地球へ ようこそ!

化石ブログ継続中。ハンドルネーム いろいろ。
あやかし(姫)@~。ほにゃらら・・・おばちゃん( 秘かに生息 )。  

『 牛の鈴音 』 を みてきた

2010-03-06 00:49:26 | こころの ともしび
ニコライ堂~ 湯島聖堂~ 神田明神 ~

地下鉄 迷子。迷子。迷子。そこいらじゅうの人に聞きまくり。
「 銀座にいきたいんですけど~?」 走る あちこち。ホームの端から端。( なはは 都会に住む田舎もん)
やっと到着 銀座シネパトス。地下に4か所ある映画館。確か3番だったような?
『 牛の鈴音 』
< ご紹介 >
http://www.cine.co.jp/ushinosuzuoto/trailer.html
農夫のおじいさんは79歳、牛は40歳。牛は普通なら15歳くらいでなくなるらしい。
お爺さんの片方の足は、八歳の時ハリ治療に失敗してそれ以来ずっと不自由。棒のように細い。いつも杖をついて歩いている。

畑や田んぼの仕事は、地べたを這ってする。

おばあさんは、16歳の時に嫁にきた。
お爺さんに悪態をつきまくる。「 農薬を使おう。機械をいれよう。」・・・。
お爺さん、ガンとして聞かない。「 牛のえさが毒になる。」

牛のえさを刈るのも一苦労、おばあさん牛のために。運ぶのも一苦労、おばあさん牛さんとともに・・・。
新しくきた若いメス牛は、な~~~~んにもしないで、おばあさん牛が運んでくれたえさを当然のように、食らう。
姫(このやろっ)

そればかりか、二頭に与えられたえさを、若いメス牛は、独り占めしようとする。
姫(このやろっ)

おばあさん牛は どんどんやせていく。足取りもおぼつかなくなる。それでも歩く。

家族みんなが おばあさん牛を売るようにおじいさんを説得する。お爺さんしぶしぶ 市場に出かけるが、売る気なんて全くない。法外な値をつけ皆にあきれられる。

おばあさん牛、おじいさんの言葉に涙をこぼす。ぽろん。(ぽろん)

 動物って何でも聞いているんだよね。植物だってそう。それってこころで聞いているからね。もっというなら、ものだって、人のためになくなったり、壊れたりしてくれているんだと思うな~。

おじいさんの愛によって、おばあさん牛は信じられないくらい長生きして、共に生きて、骨と皮だけになって最期はおじいさんに看とられながら、力つきて死ぬ。

おじいさんの「 休むのは、死んでからだ。」という言葉が印象的だった。

世の中忙しすぎてね、疲れるんですわ。今日も工場で、秒との闘いやってきましたでしょ。沢山食べられるお菓子、捨てまくってきました。

私に老後というものがあるのなら、やっぱり自然の中で、少しのいのちを、ありがたくいただきながら、まあこのおじいさんほどには働けないでしょうから、無駄をできるだけ省いて、花や鳥を愛でながら生きてゆきたいな~と思いました。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

縁 (えにし) 出逢い

2009-08-25 08:21:34 | こころの ともしび
 22日
大切なヤングのお友達が遊びにきてくれる。自宅から見える、花火大会の花火は、新種のものもまざりとてもきれいだった。
 たねまる君もいたりして、かわいかった。
 わざわざ、三浦にでかけて買っておいたすいかを出し忘れた。
 AAAの?さんがTVで作っていたお料理、ブロッコリーとじゃがいもと、ベーコンのカレー風味も作りそこなった。っていうか、お喋り優先でね・・・。だって好きなんですよ、お喋り。( 楽しかったな~ )
前日に、何品か作っておかなければ駄目だなあと思う。
 
 23日
着物やさんで、染色家の坪倉優介さんという方にお会いした。18歳でバイク事故にあい、それまでの記憶を一切失ったらしい。TVにもご出演で、有名な方らしいのだけれど、お名前も存じあげなかった。
ワタシはこの所、「 徹子の部屋 」もみていないからね。( ちなみに”徹子の部屋”にご出演なさったらしい )
{以下らしいをつけてお読みください。}

 記憶がなくなるということがどのようことなのか?わからないのだけれど、生活の仕方も一切わからなくなる。例えば箸は何をするものなのか?がわからず食事もとれない。記憶がなくなったことを良いことに?騙す人もいて、人間不信に陥ったこともあったそうだ。

なぜそのような状況下に置かれながら、このような素晴らしい復活をすることができたのであろうか?ということが、ワタシにとっては最大の関心事なのだけれど、着物やさんの展示会だから、そんな個人的なことは聞けない。

しかしながら、そこには、再び 赤ん坊の子育てを遥かに超える苦労を伴うであろう、子育てを辛抱強くなさったお母様の存在があったのだろうと想像する。
ひたむきな無償の愛、寄り添う愛、TV放映のビデオを見せていただいただけの感想でものを言っているから、その点はご容赦を願いたいのだけれどそんな感じがした。
 やっぱりね、こんな時代だからこそ、”待ちの子育て”って大事なんだと思う。
< 坪倉優介さんの作品 >・・・
坪倉さんの作品は100%本草木染。
 ”自然が生み出すものは、人に優しく、時として心を癒してくれます。”
蓮の葉、桜の木、笹、どんぐり、姫りんご、モモの木、くちなし・・・。いろいろな素材は、出会う場所によっても 使用する水( たとえば、湧水、水道水など)によっても、生地は全然違う色になる。

自ら山に入って、いのちに触れ、いのちを大切にいただき、自然の息吹を吹き込み作品を作る、そんな感じがする作品。

やっぱり、本物っていうか、こころを込めて作る、いのちをそそいで作る作品って素敵だな~と思う。

反物の織りの文様のデザインも素敵!それを織る人達ってどんな人達なんだろう、織るところも見てみたい!

・・・勝手なそうぞう・・・

 自然のふところに抱かれることによって、人は蘇りをすることができるのではないか?と思う。木や草花には精霊が宿っていて、そのもの達が、一つ一つの気の遠くなるような作業や努力を、
( 僕を使っていいよ )( 頑張っているね )( 素敵だよ )って応援してくれているような気がするなあ。
・・・世間話・・・ 
作品の中に、「 貴船 」という作品があった。
( 貴船 って名前聞いたことあるような? 何でしたっけ? )
・・・どうやら 鞍馬、貴船、は近い場所のようで、トロッコ電車に乗って行くと、星がとてもきれいで、天の川もみえて、露天風呂もあるそうなんです。

(行くもんね~、決めた!)この前、牛若丸の衣装の話が、たぬきちの授業で出ていたんだ。牛若丸の衣装をみたわけじゃあないけれど、坪倉さんの、「 貴船 」をみたときに、何となく思いだしたんだよね。

それはさておき、星の見えるところで 露天風呂。あこがれ。

そうそう、作品の中で気にいったものは、笹の葉を使ったグリーンの反物。とても綺麗な色でした。あと、オリジナルの帯。こちらのほうは、まだ草木染の段階には至っていないそうです。

斬新なアイディアと色使いが好きでした。ご紹介できないのがとても残念です。

>帰宅後のあやかし。再び たんすのこやしを作りだしてはならじ!両親が作ってくれた昔の着物たちも虫干ししてます。着物 着るもんね~。そのへんのおばちゃんでも、伝えていかなくちゃあいけないものってあるような気がする。
 
六根清浄、六根清浄・・・昨晩仕事、取り方1番 なんとか皆さんのお力ぞえで流れるようになった。ありがとう!本日も仕事 がんばるわ!じゃあね。

>写真はイメージです。(っていうか出雲の?神社の手前の橋。何神社か、名前分からず。ごめんなさい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セネガル 共和国 +++ ネパール

2009-05-28 10:36:08 | こころの ともしび
おはようございます。
=昨日のセネガル共和国の訂正=
調べてみました。

アフリカ大陸の西側、海岸沿い、モロッコ王国の下(南)の下(南)にありました。

>独立年・・・1960年 8月

>首都・・・ダカール ( あの ダカールラリーってここで開催されるんでしょうね。)

>面積・・・197千km(平方)< 日本国( 以下 J)・・・378

>人口・・・12、687(千人)< (J)・・・127、066 ( およそ10倍)

>一人当たりの国民総所得・・・630ドル < (J)・・・37050 ( およそ58倍 )

>人口密度・・・64( 千人/ km(平方) )< (J)・・・338 ( およそ5倍 )

>一人当たりエネルギー消費量・・・111( kg) <  (J)3653 ( およそ 33倍 ) 

>おもな宗教 ・・・イスラム教 ~~~ (J)仏教 神道 

>おもな言語・・・フランス語 ~~~ (J) 日本語

>おもな人種・言語 ウォロフ人 43 ブーラ人 24 ~~~ 日本人
・・・以上

+++++  +++++ 
いつかは 必ず行ってみたい国・・・ネパール
>首都 カトマンズ 
インドより貧しいと言われている国 
>一人当たり国民総所得  250  
>エネルギー消費量 44
 ポカラから 大木神父さまが日本におもどりになった。御年 83歳 ( イエズス会の神父様 )
人間魚雷「 回天 」の生き残りでいらっしゃる。
32年前、ポカラの地で、障害児のために、たった一人で、一人から、働いた方。

今の日本の様々な、悲惨な状況を考えるとき、この先、少なくともワタシは、神父さまよりの生き方を選択していきたいと思う。
>写真は、岡本太郎の記念館にある、ピアノの上に置かれた「 明日の神話 」の原画の一つ。(もしくは 写真、ちょっとわからず。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐藤初女さんのおむすび

2009-02-19 02:43:27 | こころの ともしび
たぬき先生にお借りした 佐藤初女さんのDVD(NHK)をみて 「 佐藤初女さんのおむすび 」 を作ってみた。何だかうれしい。

初女さんは、現在87歳。青森県の岩木山麓で癒しの場を提供している(「森のイスキア」)。全国からこころや体を病んでいる人たちや問題を抱えている人たちが初女さんのもとを訪れる。

初女さんは、その人々の話を聞くだけ。何の説教をするわけでもない。ただただお話を聞くだけ。自分をからっぽにして話を聞く。その人々のすべてをすっぽりと受け入れるのだ。
そして話が終わったときに、初女さんは手料理をふるまう。

ゆるやかに流れるときの中で、折々の季節が育てた新鮮な野のいきもの達を摘み、そのいのちを頂くお料理を作る。初女さんはその植物を一番おいしくいただける、透明になる瞬間を見逃さない。

例え植物であろうとも、いのちを頂くのであるから、そのいのちが一番かがやいている その”とき”を見逃さないのだ。

そして 円卓に集まった、一期一会の人々がまるで家族のように、共に その ”いのち”を感謝をもっていただく。いのちを頂くことによって、自分たちのいのちをつなぐのだ。
+++++  +++++

まだまだ忙しい都会生活の中で暮らさなくてはならない家族を持つワタシは、せめて家庭が、この初女さんのイスキアのように、温かいおふくろのいる おうち  を作らなくてはいけないのではないか?と思うようになった。

おにばばは、ほどほどでよい。たまにいるだけでよい。
それより、母は、火と水の番人にならなくてはいけない。米一粒をいとおしむ女性でなくてはならない。つましくとも、食事にこころを込めることはわすれてはならない。と、思った。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖ルチアの日 一日あけて・・・

2008-12-14 17:49:48 | こころの ともしび
12月13日 つまりは昨日、聖ルチアの日、
聖ルチアは・・・
http://www.ffortune.net/calen/xmas/saint/lucia.htm やっほ!クリック・ポンできた!

あやかし@おばちゃんは韋駄天&シンデレラ(→つまりはぎりぎりナイト12時まえ帰宅)だった。

朝一 家具職人のうしおさまと神仏具のお店にでかける。ホント余計なお世話なんだけれど、いいお仕事をするうしおさまに頑張ってほしいんだよね。

だから、新年を迎えるにあたって、神だなを設えよう(れば?)ということになったんだ。
占いのお知恵も頂いた。
家相の研究もして、お伝えできればとも思う。昔の知恵は馬鹿にしたものではない。

例えば鬼門・裏鬼門、家の張りだの欠けだの・・。そのようなこと・・・。
尤もうちに住まう人の「 気 」が一番重要なんじゃあないか?と、このところ思うようになったけれど・・・。
つまりは本人の気持ち一つなわけで・・。

マクド でちょっと話合い。「 これこれ しかじか?」「 うんぬん。 かんぬん。」
>>> とってかえし>>>
とうちゃんの昼食を作る。とうちゃんの大好きなオムライス、その先生伝授。今回はちょっとうまくいかなかった。いつもレシピをきちんと読まなくてはね。

仮眠。(30分)夕食作りを終え・・・
>>> 再びおでかけ >>>
「 スター 」(→変換しなくてはアクセスできない)一夜限りの復活の路上ライブ。
もう 最高!るんるん。うるるん。ほわほわ。ほっこり。ぬくぬく。もりもり。いけいけゴー。ま、体感を表現するとそんな感じ。
やっぱり、音楽好きなのよね。こころの解放区よ!
「 スター 」さんたちの音楽はグレード・アップしていた。何かを越えた時、その音楽や醸し出す雰囲気は確実変化すると思う。

素人のくせに、おばはんのくせに偉そうだけど、そう思った。

ワタシにとって彼らの歌は、暗闇の中で光る かすかな光だったんだ。そう 辛かった日々だって乗り越えていけたのは、彼らの音楽があったから・・・。

奇しくも 聖ルチアの日に再び、復活のスター路上ライブに出かけることができて、神に感謝!別にワタシはキリスト教者ってわけじゃあないけれど、出会いを下さった神様みたいな大いなる存在に感謝!

@@@@@  明けて 14日 @@@@@

とうちゃんと二人だけの朝食。なんとなくららこさんはやっかんでいる感じ。ワタシ達の食事は味があるし、匂いもいい。だけどららこさんのはえさに味がついていないのが気にいらない風。
娘たち二人も旅がらす中なので、の~~んびり、ゆ~~っくり 会話した。(とうちゃん、普段はこどもいのち!の人なんでね。)

テンプレートの件もみてもらったし、心配しているとうちゃんの仕事のことも少し理解できたし・・・。よかった~~っと。

>とうちゃん・・・誠に不思議なゲームを買い求めてきた。楽器演奏をゲームでやるんだ。ドラムを叩いているつもり。ラッパを吹いているつもり・・・。ギターを弾いているつもり。

姫(え~~~っ ありえない。)
まあ 映像は笑えるんだけどね。マンマミーヤがセットしたワタクシなんぞは、超美人。おほほっ。スマートだし。うふふっ。)

だけど・・・それって・・・にせもの じゃ ない?

で お薦めしました~~。できるって!とうちゃん、楽器演奏。
中年期 回る。 伝達、表現の星(+)
へたくそだろうが、何だろうが、むちゃくちゃ努力できる忍耐だらけの星の配置からして、まあ お歌の方はそれなりだとしても、リズム感悪くないし。
できますとも、楽器演奏。(太鼓判)

 で、例の笛吹きポンチョのおにいさん、をご紹介する。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3423874
「 ねっ すごいでしょ!」
「 お~~っ!」

とうちゃん、どうやら決心したらしい。リコーダー最先端の何だかわからない楽器を購入するつもりになったらしい。昔の「 スクエア 」というおじさまたちの復活ライブステージの映像を先日テレビでみて盛り上がっていたところだった。

姫「 できる!とうちゃん!君ならできる!笛吹きおじさん!」
(多分だけど、ワタシ こういう商売、営業できるかも?なんたらチケット、カードの数々、優待券 ポイントのなんじゃら、あとノルマが なかったら・・)

わけわからん現在の教育界に、わけわからん状況で捨てているお金のことを考えると、君(=とうちゃん)の笛にお金をかける方がどれほど有益であろうか・・・。

ボケ防止にもなる!音楽は人をハッピーにさせる。上手・下手の問題ではない!

超ハード忙しい都会人が”ひと”らしくしていられる、素晴らしい音楽空間。( 銭こは自分もちってことで・・)

いや~ん、盛り上がりますわ。あたいもやろうっと。
ぶんちゃっ ちゃっのギターは まだケースにはいったままだけど・・・。

さってっと、
@@@@@    @@@@@

あやかし@料理人は これから殿のご所望のかつ丼を作ります!
出し汁がいつもいい加減(インスタントだし 使用)なので、今日はちょっとインターネットにおでかけして作ってみますわ。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いちょう町のライブハウスに出かけた

2008-11-16 14:24:26 | こころの ともしび
昨晩あやかし@シンデレラはいちょう町のライブハウス”NAP”に出かけた。ギターの上手な猪股タケシさんのワンマン・ライブがあったんだ。

猪股さんのギターはイントゥルメンタル。猪股さんは、背が高くイケメン、だからかどうかはわからないけれど、ライブハウス内、綺麗なおねえさんたちが多い。@おばはん遠慮なく混じる。
だって、いつかは弾きたいギター。作りたいCD。

たまたま隣に座ったおばさまはなんと三重県からいらした方だった。
姫「伊勢神宮の近くですか?」(→なんでも神社・仏閣につなげて質問をするおばはん)

このおばさま、再びギター(インストゥルメンタル)を始められたのだそうだ。(昔はフォークギターを弾いていた。)で、ネットで調べていたら、猪股さんのギターに行きついたらしい。年齢はおそらくワタシより下。昔のフォークソングの話をしたら、大体わかるのよね、お・と・し。

 左指確認。( おぅ~練習つんでますね~。)このおばさま凝り性で、ギター作りまでお習いしているらしい。つまりは、ネックのまがりを自分でなおせるようになりたい。とか、弦がハイ・ポジションになると指が痛くならないように、かつまた、いい音がでるように手直しするらしい・・・それを、自分で直したいのだそうな。(すご~~。)
二人でなんじゃらかんじゃら盛り上がる、開演までの待ち時間

@@@@@ 猪股タケシさんの ライブ @@@@@

猪股さんの演奏は、ユーチューブにあるんで、自力でお出かけください。ワタシは「 Rord To Sky 」 という曲が好き。

猪股さんのライブは、インストゥルメンタルのギターと語りで構成されている。ワタシは猪股さんのギターも好きだけれど、実はこの語りがすきなんだ。

演奏に関しては、ご紹介することが難しいのだけれど( ユーチューブにアクセスしてね。百聞は一見(一聴)にしかず)この方は大学で文学部に所属し、国文学を専攻したらしい。で、文学青年であったと。なんだかの文芸雑誌にも投稿されたことがあるようなお話でした。( 文学は姫の苦手分野ね。)

ライブでは、へ~っと関心する話が多かったけれど、その中の一つに、猪股さんが子供のころから通っていた早川書店のおじさんのお話が出てきました。早川書店のおじさんは、実はちょこっと名の知れたおじさんでした。猪股さんが、ご紹介くださったようにそのエッセイ 私もすごく気に入ったので、了解はとっていませんが以下に転載させていただきます。

< 早川さんのエッセイ >
本屋の夢ばかり見る。店を閉めてからもう七年も経つのに、いまだに見る。たとえば、妻が通路に編物の本をずらーっと並べてしまうので、何やってんだよと怒ったりするような、そんな夢で、目が覚める。
 よっぽど苦労したからだろうか、それとも楽しかったからだろうか。わからない。とにかく、僕の中では、いまだに本屋が続いているのである。
 十八歳から二十一歳ぐらいまで、僕は歌を歌っていた。売れなかった。グループは解散し、制作の仕事に回ったが、やめた。勝手な言い草だが、いわゆる、ふざけたり、かっこつけたりする若者の顔が無性に嫌になった。二十三歳だった。早く、おじいさんになりたかった。
 ファンであったという人から「もう歌わないんですか?」と尋ねられた時、「なぜ生きているんですか?」と問われているような錯覚に陥ったが、「五十か六十になったらまた歌いますよ」と僕は冗談まじりに答えた。しかし、それは案外本気だった。どんなに月日が流れても、僕は何一つ変わらない。いつの時代も、変わるのは風景だけだ。
 二十五歳で店を持った。本屋を選んだのは、風呂屋の番台のように、猫でも抱いていれば、毎日が過ぎていくだろうと思ったからだが、それは、まったくの大きな勘違いであった。
 そんな苦労話や笑い話は、『ぼくは本屋のおやじさん』という本に書いたことだが、小さな町の小さな本屋は、本を揃えたくとも、欲しい本は入って来ないのである。考えてみれば、しかたがないことであった。たとえば、初版五千部の本をどうやって全国ニ万軒の書店に行き渡らせることが出来ようか。
 時々「俺は本が好きだぞ」みたいなお客さんから、「新聞広告が出ているのに、どうしてないの?」とバカにされることはあったが、そのたびに僕は、街を作るのも、店の棚を作るのも、同じ街に住んでいる人たちなのになーと思った。
 幸いいいお客さんに恵まれ、気さくな本屋仲間ともめぐり逢い、本屋は楽しかったが、このまま終っていいのだろうかと思った。もしも、このまま死んでしまったら、自分の身体はちゃんと燃えないのではないかと思った。かつて、音楽を中途半端な状態でやめてしまったという、気持ち悪さがあったからだ。
 何かやり残していることがあるような、自分が何者なのかを知りたくなったのだ。笑われても構わない。これから下り坂という時に、今度は若い頃に戻りたくなってしまったのである。
 恋をした。僕は再び歌を作るようになった。ブランクとか技術とか才能は関係ない。へただっていい。伝えたいことと、伝えたい人がいれば、歌は生まれて来るのだ。もしも、歌いたいことがなければ、歌わないことが、歌っていることなのだ。僕は「歌わなかった二十数年間、実は歌っていたんだね」と思われるように、歌を歌いたかった。
 復活後の最初の仕事はBSテレビの収録だった。僕は緊張のあまり、何度もトチッてしまった。逃げ出したくなるほど恥ずかしかった。ところが、その時、ディレクターから「早川さん、全然おかしくありませんから。僕はこの歌が好きになって、何度も聴けて幸せだと思っているくらいですから。途中でやめてもいいですし、プロとして最後まで歌ってもいいですし、時間はいくらでもありますから」と勇気づけられた。
 僕は下を向きながら、ああ、僕の求めている場所はここなのだ、と思った。この綱の上を歩いていけば、そこに、たどりつけるような気がした。本屋での「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の世界には、そんな感動はなかったからだ。
 しかし、それはとんでもない間違いであった。閉店の日、僕は泣いてばかりいた。棚を見ているだけで、涙がこぼれて来た。これまでに、一度も喋ったことのないお客さんからも「寂しい」と言われたり、「残念です」とか「元気でね」と声をかけられた。花束や手紙をもらった。いつもよりずっと長くいて、棚をひとつひとつ丁寧に見て回る人もいた。何も語らず、たくさん本を買っていく人もいた。
 本屋での「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の世界にも感動はあったのだ。小説や映画やステージの上だけに感動があるのではない。こうした何でもない日常の世界に、それは、目に見えないくらいの小さな感動なのだが、毎日積み重なっていたのだということを僕は閉店の日にお客さんから学んだ。
 このことは一生忘れない。なにも歌を作ったり、人前で歌ったりすることが素晴らしいことでも、ましてや、かっこいいわけでもない。日常で歌が歌えていれば、それに越したことはない。日常をいきいきと暮らし、毎日が幸せなら、わざわざ歌を作って歌う必要などない。
 寂しいから歌うのだ。悲しいから歌うのだ。何かが欠けているから歌うのだ。精神が普通であれば、ちっともおかしくなければ、叫ぶ必要も心をあらわにする必要も楽器を震わせる必要もない。歌わざるを得ないから歌うのだ。


父のこと、母のこと、無くなったお店のこと、両親を支えた姉のこと・・・。
義父のこと、義母のこと、おばちゃんのこと、妹たちの家族のこと・・・。

とうちゃんのこと、子供たちのこと、自分のこと・・・。
いろいろ イロイロ 色々 思いだした。

「 不易流行 」 恩師 上原輝男先生が教えてくれた言葉。 時が流れて行っても変わらないもの。
明日 岡本太郎さんの「 明日の神話 」が渋谷に蘇る。
大阪の万博の「 太陽の塔 」が造られたのとほぼ同時進行で造られたと聞く。その壁画はメキシコで死蔵されていたが、35年の時を経て今、日本の国に蘇る。そこには多くの人々の祈りにも似た働きがあったのだ。

人を動かしていくものは、決して力ではない。
大事なものは何なのか?
自己のうちなる本当の「 声 」にいつもいつも耳を傾けていなくてはならない。
そう思った。

>早川義夫さん・・・「 ジャックス 」 というバンドを組んでいた。
 ワタシは早川さんの作った「 サルビアの花 」という曲をギターを弾いてうたったことがある。確か 山崎ハコという名前の女性の歌手だったと思う。


 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマス に  想う  ( ネパール の 母 )

2006-12-25 07:52:55 | こころの ともしび
写真は お友達のちずママの旦那さまが農業高校の先生をやっていて(公立)生徒さん達と作ってくださっている御米。とてもおいしいし考えられないほど安価。なぜならばお金もうけをしてはいけないからです。私はこの御米を送っていただいて食べています。

この御米の袋の重さは30キログラム。写真を回転する方法がわからないので、このまま載せます。水色のものはとうちゃんの吸っているタバコ。その大きさと重さを想像してください。私は宅急便のおじさんに運んでいただいた後は自宅内ひきずって運びます。

先日、RUNの最中に背中に2.8キロ(およそ3キロ)の食料品をしょって走りましたら足に、体に、ずんと堪えました。最後は小学校の時にジャパンが作ってくれた布製のリュックの紐が切れて結局走れなくなりました。3キロでさえ背中にしょって運ぶのは大変なことです。

本日夜までに何とかネパールの貧しいおかあさんのお仕事の様子UPさせていただきます。
そのおかあさんはおよそ40キログラムの砂袋を一日中運んで生活の糧を得ています。

『 ポカラ の 会 』  と 大木章次郎神父さまのこと

大木章次郎神父・・・1926年1月3日 東京大森生まれ。敬虔なカトリックの家庭に生まれ、横浜にて育つ。太平洋戦争の末期、海軍予備学生として、広島県大竹市にあった潜水学校に配属され、
人間魚雷「 回天 」の出撃訓練中に敗戦を迎える。原爆の閃光を大竹で眺めたという。
 六甲学園(神戸)栄光学園(鎌倉)広島学院(広島)で教鞭をおとりになる。

1979年セント・ザビエル校(日本以上のエリート校)で教鞭をお取りになるもその教育に疑問を感じ2年間の契約終了と共に障害児のための学校を始めるためにポカラに行かれる。その後 ネパールの障害児のために活動をされている。たった一人から始めた試み。
それが 「 ポカラ の 会 」

 本日 ご紹介させていただくお話は その活動をずっと支えてこられた神父様の友人、倉光 誠一先生のご著書「 広島学院物語 」からそのままうつさせていただきます。

= サリタちゃんの家庭 =

ジョディーケンドラにいる35人の子どもたちは、家庭が貧しく栄養状態も良くないので一般に発育が悪く、小柄で体重が軽いようです。その中の1人サリタという3歳の女の子の話を通して、ポカラの砂利運搬労働者の生活をご紹介したいと思います。
 このサリタちゃんは3歳だというのに、元気よく歩き回ることができません。腰が曲がった老婆のような歩き方です。両手を自分の両膝にあてて体重を支えてのよちよち歩きで、急ぐと足がふらついて倒れてしまいます。抱き上げてみると、その軽さに驚きます。それにどうも目も良く見えていないようです。脳に障害があるかどうかは、まだ良くわかりませんが、言葉もあまり話せません。赤ちゃんの時から栄養が足りないのです。
 それでもこの保育園に来始めて、5ヶ月のカジャ(給食)のお陰でこんなに元気になってきたとシスターは希望を持って、サリタちゃんが元気に走り回れる日の来るのを祈っています。
 ネパールでは貧しさのため飢えや栄養不足で発育が遅れ、5歳迄に死ぬ子供が年間13万人もいるのです。サリタもその1人だと諦めかけていた母親にも、ここの保育園の給食のお陰で生きていく希望がもてるようになってきました。卵などはこの保育園に来て初めて口にする子供も多いのです。
 このサリタのお母さんは、とても優しい人です。お父さんはいません。私も彼女の仕事場に行ってみました。保育園から歩いて10分程のところに、大きな河原があります。その川の縁に立つと目もくらむほど高い断崖絶壁の下に広い河原が広がっています。毎年雨期には濁流が逆巻き、すべてを押し流すので1本の木も草もない白い砂か石ころばかりの河原なのです。
 100メートルはあろうかと思えるその断崖に、人一人がやっと通れるジグザグの小道があります。それを歩いて河原に降りて、川砂を袋に詰め紐を額にかけて背負い、急な坂道を登って行きます。
 トラックの通る道まで登って、道端に砂を移すと、すぐ空の袋と背負い紐を持ってまた引き返し、河原に下りて行って砂を詰めるのです。この砂はコンクリートの原料としてトラックが買いに来ます。
 私(倉光先生)も歩いてみましたが、カメラ1つだけ持って1往復しても息が切れる急な坂道です。この道を、50キロもの砂袋を担いで早朝から夕暮まで何度も往復します。体力のある男性は一度に60キロ運ぶ人もいるそうですが、女性では40キロくらいでしょう。サリタのお母さんはこの砂利運搬の仕事をしています。
 こんな過酷な重労働をして1日に80ルピーの収入です。これを休むと親子3人(お姉ちゃんが一人います)その日の夕食ができないのです。それでもサリタを保育園に預かってもらったお蔭で、働いて収入を得ることができるし、サリタが日毎に元気になっていく、と母親はいつも感謝し、毎月の始めには1ヶ月50ルピーの保育料をきちんと払っていました。(滞納する人や半額免除の人もいるのです)ところが、7月は保育料を半額免除にしてくださいと申し出ました。夏になると雨期で河原の水かさが増して、砂場がなくなります。
 すると、今度はその河原の石をハンマーで割ってバラス(採石)を作って、それを運ぶのです。真夏の日光が照りつける暑い石だらけの河原に座り込んで、重い金槌で叩いて石を砕く仕事も大変です。ある日、右手にできた大きなマメが潰れて痛そうなのを見たシスター川岡は、そのひどさに驚いて治療し、軍手を片方だけあげました。手袋など一度も使ったことのもないこの若いお母さんは、大喜びだったそうです。この石割りの仕事は砂運びよりずっと収入が少ないのだそうです。貧困と戦いながら、このように懸命に働いているサリタちゃんのお母さんに代わって、私はポカラの会の皆さまの寛大なご援助に対し心からお礼申し上げます。
 今年の2月に私が現地に行きましたところ、10歳前後に見える裸足の女の子が母親に混じって15kgくらいの小さな砂袋を背負って、途中何度も休みながら急な坂道を登って行くのに出会いました。
 学校にも行けず生活のため労働力として働き通す人生を、すでに歩み始めているのです。学校に行かすのは無理だとしても、このような子供たちを集めてせめて文字が読める程度の教育をしてあげることを考えたいのだがとシスター川岡は心を痛めておられました。

* この文章は 1997年にお書きになったもの。
* 保育料50ルピーは日本では缶ジュース1本の値段。
* 日本人は1人でネパール人150人分のエネルギーを使っている。

             ポカラの会通信第40号より

  後書き・・・

 なぜか 何度なおそうとしても赤字が変換できませんでした。
神父さまがネパールにお出かけになってから 28年たちました。
御歳81歳。 
母校の同窓生シスター川岡はポカラの地で貧しいおかあさんたちのために保育園を開いています。

在学中は大嫌いな母校でしたが、シスター川岡のような先輩がいらっしゃることをちょっぴり誇りに思えるようになりました。もちろん私はただのおばさんなので、何をすることもできないのですが・・・今日ばかりは聖歌など歌ってこころおだやかなナイト!をすごしたいと思います。

 本日もアクセスありがとうございました。  
 
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大風呂敷  おもいっきり  広げるさぁ~

2006-10-31 04:21:12 | こころの ともしび
GOOD MORNING! EVERYBODY.
     HOW ARE YOU TODAY?

横浜 朝 只今4:06分 暗いのでお天気は分からず?ただし雨は降っていない。


1,昨晩よく寝た。目覚めよし。

  朝から 掃除しながら 妄想。雑記。思いつくままに・・・

このところ、ニュースを見る気力なし。子どもの自殺話に慣れっこになるのが怖い。

半端ない 銭がほしい!学園を作る壮大な夢。上原先生がずっと追いかけてていた夢。『児童の言語生態の研究会』の先生方は(生き残り組み)私心を捨てて頑張ってきたに違いないのだ。

学校は世襲制にすべきではない。『志』をつぐものこそが継ぐべきもの。いつまでも実験農場であるべき。

>Q,トモエ学園はなぜなくなったのだろう?

>マンマミーヤの通った塾はまともな塾。おそらく5~7人の先生たち、某塾、脱出組みにて始まる。ポスティングから始まったと思う。『夢』を追いかけていたはずだ。

今の時代は こころを育てることが急務。たった一人からでいいんだ。

WIN  BY  ONE そう たった一人から始めればいいんだ。

>民主主義の悪いところ・・・みんなで渡れば怖くない。ってとこ。多数決が絶対であるとこ。個性のとらえ方のはき違い。義務はたさずして 権利主張するとこ。
>多分だけど・・・母親は家庭にもどるべき。少なくとも子どもの気(七つ)がそろうまでは・・・。

 離婚 再婚を繰り返すと子どもの「気」が乱れる。結婚前においても同様。男性も女性も同様。(違った形で現れてくる)
 諸問題、学校・行政サイドが悪いと一方的に言うのは問題あり!だと思う。家庭内も考えるべき。但しTVで見る映像を指してはいない。(それは いろいろだから)

 三位一体 これは重要。だが 只今の日本は忙しすぎてはっきり 無理!

 ”花は 可憐に 咲き、 木は 堂々と地に根をはり、星は 空にて輝き 風は 自由に 空を舞う。

 鳥は とび 河は 流れる。”

 人間は 自然の中で生かされている存在なのだからもっと自然から教えてもらうべきだと思う。

 米つぶ 一つの中に仏さまがいるんだ。誰だったか有名な文化人が幼き頃、家人にそのことを教えられ、箸でそっと米粒を半分こにして仏さまを見ようとした経験がある。というはなしを書いていたのを 思いだした。

 そんなお話を子どもには聞かせてやりたい。
 自分が出来なかったことを敢えて書いておこう! 

 







 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

We   Are   The   World   ( part  2 )

2006-10-28 08:46:22 | こころの ともしび
昨日に引き続き・・・

録音風景・・・ジェーン・フォンダ のナレーションにて・・・。

>>> 1985年  1月  28日 <<<

45名のアーティスト。( 21名 ソロ )150名 スタッフ (無償)
45時間分のテープ ( 寄贈 )

 < ボブ・ゲルドルフ > 企画 説明。

話す。エチオピアの現状。参加ミュージシャンに むけて・・・

>>> 歌うことの意図を知ってもらいたい。何百万人もの命を救うことができるんだ。
レコード一枚が 重要な意味を持つ。
私たちの努力次第だ。アフリカの飢餓問題は 世界中の責任でもある。

 西側の先進国諸国は 何十億トンという量の穀物を保管してる。
でも分け与えようとしない。

 本当に何もない状況が想像つくだろうか。

例えば 氷点下20度の中 ダンボールなしで寝ること。

 それは 例えば酔えるお酒がないこと 水もないこと

粗末な小屋の中に入ると髄膜炎やマラリア チフスで苦しむ人々がいる。
隣には死体が横たわる。 一日に120人が息をひきとる。それは まだ少ないほうだ。

 小麦粉15袋を2万7500人で分けている所もある。

だから 私たちはここにいる。暗い話になってしまったけど この企画の重要性を実感してほしかったんだ。

 アーティスト達  一枚のレコード を つくる  こころを こめて・・・
                       つづく

++++++++++++  ++++++++++++

明日から 旅にでます! 酸素ボンベつき( じっちゃん )でちょこっと旅行。
ですので ブログは お休み。

 みなさまも お元気でね! ばいちゃ 行ってくるっちゃ!  

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

We  Are  The  World

2006-10-27 07:55:31 | こころの ともしび
 横浜 晴れ 気持ちよい朝 ありがとう!

昨晩 見る。DVD We  Are  The  World
(20th Anniversary Speccal Edition)

うちのとうちゃんと共に。2枚組みで長時間に渡るので、一部だけ見たのだけれど、とても懐かしかった。レコードと ビデオは持っていたのだが、レコードは捨ててしまったし、DVDにはカビが生えたので捨てた。

エチオピアおよび アフリカ諸国の飢餓救済のために作られたヒットソングの制作秘話がおさめられている。

今こそ呼ぶ声に耳を傾ける瞬間(とき)だ!!
      
     ひとつの曲に願いを託し、
         一堂に会し、アフリカの飢える者を救うため、
             アメリカの偉大なるスターたちは声高らかに歌う。

理由ある反抗

午前2時、レイ・チャールズは息抜きにスタジオから出てきながら、「1月からちっともいい話がないじゃないか」と文句をいう。シンディー・ローパーはいそいそとお色直しへ。マイケル・ジャクソンとポール・サイモン、いつも控えめのこのふたりは、観葉植物の陰でひっそりと肩をよせ、曲創りについて語り合う。

スティーヴィー・ワンダーはピアノを弾きながら即興で歌っている。・・・部屋の向こうでは、すでに何億ドルもの飢餓救済基金を集めているイギリスのバンド・エイド・プロジェクトの立役者、ボブ・ゲルドフが楽譜の裏にアフリカの地図を書きながら、現地での物資輸送の難しさを、ブルース・スプリングティーンに向かって熱っぽく語る。

 これが世界一まともな目的で主催されたパーティーの、比較的静かな場面のひとコマである。・・・これ以上は無いというほど厳選されたヒットメーカーたちが、ある崇高な目的のため一堂に会した。アフリカの飢餓救済である。

 2週間前に、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーの手による新曲「ウイ・アー・ザ・ワールド」が完成し、今まさに史上稀にみるレコーディングとなりつつある。その1月の夜の出来事を目撃した部外者は、ライフ・マガジンからきた3人だけだった。

>私たち夫婦は 音楽に精通してるわけではないが、この歌と メーキング・オブ
には感動した。そして 昨晩その20年前の感動が蘇ったんだ。

 どうしても 見たかった場面は見ることができなかったけれど懐かしい音楽家達を思いだした。

「誰だっけ この人?」 「あの人よ あれあれ ええと~。」
二人とも名前が出てこないのだけれど、当時のなつかしい記憶が蘇った。

そうよ、これこれ、この映像。

 シンディー・ローパーが録音しているときに「だめだし!」が出て えっ?なんで?っていう表情になり、首にぶら下げているじゃらじゃらしたネックレスの音が原因だとわかって、「あ これっ?」 ってはずした時のかわいらしさ。

あと、ダイアナ・ロスが 静かに柔軟体操をしてる姿とかまだ見ることができていないんだけれど どこかに録画されてるはずだ。

静と動 のみならず 七色 十色にも 自分の音楽の主張を持った人々が ただ一つの目的、「飢餓で苦しんでいる子供達を救うんだ!」という目的のために 一丸となって発信したこの曲に わたしは勇気をもらうんだ。

 そして この飽食の日本でもそんな音楽家たちや素敵な歌が沢山生まれたらいいな~。なんてことを思う。
 食べ物がなくて飢えるのと こころが飢えるのと一体どちらが幸せなんだろう?そんなことも思う。

 とうちゃ~~ん DVDありがとよ! 
   とうちゃ~~ん 何たら ダイレクトの記入もありがとよ!
     とうちゃ~~ん あたいは印鑑探すさ~探しものは何ですか~♪
       とうちゃ~~ん DVD 操作指導もよろしくです!
         とうちゃ~~ん 銭こ 持ってけえったかい?

 家から おんだされっから~(=おいだされますので)これくらいにしとこ!
 ん、じゃあ そろそろ 家事労働 第二弾 いきま~~す!

@@@@@@@@@@@@ ナイト! @@@@@@@@@@@@@

 いやあ 音楽っていいですね~。今日は 沢山 音楽(おうた)聞きました。楽しかった~。また 明日から がんばる!

じゃあ ちょっと早いんだけど もう寝ますわ。おやすみなんしょ。22:00

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする