束にて「 木馬 」参上。っていうか他に着るものがなかったんだけどね。わざわざは買わないジョギング服。)

冗談ぬきでマラソン人にはありえない体型。どんなに細くたって42.195キロを走るのはエネルギー補給をきちんとすれば大丈夫なんだと思うけれど、太っているのってエネルギーはあっても絶対がつく位厳しいと思う。

注)マラソンと書いてありますが、去年はたった5キロコースのお話なので、あしからず。

体重が問題なのではなく、体脂肪が問題なんです。大体”20”を超える体脂肪でははっきり ま・ら・そ・ん なんて言葉にするのも憚られると思う。

それがね、姫の体脂肪の数値は、あの~お笑いの方、名前誰だっけ?森三中の中の???さん、あの方の体脂肪の数値にとっても近しいんですよ。確かあの方、ダイエット中で体重を落としていって、体脂肪が”34、○○”って言っていた。

只今の姫(→すみません、おばはんですけど)マラソンなんて、無理。無理。無理・・・・・。むっり!
たったの5キロでもむっり!

東京マラソンの切符、手にしたらがんばって体重落していこうと思っていたんだけど・・・。

このところ、ずっと座って勉強してるじゃあないですか?でもって、脳のためとかいってチョコレートとか食べるでしょ。ららちゃんの散歩も3週間足どめだし。

姫は自宅内をちょろちょろしてるだけ。筋肉なるものはとっくに脂肪へと変化したみたいだし・・。まいったなあ~~。
突然ですが・・・
< 松野明美さんのこと >
いつだったか、TVで松野明美さんのドキュメンタリー番組をやっていた。松野さんの次男はダウン症であり、心臓の病気も抱えているらしい。(以下 らしいをつけてお読みください。)

松野さんは丁度、芸能人の追いかけっこの番組をやっている頃だったのかな?わからないけれど、家庭内では次男の生死をかけた心臓の病気と闘っていた。

最初は、近所にもわからないように隠して育てていたが、同じ障害を抱えている子供たちやその親御さんたちとふれ合ううちに、その生きる姿勢、明るさ、たくましさ、気高さに感動し、思い切って二人でお外にも出かけるようになった。

夫婦で励まし合って、施設の先生たちに、家族に、同じ病気を抱える人達に、支えられながらの子育て。その子供の明るく、くったくのない表情に、”生きる”ということをまた考えさせられた。
> マラソン 
何がよくてあんなシンドイことをやるんだろう?自分でもふしぎ。只今は、マラソンに初めて挑戦した頃より、体重は増え、正直気力は衰えている。
何より家庭のことをそれなりやったあと、占いの勉強との両立が難しいと思う。

三浦国際市民マラソン3月1日 開催  どうするかな?
締切りは 12月12日 
マラソン婦人は同じく東京マラソンに落選した。すぐに 三浦に申し込んだらしい。
>写真は、渋谷セルリアンホテル内。「坐忘」(渋谷駅~徒歩5~8分)のケーキ
 
これらのケーキのうち、ひとつを選ぶことができるケーキセットを注文した( ドリンク付き )。手前はフランスのシェフの品。奥はホテル特製のケーキ。(若干のお値段の違いがある。)
とってもおいしい。もっと食べた~~い。岡本太郎さんの壁画を見たあと、訪れるのもいいかも?

まんず、この欲望に勝てなくちゃあ、マラソンなんて無理だな。



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ささやかな  幸せ

2008-11-28 07:35:07 |  ちょこっと  教育
うちを脱出して、仮の宿( いちょう町界隈)に住んでまで通った、超多忙な学校を辞めたマンマミーヤは精神的、肉体的健康を取り戻しつつある。同じくワタシも健康をとりもどしつつある。

田舎の姉さんに言わせれば、「 あんたら~なんでそんなに・・・。」無理をさせるのか?と言うことだったけれど、都会の自分たちが置かれた状況の中で、それなりに本人と両親で考えた進路であったから、(他人に言われたくないわよ。)みたいなところはあった。
 注)他人・・・現在の家族ではない。という意味。

自分が父親に期待され、育てられたように、ワタシも親(父)と同じようにを子供には教育はつけてあげるものだと思っていた。

特にとうちゃんもワタシも貧しい中から教育をつけてもらったから、世の中的にはそれなりお金持ちと想像されているワタクシ達夫婦が、同じように子供に教育をつけてあげようとすることは何ら不思議なことではない。

ジャパンの時代には、それでもまだ自由はあった。特に彼女は公立高校で、しかも自由な校風の学校に通っていたから、時間的には少し余裕もあって、とうちゃんのセッティングした塾コースに乗っかって大学進学もした。( ちょっとワタシには信じがたい教育パパゴンだったけれど・・。)

マンマミーヤの一連の出来事で、ワタシ達は目が醒めた。( あえて達 )只今の教育界では、どこの学校に身を置こうとも、少なからず”ビョウキ”になるんじゃあなかろうか?

私立の学校(ちょっと進学校)は相当に親たちの期待(有名大学進学希望)があるから、そのことも手伝ってどんどん「知育」偏重に陥る。だから子供たちは知識の詰め込みに追われるようなところがあると思う。それは昭和のワタシ達の時代の比ではない。

そのような能力を必要とする仕事があろうことは否定はしないけれど、すべての子供にそれが通用すると思うのは大きな間違いだと思う。

子供はゆっくり育たなくてはならない。自分を見つめることもなく、友達と喧嘩することもなく、自然の中で息をすることもなく育ったのでは、”ひと”でなくなる。
 『 音・美・体 』(やらせではない、音楽・美術・体育) 詰め込み塾より 今の子供に与えてあげたいこと。 
これは何も、子供に限ったことではない。昭和の忙しく過ごした、おじさま、おばさまにだって大切だと思う。
 歌を奏でる体( 体が鳴らなくなったら おしまい。)
 美しいものに感動するこころ
 いそいそと、わくわくと、どんどんと動くことのできる体

学校をやめた当初 、「 夢なんてないもん。 」 とマンマミーヤに言わしめた、ワタシ達の教育はどこか間違っていたし、学校の教育にも改革すべき点は多々ある。
@@@@@     @@@@@
とうちゃんと、ワタシと、ジャパンと、マンマミーヤが揃っていただくささやかな夕食。「おいしいね~。」 結婚2●年目にして初めてのことだ。

何か おかしい都会生活。朝食だって、本当ならば一緒にとったっておかしくはない。
マンマミーヤは、とうちゃんに自ら挨拶もするようになった。「ありがとう!」
昨日は、とうちゃんのパジャマのほつれを縫った。丁寧に縫った。

女の子に大切な教育は、意外とワタシが、若かりし頃に考えていた、「 男になんか 絶対に負けない!」というような生き方になる教育ではなく、
男が気持ちよく、「行ってきま~~ちゅ。」と言って仕事にでかける家庭環境を整えることなのかも知れない???

>写真は最近に作った、姫作、マンマミーやのお弁当。このところ、学校には出かけないので、お弁当はたまにしか作っていない。ジャパンが退職したら、しっかり朝食を取らせたい。

ステロイドホルモンを自らの体内に作るには7:30分までにしっかり朝食をとることだとお習いした。
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自然淘汰は・・・

2008-11-27 21:58:01 | うらなり  占い話
こんばんは~、本日もアクセスありがとう!

本日の占い。陰陽五行説を基盤とした占い。
あくまでも一つの考え方。


自然淘汰はなにも自然界、動植物だけの話ではない。考えてみれば人間だって動物であるわけで、人間だって淘汰されるんだ。

なんびとも、早い人で40才~、遅い人で50才~からの10年間、人生において迷いが生じる。男性は社会において、女性は( 働く女性もいるわけだけど・・・)主として、子供に対して・・・。

ここで人生が変わる。生き方、考え方を変える必要がある。いろいろな意味で残りの人生をどのように生きるのかを問われるところ。

結婚をやめてもいい。転職をしてもいい。人生観を修正するラストチャンス。それがうまくできない人は淘汰される。淘汰は次の10年で行われる。

60歳定年、このあたりから答えがそろそろ出始める。自分の宿命通りに生きていない人は淘汰されていく。
・・・つらつら・・・
子育てをしっかりしていれば、成人した子供はそれなりに独立(→家庭を持ったり、一人暮らしをしたり・・・。)していくだろう。また独立してくれなくては困る。
> 病院の中でいつも一番つらいと感じることは・・・
例えば女社長さんのような外見。リッチな女性。結構な年齢の方。
面会の相手・・・恐らく娘。若いのに白髪が混じる。どちらがお母さんなのかわからないくらい老いている。
このお母さんが死んだら、この女の子はどうするんだろう?他に家族はあるのだろうか?
精神を病む。肉体を病む。病気・ビョウキ・びょうき・・・。

人間なら避けては通れない やまい。

>女性の才能をどのように考えればよいのか?
例えば、芸能人の母を持つ子供(特に男性)たちの事件を考える。覚せい剤の繰り返し。犯罪。

母の活躍と息子たちの起こす事件には因果関係がある。もし、幼いころに母親が母の役をしっかりやっていなければ、いずれ時がたった時にその答えが子供に出てくる。父親の生き方もしかり。

そのときに後悔しても遅いのだ。自分を生きるということはそんなに簡単なことではない。芸能界での成功は家族の犠牲の上に成り立つ。どちらに転がっても苦しいのだと思う。
人がこの世に生まれでてくるのが、本当に500年に一度であるならば、自分の思うように自分の人生を生きてみたい。 
しかしながら、それは口で言うほど簡単ではない。何かを切り捨てなくてはならない。
表舞台で活躍している人は、陰で本人や家族が並々ならぬ苦労をしょっていることは間違いのないことだろう。












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明日の神話・・・

2008-11-24 08:12:07 | 思考の支柱
おはようございます。今日もアクセスありがとう!

昨日渋谷にて、たぬき先生、ワタシ、マンマミーヤで、岡本太郎さんの、『 明日の神話 』 にご対面。

たぬき先生の解説により、全然違った壁画の見方ができた。あちこち移動してみて初めて、場面の切り取りが出来たんだ。流れていく壁画。

「 へ~~~っ 」「 なるほどね~」
つまり、これは単なる、原爆の図なのではなく、人が生きる ということはどういうことなのか?ということを表現しているのだと思う。

この壁画には、この世~あの世 、輪廻転生が描かれている。そして地獄・極楽もある。はては閻魔大王などもいたりして・・・(これは ワタクシ(達)の勝手な解釈)
「 明日の神話 」 からの抜粋・・・原爆という図々しい、巨大なエネルギーが炸裂した。それは残酷であり、破壊する兇暴な力だ。しかし、その瞬間に、それと同じだけの激しさ、エネルギーで、人間の誇りもまた炸裂するのだ。その瞬間に、『 明日の神話 』が生まれるのだ。
たった一人の小さなワタシの誇りって何なんだろう・・・自分の生きがいとも結びつくことだけれど、それって家族ぬきでは考えられないことだよね。
>>>>>>     >>>>>
本日ワタクシは忙しい。地区センターに勉強にでかけることにした。家族とは 程よく付き合っていくのが望ましい。と思う。ん、じゃあ忙しいんで・・・。

>写真はたぬき先生に撮っていただいた「 明日の神話 」とワタシと娘。
ワタシと娘は、正面壁画の下に二人警備員さんがいらっしゃるのだけれど、その向って左。この壁画の大きさがわかると思う。

追伸・・・なぜか 青色が黒字に変ってくれません。何でですかね?”生まれるのだ。”までが抜粋。

 
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いい 夫婦の ありかたは・・・ 

2008-11-23 05:01:54 | ねむねむ  南無南無  ワールド
11月21日はワタクシの誕生日。
22日はいい夫婦の日。

21日は前回のリベンジ(=元気な状態で)で、弘明寺さんの身代わり地蔵さんにでかけた。

前回お陰を頂いた(と本人は思っている)ので、そのお礼とこのハンカチを実家の母にぜひとも送ろう!と思ったからだ。多分これなら受け取ってもらえるだろう。

大体、実家においては(同じく嫁ぎ先も)ワタシは厄病神っぽい存在なのだと思う。亡くなった祖母の除霊も親戚を巻き込んで、何やってんだろ?の世界になった感ありだし・・・。

ばかばかしいよね。

>母はこのところ具合が悪いらしい。母は二度母を亡くしているから、とてつもなく逞しい。元軍人である父にずっと仕えることができたのも、そのことの故だと思う。
母は母なく育ち、しかも二度目の母の介護でその十代を過ごした。
自分の力だけを信じて生きてきたようなところがある。結構がんこ。

>星を観る。・・・。・・・。
いつも とっても悲しくなるんだ。例えば、親孝行なものが親を倒す関係にあったりする。子供想いの人が、子供を倒す関係にあったりする。
オット想いの人がそのオットを倒す関係にあることもあるし、その逆も真。
兄弟はライバルといわれているし、この世だけに視点をおいていたんじゃあ、不条理以外の何ものでもないこの世なのだ。

ワタシは、そこを越えていくのが、自我をすてていく「 愛 」なのではないだろうか?と思っている。

>十代の子供の犯罪も、おそらくその家族のおいたちから、生活の一日一日を振り返ってみれば、”道理じゃ道理じゃ”と言いたくなるのではないのかな。とニュースを見る度にいつも思う。

自分が無意識に封印をしている自分の過去、そのよい部分も悪い部分もひっくるめて考え、行動していく作業をするのが人生なのだと思う。

他人と比べても仕方がない。皆持っている星が違うんだ。同じ誕生日でも、生まれた環境によっても、選んだ仕事、配偶者によっても生き方が全部変化していく。一つとして同じ星はない。

自分が正しいということもなく自分が間違っているということもない。

+++++    +++++

誕生日の日、とうちゃんはワタクシの誕生日は忘れているだろうな?と踏んでいた。
が・・・届く、メール。「を買ってかえります。」
あのですね、出雲への旅だけで十二分すぎるくらい嬉しいんですよ~~。ホントに。

だけどね、

嫌いじゃあないんですよ、甘いもの。。。(うふっ)
それより、ちょっと前まで、つまりは前の忙しい会社を辞めるまでは、子供の誕生日さえも知らないくらいのとうちゃんだったのに・・・。

>いい 夫婦の日。。。

殿にパソコン用の家具が届いた。家具職人のうしおさまのお力を頂き特注。
殿、自分だけの城つくり。およそ、半畳の空間。
お代は姫もち。( 以前だったら考えられないことだけどね。)

姫もちたって、殿の稼いでくるお金だしね。ワタクシ、やりくり上手って言えなくもないけれど・・・?

だって、30年以上も働き続けてきたんですよ。それくらいしたってバチはあたりませんよね。

>知らなかった殿を発見。家具が届くまでの毎日・・・。
姫(まるで、小学生だな。びっくり。そんなに嬉しかったんですか?)ワン、ワン。

家具が出来上がるまでの2週間ばかり、あ~でもない、こ~でもない。ワタクシ、何度うしおさまにTELしたことか。「 すみません、あそこの、ほにゃららを・・・。」

こんなに、喜んでもらえるとは思ってもみなかったな~。よかった~。

@@@@@ いよいよ 次の改革 吉宗 @@@@@

本日 渋谷にて たぬき先生、ワタシ、マンマミーヤで 岡本太郎 「 明日への神話 」を観る。

実は 打ち合わせ、初顔あわせ。たぬき先生にはマンマミーヤとワタシの家庭教師をしていただこうと考えている。

たぬき先生は『 児童の言語生態研究会 』の考え方をず~~っと守ってきた先生なんだ。お知恵を頂くことにした。

出しゃばらないように、一人盛り上がらないようにしなくては・・・。では行ってきま~~す。
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そのさんちの オムライス

2008-11-22 19:39:30 | お料理 指南
わが尊敬する 喫茶店 『 木馬 』のそのさんの オムライス。前々から やってみたいと思っていた作り方。

本日 いい夫婦の日。ワタクシは このオムライスに挑戦したいと思います。

@@@@@@       @@@@@@

http://blog.goo.ne.jp/oua1125/e/8e449a99ec81e92c3a441a6c81595d55

そのさんが、長年にわたり研究を重ねたレシピ。うちのとうちゃん、このオムライスが大好物なんであります。

>写真はうちから見た 朝日。 お題・・・「 陽は またのぼる 」

では、がんばりま~~す!

@@@@@ その  オムライスは・・・(ここかけ言葉) @@@@@
 いや~評判とりました~。前のそのさんが、持たせてくださったおみやげの手料理も、マンマミーヤを、「そのさんのオットになりたい。」と言わせたくらいおいしかったのだけれど、今回もGOO!

殿「 これ お店やさんの 味だな~。」と言ってました。( ホント、ホント・・)

実は、オムライスじゃあなくて、チキンライスだったのですけれどね。次回はオムライスに挑戦したい。( 朝、たまご食べちゃったんでね。)

このオムライス、具を炒めと先にケチャップをからめてから、あつあつ固めご飯をいれるのがみそだと思う。
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人様の言葉は・・・聞くもの

2008-11-20 14:18:49 | うらなり  占い話
18日は占い学校。通うほどに自分のこと、とうちゃんのこと、子供のこと、昭和びとのことがよく理解できる。

学校が終わったあといつもの三人で学習会。自分の星はたたき台に使ってくださって結構。とお伝えしていたら・・・

これがシビアーな意見でね。まあね、幼き頃から言われ続けたこと、
「 お前のわがまま。わがまま。わがまま。・・・。」

このわがままを通り越して、「 ここ この星、これが傲慢なのよ。・・・。」とはっきり言われた、ご・う・ま・ん、って。

前回は2●才に戻って夫婦の関係をやり直しなさい。みたいな発言があって、流石に( 何で、あなたにそんなこと言われなくちゃあいけないのよ )ぶちってきたけれど・・・。

星は冷静に判断するべきだよな。って思い直しての今回の学習会だった。

「200●年になったら、異常カンシが4つ並ぶ。・・・。」「 これは守護神だけどこれって、ここにあるから守護神にならない。・・・傲慢な人・・。」云々。(そういえば、そんなこと習いましたっけか?)

異常なカンシが並ぶ。っていうか、元々の星に二本ある。( 三本あるうちの二本の柱。)

同じくとうちゃんの星の中も異常カンシがあって、三本ある中の一本。どうやらこの歳の生まれの人は芳しくない花嫁がやってくるらしい。

「へ~っへ~っ」 と聞いてはいたけれど、はっきり「 あなた傲慢なのよ。」といわれるといい気はしないわね。ちょっとムッとした。
( 苦しかった病気の日々、わかるわけないもん。)

自宅にもどり、もう一人の方が貸して下さった他の学校のテキストを見る。(みんなすごい勉強家、中には実際に占い師がいらっしゃるらしい。)
(なるほど。へ~そうなんだ。)テキスト内、居並ぶ異常カンシたち。

下手に学歴なんぞをつけたらいけない、と書いてあるわね・・・。なるほど。

ワタシに霊感がもともと備わっているらしいことも理解できた。だってそのように書いてある。(へ~っ、そうなんだ。)

まあね、正直、「 あなた傲慢なのよ。」の言葉に、またカチンってきたけれど、忌憚のない意見交換をしようと言ったしね。ありがたいちゃあ、ありがたい情報。

自分の前に現れる、苦手と感じられる相手、もしくは いやな人は全部、自分を写す鏡。言ってくださる言葉は自分を考えるヒント。最近は、以前に比べるとそのように思えるようになったから、自分の中じゃあ成長してるんですよ、これでも。(多分ね)
< 占いの知恵 あれこれ >
注)自分の意見も入っているので、注意してください。

< 昭和の時代 >・・・バブルから学ばなくてはいけないことは多い。土地神話が生まれた。当時、日本の土地全部を売れば、地球10個買えるくらいほどだと言われた。しかし、これは中身の伴わないもの。株価だって、どんどん上がりはしたけれど、実態はなかった。

「 財 」(=お金・現実)を求めすぎると、「 印 」( 生きる知恵 )がなくなる。お金の亡者になって失敗している人って結構いるでしょ?

しかしながら、これは経済学者が悪いわけでもなく、政治が悪いわけでもなく、すべて日本に住まう国民の総意である。それを代表するものがわが国の象徴たるもの。只今の社会を狂わせているのは、国民のみなの生き方、価値観、その想念なのだ。
平成に入って、早20年。最初の10年間は昭和の気が残るが、平成には平成の生き方がある。それは「 福 」を大事にする生き方。
自分が幸せだと思えることやものを求めつつ生きること。その方がのちのち「 財 」もいただける。「 寿 」だって得られる。(といわれている)

もし只今、家庭を持っているならば、家庭内の家族の「 福 」も同時に考えなくてはならない。
家族のためだけに生きるだけではなく、自分自身の「 福 」(=幸福感・生き甲斐)を探さなくてはならない。平均寿命が85歳くらいまで延びた今の時代だから、最期の時まで健康に生き抜くために、自分にとっての虚ろではない大事なものを求めるべきだ。

>受験戦争といわれた時代はまだまだ続いているらしい。中学受験、話をきけば信じられないくらい異常な状況に陥っているらしい。大体父親も母親も子供をブランドのバックみたいに考えている所にに大きな間違いがある。

学歴も、実態のないものであれば単なるおかざり。何の役にもたたない。むしろ子供を潰すだけ。本当に子供の幸せを考える必要がある。
> そこに必要なのは対話。
>十才までの生活は大切

人によって、何歳までかは異なる。19才までが勝負。
ここで生まれるトラウマが一生を左右すると言われている。母親は少なくとも、子供の真の味方でなくてはならない。そとの世界で何が起こっても、うちにおいては守る姿勢。自分の価値観の押しつけではない守り。
『 子供の目をみなさい。子供の声を聞きなさい。』
恩師 上原輝男先生の教えは、本当に正しかったと思う。
    伝えたい想い。
    伝えたいこころ。

子育てを自分が危うく失敗するところだったから。気づけてよかった。
 もちろん、これは現在進行形ではあるけれど・・・。

ワタシは、自分の限界点の近くまでやってくると、必ずどこかしらから、 まれびと がやってくると思っている。
それはある時は人の姿をして、ある時は動物や植物、花鳥風月。

@@@@@     @@@@@

>殿は、ららちゃんに見送られながら、「 行ってきま~~ちゅ。」と言って会社に出かけた。ららちゃんは教えていないのに、不思議なことに、2回に1回くらいちゃんとお座りして、ぺこぺこって 行ってらっしゃい。をするんだ。

>ジャパンは、録画アニメを見ながら、ジャパン・ソウル・フード(梅かつおのおにぎり)と少々のおかずを食し、会社に出かけた。

>マンマミーヤは、昨日 一人で、映画の試写会「 赤い糸 」に出かけた。迷いながら、人様に聞きながら、会場に辿りついたらしい。
夕べは延々、解説、鑑賞発表会。ワタシは、元気になった子供に、お世話になった方々に、本当に感謝の思いでいっぱいだ。

とうちゃ~~ん、私たち本当にがんばったよね~~。まあ これからもっと大変になるかも知れないけれど、何とかなる!いのちさえあれば、何とかなる!

すぐ落ち込むくせに、時々妙に自信過剰のワタクシになるんだ。

>写真は、岡本太郎の「 明日への神話 」から

18日の日、渋谷の京王 井の頭線の改札の近くの広場で、壁画を見た。

父は戦地でどんな思いで戦ったのだろう。

なんびとも、生と死のハザマで、今日の一日を生きているんだ。人様のあいだで生かされていることに いつも感謝しなくてはならないだろう。






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よせばいいのに また夫婦喧嘩をした

2008-11-17 23:44:56 | ねむねむ  南無南無  ワールド
昨日 よしゃあいのにまた夫婦喧嘩をした。っていうか意見交換してたら・・・プッツン・・・っていう感じですかね?

まあ 他愛のないことです。つまりはとうちゃんは”車のお迎え”を姫のためにた~~んとやっていると思っている。
しかしながら、姫はそのようには思っていない。

だって殆どまともに休んだことない、いちょう町での日々で。土曜日ソフトクリーム屋で働いたあと、家族のために買い求めた食料品、重い時で8キロを持ちえっちらおっちえら自宅への山道上ったわけじゃあありませんか。

記憶に間違いがなければ、ナイト1回もお迎えはなかったような・・?

にも関わらず、子供たちのためならば、ほいほい車をだす。それが気にいらなかったんだ。

すったもんだ、すったもんだ。(→これ喧嘩してるとこ)

仕事で疲れているのわかるから、( 本当は迎えにきてくれると嬉しいのに・・・。)遠慮して大丈夫なんて言ったけれど。( 最初 頼んだらだめだったんだよね。言っても多分断られるな?)

助けてほしい時は助けてくれないで、別にたのんでもいないことをやってくださる殿。行き違い、すれ違いの人生。

>ワタクシの見解・・・

あのですね、とうちゃんは、義母と比べているんですよ、無意識のうちに。
ワタシのエネルギーのおよそ5~6倍ある義母とワタシを。女はそんなもんだと思っている。出来て当たり前だと思っている。そこんとこが、あったま来るところ。(→早死にしたってしらないからね。)

子供に対する愛の半分でいいからよこしやがれ!って思うんですわ。
でもね、それって無理だとも思う。だって彼の星の中に存在するワタクシは まことにまことにちっぽけな存在でしかなく、根っこのところで、必死に耐えて、支えているんです。

校長先生のいうところの、「次は癌ですね。」っていうのもあながち外れてはいないだろうと思う。( しゃあないやん、結婚したからね。)
Q、じゃあなぜ頑張っているか?ですか?
A、それは離婚すれば、そのお役を自分の娘が引き受けることになるのがわかっているからです。

占いは ”知らぬが仏”でもあるし、知っていて、危機を回避できることもある。どっちもどっち。5分5分だな。だって余計な心配の種、抱えることになるでしょ。

まあ、だけど、とうちゃんの気持ちもわかったしね、今度こそまともな論文を(占いの)提出して、お互い、残りの人生を悔いのないように過ごしたいと思う。
やっと、目を通す気になってくれたとうちゃん。ワタシの唯一の願いは家族の健康だけ。財や名誉は並でいい。(並がいい)

@@@@@  代償  @@@@@

17日は遍路の折お世話になっていた、山下のおじいちゃんの命日であることがわかっていたので、川崎大師にお参りに行く予定にしていた。あと薬師如来さまのお礼参り。

しかしながら、昨日の喧嘩により( 原因はここにあるとワタシは思っている)偏頭痛(左)、左半身しびれ。胃痛。殿とワタシのエネルギーの違いから、大体ワタシの方に病気がくる仕組みになっている。( これは勝手な持論 )

それでも押して出かける、川崎大師。薬師如来さまにお礼しなくては・・・。

電車内、全身から噴き出す汗。(まずいな~)仕方なく途中下車。弘明寺。(に変更)探す、トイレ。

いつもは自宅内でやっている、病気を屋外にて体験。大変ですわ。
この日、お坊様がたの記念撮影。なむ~。姫それどころじゃあない状況。
撮影終了後、やっとこベンチに横たわる。(くるし~~~い!さむ~~い。ぶるぶる。)お大師さまが、苦しんだ”十夜が橋”の話を思い出す。(こんな日に寝床がなくちゃあ困るな~)

再び トイレ、かけこむ。( げろげろ )

何とか 人心地ががつき、帰路につく。車内、電話。
姫「 具合悪いんだけど、迎えにきてくれます?」 二つ返事でOK。とうちゃん、本日休暇。

昨日恨んだでしょ?家族の食料品買って帰っているのに迎えなしで、運動しなくちゃあいけない子供ら、お迎えってなんなの?ってね。

だけど、ワタシはこうやって、外を元気に歩けるようになった、ありがたい自分を忘れていました。あの病気で寝たきりだった頃の自分を忘れるところでした。

自分が、どこか命がけで、死に物狂いで戦った病気のことを「 わかってたまるか!」って思うけれど、わかるわけがないのだ、自分以外の人に。自分の子供にだってわかるわけがない。強いていうなら同じ病気を抱えた人にしかわからない。

家族のために頑張るけれど、自分のための時間もこれからは絶対取っていく。
家族のためだけに働いて、自分の楽しみの時間もなく、癌になって、不自由な体で
薬づけになるような母の生き方とは違った生き方をしたいんだ。親を踏みつけにしているようで心苦しいのだけれども・・・。

@@@@@  作法  @@@@@

実は弘明寺さんには、身代わり地蔵菩薩がいらっしゃる。高野山真言宗 坂東14番札所。
ハンカチ 200円。これを頂いて、ご真言を唱えながら、自分の苦しいところをなでる。そうするとあら不思議。治るんですよ。今回も早かったな~。相当苦しかったけれどね。( げろげろ)

注)お賽銭は自分に払えるだけでいいんです。お金のない方に出しなさい、なんてことお地蔵さんは言いません。( と思います。)

実は自分のためにやったのは、今回が初めてくらいなんじゃあないかな?大体は他人のため、とうちゃんのためにやったこともあるんでっせ。(皆様 信じられませんでしょうけれどね)

あなたさまもどうぞ、病気の子供(難病はわからないけれど)とかにやってみるとよいと思います。薬で病気を無理やり抑えるよりいいんじゃあないでしょうか?
< 地蔵菩薩 ご真言 >
オン カカカ ビ サンマイエ ソワカ 

あ~ 元気になれて よかった~~。

>写真は そのさんに頂いたお参りグッズ。(→に決めた)お寺参りに使うんだ~。
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いちょう町のライブハウスに出かけた

2008-11-16 14:24:26 | こころの ともしび
昨晩あやかし@シンデレラはいちょう町のライブハウス”NAP”に出かけた。ギターの上手な猪股タケシさんのワンマン・ライブがあったんだ。

猪股さんのギターはイントゥルメンタル。猪股さんは、背が高くイケメン、だからかどうかはわからないけれど、ライブハウス内、綺麗なおねえさんたちが多い。@おばはん遠慮なく混じる。
だって、いつかは弾きたいギター。作りたいCD。

たまたま隣に座ったおばさまはなんと三重県からいらした方だった。
姫「伊勢神宮の近くですか?」(→なんでも神社・仏閣につなげて質問をするおばはん)

このおばさま、再びギター(インストゥルメンタル)を始められたのだそうだ。(昔はフォークギターを弾いていた。)で、ネットで調べていたら、猪股さんのギターに行きついたらしい。年齢はおそらくワタシより下。昔のフォークソングの話をしたら、大体わかるのよね、お・と・し。

 左指確認。( おぅ~練習つんでますね~。)このおばさま凝り性で、ギター作りまでお習いしているらしい。つまりは、ネックのまがりを自分でなおせるようになりたい。とか、弦がハイ・ポジションになると指が痛くならないように、かつまた、いい音がでるように手直しするらしい・・・それを、自分で直したいのだそうな。(すご~~。)
二人でなんじゃらかんじゃら盛り上がる、開演までの待ち時間

@@@@@ 猪股タケシさんの ライブ @@@@@

猪股さんの演奏は、ユーチューブにあるんで、自力でお出かけください。ワタシは「 Rord To Sky 」 という曲が好き。

猪股さんのライブは、インストゥルメンタルのギターと語りで構成されている。ワタシは猪股さんのギターも好きだけれど、実はこの語りがすきなんだ。

演奏に関しては、ご紹介することが難しいのだけれど( ユーチューブにアクセスしてね。百聞は一見(一聴)にしかず)この方は大学で文学部に所属し、国文学を専攻したらしい。で、文学青年であったと。なんだかの文芸雑誌にも投稿されたことがあるようなお話でした。( 文学は姫の苦手分野ね。)

ライブでは、へ~っと関心する話が多かったけれど、その中の一つに、猪股さんが子供のころから通っていた早川書店のおじさんのお話が出てきました。早川書店のおじさんは、実はちょこっと名の知れたおじさんでした。猪股さんが、ご紹介くださったようにそのエッセイ 私もすごく気に入ったので、了解はとっていませんが以下に転載させていただきます。

< 早川さんのエッセイ >
本屋の夢ばかり見る。店を閉めてからもう七年も経つのに、いまだに見る。たとえば、妻が通路に編物の本をずらーっと並べてしまうので、何やってんだよと怒ったりするような、そんな夢で、目が覚める。
 よっぽど苦労したからだろうか、それとも楽しかったからだろうか。わからない。とにかく、僕の中では、いまだに本屋が続いているのである。
 十八歳から二十一歳ぐらいまで、僕は歌を歌っていた。売れなかった。グループは解散し、制作の仕事に回ったが、やめた。勝手な言い草だが、いわゆる、ふざけたり、かっこつけたりする若者の顔が無性に嫌になった。二十三歳だった。早く、おじいさんになりたかった。
 ファンであったという人から「もう歌わないんですか?」と尋ねられた時、「なぜ生きているんですか?」と問われているような錯覚に陥ったが、「五十か六十になったらまた歌いますよ」と僕は冗談まじりに答えた。しかし、それは案外本気だった。どんなに月日が流れても、僕は何一つ変わらない。いつの時代も、変わるのは風景だけだ。
 二十五歳で店を持った。本屋を選んだのは、風呂屋の番台のように、猫でも抱いていれば、毎日が過ぎていくだろうと思ったからだが、それは、まったくの大きな勘違いであった。
 そんな苦労話や笑い話は、『ぼくは本屋のおやじさん』という本に書いたことだが、小さな町の小さな本屋は、本を揃えたくとも、欲しい本は入って来ないのである。考えてみれば、しかたがないことであった。たとえば、初版五千部の本をどうやって全国ニ万軒の書店に行き渡らせることが出来ようか。
 時々「俺は本が好きだぞ」みたいなお客さんから、「新聞広告が出ているのに、どうしてないの?」とバカにされることはあったが、そのたびに僕は、街を作るのも、店の棚を作るのも、同じ街に住んでいる人たちなのになーと思った。
 幸いいいお客さんに恵まれ、気さくな本屋仲間ともめぐり逢い、本屋は楽しかったが、このまま終っていいのだろうかと思った。もしも、このまま死んでしまったら、自分の身体はちゃんと燃えないのではないかと思った。かつて、音楽を中途半端な状態でやめてしまったという、気持ち悪さがあったからだ。
 何かやり残していることがあるような、自分が何者なのかを知りたくなったのだ。笑われても構わない。これから下り坂という時に、今度は若い頃に戻りたくなってしまったのである。
 恋をした。僕は再び歌を作るようになった。ブランクとか技術とか才能は関係ない。へただっていい。伝えたいことと、伝えたい人がいれば、歌は生まれて来るのだ。もしも、歌いたいことがなければ、歌わないことが、歌っていることなのだ。僕は「歌わなかった二十数年間、実は歌っていたんだね」と思われるように、歌を歌いたかった。
 復活後の最初の仕事はBSテレビの収録だった。僕は緊張のあまり、何度もトチッてしまった。逃げ出したくなるほど恥ずかしかった。ところが、その時、ディレクターから「早川さん、全然おかしくありませんから。僕はこの歌が好きになって、何度も聴けて幸せだと思っているくらいですから。途中でやめてもいいですし、プロとして最後まで歌ってもいいですし、時間はいくらでもありますから」と勇気づけられた。
 僕は下を向きながら、ああ、僕の求めている場所はここなのだ、と思った。この綱の上を歩いていけば、そこに、たどりつけるような気がした。本屋での「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の世界には、そんな感動はなかったからだ。
 しかし、それはとんでもない間違いであった。閉店の日、僕は泣いてばかりいた。棚を見ているだけで、涙がこぼれて来た。これまでに、一度も喋ったことのないお客さんからも「寂しい」と言われたり、「残念です」とか「元気でね」と声をかけられた。花束や手紙をもらった。いつもよりずっと長くいて、棚をひとつひとつ丁寧に見て回る人もいた。何も語らず、たくさん本を買っていく人もいた。
 本屋での「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の世界にも感動はあったのだ。小説や映画やステージの上だけに感動があるのではない。こうした何でもない日常の世界に、それは、目に見えないくらいの小さな感動なのだが、毎日積み重なっていたのだということを僕は閉店の日にお客さんから学んだ。
 このことは一生忘れない。なにも歌を作ったり、人前で歌ったりすることが素晴らしいことでも、ましてや、かっこいいわけでもない。日常で歌が歌えていれば、それに越したことはない。日常をいきいきと暮らし、毎日が幸せなら、わざわざ歌を作って歌う必要などない。
 寂しいから歌うのだ。悲しいから歌うのだ。何かが欠けているから歌うのだ。精神が普通であれば、ちっともおかしくなければ、叫ぶ必要も心をあらわにする必要も楽器を震わせる必要もない。歌わざるを得ないから歌うのだ。


父のこと、母のこと、無くなったお店のこと、両親を支えた姉のこと・・・。
義父のこと、義母のこと、おばちゃんのこと、妹たちの家族のこと・・・。

とうちゃんのこと、子供たちのこと、自分のこと・・・。
いろいろ イロイロ 色々 思いだした。

「 不易流行 」 恩師 上原輝男先生が教えてくれた言葉。 時が流れて行っても変わらないもの。
明日 岡本太郎さんの「 明日の神話 」が渋谷に蘇る。
大阪の万博の「 太陽の塔 」が造られたのとほぼ同時進行で造られたと聞く。その壁画はメキシコで死蔵されていたが、35年の時を経て今、日本の国に蘇る。そこには多くの人々の祈りにも似た働きがあったのだ。

人を動かしていくものは、決して力ではない。
大事なものは何なのか?
自己のうちなる本当の「 声 」にいつもいつも耳を傾けていなくてはならない。
そう思った。

>早川義夫さん・・・「 ジャックス 」 というバンドを組んでいた。
 ワタシは早川さんの作った「 サルビアの花 」という曲をギターを弾いてうたったことがある。確か 山崎ハコという名前の女性の歌手だったと思う。


 
 

コメント
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あやかし@掃除婦~シンデレラ

2008-11-15 12:16:12 | まんまのしゃべり
おはようございます。本日ワタクシはお出かけ。いちょう町。お遊び。
ですので昨日より、掃除してるんですけどね、何たって、ものが捨てられないケチなおばはんのゴミ屋敷。(並)

お洋服とか ごっそり捨てたんだけれど、まだまだ がらくたが山のよう。みかん箱を開けては閉め・・・。を繰り返している状況。

何とか しっかり家事・しっかり勉強ができる環境を作りたい。では忙しいんで、 これにてさらばじゃ!

>写真は11月7日、神迎えの儀式当日の出雲大社
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