地球へ ようこそ!

化石ブログ継続中。ハンドルネーム いろいろ。
あやかし(姫)@~。ほにゃらら・・・おばちゃん( 秘かに生息 )。  

老いを感じた時に・・・

2015-04-23 20:33:25 | 老いを いかにせむ


どーも こちらあやかし@

いつからだろう?じっちゃんのお葬式以来 長男の嫁としての立場を完璧無視されたと感じて、とうちゃんの実家にはとんと出かけなくなっていた。

しかしながら、本日 とうちゃんが相当疲れていることと 今週も立て続けに実家にいくのは大変そうなので代わりに出かけた。

電車の乗り換えから何から 交通手段を全部調べてくれていたことと、仕事内容( 書類書き & 付き添い )がきちんと書いてあったので まったくといっていいほど困らなかったしスムーズに作業が完了した。

何より 義母がとても喜んでくれた事が ことの他嬉しい。

今までの 30年間は注意されることはあっても 心底感謝されるということはほとんどないに等しかった。(と ワタシは感じている。)

( たった これだけの事だけど・・。 たったこれだけのことなのに・・・。)

義母の体力の変化と感謝のこころに対して・・・
自分の行為も心境も相当変化したことに、自分でも驚いているんだ。

それにしても 年をとるということは いろいろな意味で衰えていくということだ。そして いずれ行くわが道でもある。

 とにもかくにも ちょろちょろでいいから健康でありたい。
ただいま、ららこさんのお散歩時には 天と地からエネルギーをいただく練習をしている。どこかで正式に習ってみたい気もするけれど、どこで習えばいいのか?イマイチ決めかねている。

ヘルべテン結節だっけ? は殆ど痛むことはなくなった。朝の気をいただくということは可能なのだと思う。
考えられる よさげな運動は 三日坊主でもいから 片っぱしからやっていきたい。色々やっていく中で 自分にあったものが残っていくのだろうと思う。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とうちゃんの実家へ出かけた

2014-08-11 08:23:32 | 老いを いかにせむ
おはようございます。 こちらあやかし@早起きSUN。
ららこさんのお散歩を終了した。

< 7日・8日 >と 二泊三日でおでかけをしていた。
一泊目はとうちゃんの実家。
< 7日 >
== 父ちゃんの実家 ==
”冷蔵庫事件 勃発 ”により急遽 出かけることになったんだ。

ワタシはじっちゃんのお葬式以降、色々思うところがあって、とうちゃんの実家にはあまり行かないようにしている。自分が役立つというよりも何かと問題が広がるだけだと判断したんだ。
よって墓守りを担うだけにした。

そのほうが家系・家族 全体の調和がうまくとれるように思う。
長男の嫁の立場というのは誠に難しい。 きつい言葉でいうと、四面楚歌・孤立無援・部外者・蚊帳の外・・ま、 そんな感じ。(  あくまで ワタシにとっての感覚 )もう 綺麗事は言わないことにした。  
これはどこの家系においても大体似たようなものだろうと想像する。

この日も、とうちゃんの言う事と異なり、実家で親族と鉢合わせになった。
私たち( 親族と我々家族 )は決して仲が悪いわけでもなく、むしろこの家のみなさんはみんないい人たちだ。只 久しぶりであるので若干のぎこちなさは致し方ない。

無意識かもしれないが、どうやら義母は家族( 息子、そして娘たち & 孫たち )を呼び寄せたいらしい。
このことは、確か外国の?さんのチャクラの本にもかいてあったな~。
さみしい年よりは、いろいろと事件( 病気やけがも含む )を起こして子供たちを呼び寄せる。その事が兄弟( 姉妹 )の関係を悪化させることもある。

>>>  >>>
実家に到着ののち、とうちゃんと義母は急ぎ出かけた・・・。

他方、ワタシは、・・・
 ららこさん( 吠えまくり )は 急にはヒト( この場合 親族 )になつかないので、まずはそちらをどのようにすればトラブルを起こさないで済むか?を考え、この夜の皆の寝床について各々のおかれた状況を考え決定した。

ところが これがやはり、戻ってきた義母には気にいらなかったようなのだ。

何をやっても 気に入らないのは昔からずっとそうだ。
”嫁とはこうするものです。”的な説教めいた発言が、どんなにワタシがいろいろと気をつかったとしても、理解されない、もしくは裏目に出ると宿命には書いてあるのだから、そこにこだわるだけ時間の無駄なのだ。

ワタシは 何十年もそれを我慢してきたが、 もう やめたんだ。そのかわり、意見も言わない、恨みごとも言わないように、気を流す訓練?をする。
家系内の問題は兄弟( 姉妹 )たちにおまかせ。それが ベストだと判断した。


昔とちがって そのこと( 姑の意見 )で凹むことはなくなったが、
( やっぱりね~、こうくるんだよね。)みたいな感情はどうしたって湧きおこってしまう。頭で考えることと、体が感じることとは別問題なのだ。
過去の様々な思い出に引きもどされ、若干恨みにも似た感情が湧きおこってくるのは如何ともしがたい。
そしてそのような感情が湧いてくる自分自身を制御できない自分を観るのが嫌なのだと思う。

恐らく、嫁と姑の関係というのは他にひとには理解できない 根の深い因縁のようなものが存在するのだとワタシは思う。永遠のテーマというかね、そんな感じ。
<<< 気の流れ <<<
大体 強いヒトから 弱いヒトへと流れる。
いじめの根源にあるのは この気の流れだろう。

 とうちゃん、冷蔵庫の件で義母を怒る。( ガンガンではないが 怒っているのは伝わる。)
・・・まあ そりゃあそうだろう。トイレの件、食卓の椅子の件、介助の件、手術の件、入退院の件、さまざまな手続きの件、オレオレ詐欺の件、泥棒?の件、カードの件、冷蔵庫の件・・・いろいろあったからね。その度にとうちゃんは何度も呼び出され、出かけ、対応してきた。

しかしながら感謝されるだけではなく、何かの件で姉妹たちとも意思疎通がうまくできず言い争いになった事もあったみたいだ。

主な理由は、じっちゃんの時と同じく、義母は出会う兄弟姉妹に各々ちがった 顔      顔 ををすること  
そして、その都度、様々な気( 依頼・愚痴・悪口 など 裏も表もある。)を流すのだ。
それは本人が頼んでいたのに忘れてしまっている?といった事も関係しているらしい。( ワタシは関わっていないので この話は伝聞 )
いわゆる ボケと呼ばれている症状が現れ出したようなのだ。

しかしながら、出会う相手によって ”しゃき~~ん” とすることもあるのでボケとは程遠い、全く正常で、普通である時もあるから、何で?どうして?と やり方にクレームが出たりするらしいのだ。

ワタシからみると、心配性・不安性・さみしさ・体がだんだん不自由になるいらだち そんな感じかな?

( しょうがないわよね )  

>場面はもどり・・・●○家内
 とうちゃんに怒られた義母は・・・
 ワタシに寝床のことで嫌み( 意見とも言う )を言う。

Bさま とうちゃんに意見する。(= 正論 )アルツハイマーの疑いがあると言われた場合、そのヒトには怒ってはいけないと 看護学で学んだ・・・などなど。。。

義母、・・・親族のヒトにあれこれ言う。ここは親密な関係。
彼女は優しい。いろいろなヒトに気を遣う。突然の来訪者(=我々家族 )にさぞ疲れたことだろう。

人間関係は、ヒトが寄れば寄るほど難しい。各々がいろいろな相手に自分なりの気を使い それが空回りして、もしくは気づかいが裏目に出て 様々な感情を引き起こし、渦巻き、結果 皆が疲れはてる。( ま しょうがないわね。それが家族というものよね。)
ワタシは只今は部外者になっているので、ある程度冷静で居られる。が、しかし 他方 深いレベルのしこりはまだまだ消えていないようにも思う。30年の歴史がそんなに簡単に解消できるとは思えない。


老いて行く人を観る時、それは いずれ行くわが身の姿であるのだから、よくよくその姿を観、今から自分とオット、自分と子供たちとの関係を考えていかなくてはならないだろう。

>写真は「 伊勢神宮 」の五十鈴川
お題「 映る姿は いろいろ 」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分の老後を考える  ( 1 )

2014-07-12 04:47:22 | 老いを いかにせむ


おはようございます。こちらあやかし@。

自分の行く方を考える時、まずは自分たちの親をみる。まだまだ 主人の母と叔母、そして自分の母を見送っていないのであるから それからの話といえばその通りだけれど、ワタシは、とりあえず 子供や社会に出来る限り迷惑をかけない老人を目指したい。

いずれ体が思うように動かなくなる時がくるかも知れないけれど、自分の体と心を自分で何とかバランスを取りながら行けるところまで行きたい。

両家の親たちの生き方をみて、いい所をいただき悪いと思われる点は今から計画的に改善していく事が大事だ。

とうちゃんとワタシの意見は 星並びからみてほぼ対立すると思われるので、まあ折衷案は考えるとしても自分の片足で立てるだけの体幹は鍛えて(←これは 例え )いきたいと思う。

今 出来ていないことは 未来に「 やるよ~。」って約束をしていたって やらないに決まっている。約束を反故にされるのは もうまっぴらなんでね。

とりあえず 世の中の動向を知ることが重要だろう。

自分の健康を得る為のいろいろな方法を知っておくことも大事だ。

で、一つ記事を見つけたので 記録をしておこう!

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090317/189216/?rt=nocnt

>写真は 赤坂の日枝神社の山王祭でお友達になった 翁。
 80歳でも 元気にこのような祭りに参加できる足腰は羨ましいと思うのだ。

いずれにしても、自分の健康は 知恵を使って、自分で努力して確保しなくてはならない。



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みなさま ありがとう

2010-10-18 04:41:28 | 老いを いかにせむ
おはようございます。

いつもアクセスありがとうございます。

とうちゃんの父、じっちゃんが亡くなりました。

母とおばちゃん、子ども達、孫たち、みんなに愛された人でした。

いろいろなお話はまた今度。しっかり見送ろうと思っています。

しばらく、ブログ 休みます。では 行ってまいります。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おばちゃんの不思議ばなし

2010-09-24 03:49:09 | 老いを いかにせむ
じっちゃん(主人の父)の容体は一進一退。このところ食べ物がのどを通らないらしい。フルーツは食べる。
食べないから、痩せた。息は相変わらず苦しそう。

昨日、ワタシは初めてお医者様にお出会いした。多分とうちゃんより若い。夜中でも往診に来て下さる。お医者様というお仕事はやはり命と係わる仕事であるから命がけだ。(余程のエネルギーの持ち主でなければ、体が持たないよな。)と思ってしまった。

医学の発達とともに、病人は薬によって生かされる状態というのがごくごく一般的で、軽度の鬱とボケと肺のお薬のどれをどのように優先させ使っていくか?という問題があって、それはあちらを立てればこちらが立たず状態であるらしい。

じっちゃんのお世話をしている、母(義母)も気丈に働いているけれどやはり疲れている。とうちゃんに会えることだけが救いみたいなところがある。

ワタシが若い時は、申し訳ないが言いたいことが全く言えず、心の中でずい分と母のことを否定してきたけれど、ここまで来ると”尊敬”という言葉でしか表せないように思う。ワタシと母の関係は、占いで考えると、外見から価値観から殆ど眞逆の関係にあるといっても過言ではない。(陰占)だから苦しかったのだな~と今は思える。
ワタシにこのような介護ができるか?と言えば、恐らく出来ない。介護してもらう側になることだって考えられなくはない。まあそこを占いの知恵を使って抜けていきたいとは思っているけどね。

>母ととうちゃんがお買いものに出かけている間に、急いでお仏壇にお水とミルクをお供えして拝む。実は●●家にも水子がいる。例の観音様の声が聞こえるというおばさんにミルクを供えるように言われたのでね。

まさか介護の最中にある母にそうしてくださいとは言えないから、ワタシが密かに勝手にやらせて頂くことにしたんだ。(→出雲から帰ってからは、ずっと我が家の仏壇もどきにミルクはお供えしている。)

それから、水回りのお掃除。一番はトイレ。洗面所。お医者様がいらっしゃるので、寝室と廊下のふき掃除。お風呂場までは手が回らなかった。ワタシはお掃除が苦手なのだけれど、母はとても綺麗好きで、おうちはいつもきちんと片付いている。親たちの良いところは見習い、いけないところ?は直していくように心掛けようと思う。
< おばちゃんの不思議ばなし  >
母とおばちゃん( 義母の姉 )の関係は、母の方が強い。占い的にも断然強い。じっちゃんとおばちゃんをたして、母と丁度釣り合うくらいのエネルギー関係にあると思う。

だから、どちらかというと、ワタシはおばちゃんの味方みたいな感じで若い時から過ごしてきたようなところがある。おばちゃんも、それなりにストレスはあるから、話を聞いてあげる。

その話の中で、驚いたことがあるんだ。母とおばちゃんの祖父の話。どうやらその祖父は心臓が悪く、びっくりしてはいけないヒトだったのだが、B29が飛んできたのに驚いて心臓発作をおこして亡くなった。突然死。

遺体が自宅に運ばれてきた時には、手足が亡くなった時のまんま死後硬直していたらしい。
家族は、(はて困った)と、多分霊能者のようなヒト?に尋ねたところ、”雨水に打たれた じゃり?石?で手足をなでるとよい”と言われそのようにしたら、不思議なことに関節が柔らかくなったらしい。こういう不思議な話を母もおばちゃんもよく知っている。
生と死の境目には、現代医学や科学の力の及ばない摩訶・摩訶不思議な空間が存在しているのだ。目に見えているものだけが存在するのではないということをもっと知るべきなのだとワタシは思う。

>写真はアメ横にある、日蓮宗のお寺。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

介護をする人

2010-07-05 23:56:17 | 老いを いかにせむ
< 3日 >
とうちゃんと、ワタシ、それから急に参加を決めたマンマミーヤとららこさんの4人で、じっちゃん(=主人の父)ちに出かけた。

じっちゃんは、肺気腫、介護4。普段は義母と義母の姉(=おばちゃん)が介護をしている。とはいえ、おばちゃんは、この前、交通事故に遭ってから、体調がおもわしくない。
だから、義母はこのところずっと二人の面倒を看ていた。

じっちゃんは、只今、完全に夜昼逆転しているので、一日介護で疲れた義母がやっと床に着いて眠りにつけたかな~と思う頃(丑三つ時あたり)に、じっちゃんに起こされるらしい。

自分で起きて、そこに用意してある夜食を食べて いい子で寝てくだされば、なんてことないんだろうけれど・・・。まあそういった、常識のようなことはこの年齢の病人には通用しない。

良くなる見込みはないから、例え救急で病院に入ったとしても、すぐに体よく追い出されるのだし、第一じっちゃんはお家が大好き。自由がきく、わがままが言えるのはやっぱり自宅介護なのだろうと思う。

とうちゃんは、この家の”希望の星”であって、皆が頼りにしてる。三人が三人とも、会いたがっている。だからもっともっと行けばいいのにとワタシは思うけれど・・・本人も疲れているらしくあまり実家に行きたがらない。

ワタシと共に、家族とともに、出かけるのがありがたいらしい。
> ワタシは・・・
今回は、何と言われようと、行け行けでお掃除をすることにした。
若い時には、ワタシが動くと、おばちゃんが義母に叱られたりするので、何をどうすればいいんだかわからなくなって、身動きが取れなかったけれど、ここまでくれば、義母もワタシに遠慮している場合じゃあないのだし、少しでも介護以外の負担を減らすように家事の一部をやらせて頂きたいと思う。強引にいくしかない。

義母はとても綺麗好きで、いつ出かけてもおうちの中はきちんとかたづいている。病院の先生の来診のときも、介護ヘルパーの人が来て下さる時も、家の中がきちんと片付いていなくては嫌らしい。

で、今回、ワタシは手の届かない所、主として水まわりを掃除させていただいた。 家の中の「 気 」は  定かではないけれど、一番にトイレ、洗面台、お風呂、同じく、台所などの水回りをいつも綺麗にしておくとよいのだろうと思う。
注)我が家が いつも綺麗にできているわけではありません。

このところ、家の中の 「 気 」を整えるということが、とても大事だと思うようになった。
同時に、そこに住まうヒトも毎晩きちんと入浴して( =禊 )疲れをとって、日々、生きなおしをすることが大切だろう。
>>>  >>>
お掃除を終えた頃、お昼寝をしていたとうちゃんが丁度起きた。二人でじっちゃんを車いすにのせて、お散歩をすることにした。

しかし・・・じっちゃんはいつも寝ているから、ほぼ 直角に近い姿勢で車椅子に座ること自体苦しそうである。首も固定してあげないと苦しくなるらしい。

抱えて座らせる。抱えてベットに寝かせる。この二つの動作でさえも、素人のワタシには、相当な困難を伴った。よくよく考えれば、じっちゃんは、足は立たないのだし、自分の手で体を支えることだってできない。全体重を持ちあげることになるのだ。

ずっと寝ているということは、筋力が衰えるということで、そのあたりの認識と配慮がたりなかったように感じる。
散歩を終え、何とかベットに寝かせたあと、足の裏をお薬師さんのご真言を唱えながら擦る。”苦しみが少しでも減りますように!”
< 世の中で一番尊敬する人は・・・>
何といっても、自分の親や旦那様の親の介護、あとは相方の介護をやっている人、およびやり終えた人。どこかの偉い大臣とかじゃあない。
光があたって輝いている人は、きっとそれを支えてくれる誰かの存在があるのに違いないと思う。

表現は悪いけれど、光が当たるわけでもない人(例えば病人)を支えるということは、それ以上に苦労を伴うのであろうから、本当に大変なんだろうなと思う。

いつだったか、占い学校の年上のお友達の、お友達の話を聞いたことがある。
その方は、ご主人の介護をされたのだけれど、病室でお亡くなりになった時、きらきらと光が降り注いだのだそうだ。

闇の中に還っていくのか、光の中に還っていくのか、それは、誰がどのようにして決めるのだろうか?つらつらとそんなことを考えた。

(お薬師様~どうぞじっちゃんが、眠るようにあの世に旅立つことができますように!お願いします。)
>帰宅後、腹痛で何度もトイレのお世話になった。まあこういうことにももう慣れた。連日の介護のことを思えば、これしきのこと何てことないよな~と思う。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時の流れは・・・

2010-02-12 08:19:32 | 老いを いかにせむ
嬉しかったことは・・・

とうちゃんの実家で初めて、義母に感謝されたこと。初めてという表現は不適切にも思えるけれど、自分の印象としては初めてみたいな感覚。それからもっと言えば、とうちゃんに、親たちのことで感謝されたのが初めて。自分の意見も聞いてもらえたのが初めて。(これはあくまでワタシの印象)

義母には嫁としての注意を受けることがいろいろと多かった。今は相当ボケも入っているから(ワタシのこと)色々言われたって、忘れることもできるだろうけれど・・・。若かったころに言われたことのいちいちは本当に応えた。今でも恨みごとはいくつだって言えるだろう。

二十数年間、自分の意識の上では自分の意見を言ったことがなかった。しかし数年前、ワタシは結婚以来、初めて義母に口答えをしたのだった。

小さいころから、上には「 はい。」で育ってきたから、自分の意見は義母にも、じっちゃんにも言ったことがない。だけど成り行き上言ってしまった。ずっと呑み込んで我慢をしてきた、その限界点が来たのだと思う。

そのような状況を作ったとうちゃんにはもっと頭にきて、当時は本気で離婚をしようと思っていた。
精神的な病気に罹ったのは、もちろん自分のせいだけれど、この家系の難しさだって、とうちゃんの星の重さだって多いに関係しているのだということがわかったから、本当にこの家にいるのが馬鹿馬鹿しくてやってられなくなったんだ。子ども達のこともめちゃくちゃな感じになっていたしね。

( どんな思いでいろんな病気を越えてきたと思っているのよっ!)

実家でも、小さいころから悪い子。嫁ぎ先でも、直接言われたことはないけれど、まあおそらく悪い嫁。ワタシは人生誰にも認められることなく、ひとりぼっちで生きてきたようなところがある。

とうちゃんには、ひねくれていると言われ、まあ そう言えなくもないけれど・・・。
家族みんなに支えられ、期待され、大事にされ、ある意味家族が犠牲になって、皆に支えられて生きてきたとうちゃんに、ワタシの一人ぼっちの苦しさや寂しさなんてわかるわけがないじゃないか!ってずっと思っていた。

実家の姉さんが初めて「 帰ってきていいよ。」と言ってくれたのは、いつだったかな?あのいちょう街にいた、夏の頃だったかな?
あの時は嬉しかったな~。( ワタシにも帰れる場所があるんだ~。)

母「 結婚してもええが、ワシの目の黒いうちは、離婚してくれるな。離婚するんじゃったら結婚せんとってくれえ。」
母のその一言でずっと耐えてきた結婚生活だったからね。
親に心配だけはかけない。というのがワタシの信条だった。

実家が大金持ちで、出戻っても死ぬまでご飯を食べることが可能で、両親が子どもを甘やかす家だったら、とっくの昔に成田離婚して実家にもどっていたと思う。
楽しかったのは、大学生活をしていた四年間だけ。あとはずっと苦しい生活だった。
< 占いを学ぶほどに・・・ >
離婚しなかったのは、子ども達のため。あとは、家族間の、星と星の関係、からくりが少しづつ理解できるようになったから、
( そうだったのか~。)

例えば、自分が持っていない星って、年をって、死ぬ間際位までに、世間様で苦労して、何とか理解可能になってくるとは思うけれど、長く生きなくては理解不能なのだとわかった。相手の気持ちが理解できませんと書いてある人(占いにはそのようなことが書いてある)に、ワタシはこんなに苦しいんです。って訴えたところで理解してもらうことは不可能に近い。

夫婦のいずれかが、”相手の事理解できませんよ。”なんていう組み合わせは世の中にいくらだってある。”相手にわかってもらおう”なんていうのが土台無理な話なんだ。

学ぶほどに家族の各々が持っている星の重さ加減が理解可能になってきた。これは、こういうことが相当苦しいだろうな~。とかこういうことが大変だろうな~。とか。
自分の持っている星との関係がわかってくると、まあ お互い様って感じになってきた。

何より、自分自身の限界点が来た時には、例え家族には理解されなくとも、どこからかお助けマン(まれびと)がやってきて力をかしてくれるようになったから、そう言った意味でワタシはひとりぼっちじゃあない。
+++++  +++++

今思えば、二十年なんてあっという間だった。何よりじっちゃん達は年をとった。じっちゃんはかわいい赤ん坊みたいだし、それを介護する義母とおばちゃんは、姉妹喧嘩をしながらもまるで幼稚園時にもどったみたいな無邪気さ、あどけなさだ。表現は、ずれていると思うけれど、感情むきだしの、素のままの、どこかおままごとをみているようなのような様子。せ・い・か・つ。

あれだけ病院用のベットは嫌だと言い張っていたじっちゃんは、そのベットを上下させて遊んでいるらしい。
少しはヘルパーさんに入って頂いて、義母たちにも楽をしてもらいたいとワタシ達夫婦は思っているのだけれど、義母は他人に家の中に入ってほしくないらしい。汚いお部屋を見られるのが嫌なのかもしれない。義母は大層綺麗好きだ。

ワタシは、ただお掃除をしてベットの入れ替えを手伝っただけ。随分と喜んでもらえたことがとても嬉しい。やっと嫁として認められたようなそんな気持ち。

お掃除くらいやれます、おかあさん。( 自分ち 汚いけど。)
お料理も 次回は おさかなのお料理挑戦してみます、おかあさん。
待っていてください。

さっ 今日もいきま~~す。あやかし@。
この日、誰かの役にたっている、喜んでもらえている、そのことが人を動かしているんだということにあらためて気づかされた。
「 ありがとう! 」

















 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よくは わからないのだけれど・・・

2009-03-10 09:24:53 | 老いを いかにせむ
昨日 広島より帰宅。

母は驚くほど元気になった。姉が仕事をやめた途端元気になった。という言い方もできるかも知れない。

前にも書いたけれど、母は、母を二度亡くしている。
本当の母親はもの心がつくかつかないうちに亡くなったのだし、二度目の継母は嫁ぐや、義弟を生んでしばらくして半身不随となり、その後寝たきりとなり、母はその継母の介護と農作業で、十代を過ごした。

元軍人の父にずっと仕えることができたのは、そのような苦労人だったからだと思う。
父は横暴な人だった。自分のイメージ通りに奥さんも子供も動くものだと思っているような節があった。ワタシ達は口には出さなかったけれど不平・不満分子だった。食べさせてもらっているから、そのすべてを我慢して生きてきたと言っても過言ではない。特に母と姉。

母はいつも泣いていた。姉さんとも話したのだけれど、
うちが”幸せな家庭”ではなかったことだけは間違いないと思う。

とはいえ、幸せな家庭というのは、簡単に天からポンと与えられるのではなく、それは、まずは夫婦、そして子供が生まれれば、その子供たちを交えての家族が、日々努力をして、譲り合って、許し合って、励まし合って やっと手にいれることができるのだろう。
> もどり 母のこと・・・
元気がよいうちは、誰しも強気でいられる。
母は両足が癌の後遺症のために、右足がおよそ4倍、左足がおよそ2倍にむくんでいることを除けば、その他は普通に暮らしていた。

最近になって、左側の耳は全く聞こえなくなったらしい。
聞こえないだけならいいのだけれど、”ぐわん、ぐわん”と一日中鳴りつづけているのだそうな。以前はせみのなくような音”みーん、みーん”だったのが、今は”ぐわん、ぐわん”という音に変化しているらしい。

同時にそこは、並行感覚を司る場所でもあるために足もとがふらつくのがとても心配らしい。倒れる→骨折する→寝たきり という図式。
「 寝たきりになってから、家族に迷惑だけはかけられんけぇ。」(=寝たきりになって家族に迷惑をかけるようなことだけはしたくない。)
 > デイ サービス どうやら、今回の事のきっかけは、デイ サービスでの自分の扱われ方が気にいらなかったようだ。
1、確かに昨年の夏位から、母が体調を崩していたのは事実だった。
デイ サービスでは、要支援1?の母は何がしかの作業をしなくてはいけない。作業といっても、例えば”ひなまつりの色紙作りをする”のだけれど。

途中から、本当に具合いが悪くて、ベッドで休ませてもらいたかったのに、休ませてもらえなかった。( 頑張ってしまう自分がいる。タクシーに乗って帰ればいいのだけれど、多分一人ぼっちで忙しい姉の帰りをずっと待っているのが心細いのだろう。)

母は食事はおいしくいただける。食事が食べられる=元気、とみなされ、要支援1の仲間の人々の輪から一(いち)ぬけすることはできない。(→自分だけ勝手にベッドで休んでいるわけにはいかない。)

年上のおばあさんからは、「 あんたあ 若いんじゃけえ。・・・云々。」「ご飯が食べられるのに、・・・云々。」と言われる。
頭のなかの”ぐあん、ぐあん”は誰にも理解されないのだし、体がだるいのは外からは見えないのだ。

他方、介護1の人は、お食事をしたのちには、ベッドに横になれる。

2、要介護の人には、バスが到着した時点で、車いすなどを用意して係の人が迎えにでる。母は倒れるのがこわいので、手押し車?がほしい。

結局、母は最後の一人になって、仁王立ちして(ひっくりかえらぬように)、係の人にお声かけしてもらうのをまっていた。自分専用の手押し車を用意してくれれば、一番に、誰の手も煩わせず歩けるのに・・。

母「 お金は出すけぇ、私の名前の書いた手押し車を用意してちょうだい。」

他の人に遅れをとりたくない。自分の足で歩きたい。

そこで母は、ここにきて”介護1”認定申請に出かけた。というわけだ。血液検査から何から全身調べていただいたのだけれど、どこにも悪いところがない。
介護1というのは、自分一人で、衣類の着脱ができない程度の人でなければ認定されないし、少々ボケも入っているくらいでなければ、認定はおりない。

姫( 明らか 無理じゃん。はなから わかってることじゃん。)

それでも姉は忙しい仕事の合間をぬって、病院めぐりをしたらしい。母は医者にもわがままを言ったらしい。
母「 はあ、生きちょってもしょうがないけえ、血液を全部ぬいちょくれえ、ほうしたら死ねるじゃろう。」
父がなくなった当初やっていたカラオケも楽しゅうない。テレビもおもしろうない。ただ寝とるだけ。誰にも会いたくない。畑仕事もできない。何もする気になれない。
>>> 母は「 鬱 」に陥ったのだった >>> 
言っていることは、矛盾だらけなのだし、傍から見たって、わがまま以外のなにものでもない。それはわかる。
しかし、わがままを言いたいのだ。ずっとずっと我慢してきたのだ、小さい頃から。いろいろなものに耐えて耐えてきたんだ。母はおそらく、子供のころの哀しさを取り返しているのだ。父に仕えた苦しさを取り返しているのだ。

我慢は美徳ではない。”がまん”はいずれ爆発するし崩壊する。

姉は、結局のところ、母の希望を第一に考え、仕事を辞めることにした。

劣悪な労働条件、つまりはパートであるのもかかわらず、夏休み一つもらえない。ぎりぎりの人数でまわしていく。しかも仕事内容はどんどん増えていくばかり。
都会では考えられないくらいの仕事内容、及び賃金。

母「 それじゃあ葬式も出せん。(一人で、責任をもって回していく仕事なので、冠婚葬祭でさえ 休めない。)
 忙しすぎて、病気にもなる。」

@@@@@  @@@@@
< 父が残してくれたもの >
二か所ばかり、雨もりしている場所のある( 実際にポタポタ漏っているわけではない )お家。部屋数 8 。台所 + バス + トイレ 。

父の遺族年金アリ。
女二人が贅沢をしなければ、食べていくことは可能。しかし こんなに広い家はいらない。しかも一階は鉄筋で、簡単に壊すことは不可能なので、売りにだしても売れない。(だろう?)

姉は介護の仕事もやった。頭が良く努力家なので、ヘルパー1級。ケア・マネージャー。介護福祉士・整体師?などなど資格を沢山もっている。

介護ヘルパーとして、様々な老人のおうちを見てきた。
昔、お金もち、只今、動けない老人が住むごみ屋敷も知っている。

時間のできた姉さんは、家中、大掃除をすることにした。つまりゴミ屋敷にしないことを第一目標にしたのだ。ワタシの例の箪笥は自宅に送り返すことになった。

とりあえず、ずっと働きっぱなしだった姉も無理やりみたいな感はあるけれど、自由時間ができた。
 去年「 戊 子 」 姉さんにとって、60年に一度回る☆がまわった。納音。(なっちん)
親と自分の通る道が逆になる。親と正反対の場所で生きなさいという意味だ。

反対をどのように考えればいいのか?よくはわからないし、それは姉が考えることだけれど・・・?

いずれにせよ、何時だったか、ワタシがいちょう村に住んで時、マンマミーヤと日々闘っていた時に、姉さんが”実家に帰ってきていいよ。”と言ってくれた。姉のその一言でワタシは本当に救われた思いだった。

お金は大事だし、なくては生きていけないけれど、それだけではない。誰かの、たった一言が聞きたいのだ。たった一言で、人は生かされも殺されもする。
母「 ワシの目の黒いうちは離婚せんとってくれぃ。」 それが、ワタシが嫁に行く時に、母がワタシに懸けた言葉だった。

親孝行とは、親に心配をかけないことだと思ってずっと生きてきたから、それを頑張って、我慢して、守ってきたつもりだったけれど・・・

このたび、そのことを母に言ったら、

母「 ? そんなことを、ゆうたかいね~?わしゃあ 覚えとらんで? 」と言われた。 
( あへ~~っ )
って気がぬけた。私が頑なに、がんばって守ってきたものって一体なんだったんだろう?

>>> 父の愚痴話、殿の愚痴話も三山した >>>
父なきあと、「 とりあえず食べていけてええね 」と言ったら・・・母「 お金だけは入れてくれたけえね。お金入れてくれんかったら、そりゃあ男じゃあなあぃね。」とまで言いきった。まあね、ワタシはそこまではなかなか言いきれないけれど・・・。
> 今の世は・・・
一家に、一人は介護を必要とする老人。一家に一人は引きこもり。一家に一人は精神を患いし者。一家に一人はリストラされし者。一家に一人はシングル。一家に一人は離婚経験者。一家に一人は派遣社員。・・・。などなど・・。

どれかに当てはまっているからと言って、小さくなっている必要はない。只今あるものに感謝して、ないものには目をつぶり、とりあえず前を見て、知恵を出して、一日一日を生きていくしかないな、と思った。
> 帰り道 
荷物をもったまま、身代わり地蔵さんに挨拶に行く。お礼を言う。ハンカチでお地蔵さんの全身なでなでする。子供たちの具合が悪いらしい。
そこにいた おばさんが、「 何だかわからないけれど、おかげいただけますよね~。」と話かけてきた。

「 ワタシもそう思います。」 見えているものだけが、あるのではなくて 見えないものだって あるんだ。

父の力強い魂がなかったならば、それを支えた母の姿を見て育たなかったら、ワタシは今頃、寝たきりの、家族にとって迷惑以外の何者でもない、おばはんになっていたと思う。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老いていくものを・・・

2008-05-13 08:26:15 | 老いを いかにせむ
先日、じっちゃんを迎えに行った。
これまで何度じっちゃんの病院を見舞ったかな?忘れてしまったけれど・・・。私もさることながら、じっちゃん(=主人の父)も、それから、義母も怪我、病気での入院騒ぎは恐らく他のおうちに比べ、決してひけをとらない(妙な表現だけど)位多い。(と思う)[→ みなで分け合う病気 ]

次々に病気になってそのたびに復活する。その時々において笑ってはいけないのだけれど、どこか●●家の人々の入院は、お笑いになるところがあるんだ。

じっちゃんのお迎えには、車いすと酸素ボンベ(→正式名はわからない)を持っていく。銀の馬車(=とうちゃんの車)が活躍するんだ。とうちゃんは魔法つかいさ。三人の親が首をなが~~くしてとうちゃんのお出ましを待っている。

この病院は先日の真新しい病院とは異なる。つまりは前の病院は、体よく追い出された。今回もそう。だってよくなる見込みはないわけだからね。

今回の病院は、働くお医者様や看護婦さんもだんだんいなくなり、今どうやら身売り(=経営者をさがしているらしい)をするような状況らしい。こんなに美しい立派な建物なのにね。

私にしてみれば、信じられないくらい、むちゃくちゃ綺麗な病院。自分が入っていたところはね、薄汚い感じで、牢屋みたいだった。(→姫、おりの中のライオン。吼えてないけど)

じっちゃんは肺気腫だから、ひ~ふ~ひ~ふ~ いや もっとすごい感じで うなる。うるさいんだ。だから この何日かのあいだに いくつもいくつもお部屋を変えられたらしい。お隣さんから、夜眠れないと苦情が出るんだ。

そりゃあ そうだ。寝ているときに起こされるのは誰しも苦しい。頭にくる。自分もそういったことと(睡眠欲との闘い)これまで、ず~~~っと闘ってきたからね、まわりのもの(=他の患者さんとか)が不機嫌になるのはわかるな~~。

お向かいのおじいちゃんはまるで赤ちゃんのよう。タオルをしゃぶっている。足はひび割れてかさかさ つめは硬くなり伸び放題。というか恐らく医療用のつめきりをもってしても切るのは難しいだろうと思われるようなつめ。
 
いい子で、ずっと指しゃぶりとも タオルしゃぶりとも思えるような動作を繰り返す。

>じっちゃんは ウンチをしていた。真っ黒い、かりんとのような小さな便、いっこ。赤子の胎便のように黒いウンチだ。

そういえば私の父が逝った時も、その少し前にずいぶんと沢山の黒いウンチをしたらしい。

なんだかね、年寄りがあかちゃんになってあの世にかえっていくってこと分かる気がしたよ。( たぬき先生~~あの図は なんていう名前でしたけ?地獄絵の上に人生行路がかいてあるやつ。)>回答・・・「熊野観心十界図曼荼羅」 だそうです。

お洋服を着替えさせてあげるのも苦しい、ベットから車いすに移動させてあげるのも苦しい、苦しい・・・苦しい・・・。

私は病院では絶対に泣かないときめている。で そのようにやってきたし、できると思っていた。

だけどね、骨と皮だけ、みたいな・・・筋肉がほとんどなくなって 自分の力ではベットから降りることも車椅子に乗り換えることもできなくなっているじっちゃんをみるとね・・・

若かりしときの 「 男に 鯛をとりに行かせるとは何事だ~~!」って怒鳴られたあの結納の日からの、嫁もどきの日々で接した義父の姿がいろいろと思い起こされて

悲しくてね・・・。なみだ。。。ぬぐう。

占いの星 知ってるだけにね、●●家では じっちゃん、いい風に言われていないけど・・・

「がんばったよね~ がんばったよね~ じっちゃん!!!」って 何度も 何度も 声かけたくなるんだ。

ちょっと お笑いの話まで書く時間なくなったけれど、それにしても 義母はすごい人だ。この年で このじっちゃんの介護をしている。尤もおばちゃんも付いているけど・・。

とうちゃんと二人で感心したことがあるんだ。「本当に大変ですね。」って言ったら 即答だった。
「 これは仕事だから。」

私にそういう言葉がいえるかな? だって・・・
殿「 結婚したら たばこやめる。」
 「 子供できたら たばこやめる。」
 「 子供生まれたら たばこやめる。」で結局のところやめてないわけで・・・

いいだろ?これくらいって感じでつづけてるわけで・・・

まあそれが無理だということはわかってきましたが・・・。ストレス解消のため。

だからと言って 私は義母のように優しいわけじゃあない。 

姫「 他の病気はともかく、肺の病気にかかっても 面倒みないからね。自分のまいた種は自分で刈ってね。」

いや、これって結構本気のところもあるんですよ。だって人間 死ぬ一歩手前までいかないと懲りないし、本当に大切なものが何であるのかわからないと思うんですよ。

それにしても じっちゃんはおうちに帰ることができて本当に喜んでいました。

パートをやっている場合じゃあない。やることは他に沢山にある。
@@@ のぞみ @@@
肺気腫といえども 眠るように 亡くなる人もいるらしい。目指すはそこ!方法は手探り、そんな力があるとは思っていないけれど、やるっきゃないわね。

「 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか 」お薬師さんご真言。

多分ですけど・・・祈りって 通じると思います。

>本日 占い学校 & 仕事 (→ もうじき やめます。)

>写真は 恩師(上原輝男先生)のご自宅でよみがえった山桜 
 恩師も 肺がんで片肺飛行だったにもかかわらずたばこを平気で吸っていた。
で、研究会は当時 男の先生方が、遠慮なく吸うたばこの煙の中でとり行われていた。ずいぶんと息苦しかったのを記憶している。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じっちゃんの お見舞い

2008-03-24 17:34:42 | 老いを いかにせむ
お彼岸の中日 じっちゃん(主人の父)のお見舞いに出かけた。とうちゃん、ジャパン、私の三人。そして合流 お母さん(=義母)おばちゃん(=もう一人の母)

私は病院にでかける手前から具合いが悪かった。こころの中であぶないな~と思ってはいたけれど・・・。

霊媒体質(多分そういう呼び名)であることはある時からわかっていた。そののち占いで納得した。このところあちこちで体が反応してたけど、以外と普通にいけていたからそんなに心配してなかったんだ・・・だけど・・・

( やっぱな~。きたよ。どうすっかな~。)

病院の建物の入り口で拒絶反応あり!つまりは吐きそうになるほど咳き込む。あのですね、風邪なんかじゃあないんですよ。だんだんトーンの頭痛とともに。(病院にはできる限り行かない方が懸命)

( 勘弁してほしいな~) → 来るもの、こばみたくなる。

喉がむちゃくちゃ痛い。これは少し飛ばせるようになっている(と思っている)から、やる、お手当て。
薬師如来さまのご真言使用 
「 オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ 」  ( リピート )


じっちゃんは 肺気腫 介護3 実際にはもっと重いのではないか?と思う。もちろん直るみこみはない。他の病気もどんどん併発していくらしい。

じっちゃんはすっかり病人になっていた。何だか顔が黄色に見えた。(肝臓をやられているんだな。)実は転んで背中を打ってしまってから食事がとれなくなってしまい入院したんだ。

とうちゃんとジャパンがきたことを大そう喜ぶ。元気をとりもどす。老いていくものにとって子どもや孫がお見舞いにきてくれることは何よりのお薬なんだと思う。

お昼の食事は焼きそばで、一口も食べることができなかったらしい。
こんな病人になんで焼きそばなのか疑問だけど、兎に角、やきそばがでた。昨晩は煮魚がでておいしく全部食べることができたらしい。

義母が持参したお寿司を一貫食べる。私が持参したミニのおはぎを一個食べる。息をするのも苦しいのだから、当然息をしながら食べることはもっと苦しいはずだ。

私はマラソンをしながらお水を飲んだ時に実感した。口で息をしながら上手に水を飲む方法があるのかは知らないけれど、口で呼吸をしていると、水を飲み込むことは難しいんだ。

じっちゃんは酸素を鼻から吸引しているのだけれど、口で息をしているからあまり効果をあげていない。その状態で食事をすることは難儀なことだと思う。

じっちゃんはまるで赤子のようだ。母に食べさせてもらっている。母(=義母)にちょっとおこられながら、ちょっと命令したりしながら(大正の男)なんです)・・・。

昔から●●家ではじっちゃんはおおかみ少年のように言われているんだ。いまにも死にそうなことを言い、何度救急車で運ばれたことだろう? そして生還してくる。そのくり返しに家族み~~~んながもうなれっこになってしまい・・・

( また だよ 大袈裟な・・・) 多分そんな風に家族は思っていると思う。

でも、占いで夫婦の関係をみると・・・どっちもどっちなんだよな。●●家では、じっちゃんは悪者みたいに言われているけれど、確かにこれまでの現実生活の部分だけをみればその通りなんだと思うけれど、お互いの星の関係がお互いの人生を決定してるのであって、どちらが悪いってわけじゃあないのよね。夫婦関係はお互いさまのところがあるんだ。(一概にはいえない。思いっきり相手を倒す星の関係もある)

それにじっちゃん達夫婦の相性は陰(占)陽(占)共にとってもいいのだ。

じっちゃんの星は私の星との共通点があるから、その苦しさがよくよくわかる。じっちゃんにどこか宗教的なところがあるのは、ただ今、直らない病気と闘っていることもあると思うけれど、そちらの世界(=精神性の世界)に道を見いださざるをえない星であるからだと思う。

病室内、実はやったことがある。それは・・・ (→ 以下の文章に 思う。をつけて読んでください。)
病室の中に薬師如来のご真言を撒き散らすこと。(声に出したわけじゃあないよ)
言葉には力がある。
だからできる限り日常生活においてもできるだけプラスの言葉を口にしなくてはいけない。

以前 たぬき先生とちょっと話したことがあるのだけど、私が好きだった本田美奈子さんの舞台、”命をあげよう~。?”って唄っていたことがあった。舞台の上は虚構の世界だけれど、実際には何度も繰り返すことによって、人生がそちらに動いていくことだって考えられなくはない。(占いも調べたが、結構厳しかったように記憶している。)

だから自殺志願者が「 死にたい、死にたい。」なんて日々繰り返していれば、死に近づくことだってありうる。

多分 言霊 ってそういう事なんだ。言葉には”たましい”が宿っているんだ。

同じく、想念だって目には見えていないけれど、「 死ね!」なんて思っているとその通りになっていく。それは相手を滅ぼしはするけれど、また自らをも滅ぼしていく。

>>>> いかにせむ >>> 

1、パートのお仕事はそれなりプラスの部分がある。なんのかんの 言いながらも楽しい?かも?
2、生鮮食料品が破格の値段で買えたりする。1フロアー、全部の品物が10%OFFになる。
店内で働く人々との人間関係も楽しい。お友達ができた。色々おしゃべりできる。(→家族と違って相手をしてくれる)

・・・のだけれど・・・それ以上に優先すべきことがあるんだ。

1、じっちゃんの病院を含む介護の問題、
2、マンマミーヤの生活全般、学習の問題、ちゃんと高校を卒業して自力で頑張ってほしい。今がとても大事な時期。
3、とうちゃんとジャパンの健康の問題、とうちゃんが倒れたらお話にならない。大黒柱なんでね。(多分ですが、私がこの役に代わるとしたら、3日でポシャルだろう。)
4、自分の占いの勉強時間の問題( この春から、録音禁止になるから疲れた状況で授業にでたくない。先日はいねむりをしてしまった。あと1年で、一応自分の中では終了するつもり))等々

・・・などと、考えるとパートやってる場合じゃあないかも?ってことになってきた。何より 私の晩年期に回る星 長男の嫁ぐとよいとされている「墓守り」のお役があるんでね。

それより何より、何とかじっちゃんにとって、あの世に出かける前に、最良の時間を作ることを一番に優先すべきなんだと思う。

ただ今息が苦しくて唸るため、個室入院。
最期をどう看取るのか?
とうちゃんがお友達のお医者様に聞いたところ、二人のお医者様の意見が一致した。
万が一のときに気管を切開して、気道確保。生命維持装置をつけることはしない方がいい。
なぜならばそれは単に生かしているだけであって、その介護は家族の負担を増すだけで、それは、家族の自己満足にすぎないから・・。冷たいようにも思えるかもしれないけれど、その意見に妙に納得できた。それは実父の最期が切なかったからだ。
いのちは 人がいきているから い の ち なんであって 寝たきりの状態で、機械によって生かされていることは生きているとは言わないのだと思う。

>写真は 私の好きなさくら。ピンクの花びらに ちょこっと黄緑の葉っぱがすき!
























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする