えい、ままよ が私の行きついたところです。
成り行き次第とでもいうのでしょうか。
このまま、ブログを続けようと思います。さっぱりやめるか、その時は、その宣言をするかしないか、等々、だいぶ考えて過ごしました。
気の向くままに、無責任に自分の思いを公言する今までのスタイルをかえません。
何故、こんな形でも残すのか、ひとつには(これが理由の大部分だとおもいます)コミュニケーションを最後の最後まで諦めたくないから、ということになります。
まだまだよそさまに依存するちっぽけだけど、意志を持った生きて感じて考える存在がここにあるからです。
身内でもないのに、多くの方の善意に支えられて言葉を残していくことができるのは、けだし、有難いとしか言いようがありません。
私はひとり、一人だからこそ、生きることができ、それ故に少ない知り合いの方とご一緒できる、とずっと思ってきました。今も変わりません。ただ、それを簡単には考えたくはない、大切な有難いこと、と思いを変えております。
めんどくさい、というのが、私の定型でしたが、構築してきた(つもりの)人間関係は、大切にしていかないと、と思うに至りました。それが、ブログの世界であっても、決して、虚構ではないということです。
思いあぐねて、思いをみなさまに届けたい、それが心の声です。
当地は、能登半島のつけ根の湾に河口がある2本の河川を有する扇状地にあります。
1月1日からずっと、心から笑う気になれない日々を重ねてきました。
直接の被害に遭わなかったのが奇跡であるだけで、災害復旧の車両などを恒常的に目にしては、焦りと心配を覚えます。
それでも今年の暑さは、私を一層甘えた怠け者にしました。
真夏の暑さ除けの簾をかけ始めるのが遅れてそのままかけずに熱射地獄から解かれたところです。除草も一切手掛けませんでした。
草ぼうぼうの中庭にはそれに負けじと萩とフジバカマが乱れ咲き状態です。アップで撮りましたら、少しはみられるでしょうか、なでしこも秋の七草ですね。
小さな床の間は葉月は、お大原女のお軸と決めていましたが、今年はそれにも変えずに、梅雨明けからそのままここまでおんなじ何の変哲もないお軸で済ませました。
何とこの3ヶ月、ここでお茶を点てたお客さまは、延べ6人でした。
茶ざぶも冬用から、籐製の夏ざぶにかえるために積み重ねたままこうして待たされています。
まるで時計がとまったかのように、この夏の酷暑が終わっていたのでした。尻切れトンボですが、続きは日を変えて後程に。
長きにわたるご無沙汰をお詫びかたがた、復活のお知らせまで。宜しくお付き合いの程お願い申し上げます。