最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

思いあぐねて、

2024-10-06 03:36:04 | 日記

えい、ままよ が私の行きついたところです。

成り行き次第とでもいうのでしょうか。
このまま、ブログを続けようと思います。さっぱりやめるか、その時は、その宣言をするかしないか、等々、だいぶ考えて過ごしました。

気の向くままに、無責任に自分の思いを公言する今までのスタイルをかえません。

何故、こんな形でも残すのか、ひとつには(これが理由の大部分だとおもいます)コミュニケーションを最後の最後まで諦めたくないから、ということになります。

まだまだよそさまに依存するちっぽけだけど、意志を持った生きて感じて考える存在がここにあるからです。

身内でもないのに、多くの方の善意に支えられて言葉を残していくことができるのは、けだし、有難いとしか言いようがありません。

私はひとり、一人だからこそ、生きることができ、それ故に少ない知り合いの方とご一緒できる、とずっと思ってきました。今も変わりません。ただ、それを簡単には考えたくはない、大切な有難いこと、と思いを変えております。

めんどくさい、というのが、私の定型でしたが、構築してきた(つもりの)人間関係は、大切にしていかないと、と思うに至りました。それが、ブログの世界であっても、決して、虚構ではないということです。

思いあぐねて、思いをみなさまに届けたい、それが心の声です。

当地は、能登半島のつけ根の湾に河口がある2本の河川を有する扇状地にあります。
1月1日からずっと、心から笑う気になれない日々を重ねてきました。
直接の被害に遭わなかったのが奇跡であるだけで、災害復旧の車両などを恒常的に目にしては、焦りと心配を覚えます。

それでも今年の暑さは、私を一層甘えた怠け者にしました。

真夏の暑さ除けの簾をかけ始めるのが遅れてそのままかけずに熱射地獄から解かれたところです。除草も一切手掛けませんでした。


草ぼうぼうの中庭にはそれに負けじと萩とフジバカマが乱れ咲き状態です。アップで撮りましたら、少しはみられるでしょうか、なでしこも秋の七草ですね。


小さな床の間は葉月は、お大原女のお軸と決めていましたが、今年はそれにも変えずに、梅雨明けからそのままここまでおんなじ何の変哲もないお軸で済ませました。
何とこの3ヶ月、ここでお茶を点てたお客さまは、延べ6人でした。

茶ざぶも冬用から、籐製の夏ざぶにかえるために積み重ねたままこうして待たされています。
まるで時計がとまったかのように、この夏の酷暑が終わっていたのでした。尻切れトンボですが、続きは日を変えて後程に。

長きにわたるご無沙汰をお詫びかたがた、復活のお知らせまで。宜しくお付き合いの程お願い申し上げます。
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Stradivariusメシア

2024-09-17 02:05:42 | 日記
夜更かしをして、テレビに見入りました。タイトルは記憶にありませんが、Stradivariusメシアを巡る興味深い内容でした。

北イタリアに、クレモナという小さい市?町?があります。
かのStradivarius、ストラディバリウスの生誕地でもあり、名器ストラディバリが数々創作されたことで世界的に有名な地名にもなっています。ストラディバリ生誕300年を祝って、イギリスオックスフォードの博物館にあるストラディバリ メシアを生まれ故郷であるクレモナにお里帰りさせた話題に乗じて、日本からバイオリンの製作者として第一人者の中澤宗幸氏が54年ぶりにメシアに会いに博物館にご子息を同行されて訪れられたシーンを食い入るように見ました。中澤氏は、葉加瀬太郎氏の愛器のドクターとしても知られています。
日本から、訪れた80歳の齢も過ぎたバイオリンの修復家でさえも、名器「メシア」に触れることは許されず、代わりに、「メシア」のおさまっているガラス棚の前に椅子が運ばれ、心行くまで見ていってください、との配慮がなされました。「メシア」はこの300年近く、演奏されることがほぼなく、名器の象徴として後光を放って鎮座しているようです。このストラディバリの博物館の中のどのバイオリンも、たとえ、英国のプリンセスが弾きたい、と申し出られても弾いていただくことはできないそうです。

ピアノにしても家庭の片隅に置かれているだけで弾かれないのは、どんどん劣化を増幅することになる、と聞いています。
確かに古ければ古いほど価値のあるのがバイオリンとはいえ、見るだけでいいものでもないでしょう。弾いて自分の懐に抱いてどんどんいい音が生まれるものではないかと、素人以下の私でさえ思うところです。
ムスコの楽器は、このクレモナの若手の楽器製作者の手によるものであり、紹介してくださった恩師(今の私の師匠でもあります)はこれから弾いて弾いて弾いて、この楽器と共に成長するのよ、と当時11歳だったムスコにお諭しくださいました。それから30年の月日を経てどんなふうに進化しているか、話題にもしていませんが、期待しないでそれでも話題にしてみようと思います。

さて、今日は、亡き母の祥月命日でした。たくさんの菊や、矢筈薄を墓前におはぎと共にお供えしました。運転の労を快く引き受けてくれ、一緒に心行くまでお墓の前で過ごしてくれた家人に感謝しました。帰路、立ち寄るつもりの中華料理屋さんが、準備中の看板で、思いついて30年ぶりくらいに、その当時よく職場で出前をとっていたお店を探し当ててたどり着きました。
そのお店の2階のお座敷で学年部会の宴会や、公務分掌のお疲れさま会などしたことはあっても、1階のお店に入ったのははじめてです。
どんなものがそのお店の売りだったのかも忘れ切っていてメニューからキノコたっぷりあんかけチャーハンを私は頼みました。ヒットしました!

つらつら思い出すと、このお店の近くに(私の当時の職場の近くでもあります)高校の同級生がクリニックを開業していて、私も私の両親もお世話になっていました。両親は受診の帰りにこのお店でお昼を済ませたことを何度か私に話していたのを思い出しました。
もうこの世では、「ここにきていたのね、どの席に座って何を食べたの?」と聞くこともできませんが、何となく辺りを見ては両親の面影を探す私でした。

帰宅してふと目にしたのが庭の入口に今年もひっそりと咲いている熨斗蘭でした。

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梅干し

2024-07-26 10:06:59 | 日記
実母が鬼籍入りして30年近く。
生きていたら齢百歳を祝う頃になっています。

その母が残してくれた梅干を没後5年くらいもちこたえました。

それから以後は当然自分が梅干作りを担うなってことはなく、購買一筋。

紀州南高梅のあれこれをネットという時代の産物のおかげで入手することができています。
引き出物などブックの中から選択して頂戴する機会も逃さずなるべく高級梅干に限定しました。
余談ながら、もうひとつの定番は虎屋の一口羊羹の詰め合わせ。
恐ろしいことですが賞味期間が一年もあるので、百個あっても十分期限内に無駄なく終われます。

さて頂き物でゲットしたり、自分でもネット検索でたどりついたり、高野山詣での際に現地で食べ比べして求めたり、
と不自由なく梅干は生活になくてはならないものとして鎮座してきました。

今回も何の疑問なく、それどころか、かなり潤沢な梅干生活が暫くできると、思う一件がありました。
どこかからの頂き物で、選択肢が非常に少ないブックの中から迷わず紀州南高梅を選ぶ際にちょっと気になったのが、その中身。
梅400グラム 赤しそ30グラム 天然塩70グラム 塩分濃度18%です。
いつもははちみつ梅で塩分濃度3~4%。そのままお茶うけにして食べてもしょっぱくは感じません。

えーーー大丈夫?減塩をうたっているこの時代に高血圧の元じゃないの?と疑心暗鬼のまま、注文。なんと6箱分です。

届けられたのが律儀に6個分梱。不経済なことだと思いながらちょうど来客の方に帰りにひと箱差し上げました。

https://takadakaen.jp/
ホームページの冒頭部から引用しますと

私たちは「南高梅発祥農園」です
現在、農園の約8割を有機栽培しています
梅の有機栽培は手間ひまのかかる仕事です。
土作りに何年もかかり、自家製の有機肥料づくり、一年を通して雑草との戦いの日々、
そういうことの積み重ねから、微生物が生きたふっくらと健康な土に変えていきます。
栄養たっぷりの農園の梅の木は元気で強く、毎年ぷっくりとした大粒の梅を実らせてくれています。
健康な土作りをすることで農園の環境は整います。
健康な梅を栽培するために、「基本は土」この一言に尽きます。

なんと元祖南高梅の農園、果園と書かれていましたが、らしいです。

5個もある梅干の到来物、、、普段なら嬉しいところしょっぱさが気になってなかなか試食できません。
今までの3%塩分濃度の梅干が残り少なくなってついに開封してみました。
色、赤赤としています。
お箸で恐る恐るつっついて味わってみました。

なんと、母の味でした、正直なところ。
母のも無添加だったものなあ。後庭のそう大きくない古木の梅の木からせいぜい百個くらいとれたのを干していたんだっけ。。。

おにぎりには絶大な威力を発揮しました。
梅肉を隠し味のようにいろいろなお料理、特に煮魚などには必ず母は入れていましたっけ。

キュウリ、冷ややっこ、葉物(小松菜で試しました)うどんなどなど淡白な味のものに味付けしないで梅肉をちぎって乗せました。

この夏は、適度な塩分も必要と聞きますのでこうして、今回の昔ながらの梅干を活用して有難く賞味しようと思います。



折柄、新紙幣の5000円札の梅子先生は、わがアルママータ(母校)の創始者、初代学長先生です。キャンパスの中にある寮の名前も白梅寮といいます。
武蔵野の森深く、梅の花々の間を散策した学生時代にも思いを馳せて梅の効用をあれこれ思い起こす今日も真夏日。

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熱中症とは無縁の暮らしを返上

2024-07-22 15:50:45 | 日記




こんにちは。
狂人的な猛暑の下で半時間ほどではありましたが、ちょっとした作業をしました。
自宅玄関は、南に面しています。
道路は西に面しています。
道路からほんの20メートルほどちょっと曲がった道を歩いて玄関を開ける仕組みです。
道路から数メートルのところに塀と門があり、門には格子戸が二枚引戸形式で入っています。
今の戸にしてから30年くらい?
最近、建付けが悪いのか格子戸の開閉や施錠が少し抵抗があるようになりました。
建具屋さんをお呼びして戸を外して調べてもらった結果、下の部分が腐りかけているとのこと。
根本的な修理?あるいは取り換え?が必要とかで戸を外して建具屋さんに運ばれていきました。

当然引き戸の下には金属製のレールが入っています。
そこをどんなにきれいにしてもどんどん土が出てきて、どうやら二枚の引き戸の両側がダムのように堆積した土で雨水や散水をため込んでいた模様。
バクテリアがいいように積み重なり木製の戸を腐らせるほどに活動していたようでした。。。

戸が入っていた時の画像を探してここに張り付けるほど勤勉になれない私は、普通に戸が入っていた時の状態をお示しできません。
戸が外された何とも間抜けなしまらない玄関周りを撮っただけでした。
周囲にはびこっていた蔓状の草をなるべく根こそぎとりました。テイカカズラが主です。

修理にどれくらいかかるのか(お金も時間も)お尋ねしませんでしたが、しばらくは、やけに見通しのいい玄関によけい行きそうにありません。
30分間外の作業をしたのが1週分ほどの活動になりそうです。
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10年ぶりの新車です

2024-07-21 01:01:19 | 日記
しかも、運転歴40年以上ではじめての軽自動車です
その小ささと軽さにおっかなびっくりしながら、思っていた以上に駐車が簡単で楽なことを実感。
陋屋には駐車スペースらしきものがないのと、前面の道路の幅が小さいので、ちょっとした用事でも家の前に停めて、ということは従来の車ではしたことがありませんでした。
一昨日、仕事の帰りに図書館で借りた重い本、期末の成績関連の書類の束を入れたカバンがパンパンでそれを持ち上げて時間制の駐車場まで運ぶ自信がなく(足に重みがこたえます ついでに自分の体重もだいぶ邪魔になってもいますよ)とりあえず駐車場から車を出してきて、クルマを家の前に停めてみました。自分が昇降するためのスペースは無理なくとって塀の前に停めました。

出入り5分ほどでしたので、タイヤをまっすぐにしないでこうして記念撮影するのはちょっと不満足でしたが、、、


さらに塀の裏側に多分、今夏最後のアジサイを、手折らないで画像に納めました。


家の前に車を停めていても殆ど車体が道に出ていないので今まで出来なかったようなちょっとしたことが軽々できたわけですね。

自宅まで5分、無事帰宅したあと、自宅の玄関ホールの花を活けかえて、久々にすっきり気分を味わいました。

遠出しようとは思いませんが、近くだからこそ気軽に、そして十分注意してこの新しい家族同様の私の足代わりを活用しようと思います。


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